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カテゴリ:ローマ建国史絵画 の記事一覧

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アントワーヌ・カロン『ティブルの巫女』
記事URL  カテゴリ | ローマ建国史絵画 | 2012年05月04日(金)12時15分 | 編集 |
記事のタグ: ルーヴル美術館
2012年5月4日(金)


目次
1. ティブル
2. 原題


今回取り上げる作品はアントワーヌ・カロン作『ティブルの巫女』です。

2012年5月4日アントワーヌ・カロン『ティブルの巫女』241

1. ティブル


ティブル(Tibur)とはローマ市の東に位置する街ティヴォリ(Tivoli)のラテン語読みです。
ティヴォリは古代ローマ時代から別荘が多く作られている街として有名です。

デンマークの首都コペンハーゲンにあるチボリ公園はこのティヴォリの名を冠した公園です。
チボリ公園はイタリア語で I Giardini di Tivoli と綴ります。

フランスの画家アントワーヌ・カロン(1521-1599)が描いているのはアウグストゥスとティブルの巫女(みこ)のやりとりの場面です。

ローマ帝国の初代皇帝アウグストゥス(在位:紀元前27-紀元後14)はローマ元老院から「あなたに神格を授けたい」という提案を受けました。

アウグストゥスはその元老院からの提案を受諾するべきかどうかをティブルの巫女に尋ねているのです。

画面中央で赤いマントを身につけて左膝を地面につけているのがアウグストゥスです。

その向かって右で青い服を着て左腕を上げているのがティブルの巫女です。

アウグストゥスからの相談を受けた巫女はローマの神々よりも偉大な幼児が間もなく誕生することを予言しました。

そして巫女が天空を指差すとその先には聖母子が現れました。

画面向かって右上にはマリアとイエスが描かれています。

巫女はこのことを通じて世俗の権力を超越する尊崇すべき存在があることを皇帝アウグストゥスに示したのです。


2. 原題


アントワーヌ・カロン(Antoine Caron)が描いた『ティブルの巫女』はフランス語ではLa Sibylle de Tiburと言います。

La Sibylleは古代の巫女を意味する語です。
この作品はルーヴル美術館(Musée du Louvre)で見ることが出来ます。

ローマ建国史絵画のシリーズは今回で完結しました。

最後の最後でイエスが少しだけ登場しましたが、イエスを扱った新約聖書絵画のシリーズを展開する前に大幅に時代を遡り旧約聖書絵画シリーズを次回から始めます。


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グイード・カニャッチ『クレオパトラの自殺』
記事URL  カテゴリ | ローマ建国史絵画 | 2012年05月02日(水)15時28分 | 編集 |
記事のタグ: 美術史美術館
2012年5月2日(水)


目次
1. 女王の死
2. 原題


今回取り上げる作品はグイード・カニャッチ作『クレオパトラの自殺』です。

2012年5月2日グイード・カニャッチ『クレオパトラの自殺』300

1. 女王の死


グイード・カニャッチ(1601-1663)は毒蛇に噛まれたクレオパトラが死んだ直後の場面を描いています。

毒蛇がクレオパトラの右腕に咬みついていますね。

クレオパトラは胸を咬まれて死んだという説が有名ですが、腕を咬まれたという説もあるのです。

侍女たちがクレオパトラの周囲を取り囲んでいますが、もはや為す術はありません。
クレオパトラの豊麗な肉体に毒蛇の毒がジワジワと回ります。

戦争に敗れたクレオパトラにとって「美しきファラオ」として死んでいくことが彼女の美学だったのでしょう。

その証拠に豊満な乳房は露にされ頭には王冠をつけたままですね。

クレオパトラ(紀元前70頃-紀元前30)は40歳の美貌を保ったままでこの世を去りました。


2. 原題


グイード・カニャッチ(Guido Cagnacci)が制作した『クレオパトラの自殺』はドイツ語ではSelbstmord der Kleopatraと言います。

Selbstmordが自殺という意味です。

この作品はウィーンにある美術史美術館(Kunsthistorisches Museum)で見ることが出来ます。

ローマ建国史絵画のシリーズは次回が最終回となります






ベネデット・ジェッナーリ(子)『クレオパトラの死』
記事URL  カテゴリ | ローマ建国史絵画 | 2012年04月30日(月)13時00分 | 編集 |
2012年4月30日(月)


