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カテゴリ:新約聖書絵画 の記事一覧

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シモーネ・ピニョーニ『聖ペトロニッラの死』
記事URL  カテゴリ | 新約聖書絵画 | 2014年08月04日(月)08時29分 | 編集 |
記事のタグ: エルミタージュ美術館
2014年8月4日(月) 


目次
1. ペテロの娘
2. 原題


今回取り上げる作品は、シモーネ・ピニョーニ作『聖ペトロニッラの死』です。

シモーネ・ピニョーニ『聖ペトロニッラの死』424


1. ペテロの娘


聖ペトロニッラは伝統的にペテロの娘であるとされてきました。
しかしペテロとペトロニッラの間には血縁関係はなく名前が似ているために娘と考えられただけ、という説もあります。

いずれにしてもペテロが霊力によりペトロニッラの体の震えを治したことは事実のようです。

イタリアの画家シモーネ・ピニョーニ(Simone Pignoni 1611-1698)が描いているのは死ぬ間際のペトロニッラの姿です。

古代ローマの貴族フラックスは美しいペトロニッラに目を付けて結婚を迫りました。
聖職の身であるペトロニッラには到底受け入れられる話ではありません。

ペトロニッラは断食に入り拒絶の意思表示をします。
キリスト教を信仰しない権力者に靡(なび)くことなくペトロニッラは神への祈りを続けました。

そして3日後に美しい姿のままで亡くなったのでした。

向かって左に描かれている赤いマントを着た男性は祭司ニコメデスです。
ニコメデスはペテロの弟子にあたります。

ペトロニッラは今際(いまわ)の際(きわ)にニコメデスから最後の福音を聞かされているところです。


2. 原題


シモーネ・ピニョーニ(Симоне Пиньони)が描いた『聖ペトロニッラの死』はロシア語ではСмерть св. Петрониллыと言います。

Смертьが死という意味です。
св.はСвятаяの略で聖人という意味です。

この作品はエルミタージュ美術館(Государственный Эрмитаж)で見ることが出来ます。

今回をもって新約聖書絵画シリーズは完結です。
ギリシア神話絵画、旧約聖書絵画、新約聖書絵画という西洋絵画3部作はこれでおしまいです。

最後のシリーズとしてキリスト教の聖人シリーズが次回から始まります。

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ホセ・デ・リベーラ『聖フィリポの殉教』
記事URL  カテゴリ | 新約聖書絵画 | 2014年08月03日(日)08時10分 | 編集 |
記事のタグ: プラド美術館
2014年8月3日(日) 


目次
1. イエスの弟子
2. 磔刑死
3. 原題


今回取り上げる作品はホセ・デ・リベーラ作『聖フィリポの殉教』です。

ホセ・デ・リベーラ『聖フィリポの殉教』341


1. イエスの弟子


フィリポはイエスの十二使徒の一人です。
ピリポとも表記される場合もあります。

イエス亡き後、フィリポはスキタイ地方を旅しながら福音を説いていたと言われています。
スキタイ地方とは現在のカスピ海と黒海の周辺に広がっていた地域に同定されています。


2. 磔刑死


晩年のフィリポはヒエラポリスという街でイエスの教えを説いていました。
ヒエラポリスとは現在のトルコ西部にある街に同定されています。

ある日、フィリポは軍神アレスを祀った神殿において人々から礼拝されていた竜を追い出しました。
キリスト教徒の立場からすると竜を拝むのは偶像崇拝に該当するということです。

この竜が神殿に姿を表した時に強烈な悪臭を放ちました。
そして悪臭が原因で多数の人々が命を落としたのです。

ヒエラポリスの神官たちはこの責任をフィリポに求めました。
そして異教徒フィリポは死をもって償うことになったのです。

スペインの画家ホセ・デ・リベーラ(1591-1652)が描いているのはフィリポが磔刑になる場面です。
前景向かって左にいる二人の男は船の帆を張るような様子で描かれています。

