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ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ『エマオでの晩餐』
記事URL  カテゴリ | 新約聖書絵画 | 2014年07月14日(月)21時07分 | 編集 |
2014年7月14日(月) 


目次
1. イエスに気づく二人
2. 原題


今回取り上げる作品はミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ作『エマオでの晩餐』です。

ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ『エマオでの晩餐』238


1. イエスに気づく二人


夕食が始まると巡礼姿の旅人は祈りを唱え、パンを手に取り2つに裂いて二人に与えました。
その瞬間、二人はこの男性が復活したイエスであることに気づいたのです。

そして気づいた瞬間に男性の姿は忽然と消えたのでした。
カラヴァッジョ(1571-1610)は中央で赤い服を着て右手を上げているイエスを髭のない男性として描きました。

エマオへの道中、ずっと話していたにも関わらず二人は復活したイエスだとは気付きませんでした。
その理由として復活したイエスの外見が生前とは多少異なる部分があったから、ということにしているわけですね。


2. 原題


ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ(Michelangelo Merisi da Caravaggio)が描いた『エマオでの晩餐』は英語ではThe Supper at Emmausと言います。

この作品はロンドンのナショナル・ギャラリー(The National Gallery)で見ることが出来ます。

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レリオ・オルシ『エマオへの道』
記事URL  カテゴリ | 新約聖書絵画 | 2014年07月13日(日)21時05分 | 編集 |
2014年7月13日(日) 


目次
1. 復活後の二つ目の出来事
2. 原題


今回取り上げる作品は、レリオ・オルシ作『エマオへの道』です。

レリオ・オルシ『エマオへの道』384


1. 復活後の二つ目の出来事


日曜日に復活したイエスはマグダラのマリア以外の弟子の前にも姿を現しました。

エルサレムの西にエマオという街があります。
イエスの生前に弟子だった二人の男たちが日曜日にエマオへと向かって歩いていました。

金曜日にエルサレムで起きた十字架事件のことなどを語り合っての道行でした。
するといつの間にか一人の男性が並んで歩いていることに気付きました。

その男性は巡礼の最中のようで、十字架事件のことを話して欲しいと二人に頼みました。

弟子だった二人は巡礼姿の男性に対して十字架事件の顛末や今日の早朝に墓から遺体が無くなっていたことなどを話して聞かせました。

巡礼姿の男性は二人の話にじっと耳を傾けていました。
そして一通り話を聞いた後、その男性は二人にイエスに関することを丁寧に語りました。

男性の話を聞きながら二人はもっとこの人から話が聞きたいと思いました。
そこで夕食を一緒にとってくれるよう頼んだのです。

イタリアの画家レリオ・オルシ(1508頃-1587)が描いているのは3人がエマオへと向かっている道中です。
中央の白い巡礼姿の男性が復活したイエスです。

左右の二人はこの時点では中央の男性が復活したイエスだとは気づいていません。

続きます。


2. 原題


レリオ・オルシ(Lelio Orsi)が描いた『エマオへの道』は英語ではThe Walk to Emmausと言います。
この作品はロンドンのナショナル・ギャラリー(The National Gallery)で見ることが出来ます。




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ティツィアーノ・ヴェチェッリオ『私に触れてはいけない』
記事URL  カテゴリ | 新約聖書絵画 | 2014年07月11日(金)09時12分 | 編集 |
2014年7月11日(金) 


目次
1. 墓守の姿
2. 原題


今回取り上げる作品はティツィアーノ・ヴェチェッリオ作『私に触れてはいけない』です。

ティツィアーノ・ヴェチェッリオ『私に触れてはいけない』404


1. 墓守の姿


イエスの墓に到着したマグダラのマリアは一人の男性が立っているのを見ました。
最初、マリアはこの男性を墓守だと思いました。

金曜日の夕方に埋葬されたイエスが日曜の早朝に現れるはずがありません。
墓の近辺に男性が立っていれば墓守と思うのも当然かも知れませんね。

ところがよく見るとこの男性はイエスでした。
マグダラのマリアは駆け寄ってイエスの体に触ろうとします。

死んだと思ったイエスが生き返って目の前に立っているのです。
体に触れることでイエスの体温を感じたいと思うのも当然でしょう。

ところがイエスはマグダラのマリアのそうした行為を制止します。
イエスはまだ天界と人間界の狭間にいる身なので、生きている人間がこの体に触れてはいけないと言いました。

ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(1490頃-1576)は美しいマリアが右手で触れようとする瞬間のイエスの動きを描きました。


2. 原題


ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(Tiziano Vecellio)が制作した『私に触れてはいけない』はNoli me tangere(ノリ・メ・タンゲレ)とラテン語で表されることが多いです。

この作品はロンドンのナショナル・ギャラリー(The National Gallery)で見ることが出来ます。




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アンドレア・マンテーニャ『ゲッセマネの祈り』
記事URL  カテゴリ | 新約聖書絵画 | 2014年05月30日(金)14時11分 | 編集 |
2014年5月30日(金) 