目次
1. 毒蛇に咬まれる女王
2. 原題


今回取り上げる作品は、ベネデット・ジェッナーリ(子)作『クレオパトラの死』です。

2012年4月30日ベネデット・ジェッナーリ(子)『クレオパトラの死』402

1. 毒蛇に咬まれる女王


イタリアの画家ベネデット・ジェッナーリ(子)(1633-1715)が描いているのは、クレオパトラが蛇に胸を咬まれた場面です。

クレオパトラは、目が半開きになり、次第に血の気が失せていきますが、右肘が高い位置に描かれていることから、まだ意識は十分にあると言えます。

これから、蛇の毒が全身に回り、帰らぬ人となるのです。


2. 原題


ベネデット・ジェッナーリ(子)(Benedetto Gennari junior)が描いた『クレオパトラの死』は、英語ではThe Death of Cleopatraと言います。

この作品は、イングランド西部の都市バース(Bath)にある、ヴィクトリア・アート・ギャラリー(Victoria Art Gallery)で見ることが出来ます。






グイド・レーニ『クレオパトラの自殺』
記事URL  カテゴリ | ローマ建国史絵画 | 2012年04月29日(日)13時35分 | 編集 |
2012年4月29日(日)


目次
1. アクティウム海戦
2. 原題


今回取り上げる作品は、グイド・レーニ作『クレオパトラの自殺』です。

2012年4月29日グイド・レーニ『クレオパトラの自殺』446

1. アクティウム海戦


紀元前31年に行われたアクティウム海戦はクレオパトラとアントニウス連合軍の惨敗に終わりました。

勝ったのはオクタヴィアヌスです。

これまでクレオパトラはカエサル及びアントニウスという共和政ローマの実力者たちを女の色香で籠絡(ろうらく)して来ました。

しかし、その後継者となったオクタヴィアヌスには同じ手はもはや通じませんでした。

アレクサンドリアの王宮で自殺することを決意したクレオパトラは、毒蛇に胸を咬ませて死ぬという方法を選択します。

グイド・レーニ(1575-1642)の作品では、向かって左下にイチジクの入ったかごが描かれています。

このかごの中に毒蛇を忍ばせて自室へと運んだのです。

クレオパトラ(紀元前69-紀元前30)は右手に毒蛇を持って右の乳房を咬ませようとしています。
40年の人生に今、終止符を打とうとしているところです。


2. 原題


グイド・レーニ(Guido Reni)が制作した『クレオパトラの自殺』はイタリア語ではIl suicidio di Cleopatraと言います。

il suicidioが自殺という意味です。
この作品はフィレンツェにあるパラティーナ美術館(Galleria palatina)で見ることが出来ます。






ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ『クレオパトラの祝宴』
記事URL  カテゴリ | ローマ建国史絵画 | 2012年04月27日(金)20時44分 | 編集 |
2012年4月27日(金)


目次
1. 真珠を溶かすクレオパトラ
2. 原題


今回取り上げる作品は、ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ作『クレオパトラの祝宴』です。

2012年4月27日ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ『クレオパトラの祝宴』475

1. 真珠を溶かすクレオパトラ


イタリアの画家ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ(1696-1770)が描いているのは、クレオパトラがアントニウスを宴に招いている場面です。

白い布が掛けられたテーブルの向かって右に座っているのがクレオパトラです。
クレオパトラが右手に持っているのは、先程まで身につけていた真珠のイヤリングです。

向かって左に座っているのがアントニウスです。
画面後景中央を見るとローマ軍の軍艦の白い帆が見えます。

アントニウスは頭にまだ武具を付けたままですね。
軍人政治家として暗殺の危険を常に感じながら生きていたということでしょう。

エジプトのファラオであるクレオパトラは、豊富な財力をアントニウスに示すために真珠を酢に溶かしました。

大粒の真珠はやがて酢の中で完全に溶けてしまい、その酢をクレオパトラは飲み干しました。

クレオパトラのこうした演出によりアントニウスは度肝を抜かれます。
今まで出会ったことのない女性クレオパトラにアントニウスは心を奪われてしまったのでした。


2. 原題


ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ(Giovanni Battista Tiepolo)が描いた『クレオパトラの祝宴』は、イタリア語ではIl Banchettoと言います。

il banchettoは宴会という意味です。
この作品はヴェネツィアにあるパラッツオ・ラビア(Palazzo Labia)で見ることが出来ます。






ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ『アントニウスとクレオパトラの出会い』
記事URL  カテゴリ | ローマ建国史絵画 | 2012年04月26日(木)13時26分 | 編集 |
2012年4月26日(木)