画面の両端には一人の伝道師が殉教する場面を見守る一般の人々の様子が描かれています。
イエスの弟子たちはそのほとんどが十字架刑で殺されているわけですね。


3. 原題


ホセ・デ・リベーラ(José de Ribera)が描いた『聖フィリポの殉教』はスペイン語ではMartirio de San Felipeと言います。

Martirioが殉教という意味です。
この作品はプラド美術館(Museo Nacional del Prado)で見ることが出来ます。





バルトロメ・エステバン・ムリーリョ『聖アンデレの殉教』
記事URL  カテゴリ | 新約聖書絵画 | 2014年08月02日(土)07時28分 | 編集 |
記事のタグ: プラド美術館
2014年8月2日(土) 


目次
1. ペテロの弟
2. 殉教する弟子たち
3. 原題


今回取り上げる作品はバルトロメ・エステバン・ムリーリョ作『聖アンデレの殉教』です。

バルトロメ・エステバン・ムリーリョ『聖アンデレの殉教』250


1. ペテロの弟


聖アンデレとはイエスの12使徒の内の1人でペテロの弟です。
ガリラヤ湖畔で漁師としての仕事をしている最中に兄ペテロと共にイエスによって召命されました。

イエスの起こした奇跡として僅かなパンと魚が5,000人分に増えた話がありますが、最初にパンと魚を持った少年をイエスの元に連れて来たのはアンデレでした。

聖霊降臨後、アンデレがギリシアで布教活動を行っていた時の話です。
ギリシアのある街を治めるローマ総督の妻が重病に伏していました。

アンデレは神の奇跡によってその妻の病を癒します。
そして彼女はキリスト教へと改宗しました。

ところが総督はキリスト教など断じて認めません。
総督はアンデレが妻を惑わせて無理矢理に改宗させたと捉えました。

激怒した総督の命でアンデレは逮捕されます。
そしてX字型の十字架に架けられて処刑されました。


2. 殉教する弟子たち


磔刑による殉教というのはイエスの件が有名ですが、実は彼に付き従っていた弟子たちも後に似たような目に遭って殺されています。

ペテロは逆さ十字架の刑で殺されました。
アンデレは今日見た通りX字型の十字架に架けられて処刑されました。

ピリポは異教の司祭の恨みを買って磔刑死しました。
バルトロマイはアルメニアの地で生皮を剥がれて殺されました。

マタイはエチオピアにて刺客によって刺殺されました。


3. 原題


バルトロメ・エステバン・ムリーリョ(1617-1682)が制作した『聖アンデレの殉教』はスペイン語ではEl martirio de San Andrésと言います。

El martirioが殉教という意味です。
この作品はプラド美術館(Museo Nacional del Prado)に所蔵されています。





ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ『聖マタイの殉教』
記事URL  カテゴリ | 新約聖書絵画 | 2014年08月01日(金)08時09分 | 編集 |
2014年8月1日(金) 


目次
1. エチオピアでの殉死
2. 原題


今回取り上げる作品はミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ作『聖マタイの殉教』です。

ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ『聖マタイの殉教』316


1. エチオピアでの殉死


イエスの12使徒の一人マタイはエチオピアでの布教活動の最中に殺害されました。

イタリアの画家カラヴァッジョ(1571-1610)の作品においては中央下部で白いズボンを穿(は)いて横たわっているのがマタイです。

マタイの右手首を掴んで恫喝しているのは王が放った刺客です。
この後、右手に持った剣でマタイの息の根を止めるところです。

マタイの右手の先には天使が見えます。
天使が差し出しているのは棕櫚(しゅろ)の葉です。

キリスト教において棕櫚は殉教の象徴とされています。

前景に描かれた上半身裸の若者たちはマタイから洗礼を受けようとしてこの場にいたのです。
厳かで静かな宗教儀式が荒々しい刺客の登場によって破壊されてしまいました。

キリスト教徒への徹底的な弾圧はこの後300年続きます。

ローマ帝国内で信教の自由が保障されたのはコンスタンティヌス1世(在位:306-337)が313年に発布したミラノ勅令以降のことです。

イエスの十字架事件以降、キリスト教徒の受難は300年以上続いたわけです。


2. 原題


カラヴァッジョ(Caravaggio)が描いた『聖マタイの殉教』はイタリア語ではMartirio di San Matteoと言います。

Martirioが殉教という意味です。

この作品はローマにあるサン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会(La chiesa di San Luigi dei Francesi)のコンタレッリ礼拝堂(La cappella Contarelli)で見ることが出来ます。