目次
1. 最後の晩餐後
2. 眠る弟子たち
3. 原題


今回取り上げる作品は、アンドレア・マンテーニャ作『ゲッセマネの祈り』です。

アンドレア・マンテーニャ『ゲッセマネの祈り』258


1. 最後の晩餐後


最後の晩餐においてイエスはパンを自らの肉体とし葡萄酒を自らの血として弟子たちに分け与えました。
食事が終わった後、イエスは3人の弟子を引き連れてエルサレムの東にあるオリーブ山に登りました。

イエスがオリーブ山に連れて行った3人の弟子たちとはペテロ、大ヤコブ、ヨハネです。

オリーブ山は、山とは言っても高さは800メートル程度です。
丘陵という言葉の方が相応しいでしょうね。

そのオリーブ山の北西の麓(ふもと)にゲッセマネの園と呼ばれている庭園風の場所がありました。
ゲッセマネとはアラム語で「オリーブの油搾り」という意味です。

アラム語とはイエスや弟子達が喋っていたとされる言語です。

最後の晩餐の後、イエスがゲッセマネに赴いたのは神に祈りを捧げるためです。
ゲッセマネへの道中、イエスはペテロに次のように言いました。

「鶏が鳴く前にお前は私を三度知らないと言うであろう。」

ペテロはそんなはずはないとイエスの言葉を強く否定します。
しかし予知能力を持つイエスにはペテロのこの後の行動が全てお見通しだったのです。

何も知らないのはペテロ本人でした。


2. 眠る弟子たち


イエスはゲッセマネの園に到着した時点で自分の最期がどのような形になるのかを予想していました。
そして自分にそのような苦痛を与える神に対して祈りを捧げ、その理由を尋ねていたのかも知れません。

アンドレア・マンテーニャ(1431-1506)の作品にも小高いところで一心に祈りを捧げるイエスの姿が描かれています。
画面向かって左上には十字架を持った天使の姿も見えますね。

イエスはこの世における最後の夜を信頼する3名の弟子たちと共に過ごすつもりでした。
自分と一緒に神に祈りを捧げて欲しいという思いで最も信頼しているこれらの3人の弟子を連れて来ました。

ところが師の思いは弟子たちは届きませんでした。
イエスが祈っている間、ペテロ、大ヤコブ、ヨハネの3人は完全に眠りこけていたのです。

晩餐の時に呑んだ葡萄酒が効いたのでしょう。
そして、この一連の行動は真夜中から未明にかけて行われていますので、普段であれば眠っている時間ですしね。

マンテーニャは3人とも口を開けて眠り込んでいる姿で描いています。
丸っきり緊張感というものが見受けられませんね。

初代ローマ教皇とされるペテロですらも、この程度の人物だったということです。

一方、画面右上には武装した人たちの姿が見えます。
これはイエスを逮捕しようとしている人々の群れですね。

この中に裏切り者ユダも描かれているはずなんですが、私には特定できません。


3. 原題


アンドレア・マンテーニャ(Andrea Mantegna)が制作した『ゲッセマネの祈り』はイタリア語ではOrazione nell'ortoと言います。

orazioneは祈祷という意味です。
l'ortoの語義は菜園ですが、ここではオリーブ園という意味です。

絵画の英語題名はThe Agony in the Gardenです。

the agonyは苦悶という意味ですので、祈りという行為よりもイエスの心情を表現した題名になっているわけです。

この作品はロンドンにあるナショナル・ギャラリー(The National Gallery)で見ることが出来ます。




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レンブラント・ファン・レイン『姦通で連れて来られた女』
記事URL  カテゴリ | 新約聖書絵画 | 2014年02月16日(日)11時26分 | 編集 |
2014年2月16日(日) 


目次
1. 姦淫の罪
2. 原題


今回取り上げる作品は、レンブラント・ファン・レイン作『姦通で連れて来られた女』です。

レンブラント・ファン・レイン『姦通で連れて来られた女』423


1. 姦淫の罪


レンブラント(1606-1669)の作品で、中央で白い服を着ているのが姦淫の罪で捕まえられた女性です。
自分の過ちを悔いイエスの前で跪(ひざまず)いて涙を流しています。

ユダヤ教の律法では、姦淫の罪を犯した女は周囲の者が石を投げて打ち殺すことになっています。
女性の後ろに立ち並ぶ律法学者たちはイエスに対して判断を求めます。

イエスがここで語った言葉は有名です。

「あなた方の中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるが良い。」

これを聞いて周囲にいた者は一人また一人と去って行きました。
この世で生きていて罪のない者などいるはずがないからです。
女を罰しようとした者たちは全ていなくなりました。

イエスは女に対して次のように言います。

「誰もあなたを罰しない。私もあなたを罰しない。帰るが良い。」

イエスはこのようにして、律法学者の生命線であるユダヤの律法を無視するような言動を行っていったわけです。

度重なる律法無視の行為は、窮地に立たされた者を救うことに関しては意義がありました。
その代わりイエスは自らの命を縮めることになるのです。


2. 原題


レンブラント・ファン・レイン(Rembrandt van Rijn)が描いた『姦通で連れて来られた女』は、英語ではThe Woman taken in Adulteryと言います。

adulteryが不倫や姦通という意味です。
この作品はロンドンのナショナル・ギャラリー(The National Gallery)で見ることが出来ます。




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バルトロメ・エステバン・ムリーリョ『ベテスダの池で麻痺患者を癒すキリスト』
記事URL  カテゴリ | 新約聖書絵画 | 2014年02月13日(木)11時17分 | 編集 |
2014年2月13日(木) 