目次
1. 第二回三頭政治
2. クレオパトラ7世
3. 原題


今回取り上げる作品は、ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ作『アントニウスとクレオパトラの出会い』です。

2012年4月26日ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ『アントニウスとクレオパトラの出会い』252

1. 第二回三頭政治


カエサル(紀元前100頃-紀元前44)が暗殺された後、共和政ローマを統治する正式な公職として、国家再建三人委員会が成立しました。

この国家再建三人委員会を、第二回三頭政治と呼んでいます。

第二回三頭政治を構成したのは、マルクス・アントニウス(紀元前83-紀元前30)、オクタウィアヌス、レピドゥスです。

この三人は一時的に同盟関係を結んでいたに過ぎず、キケロやブルータスなどの政敵を死に追いやった後は、反目し合うようになります。


2. クレオパトラ7世


クレオパトラ7世(紀元前70頃-紀元前30)は、古代エジプトのプトレマイオス朝最後のファラオです。
ファラオとは、古代エジプトの王を指します。

アントニウスは自らの政治的勢力を強化するために、ローマを離れてシリアなどの東方の国々へ赴きます。

各国の王と会見し、協力関係を打診する中で、エジプト女王クレオパトラとの出会いがありました。

アントニウスは、今は亡きカエサルが、クレオパトラとかつて愛人関係にあったことは知っていました。

そのことを承知でアントニウスは、クレオパトラに惚れ込み、のめり込んでいったと言われています。

イタリアの画家ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ(1696-1770)は、アントニウスとクレオパトラが出会った場面を描きました。

前景中央で、赤いマントを羽織っているのがアントニウスです。
アントニウスの向かって左隣にいる女性が、クレオパトラですね。

この時点ではまだ二人は、愛人関係にはなっていません。
しかしティエポロは、この二人を親密な男女として描きました。

画面後景向かって左には、ローマ軍の軍艦の帆が描かれています。
後景右側にいる男たちは、アントニウスの側近たちですね。


3. 原題


ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ(Giovanni Battista Tiepolo)が描いた『アントニウスとクレオパトラの出会い』は、イタリア語ではL'Incontroと言います。

l'incontroは、出会い、という意味です。
この作品は、ヴェネツィアにあるパラッツオ・ラビア(Palazzo Labia)で見ることが出来ます。






アンドレア・カザーリ『ルクレティア』
記事URL  カテゴリ | ローマ建国史絵画 | 2012年04月24日(火)13時24分 | 編集 |
2012年4月24日(火)


目次
1. 自害
2. 王政打破
3. 原題


今回取り上げる作品は、アンドレア・カザーリ作『ルクレティア』です。

2012年4月24日アンドレア・カザーリ『ルクレティア』451

1. 自害


ルクレティアは、タルクィニウスによって無理やり犯されました。
女性にとっては、残酷な強姦事件です。

しかし、このような一件を家族には内密にしておきたいと考える女性も、もしかしたらいるかも知れません。

ところがルクレティアは、すぐに父と夫を呼びました。
そして、真実を告白したのです。

一部始終を話した後、夫たちには必ず復讐して欲しいと言い残しました。
そしてルクレティアは、自害して果てたのです。

紀元前509年の出来事とされています。

アンドレア・カザーリ(1705-1784)は、短剣を腹部に刺して死んでいくルクレティアを描きました。

何ら落ち度のない妻が、美貌の持ち主であるという理由だけで、我が儘(まま)な王子に目を付けられました。

そして、このような理不尽な最期を迎えることになったわけです。


2. 王政打破


ルクレティアの夫であるコッラティヌスは、妻の復讐に向けて立ち上がります。
仲間を募り民衆に呼びかけ、最終的には、王家を打倒することに成功しました。

このルクレティア事件を契機とした反乱により、古代ローマの王政は崩壊し、共和政が始まることになります。

コッラティヌスは、新体制となった共和政ローマの共同執政官に就任します。

傲慢王と言われたタルクィニウス・スペルブス(在位:紀元前535-紀元前509)は、息子セクストゥスらと共に、ローマから追放されました。

初代王ロムルス(在位:紀元前753-紀元前715)以来続いてきた王政ローマは、250年足らずで終焉を迎えました。

コッラティヌスらが始めた共和政ローマは、この後、紀元前27年の帝政開始まで続く政体となりました。

なお、帝政ローマ初代皇帝は、アウグストゥス(在位:紀元前27-紀元14)です。


3. 原題


アンドレア・カザーリ(Andrea Casali)が制作した『ルクレティア』は、英語ではLucretiaと言います。

この作品は、ハンガリーの首都ブダペストにある美術館(Museum of Fine Arts)で見ることが出来ます。






ティントレット『タルクィニウスとルクレティア』
記事URL  カテゴリ | ローマ建国史絵画 | 2012年04月22日(日)12時12分 | 編集 |
2012年4月22日(日)