マザッチオ『ペテロの磔刑』
記事URL  カテゴリ | 新約聖書絵画 | 2014年07月31日(木)07時39分 | 編集 |
2014年7月31日(木) 


目次
1. イエス以上の苦しみ
2. 原題


今回取り上げる作品はマザッチオ作『ペテロの磔刑』です。

マザッチオ『ペテロの磔刑』259


1. イエス以上の苦しみ


マザッチオ(1401-1428)が描いているのは逆さ十字架に掛けられているペテロの姿です。
イエスと同じように両手両足には釘が打ち込まれ、頭は地面に固定された形になっています。

ペテロは目を大きく見開いて毅然とした表情を示しています。
しかし、この体勢では長くは持ちませんね。

イエスの一番弟子であるペテロはこうして死んでいきました。
死刑を命じたのはローマ帝国第5代皇帝ネロ(在位:54-68)です。


2. 原題


マザッチオ(Masaccio)が制作した『ペテロの磔刑』はドイツ語ではKreuzigung des Petrusと言います。

Kreuzigungが磔刑という意味です。
この作品はベルリン美術館(Staatliche Museen zu Berlin)で見ることが出来ます。





ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ『聖ペテロの磔刑』
記事URL  カテゴリ | 新約聖書絵画 | 2014年07月30日(水)08時17分 | 編集 |
2014年7月30日(水) 


目次
1. 逆さ十字架
2. 原題


今回取り上げる作品はミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ作『聖ペテロの磔刑』です。

ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ『聖ペテロの磔刑』439


1. 逆さ十字架


イエスの一番弟子だったペテロはローマ皇帝ネロ(在位:54-68)の迫害によって磔刑(たっけい)死しました。
師と同じ形の十字架刑を拒否し、逆さにした十字架刑を自ら望んだと言われています。

カラヴァッジオ(1571-1610)が描いているのは両手両足に釘を打ち込まれてこれから逆さ十字に吊るされようとするペテロです。

ペテロの左手に刺さっている釘はあまりに太いですよね。
普通の人間であれば激痛に襲われて気絶してもおかしくないような状況だと思います。

そして30歳代半ばで磔刑死したイエスとは異なり、ペテロはかなりの老齢で逆さ十字架に架けられています。
この十字架がだんだん真っ直ぐになっていくにつれてペテロの頭部には全身の血液が流れ込みます。

もしかするとペテロはイエス以上の苦しみの中で死んでいったかも知れません。


2. 原題


ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ(Michelangelo Merisi da Caravaggio)が制作した『聖ペテロの磔刑』はイタリア語ではCrocifissione di San Pietroと言います。

Crocifissioneが磔刑という意味です。

この作品はローマにあるサンタ・マリア・デル・ポポロ聖堂(Basilica di Santa Maria del Popolo)のチェラージ礼拝堂(Cappella Cerasi)で見ることが出来ます。





アンニーバレ・カラッチ『アッピア街道で聖ペテロの前に現れるキリスト』
記事URL  カテゴリ | 新約聖書絵画 | 2014年07月29日(火)07時44分 | 編集 |
2014年7月29日(火) 


目次
1. ネロによる迫害
2. 原題


今回取り上げる作品はアンニーバレ・カラッチ作『アッピア街道で聖ペテロの前に現れるキリスト』です。

アンニーバレ・カラッチ『アッピア街道で聖ペテロの前に現れるキリスト』480


1. ネロによる迫害


ローマ皇帝ネロ(在位:54-68)はキリスト教徒を徹底的に迫害しました。
ローマで布教活動を行っていたペテロは身の安全を確保するために一旦ローマを離れることにしました。