目次
1. ベテスダの池
2. 原題


今回取り上げる作品は、バルトロメ・エステバン・ムリーリョ作『ベテスダの池で麻痺患者を癒すキリスト』です。

バルトロメ・エステバン・ムリーリョ『ベテスダの池で麻痺患者を癒すキリスト』305


1. ベテスダの池


エルサレムにあるベテスダの池は天使が奇跡を起こす池として知られていました。
この池の周囲には不治の病を患った人々が大勢暮らしていました。

そして、天使が池に舞い降りた時に一番最初に池の水に触れた者は病が治ると信じられていました。
ある日、イエスがベテスダの池の近くを通りかかると一人の男がイエスに訴えました。

「私は脚が麻痺しています。たとえ天使が舞い降りたとしても私は動くことが出来ないので、一番初めに池の水に触れることは叶いません。」

その言葉を聞いたイエスは、その男に手をかざして起き上がるように言いました。
すると、脚が麻痺していた男は癒されて歩けるようになりました。

イエスは麻痺した脚を治すという奇跡を示したのです。
スペインの画家バルトロメ・エステバン・ムリーリョ(1617-1682)はイエスが奇跡を行っている場面を描いています。

画面前景で横たわり両手を広げているのが脚が麻痺している男です。
画面中央に立つイエスは男に右手を差し伸べています。


2. 原題


バルトロメ・エステバン・ムリーリョ(Bartolomé Esteban Perez Murillo)が描いた『ベテスダの池で麻痺患者を癒すキリスト』は、英語ではChrist healing the Paralytic at the Pool of Bethesdaと言います。

この作品は、ロンドンのナショナル・ギャラリー(The National Gallery, Trafalgar Square, London)で見ることが出来ます。




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ピエロ・デラ・フランチェスカ『キリストの洗礼』
記事URL  カテゴリ | 新約聖書絵画 | 2013年11月08日(金)23時17分 | 編集 |
2013年11月8日(金) 


目次
1. 洗礼を受けた時期
2. ヨルダン川の水量
3. 原題


今回取り上げるのは、ピエロ・デラ・フランチェスカ作『キリストの洗礼』です。

ピエロ・デラ・フランチェスカ『キリストの洗礼』 464


1. 洗礼を受けた時期


イエスが20歳になる前に養父ヨセフが亡くなりました。
そしてその後イエスは、約10年にわたって大工仕事をしながら母マリアと暮らして来ました。

イエスは30歳前後でマリアに別れを告げて、ヨハネが主宰する教団に入ります。
イエスが生きた頃の30歳という年齢は、今とは異なりもう若者とは言えない年齢です。

この年齢から第2の人生を開始するというのは、当時の社会通念に照らしてみるとかなり勇気がいることではなかったかと思います。

しかも年老いた母を見捨てる形で家を出ていくわけですから、周囲の人々の反対もあったかも知れませんね。


2. ヨルダン川の水量


ピエロ・デラ・フランチェスカ(1416頃-1492)が描いているのは、イエスがヨルダン川でヨハネから洗礼を受けている場面です。

洗礼とはヨハネ教団へ入会するための儀式ですね。
イエスに限らずヨハネの指導を受ける人々は、皆このような洗礼式を経ているわけです。

オレンジ色の衣装を身につけたヨハネの後方には、下着姿の男性が描かれています。
これから洗礼を受けるために服を脱いでいるところです。

その後景で右手を上げて白鳩を指差しているのはユダヤ教の祭司です。
ユダヤ教と対立関係にあったヨハネ教団の行動を監視しているのかも知れません。

ピエロ・デラ・フランチェスカの描くヨルダン川は、幅は狭いですし水量もあまりありませんよね。
水量についてはこの絵に描かれている通り、あまり豊富ではなかったのかも知れません。

現代においても、加藤紘一が国会議員の時に実際にヨルダン川を訪れ、水がほとんど無い様子を見ています。

イエスが生きていた頃のヨルダン川は、海上交通に供するような川ではなかったのかも知れません。

なお、現在のヨルダン川の総延長は425キロということですので、23キロの隅田川や173キロの荒川と比べると随分長いですよね。


3. 原題


画家がイエスの洗礼式を描く場合、白い鳩をイエスの頭上に描くことがほとんどです。

ピエロ・デラ・フランチェスカ(Piero della Francesca)も、イエスの頭上すぐのところを飛ぶ白鳩の姿を描いていますね。

この白鳩は聖霊を表していると言われています。

『キリストの洗礼』は、英語ではThe Baptism of Christと言います。
The Baptismが洗礼という意味です。

この作品はロンドンのナショナル・ギャラリー(The National Gallery)で見ることが出来ます。




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アンドレア・デル・ヴェロッキオ『トビアスと天使』
記事URL  カテゴリ | 旧約聖書絵画 | 2013年07月15日(月)13時36分 | 編集 |
2013年7月15日(月)