目次
1. 抵抗する人妻
2. 原題


今回取り上げる作品はティントレット作『タルクィニウスとルクレティア』です。

2012年4月22日ティントレット『タルクィニウスとルクレティア』383

1. 抵抗する人妻


ティントレット(1518-1594)はタルクィニウスが今にもルクレティアに襲いかかろうとしている場面を描いています。

ルクレティアが最後まで抵抗する姿勢を見せたため、タルクィニウスは薄衣すらも破り捨てようとしています。

ルクレティアが抵抗する声を出すにつれてタルクィニウスはさらに欲情していきます。
ルクレティアの右足付近にはタルクィニウスが脅迫のために使用した短剣が落ちています。

もはやタルクィニウスにとっては刃物など必要ではありません。
力づくでルクレティアの熟れた肉体を我が物に出来るわけです。

美貌の人妻ルクレティアは、こうして王の息子によって強姦されました。

続きます。


2. 原題


ティントレット(Tintoretto)が制作した『タルクィニウスとルクレティア』は英語ではTarquin and Lucretiaと言います。

この作品はアメリカのイリノイ州シカゴにあるシカゴ美術館(The Art Institute of Chicago)で見ることが出来ます。






ティツィアーノ・ヴェチェッリオ『タルクィニウスとルクレティア』
記事URL  カテゴリ | ローマ建国史絵画 | 2012年04月20日(金)13時12分 | 編集 |
2012年4月20日(金)


目次
1. 王政末期
2. 貞淑な妻
3. 強姦魔
4. 原題


今回取り上げる作品は、ティツィアーノ・ヴェチェッリオ作『タルクィニウスとルクレティア』です。

2012年4月20日ティツィアーノ・ヴェチェッリオ『タルクィニウスとルクレティア』441

1. 王政末期


古代ローマの初代王ロムルス(在位:紀元前753-紀元前715)以来、王政ローマに君臨した王は、全部で7人です。

最後の第7代王は、ルキウス・タルクィニウス・スペルブス(在位:紀元前535-紀元前509)といって、「傲慢王」という渾名(あだな)が付けられるほど、ローマ市民からの評判は悪い王でした。

ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(1490頃-1576)の作品名には、タルクィニウスという名前がありますが、これは第7代王ルキウス・タルクィニウス・スペルブスのことではありません。

ルキウス・タルクィニウス・スペルブスの息子である、セクストゥス・タルクィニウスを指します。
系譜を示します。

ルキウス・タルクィニウス・プリスクス(第5代王)→ルキウス・タルクィニウス・スペルブス(第7代王)→セクストゥス・タルクィニウス


王子セクストゥス・タルクィニウスの蛮行が、ローマを王政から共和政に移行させることになります。
その歴史の流れの中で犠牲者となり、自刃(じじん)して果てたのが、美貌の人妻ルクレティアです。


2. 貞淑な妻


戦地に赴いていた王子セクストゥス・タルクィニウスは、ルクレティアの夫コッラティヌスたちと共に、陣中を抜け出します。

そして、それぞれの妻が夫のいない間に、どのような生活をしているのかを、盗み見ることにしました。

要するに、貞節を守って生活しているかどうか、浮気していないかどうかを、確認しに行ったわけです。

セクストゥス・タルクィニウスら王家の妻たちは、宴会に興じて、不埒な生活を送っていました。
要するに、夫のいない間に、いろんな男性とセックスを楽しんでいた、ということですね。

一方、コッラティヌスの妻ルクレティアは、静かに夫の帰りを待ち、貞節を守って暮らしていました。

貞淑な人妻であるルクレティアの姿を見たセクストゥス・タルクィニウスは、一目で恋に落ちます。

傲慢王の息子として我儘勝手に振舞うことが許される立場にあったセクストゥス・タルクィニウスは、美貌のルクレティアと一夜を共にする計画を立てました。


3. 強姦魔


数日後、セクストゥス・タルクィニウスは、コッラティヌスの不在を狙って犯罪を決行します。
家の中にいたルクレティアに忍び寄り、王子であることを明かして、性交することを求めました。