ペテロがアッピア街道を歩いていると前方からイエスが現れました。
イエスは十字架を携えて茨の冠を頭につけています。

ペテロはイエスに尋ねます。

「どこへ行くのですか?」

イエスは次のように答えました。

「お前はローマの民を見捨てようとしている。私はお前の代わりにローマへ赴き、もう一度十字架刑を受けに行くのだ。」

イエスの言葉を聞いてペテロはローマから離れるという考えを改めます。
そして苛烈な迫害の待つローマへと再び戻ることにしたのです。

イタリアの画家アンニーバレ・カラッチ(1560-1609)はペテロがイエスと出会った場面を描いています。
イエスは右手の人差指を突き出して、これからローマ市内に向かうことを示しています。

一方、年老いたペテロは突如現れたイエスに驚きの表情を隠せません。

ペテロは迫害による殉教死を恐れてローマから離れるところでした。
しかし、そのような弱気をイエスに見透かされて恥じ入ることになります。

ペテロの言った「どこへ行くのですか?」はラテン語で「クォ・ヴァディス(Quo Vadis)」と言います。


2. 原題


アンニーバレ・カラッチ(Annibale Carracci)が描いた『アッピア街道で聖ペテロの前に現れるキリスト』は英語ではChrist appearing to Saint Peter on the Appian Wayと言います。

この作品はロンドンのナショナル・ギャラリー(The National Gallery, Trafalgar Square, London)で見ることが出来ます。





ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ『聖パウロの改宗』
記事URL  カテゴリ | 新約聖書絵画 | 2014年07月28日(月)07時41分 | 編集 |
2014年7月28日(月) 


目次
1. ダマスカスへの道
2. 目からウロコ
3. 原題


今回取り上げる作品はミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ作『聖パウロの改宗』です。

ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ『聖パウロの改宗』


1. ダマスカスへの道


パウロはキリスト教を世界中に広めるきっかけを作った人物として聖人に列せられています。
しかし、パウロは当初ユダヤ教を信奉しておりキリスト教徒を迫害していました。

現在のトルコに相当する地域で生まれたパウロは裕福であったユダヤ人の両親に育てられました。
若い頃にエルサレムに留学させてもらいユダヤ教の教理をしっかりと学んだ学識者でした。

イエスが処刑されたことについてもパウロはその結論には完全に賛成でした。
そして、イエス亡き後の弟子たちの布教活動も徹底的に迫害しました。

ユダヤ教の律法を完全には認めないイエス一派というのは迫害する対象でしかなかったのです。

こんな厳格なユダヤ教徒であるパウロはある日ダマスカス(現在のシリアの首都近辺)へと馬に乗って向かっていました。

目的はダマスカスで布教活動を行っているキリスト教徒への迫害です。


2. 目からウロコ


ダマスカスへの道すがら、パウロは稲妻に打たれて落馬します。
カラヴァッジオ(1571-1610)が作品に描いているのはこの場面ですね。

地面に叩きつけられた衝撃でパウロは視力を失いました。
そして天の声が聞こえたそうです。

「パウロよ、なぜ私を迫害するのか?」

発言の主はイエスです。
ただ、パウロはこの時点でキリスト教に改宗したわけではありません。

同行していた部下の手を借りてパウロはダマスカスに入りました。
そこでキリスト教徒のアナニナという人物がパウロのために祈りを捧げました。

すると、パウロの目からウロコのようなものが落ちてパウロは視力を回復したのです。
日本人も「目からウロコ」という成句を使っていますが、語源はこのパウロの話にあるとされていますね。

再び光を取り戻したパウロはユダヤ教を捨てキリスト教の布教に邁進することを決意します。
キリスト教徒を迫害していたのと同じぐらいの真剣さで布教活動に入ったわけです。

カラヴァッジオはこの劇的な瞬間を明暗を強調する画法で見事に描きました。
地面に仰向けになったパウロが眼を閉じているのは視力を失ったことを表しているわけです。


3. 原題


ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ(Michelangelo Merisi da Caravaggio)が制作した『聖パウロの改宗』 はイタリア語ではConversione di san Paoloと言います。

Conversioneは改宗とか回心という意味です。

この作品はローマにあるサンタ・マリア・デル・ポポロ聖堂(Basilica di Santa Maria del Popolo)のチェラージ礼拝堂(Cappella Cerasi)に展示されています。