目次
1. 天使の歩き方
2. エクバタナの娘サラ
3. トビアスとサラの出会い
4. ニネベに戻るトビアスとサラ
5. 原題


今回取り上げる作品は、アンドレア・デル・ヴェロッキオ作『トビアスと天使』です。

アンドレア・デル・ヴェロッキオ『トビアスと天使』430


1. 天使の歩き方


トビアスとアザリア(実は大天使ラファエル)は、メディア地方のエクバタナという街に向かっています。

アンドレア・デル・ヴェロッキオ(1435頃-1488)の作品では、向かって右に描かれているのがトビアスです。
左手に握っている小さな巻物が、父トビトから渡された証文を表しています。

その下にぶら下げている魚は、捕獲した大魚を示しているのですが随分と小さく描かれていますね。
いずれにしても、この魚はこの後の話で鍵になる要素なのです。

向かって左のアザリアは、トビアスと腕を組んで先導しています。
トビアスは大地をしっかりと踏みしめていますが、アザリアは浮かぶような軽い足取りです。

ヴェロッキオは、人間と天使の歩き方の違いをこのように表現しているわけですね。


2. エクバタナの娘サラ


エクバタナには、トビトの親戚であるラグエルという男性が暮らしていました。
ラグエルには娘がいて、サラと言います。

サラは今までに、7回結婚しました。
しかし、7人の新郎が全て初夜の床に入る前に死んでしまいました。

原因は、悪霊アスモダイが新郎たちを殺してしまうからです。

アスモダイを打ち倒さないことには、サラは結婚しても夫との生活を送ることが出来ません。
サラは神に祈り、その願いは聞き届けられました。

トビアスに同行している大天使ラファエルは、このサラを救うためにも派遣されていたのです。


3. トビアスとサラの出会い


エクバタナの街に入ったあたりで、アザリア(大天使ラファエル)がトビアスに次のように言いました。

「私たちは今晩、ラグエルの家に泊まります。
ラグエルはあなたにとって親戚筋の人物で、サラという娘がいます。
あなたは、サラと結婚するのです。」

アザリアの指示に従い、トビアスはサラに結婚を申し入れました。
ラグエルから了承を得たトビアスは、サラとの新婚初夜を迎えます。

トビアスは初夜の床に入る前に、アザリア(大天使ラファエル)から受けていた命令を実行しました。
それは、先日捕まえた大魚の心臓と肝臓を燻(いぶ)すことでした。

悪霊のアスモダイは、その匂いを嗅いで燻し出されました。
そして、サラのそばから離れて逃げて行きました。

トビアスは、サラに憑いていた悪霊を追い払ったのです。
その後を追跡した大天使ラファエルによって、アスモダイは縛り上げられ成敗されました。


4. ニネベに戻るトビアスとサラ


トビアスとサラの結婚の祝宴が、14日間にわたり行われることになりました。
その間に、アザリア(大天使ラファエル)はトビアスから証文を預かり、ラゲスへと向かいます。

アザリアはトビアスの代理人としてラゲスに住むガバエルと会い、無事お金を回収したのでした。
当初の目的を達したトビアスは、年老いた両親が待つニネベへと妻と共に戻ることにしました。

続きます。


5. 原題


アンドレア・デル・ヴェロッキオ(Andrea del Verrocchio)が制作した『トビアスと天使』は、英語ではTobias and the Angelと言います。

この作品は、ロンドンのナショナル・ギャラリー(The National Gallery)で見ることが出来ます。




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ピーテル・パウル・ルーベンス『サムソンとデリラ』
記事URL  カテゴリ | 旧約聖書絵画 | 2012年11月17日(土)11時09分 | 編集 |
2012年11月17日(土)


目次
1. 愛人デリラ
2. 髪を切られるサムソン
3. 原題


今回取り上げる作品は、ピーテル・パウル・ルーベンス作『サムソンとデリラ』です。

2012年11月17日ピーテル・パウル・ルーベンス『サムソンとデリラ』 303

1. 愛人デリラ


サムソンは長きに渡って士師の役割を果たし、ペリシテ人と戦っていました。

サムソンによって畑を焼き払われたり、仲間や家族を殺されたりしていたペリシテ人は、復讐する機会を窺っていました。

やがてサムソンは、デリラというペリシテ人女性を愛人に迎えます。
ペリシテ人はこのデリラを操って、サムソンの弱点を見い出そうとしました。

寝物語の中で何度もサムソンの怪力の秘密を尋ねるデリラでしたが、サムソンはなかなか口を割りません。

それでもついにサムソンが、髪の毛に秘密があることをデリラに喋ってしまったのです。


2. 髪を切られるサムソン


ペリシテ人は、デリラからサムソンの強さの秘密を聞き出します。
そしてある夜、サムソンの髪の毛を切るためにデリラの家の近辺に集まりました。

周囲でペリシテ人が待機しているとも知らず、サムソンはいつものようにデリラと愛し合いました。
そしてデリラの豊満な肉体を十分に堪能した後、デリラの傍で眠りに落ちます。