普段は、いかに貞淑な妻を装っているとは言え、男から言い寄られたら心変わりする女がたくさんいることを、セクストゥス・タルクィニウスは経験上知っていました。

しかも、自分は王子という立場です。
この世で手に入らないものは何もない、と信じて生きています。

ところが、ルクレティアは貞節を守るために、セクストゥス・タルクィニウスの誘いを断りました。

恥をかかされたセクストゥス・タルクィニウスは、本性を剥き出しにして、力づくでルクレティアをものにしようと方針転換しました。

激昂したセクストゥス・タルクィニウスは、刃物をちらつかせ、怯えるルクレティアにこう言いました。


「言う通りにしなければ、奴隷と密会していたかのように見せかけて殺す!」


ルクレティアを強姦した後、殺すだけでなく、奴隷の死体を傍に置いて、ルクレティアが浮気をしていたと周囲が認めるような状況を作る、と言っているわけです。

つまり、ルクレティアが奴隷と密会している現場に、セクストゥス・タルクィニウスが偶然踏み込み、情事にふける2人を成敗するために、やむを得ず殺したと証言すれば、世間は王子であるセクストゥス・タルクィニウスの言うことを信じるだろう、ということです。

卑劣です。

権力を笠に着て、抵抗の意志を示している女性を黙らせるとは、卑怯以外の何物でもありません。
でも、現代でもこういう男は、恐らくいるのでしょうね。

続きます。


4. 原題


ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(Tiziano Vecellio)が制作した『タルクィニウスとルクレティア』は、英語ではTarquin and Lucretiaと言います。

この作品は、イングランドのケンブリッジ大学にあるフィッツウィリアム美術館(Fitzwilliam Museum)で見ることが出来ます。






ジャック=ルイ・ダヴィッド『ホラティウス兄弟の誓い』
記事URL  カテゴリ | ローマ建国史絵画 | 2012年04月19日(木)15時25分 | 編集 |
記事のタグ: ルーヴル美術館
2012年4月19日(木)


目次
1. トゥッルス・ホスティリウス
2. ホラティウス三兄弟
3. 決闘の結末
4. 原題


今回取り上げる作品は、ジャック=ルイ・ダヴィッド作『ホラティウス兄弟の誓い』です。

2012年4月19日ジャック=ルイ・ダヴィッド『ホラティウス兄弟の誓い』260

1. トゥッルス・ホスティリウス


フランスの画家ジャック=ルイ・ダヴィッド(1748-1825)が描いているのは、紀元前669年の出来事です。

紀元前669年というと、王政ローマ第三代の王トゥッルス・ホスティリウス(在位:紀元前710-紀元前641)の時代です。

王政ローマは、以下のような7人の王の系譜になっています。

初代ロムルス(在位:紀元前753-紀元前717)→第二代ヌマ・ポンピリウス(在位:紀元前716-紀元前673)→第三代トゥッルス・ホスティリウス→(中略)→第七代タルクィニウス・スペルブス(在位:紀元前535-紀元前510)


ホスティリウスが王位に就いた頃のローマは、隣国アルバ・ロンガとの間で農地の境界を巡る争いを繰り広げていました。

話し合いで解決する道を探った第二代王ポンピリウスとは異なり、ホスティリウスは強国アルバ・ロンガとの戦争に突入します。

ただその方法論として、全面戦争は回避しました。
その代わり3名の代表者を選出し、その決闘で勝負を決めることになりました。


2. ホラティウス三兄弟


ローマ側から選ばれたのは、ホラティウス三兄弟です。
アルバ・ロンガ側から選ばれたのは、クリアトゥス三兄弟です。

ダヴィッドの作品において、向かって左端で3人の男が並んで立っています。
この兵士たちが、ホラティウス三兄弟です。

三兄弟に正対して剣を持ち、赤いマントを着ているのが父親です。
ホラティウス三兄弟は、父親に対してローマ式敬礼を行っています。

ローマ式敬礼とは、腕を前方に真っ直ぐに伸ばして手の平を下にして指先を伸ばすことが特徴です。

画面向かって右端では、3人の女性が描かれています。
白い衣装の女性は、ホラティウス家の女性でカミッラと言います。

カミッラはこの時点で、敵となったクリアトゥス三兄弟の一人と婚約をしていたのです。
つまり兄弟が勝てば婚約者は殺され、婚約者が勝てば兄弟が殺されるという立場にあるわけです。