フランチェスコ・アイエツ『荒野で悔悛するマグダラのマリア』
記事URL  カテゴリ | 新約聖書絵画 | 2014年07月27日(日)13時06分 | 編集 |
2014年7月27日(日) 


目次
1. サント・マリー・ド・ラ・メール
2. サント・ボーム山塊
3. 原題


今回取り上げる作品はフランチェスコ・アイエツ作『荒野で悔悛するマグダラのマリア』です。

フランチェスコ・アイエツ『荒野で悔悛するマグダラのマリア』269


1. サント・マリー・ド・ラ・メール


イエスの昇天後、マグダラのマリアはエルサレムを離れ小舟でマルセイユに到着したという伝説が残っています。

マルセイユから海岸線をさらに西へ行くとサント・マリー・ド・ラ・メール(Saintes-Maries-de-la-Mer)という街があります。

フランチェスコ・アイエツ『荒野で悔悛するマグダラのマリア』2 185


地中海に面したこの街のマリーという名前はマグダラのマリアに由来します。


2. サント・ボーム山塊


サント・マリー・ド・ラ・メールを離れたマグダラのマリアはフランス南部の山塊であるサント・ボーム山塊(Massif de la Sainte-Baume)へと辿り着きました。

この山の中にある洞窟でマリアは30年間に渡る孤独な悔悛の日々を送ったとされています。

フランチェスコ・アイエツ(1791-1882)の作品でマリアの髪が異様に長く描かれているのは30年という修行の年月を物語っているわけです。

マリアの右腰の傍には髑髏(どくろ)が描かれています。
厳しい荒れ野での生活は常に死と隣り合わせであったということですね。

また、イエスの十字架刑を見届けた女性であることの象徴とも受け取ることが出来ます。

これだけの美貌を備えた女性が俗世における快楽を捨て、死を覚悟してまで山中の宗教生活に入りました。
キリスト教の伝道師たる画家たちは、そのことの意味を作品の中に表現しているわけです。


3. 原題


フランチェスコ・アイエツ(Francesco Hayez)が制作した『荒野で悔悛するマグダラのマリア』はイタリア語ではSanta Maria Maddalena penitente nel desertoと言います。

penitenteは形容詞で神に対して罪を悔いた~という意味です。
il desertoは荒野とか砂漠という意味です。

この作品はミラノにある近代美術館(Galleria d'arte moderna)で見ることが出来ます。





グエルチーノ『悔悛するマグダラのマリア』
記事URL  カテゴリ | 新約聖書絵画 | 2014年07月26日(土)19時55分 | 編集 |
記事のタグ: プラド美術館
2014年7月26日(土) 


目次
1. 性的不品行
2. 原題


今回取り上げる作品はグエルチーノ作『悔悛するマグダラのマリア』です。

グエルチーノ『悔悛するマグダラのマリア』399


1. 性的不品行


復活したイエスを最初に見たマグダラのマリアは、かつては性的不品行の女性であったと言われています。
平たく言えば娼婦だったということです。

マリアはイエスと出会い、彼の足に接吻して香油を塗りました。
これは今までの生き方を悔悛し過去の自分と決別するための行為であるとされています。

イエスは嘘偽りなく悔悟したマリアの過去を咎め立てはしませんでした。

そしてマリアは12使徒のように常にイエスと行動を共にしていたわけではありませんが、かなり近い立場でイエスと接していたようです。

ゴルゴタの丘へ登って行くイエスをじっと見守り続けたのも彼女ですし、十字架上でイエスがこと切れた時に一番近いところにいたのも彼女です。

画家たちは悔悛するマリアを主題として作品を描く場合、娼婦であったことを念頭において上半身がはだけた姿で描くことがほとんどです。

作者のグエルチーノ(1591-1666)もマリアの左胸は包み隠さずに描いていますね。


2. 原題


グエルチーノ(Guercino)が制作した『悔悛するマグダラのマリア』はスペイン語ではMagdalena penitenteと言います。

penitenteは形容詞で悔い改めた~という意味です。
この作品はプラド美術館(Museo Nacional del Prado)に所蔵されています。





フィリッポ・リッピ『聖母戴冠』
記事URL  カテゴリ | 新約聖書絵画 | 2014年07月25日(金)20時40分 | 編集 |
2014年7月25日(金) 