サムソンが完全に眠り込んだのを確認して、デリラはペリシテ人に合図を出しました。

ペリシテ人たちは、デリラの傍で眠っているサムソンに忍び寄ります。
そして持参したハサミで、サムソンの髪を切り落としたのです。

ルーベンス(1577-1640)の作品では、愛するデリラの膝で眠り込むサムソンが描かれています。

まさかこの女性が裏切るはずはない、という表情で、完全に眠っていますね。
右手をデリラの太股の上に置いて、その上に顔を乗せ、心から安心し切っている様子が窺えます。

夜間の出来事であるため、向かって左には、火のついた蝋燭を左手に持っている老婆が描かれています。

扉の向こうには、髪を切り落とされて力を失ったサムソンを傷めつけるべく、兵士たちが控えています。

サムソンの命運は、ここに尽きました。
続きます。


3. 原題


ピーテル・パウル・ルーベンス(Peter Paul Rubens)が制作した『サムソンとデリラ』は、英語ではSamson and Delilahと言います。

この作品は、ロンドンのナショナル・ギャラリー(The National Gallery)で見ることが出来ます。





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ニコラ・プッサン『黄金の子牛の崇拝』
記事URL  カテゴリ | 旧約聖書絵画 | 2012年09月08日(土)10時48分 | 編集 |
2012年9月8日(土) 1本目


目次
1. モーゼ不在時の出来事
2. 兄アーロン
3. 原題


今回取り上げる作品は、ニコラ・プッサン作『黄金の子牛の崇拝』です。

2012年9月8日ニコラ・プッサン『黄金の子牛の崇拝』239

1. モーゼ不在時の出来事


ユダヤの神は、偶像崇拝を否定します。
いかなる理由があろうとも、偶像を作成しそれを拝むという行為は、命令違反となります。

モーゼがユダヤの民と一緒にすぐ傍で活動していた時は、指導者モーゼの目が光っていますので、そのようなことを考えたり話題にしたりする者はいませんでした。

ところが、モーゼが神に呼ばれシナイ山に登っている間に、ユダヤ民族は神との約束を反故(ほご)にしました。

ニコラ・プッサン(1594-1665)が作品の中央に描いているように、金色の仔牛像を拵(こしら)えて拝んでしまったのです。

彼らがこのような愚行に及んでいる最中、モーゼは山頂にて神から『十戒』を授かっていました。

命を懸けて神との対話に臨み、ありがたくも十戒を授かったモーゼは、同胞にこのことを伝える義務があります。

ところが、急ぎ下山したモーゼを待っていたのは、目を疑うような光景でした。
金色の仔牛像がテーブルの上に安置され、踊り狂って騒いでいるだけの民衆の姿です。

指導者が不在だと、自制心のない部下はこのような生活態度に成り果てるということですね。


2. 兄アーロン


モーゼには、アーロンという兄がいました。

アーロンはモーゼがシナイ山に登っていて不在の間に、ユダヤ民族を取りまとめる役割を担っていました。

にも関わらず、アーロン自身が仔牛像の作成に関わって、民衆をあらぬ方向へと先導していたのです。

画面向かって右の、木の前で白い服を頭から身につけている男がアーロンです。

指導者モーゼがなかなか下山して来ないので、しびれを切らしたという事情もあったでしょう。

しかし、下々の者はともかく、兄であるアーロンだけはそういった人々の焦りや不安を、言葉の力で解消してあげる責任があったはずです。

弟が命がけで神と対話していることの意味を、この兄は全く理解していなかった、ということになりますね。

画面後景の向かって左側で、石板を掲げて地面に叩きつけようとしているのがモーゼです。
民の乱れた生活ぶりを目にして、堪忍袋の緒が切れたという様子です。

モーゼの右にいるのは、ヨシュアです。
ヨシュアはモーゼ亡き後、ユダヤ民族の指導者に指名される人物です。


続きます。


3. 原題


ニコラ・プッサン(Nicolas Poussin)が制作した『黄金の子牛の崇拝』は、英語ではThe Adoration of the Golden Calfと言います。

adorationが、崇拝、という意味です。

この作品は、ロンドンのナショナル・ギャラリー(The National Gallery)で見ることが出来ます。





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レンブラント・ファン・レイン『ポティファールの妻から告訴されるヨセフ』
記事URL  カテゴリ | 旧約聖書絵画 | 2012年07月10日(火)12時32分 | 編集 |
2012年7月10日(火)


目次
1. 冤罪
2. 嘘がまかり通る世界
3. 原題


今回取り上げる作品は、レンブラント・ファン・レイン作『ポティファールの妻から告訴されるヨセフ』です。

2012年7月10日レンブラント・ファン・レイン『ポティファールの妻から告訴されるヨセフ』368

1. 冤罪


レンブラント・ファン・レイン(1606-1669)が描いているのは、帰宅したポティファールに妻が、ヨセフの強姦未遂事件をでっち上げ、訴えているところです。

画面向かって右に立っているポティファールは、妻の真剣な訴えに耳を傾けています。

妻は、向かって左の前景に描かれている、ヨセフの赤いマントを動かぬ証拠として、捏造した強姦未遂事件の顛末を語っています。

貞淑な妻を、あろうことか奴隷のヨセフが強姦しようとした、という話に仕立て上げていくのです。

ベッドを挟んだ後方で、力なく佇んでいるのは、ヨセフです。

権力者ポティファールの凄みのある姿に、無実のヨセフが気圧(けお)されている様子が描かれています。

なお、旧約聖書『創世記』には、ヨセフがこの場面に立ち会った、という記述はありません。
この場にヨセフが描かれているのは、あくまでもレンブラントの創作です。


2. 嘘がまかり通る世界


妻は、ポティファールに次のように言います。

「実は、私は、以前からヨセフに言い寄られていました。
再三断ったのですが、今日はついに、力づくで犯されそうになりました。
辛うじて、無傷でしたが、明日以降も、襲われるかも知れませんので、恐ろしいです。」