カミッラの向かって左で茶色いマントを身につけているのは、サビニと言います。

サビニはクリアトゥス家の出身で、現在はホラティウス三兄弟の長兄の妻となっている身です。

つまり夫が勝てば実家の兄弟は殺され、実家の兄弟が勝てば夫が殺されるという立場にあるわけです。

カミッラとサビニが絶望的な態度で描かれているのは、そういう理由があるからです。

サビニの向かって左にいる黒装束の女性は、ホラティウス三兄弟の母です。
サビニが生んだ幼い子供二人を、祖母として抱き寄せているところです。


3. 決闘の結末


女たちの複雑な心境を振り切って、ホラティウス三兄弟は決闘の場へと向かいました。
戦いは結果的に、ホラティウス三兄弟の一人が勝ち残りローマ側の勝利が確定しました。

凱旋したホラティウスは、妹カミッラから恨み言を言われます。

カミッラは婚約者を殺されたのです。
カミッラは兄弟の勝利を喜ばず、婚約者の死を嘆き悲しみました。

その姿に激怒したホラティウスは、妹カミッラを殺害するに至るのです。


4. 原題


ジャック=ルイ・ダヴィッド(Jacques-Louis David)が描いた『ホラティウス兄弟の誓い』は、フランス語ではLe Serment des Horacesと言います。

le sermentが誓約という意味です。
この作品はルーヴル美術館(Musée du Louvre)で見ることが出来ます。






ジャック=ルイ・ダヴィッド『サビニの女たち』
記事URL  カテゴリ | ローマ建国史絵画 | 2012年04月18日(水)13時38分 | 編集 |
記事のタグ: ルーヴル美術館
2012年4月18日(水)


目次
1. けんかをやめて
2. 原題


今回取り上げる作品は、ジャック=ルイ・ダヴィッド作『サビニの女たち』です。

2012年4月18日ジャック=ルイ・ダヴィッド『サビニの女たち』240

1. けんかをやめて


ローマで暮らしているサビニ人の女性たちが訴えた内容は、以下のとおりです。

「もし、ローマが敗れた場合、私たちは夫を失って、未亡人になってしまう。
もし、サビニが敗れた場合、私たちは父や兄を失うことになる。
もうこんな争いごとは、いい加減にしてもらいたい!」

その先頭に立ち、戦争の仲裁役を買って出たのが、ロムルスの妻ヘルシリアです。
ヘルシリアは、サビニ王ティトゥス・タティウスの娘でもあります。

つまり、彼女は両軍の最高責任者の家族、という立場にあったわけです。

ジャック=ルイ・ダヴィッド(1748-1825)が中央に描いている、しなやかな両腕を開いている女性がヘルシリアです。

画面向かって右側で、槍を投げつけようとしているのがロムルスです。
向かって左で、盾を掲げてやや腰が引けているのは、サビニ王ティトゥス・タティウスです。

ヘルシリア以外にも、大勢の女性たちが体を張って、この戦闘を止めようとしています。

この勇気ある行動が実を結び、ローマとサビニは和解します。
この後、ロムルスとタティウスは、2つの都市を共同で統治することを約束しました。


2. 原題


ジャック=ルイ・ダヴィッド(Jacques-Louis David)が制作した『サビニの女たち』は、フランス語ではLes Sabinesと言います。

この作品は、ルーヴル美術館(Musée du Louvre louvre.fr)に所蔵されています。






セバスティアーノ・リッチ『ローマとサビニの戦い』
記事URL  カテゴリ | ローマ建国史絵画 | 2012年04月17日(火)14時14分 | 編集 |
2012年4月17日(火)


目次
1. 意外に幸せな女性たち
2. 戦争観の相違
3. 原題


今回取り上げる作品は、セバスティアーノ・リッチ作『ローマとサビニの戦い』です。

2012年4月17日セバスティアーノ・リッチ『ローマとサビニの戦い』216

1. 意外に幸せな女性たち


ロムルスによって拉致されたサビニ人の女性たちを取り戻すべく、サビニの男たちは兵を挙げます。
ローマ対サビニの戦いは、どちらも決め手を欠き、一進一退の戦況が続きました。