涙ながらに切々と訴える妻の顔を見ていると、夫は、妻の言っていることが真実なのだろうと判断しますね。

ポティファールは、奴隷のヨセフが、妻の熟れた肉体を日々、セックスの対象として見ていたことを知り、激怒します。

夫に限らず、性的辱めを受けたという女の訴えを聞いた者は、無条件で女の発言内容を信じる傾向にあります。

「女が泣いているのだから、悪いのは男のはずだ。
女は悪くない。

女が性欲を露にして、男に言い寄ることはないはずだ。
女は悪くない。

女には全くその気はなかったのだが、男の性欲の餌食になったのだ。
女は悪くない。

女には、それほど性欲はないはずだ。
女は悪くない。

悪いのは、全て男だ。
なぜなら、女が泣いているからだ。」

社会全体が、こういう思考を巡らすことによって、性的冤罪事件を捏造した女に加担していくのです。
このあたりが、人間の限界であり、人間の本質なのです。

旧約聖書は、被害者が提出した物的証拠すらも、真実の証明にはならないことを教えているわけです。

しかし、旧約聖書の時代から数千年が経過した現代でも、痴漢冤罪事件などで人生を狂わされた男性も、少なからずいます。

男女を問わず、人間には、まだまだ賢くなる余地は残されている、と信じたいですけどね。

さて、奴隷という身分を弁(わきま)えて、弁明しなかったヨセフは、ポティファールの命令により、獄に放り込まれることになりました。


3. 原題


レンブラント・ファン・レイン(Rembrandt Harmensz. van Rijn)が制作した『ポティファールの妻から告訴されるヨセフ』は、英語ではJoseph Accused by Potiphar's Wifeと言います。

accuse Zは、Zを告訴・告発する、という意味です。

告訴とは、犯罪の被害者が犯罪の事実を申告することです。
一方、告発とは、被害者以外の第三者が、犯罪の事実を申告することです。

一般語としては、告訴も告発も混同されて使われているかも知れませんが、法律用語としては、告訴と告発は明確に区別されます。

この作品は、ワシントンのナショナル・ギャラリー(National Gallery of Art, Washington, DC)で見ることが出来ます。





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グエルチーノ『ヨセフとポティファールの妻』
記事URL  カテゴリ | 旧約聖書絵画 | 2012年07月07日(土)21時06分 | 編集 |
2012年7月7日(土)


目次
1. 権力者の妻
2. 熟れた人妻の誘い
3. 原題


今回取り上げる作品は、グエルチーノ作『ヨセフとポティファールの妻』です。

2012年7月7日グエルチーノ『ヨセフとポティファールの妻』249

1. 権力者の妻


グエルチーノ(1591-1666)が描いたこの場面は、旧約聖書『創世記』で語られている話です。

向かって右側の男が、ヨセフです。

向かって左で、全裸で横たわり、ヨセフの衣服を掴み取ろうとしている女が、ポティファールの妻です。

ポティファールとは、エジプト王に仕える侍従長の名前で、この女は権力者の妻ということになります。

旧約聖書は、この女の名前は明らかにはしていません。

エジプトで奴隷として働き始めたヨセフは、持ち前の才気を発揮して、奴隷の身ながら次第に侍従長ポティファールの信頼を得ていきます。

そして、ついには財産の管理まで任せられるほどに出世しました。

このような才気溢れる美貌の下僕ヨセフを、ポティファールの妻は、かねがね性交の相手として狙っていました。

日々、下僕として身の回りで甲斐甲斐しく働くヨセフの美しい姿を見て、妻の性欲は高まるばかりでした。


2. 熟れた人妻の誘い


ある日、夫のいない昼間に、妻はヨセフを褥(しとね)に招きました。
夫の帰宅までは、十分時間があります。

ポティファールの妻は、念願だったヨセフの男根を、ようやく手に入れることが出来るのです。

相手は才能豊かな若者といえども、しょせんは奴隷です。
権力者の妻に逆らうということが何を意味するかは、ヨセフにも十分に分かっていたはずです。

しかも、ポティファールの妻は、グエルチーノが作品に描いているように、豊満な肉体の持ち主です。
美女の熟れた肉体を目の前にして、何もせずに我慢出来る男は、ほとんどいないでしょう。

奴隷のヨセフには、本来、選択肢などありません。
ポティファールの妻は、圧倒的有利な立場を利用して、美男子とのセックスを堪能する手はずでした。

ところが、ヨセフは上司の妻からの誘いを断ったのです。

ヨセフからすれば、奴隷が主人の妻とセックスをするわけにはいきませんので、立場を弁(わきま)えた賢明な判断を下したと言えます。

この若さで、年上の美女を前にしてセックスを我慢できるとは、男の鏡と言って良いでしょう。
99パーセントの男には、我慢など無理ですね。

ところが、賢明であるはずの判断が一転し、ヨセフは強姦未遂犯へと仕立て上げられていくのです。


3. 原題


作者のグエルチーノ(Guercino)は、イタリアの画家です。

グエルチーノというのは渾名であり、本名はジョヴァンニ・フランチェスコ・バルビエーリ(Giovanni Francesco Barbieri)と言います。

『ヨセフとポティファールの妻』は、英語ではJoseph and Potiphar's Wifeと言います。

この作品は、ワシントンのナショナル・ギャラリー(National Gallery of Art, Washington, DC)で見ることが出来ます。





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ヤコポ・ダ・ポントルモ『ポティファールに売られるヨセフ』
記事URL  カテゴリ | 旧約聖書絵画 | 2012年07月06日(金)20時50分 | 編集 |
2012年7月6日(金)


目次
1. エジプト王宮の侍従長
2. 原題


今回取り上げる作品は、ヤコポ・ダ・ポントルモ作『ポティファールに売られるヨセフ』です。

2012年7月6日ヤコポ・ダ・ポントルモ『ポティファールに売られるヨセフ』392

1. エジプト王宮の侍従長


ヨセフは異母兄たちの謀略に陥(おとしい)れられ、隊商に売り飛ばされてエジプトへと連れて来られました。

エジプトに到着した隊商は、奴隷となったヨセフをポティファールという男に譲渡しました。
ポティファールはエジプト王宮で侍従長を務めている有力者です。

ヤコポ・ダ・ポントルモ(1494-1557)の作品では、向かって右側でピンク色のマントを掛けて左手に杖を持っているのがポティファールです。

画面中央でポティファールの顔を見上げている少年がヨセフですね。
旧約聖書『創世記』の記述に則り美少年として描かれています。

ヨセフの向かって左側で床に落ちた小銭を拾うために身を屈(かが)めたり財布の中に右手を入れたりしているのは、ヨセフをここまで連れて来た隊商の者たちです。

ポティファールから渡された代金を仲間同士で取り合う様子が描かれています。

画面後景、ポティファールの真上に見えているのは博愛の精神を表現している彫像です。

ヨセフは後年、自分をこのような惨めな立場へ陥れた異母兄たちを寛大な心で許すのですが、そのことの暗示と考えられます。


2. 原題


ヤコポ・ダ・ポントルモ(Jacopo da Pontormo)が制作した『ポティファールに売られるヨセフ』は、英語ではJoseph sold to Potipharと言います。

この作品は、ロンドンのナショナル・ギャラリー(The National Gallery)で見ることが出来ます。





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ヘンドリック・テル・ブルッヘン『ラバンを非難するヤコブ』
記事URL  カテゴリ | 旧約聖書絵画 | 2012年06月26日(火)20時22分 | 編集 |
2012年6月26日(火)


目次
1. 7年間の無償奉仕
2. 騙されるヤコブ
3. もう7年の無償奉仕
4. 原題


今回取り上げる作品は、ヘンドリック・テル・ブルッヘン『ラバンを非難するヤコブ』です。

2012年6月26日ヘンドリック・テル・ブルッヘン『ラバンを非難するヤコブ』284

1. 7年間の無償奉仕


ラケルに恋をしたヤコブは、伯父ラバンにラケルとの結婚を認めてくれるよう頼みました。
ラバンは、7年間無償で働くことを条件に承諾します。

ヤコブは、7年の長きにわたって主に羊飼いとして、ラバンの元で働きました。
無償労働という辛さを乗り越えることが出来たのは、ラケルへの愛があったからです。

そしてラケルもヤコブの愛に応え、7年間待ち続けました。


2. 騙されるヤコブ


ようやく7年が経ち、晴れてヤコブはラケルを妻として娶ることが出来るようになりました。
義父となったラバンから最終承諾を得て、ヤコブはラケルとの新婚初夜を迎えました。

翌朝、陽が昇ってからヤコブは、隣で眠っているラケルの顔を見ました。
すると、その女性はラケルではなく、姉のレアだったのです。

怒り心頭のヤコブは、ラバンに詰め寄ります。

「約束が違うではないか!」

ラバンは、素知らぬ顔で答えました。

「姉が先に嫁に行くのが、しきたりである。レアより先に、ラケルを嫁がせることは出来ない。」

オランダの画家ヘンドリック・テル・ブルッヘン(1588-1629)が描いているのは、ラバンを非難するヤコブと、それに反論するラバンの姿です。

向かって左で、赤い服を着ているのがヤコブです。
右手を差し出して、ラバンの卑劣なやり方を強く批判しています。

ラバンは椅子に深々と座り、若いヤコブの言うことなどまるで聞く耳を持たない様子です。
「しきたり」という言葉一辺倒で、ヤコブの主張を退けます。

ラバンの隣で立っているのが、ラケルの姉のレアです。
父と共謀してヤコブと初夜を共にし、夫を手に入れたのです。


3. もう7年の無償奉仕


ヤコブは、美しいラケルを諦めることなど出来ません。
どうすればラケルと結婚出来るのかを、ラバンに問い質しました。

ラバンは、後7年の無償奉仕を条件としました。
常識的に考えて、この条件は無茶苦茶です。

ラバンは、最初からヤコブを騙すつもりだったのでしょう。
一番卑劣なのは、ラバンです。

しかし、ヤコブはこの卑怯なやり方を受け入れ、追加の7年の無償労働に従事することになるのです。
そこまでしてラケルを妻にしたいというヤコブの想いは、少なくともラケルには届いていました。