この戦いの中で、ローマで暮らすサビニの女性たちは、驚くような行動に出ます。
サビニの女性は、必ずしも故郷サビニの味方をしたわけではないのです。

そもそも、非人道的な行為を最初に仕掛けたのは、ローマです。

サビニの女性たちは、無理やり連れて来られたローマの社会を捨てて、サビニの社会に戻って暮らしていくのが本筋です。

拉致された後、ローマ人の男たちと結婚させられ、子供まで産んだ身だとしても、彼女たちの本拠地がサビニであることは変わりません。

ところがロムルスの懐柔策が功を奏し、サビニの女性たちはローマという社会に根を下ろし、それなりに幸せに暮らしていたのです。

ある程度、幸せを感じながら、拉致された女性たちが静かな生活を送っているところへ、サビニの男たちが女性たちを解放するために、正義の戦争を仕掛けて来ました。

両軍ともに決定打を欠くために、戦乱は思いの外、長引きます。

男達が繰り広げる無益な戦いを間近に見て、ホトホト嫌気が差したサビニの女性たちは、意を決して立ち上がりました。

イタリアの画家セバスティアーノ・リッチ(1659-1734)が描いているのは、両軍の兵士たちに戦いを止めるよう、戦場に赴いて説得しているサビニ女性たちの姿です。

サビニ女性たちは、ローマ人との間に生まれた子供を抱いて、兵士たちに無益な争いを止めるよう、懇願しているのです。


2. 戦争観の相違


男達は、戦争の勝利を一義的に願います。

戦いに臨む以上、勝つことが使命であり、たとえ自分が命を落としたとしても、最終的に自国が勝てばそれで良いという理解をした上で、戦いに赴きます。

一方、女性は戦争に関して、必ずしもそのような一義的な捉え方をしていません。

結果的に自国が戦争に勝ったとしても、自分の家族が戦死したのでは、女性にとっては、その戦争の勝利は、何の意味もないのです。

仮に自国が戦争に負けたとしても、父や夫や兄弟や息子が無事に戦地から帰還してくれれば、女性にとって最悪の事態は避けられた、ということになります。

男性の戦争観と女性の戦争観は、完全には一致しないのです。
その見解の相違が、古代ローマの時代に既に語られているということは、興味深いところです。


3. 原題


セバスティアーノ・リッチ(Sebastiano Ricci)が描いた『ローマとサビニの戦い』は、英語ではBattle of the Romans and the Sabinesと言います。

この作品は、ウィーンにあるリヒテンシュタイン美術館(Liechtenstein Museum)で見ることが出来ます。






ドミニク・アングル『アクロンに対するロムルスの勝利』
記事URL  カテゴリ | ローマ建国史絵画 | 2012年04月16日(月)15時22分 | 編集 |
記事のタグ: ルーヴル美術館
2012年4月16日(月)


目次
1. カエニナ王アクロン
2. 原題


今回取り上げる作品は、ドミニク・アングル作『アクロンに対するロムルスの勝利』です。

2012年4月16日ドミニク・アングル『アクロンに対するロムルスの勝利』172

1. カエニナ王アクロン


未婚女性を強奪したローマ人に対して、サビニ人以外の周辺諸国からも、非難の声が上がります。
その代表格が、アクロンを王とするカエニナ王国でした。

カエニナ王国は、ローマに対して戦いを挑みました。
兵士の質において一歩上回るローマ軍は、カエニナ軍を撃破しました。

カエニナの王アクロンは、戦場で討ち取られ、身につけていた鎧はロムルスによって引き剥がされてしまいました。

フランスの画家ドミニク・アングル(1780-1867)が描いているのは、アクロンを討ち果たした後の、ロムルスの姿です。

中央で左手を上げて、右手に鎧を持っているのがロムルスです。
ロムルスの左足のそばには、討ち死にした敵将アクロンの裸体が転がっています。

アクロンは身につけていた物を全て脱がされて、辱めを受けたわけですね。

カエニナ王国は、この敗戦の後、ローマ王国に併合されていきます。


2. 原題


ドミニク・アングル(Jean-Auguste-Dominique Ingres)が描いた『アクロンに対するロムルスの勝利』は、フランス語ではRomulus, vainqueur d’Acron, porte les dépouilles opimes au temple de Jupiterと言います。

les dépouillesが、戦利品、という意味です。
この作品は、ルーヴル美術館(Musée du Louvre)で見ることが出来ます。






セバスティアーノ・リッチ『略奪されるサビニの女たち』
記事URL  カテゴリ | ローマ建国史絵画 | 2012年04月15日(日)12時12分 | 編集 |
2012年4月15日(日)