ヤコブが14年待ったということは、ラケルも14年待ったわけです。
14年間、二人の間には、性交渉はありません。

ヤコブとラケルが初めて出会ってから14年後、二人は念願の結婚式を挙げることが出来たのです。


4. 原題


ヘンドリック・テル・ブルッヘン(Hendrick ter Brugghen)が描いた『ラバンを非難するヤコブ』は、英語ではJacob reproaching Labanと言います。

reproach Zは、Zを咎(とが)める、という意味です。

この作品は、ロンドンのナショナル・ギャラリー(The National Gallery, Trafalgar Square, London)で見ることが出来ます。





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ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ『ヴィーナスと時の寓意』
記事URL  カテゴリ | ギリシア神話絵画 | 2012年03月23日(金)23時50分 | 編集 |
2012年3月23日(金)


目次
1. トロイ王家の傍流
2. セックスの女神から学ぶべきこと
3. ローマ建国の祖の誕生
4. 原題


今回取り上げる作品は、ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ作『ヴィーナスと時の寓意』です。

2012年3月23日ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ『ヴィーナスと時の寓意』495

1. トロイ王家の傍流


イタリアの画家ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ(1696-1770)が描いているのは、トロイ王家の血を引くアイネイアスが誕生した場面です。

まずは、アイネイアスの先祖の系譜を見ておきましょう。

トロイという国名の元となった王は、トロスです。
トロスには3人の息子がいて、イロス、アッサラコス、ガニュメデスと言います。

ガニュメデスは、ゼウスによって神々の世界へと拉致され、宴会の給仕として働くことになります。
イロスの息子がラオメドンで、ラオメドンの息子がプリアモスです。

プリアモスはトロイ陥落時に殺害され、トロイ王国最後の王となった人物です。
パリスは、プリアモスの息子です。

まとめるとこうなります。

トロス→イロス→ラオメドン→プリアモス(トロイ王家滅亡)→パリス


アッサラコスの息子がカピュスで、カピュスの息子がアンキセスです。
アンキセスとアプロディーテとの間に生まれた息子が、アイネイアスです。

まとめるとこうなります。

トロス→アッサラコス→カピュス→アンキセス→アイネイアス→アスカニウス


従ってアイネイアスの家は、トロイ王家の傍流ということになるわけです。


2. セックスの女神から学ぶべきこと


アイネイアスは、アプロディーテを母とします。

アプロディーテは、セックスこそが神々の世界を動かして行く原動力になると信じていて、様々な相手と愛の遍歴を重ねて行く女神です。

多くの男神たちと性交することを通じて、自分一人では生み出すことの出来ない快感を手にし、その積み重ねにより、女神としての霊力を蓄えて来たのです。

これを人間の女性に置き換えれば、女性がセックスを通じて快感を得て、その積み重ねにより、美貌に磨きをかけ、色気を蓄えていく、ということになるわけですね。

女性が色気を蓄積するには、ある程度の男性遍歴が必要です。

20代の女性が、熟女の持つ色気を醸し出すことができないのは、積み重ねや訓練が足りないからなんですね。

セックスにせよ、学問にせよ、スポーツにせよ、何ごとに対しても粘り強く、諦めず、日々の訓練を怠らなかった者だけが、真の実力を蓄えることができるのです。


3. ローマ建国の祖の誕生


そんなアプロディーテが、人間の男性アンキセスと性交することになりました。
この二人の性交渉の原因は、最高神ゼウスが作ったとされています。

アプロディーテは、これまでに、「本業」である愛と性の女神の役割を果たすべく、多くの神々と人間たちとを結びつけて来ました。

その結果、神と人間を両親とする子がたくさん生まれ、特殊な能力を備えた彼らは、この世を良くするために様々な活躍をして来ました。

ところが、アプロディーテ自身は、これまでに人間の子を生んだことがありませんでした。

そこでゼウスがアプロディーテに、人間の子を生ませようとして恋を吹き込んだのです。
そしてアプロディーテが恋に落ちた相手は、トロイ王家の血を引くアンキセスでした。

中景向かって左で、豊満な上半身を披露しているのがアプロディーテです。
前景向かって右の、有翼の老人は、時間を偶像化したものです。

「時間」が両手に抱いているのが、アイネイアスです。

「時間」に守護されたアイネイアスは、トロイ陥落の中を生き延びて、やがてローマ建国の祖となっていくのです。

いよいよ、このギリシア神話絵画シリーズも、最終章のアイネイアスのところまで辿り着きました。
最終回まで、あと少しです。


4. 原題


ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ(Giovanni Battista Tiepolo)が描いた『ヴィーナスと時の寓意』は、英語ではAn Allegory with Venus and Timeと言います。

この作品は、ロンドンのナショナル・ギャラリー(The National Gallery, Trafalgar Square, London)で見ることが出来ます。





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