目次
1. 未婚女性の拉致
2. 丁重な扱い
3. 原題


今回取り上げる作品はセバスティアーノ・リッチ作『略奪されるサビニの女たち』です。

2012年4月15日セバスティアーノ・リッチ『略奪されるサビニの女たち』235

1. 未婚女性の拉致


イタリアの画家セバスティアーノ・リッチ(1659-1734)が描いているのはロムルスの命令によって連れ去られるサビニ人の未婚女性たちです。

屈強なローマ軍の兵士たちによってサビニの未婚女性たちは無理矢理にローマの街へと連れ去られてしまいました。

当然、サビニ人社会にはローマに対する恨みが発生し、後にローマとサビニとの間で全面戦争が勃発します。


2. 丁重な扱い


サビニの未婚女性たちにとって力ずくでローマへと連れ去られたという事実は悲惨なものでした。

突然、家族と引き離され見知らぬ土地で生きて行かなければならない苦痛を背負わされるハメになったのです。

しかし、ロムルスを始めとするローマの男達は彼女たちを奴隷として扱ったわけではなく正式な妻として丁重に扱いました。

彼女たちにはローマ人としての市民権や財産権が与えられサビニ社会では考えられない自由な生活を享受出来たという側面もありました。

ローマの兵士たちは女性の肉体に飢えていた部分もあり手荒な真似をして女性たちを拉致したわけですが、決して彼女たちを性の奴隷として扱うために拉致したわけではないのです。

だからと言って、このような拉致行為が正当化されるはずもないのですが、ローマに強制的に移住させられたサビニ人女性たちはサビニの男達が想像しているほど不幸ではなかったということは言えそうです。


3. 原題


セバスティアーノ・リッチ(Sebastiano Ricci)が描いた『略奪されるサビニの女たち』は英語ではThe Rape of the Sabine Womenと言います。

この作品はウィーンにあるリヒテンシュタイン美術館(Liechtenstein Museum)で見ることが出来ます。






ニコラ・プッサン『サビニの女たちの略奪』
記事URL  カテゴリ | ローマ建国史絵画 | 2012年04月14日(土)14時53分 | 編集 |
2012年4月14日(土)


目次
1. 弟殺し
2. 近隣女性の拉致
3. 原題


今回取り上げる作品は、ニコラ・プッサン作『サビニの女たちの略奪』です。

2012年4月14日ニコラ・プッサン『サビニの女たちの略奪』247

1. 弟殺し


テヴェレ川の畔(ほとり)にローマを建設したのはロムルス(紀元前771-紀元前717)です。
ロムルスと双子の弟レムスとの間には、新都市建設の場所を巡って諍(いさか)いが起きました。

最終的にレムスを殴り殺したロムルスがローマ建国の王となったのです。
紀元前753年4月のことと言われています。


2. 近隣女性の拉致


ロムルスが作った新都市ローマには女性の絶対数が不足していました。
屈強な兵士は沢山いるのですが子孫繁栄を担う女性がほとんどいなかったのです。

そこで王であるロムルスはローマ近隣の村々に住むサビニ人の娘たちに目を付けます。
最初は穏健な外交手段で娘たちを妻として譲り受けようと画策しました。

ところがサビニ人たちはローマ人の社会がこの結婚によって確立していくことに驚異を感じていました。

その結果、サビニ人の実力者たちはロムルスからの申し出を断ります。

断られたロムルスは事態を打開するため強硬手段に打って出ました。

ある日、ロムルスは海神ネプチューンの祭りを開催し近隣のサビニ人も多数招待しました。
ネプチューンはギリシア神話ではポセイドンに相当します。

祭りに参加するためにやって来たサビニ人たちを欺き、ローマ兵たちは娘を次から次へと略奪していきます。

新興都市ローマの男たちは力づくで女性を手に入れ、サビニの男たちを蹴散らしました。

ニコラ・プッサン(1594-1665)は武力によって他人の生活を崩壊させるローマ人たちの醜い有り様を描いています。

画面向かって左側で赤いマントを羽織り、高いところから修羅の現場を見つめているのがロムルスです。


3. 原題


ニコラ・プッサン(Nicolas Poussin)が制作した『サビニの女たちの略奪』は、英語ではThe Abduction of the Sabine Womenと言います。

the abductionが拉致という意味ですね。

この作品は、ニューヨークのメトロポリタン美術館(The Metropolitan Museum of Art)で見ることが出来ます。






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