目次
1. 神からの戴冠
2. 原題


今回取り上げる作品は、フィリッポ・リッピ作『聖母戴冠』です。

フィリッポ・リッピ『聖母戴冠』234


1. 神からの戴冠


イタリアの画家フィリッポ・リッピ(1406-1469)が描いているのは天に昇ったマリアが神から冠を授けられている場面です。

中央向かって左で跪いて合掌しているのがマリアです。
向かって右で赤い服を着ているのが父なる神です。

中央の戴冠の部分だけを拡大した画像はこちらです。

フィリッポ・リッピ『聖母戴冠』2 437


2. 原題


フィリッポ・リッピ(Filippo Lippi)が描いた『聖母戴冠』はイタリア語ではIncoronazione della Vergineと言います。

Incoronazioneが戴冠という意味です。

この作品はイタリア中部の街スポレート(Spoleto)にあるLa Cattedrale di Santa Maria Assuntaで見ることが出来ます。





ティツィアーノ『聖母被昇天』
記事URL  カテゴリ | 新約聖書絵画 | 2014年07月24日(木)08時09分 | 編集 |
2014年7月24日(木) 


目次
1. マリアの復活
2. 昇天と被昇天の相違
3. 原題


今回取り上げる作品はティツィアーノ作『聖母被昇天』です。

ティツィアーノ『聖母被昇天』471


1. マリアの復活


マリアは息子のイエスと同様に死後三日経って復活しました。
そして魂と肉体が共に天へと昇って行ったのです。

ルネサンス期のイタリアの画家ティツィアーノ(1490頃-1576)が描いているのはマリアが天に召される瞬間です。

画面最上部中央には天の父なる神がいます。

向かって左の天使が右手に持っているのはマリアに与える女王の冠です。
天に昇った後、マリアは戴冠されることになります。

画面下部には赤い服を着たマリアが天に召されて行く姿を目の当たりにしているイエスの弟子たちが描かれています。


2. 昇天と被昇天の相違


イエスに用いられる昇天という語と、マリアに用いられる被昇天という語の違いはキリスト教では次のように説明されています。

イエスは元々は神です。
イエスが地上における使命を終えて天の父の元へ「戻った」という意味で昇天という語が使われています。

一方マリアは元々は地上の人間です。
従って天界というのはマリアが「戻る」場所ではありません。

マリアは人間である以上、本来であれば死後は肉体が朽ちて土に帰るものと捉えるべきです。
ところがマリアはそもそも無原罪の状態でこの世に誕生しました。

そして神の子イエスを産み育て聖母としての使命を全うしました。
そこで、神は特別の計らいとしてマリアを死後復活させました。

復活したマリアの霊魂と肉体を神が天界へと「引き上げた」という解釈をしているのです。

マリアの側から見れば「引き上げられた」ということになります。
マリアの昇天に「被」という語がついているのはそういう理由なのです。


3. 原題


ティツィアーノ(Tiziano)が描いた『聖母被昇天』はイタリア語ではL'Assuntaと言います。

L'Assuntaは昇天する聖母マリアを指します。

この作品はヴェネツィアにあるサンタ・マリア・グロリオーザ・デイ・フラーリ聖堂(Basilica di Santa Maria Gloriosa dei Frari)で見ることが出来ます。





ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ『聖母の死』
記事URL  カテゴリ | 新約聖書絵画 | 2014年07月23日(水)08時41分 | 編集 |
記事のタグ: ルーヴル美術館
2014年7月23日(水) 


目次
1. 死体を描いてはいけない
2. 代わりの作品
3. 原題


今回取り上げる作品はミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ作『聖母の死』です。

ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ『聖母の死』501


1. 死体を描いてはいけない


カラヴァッジオ(1571-1610)の描いたこの作品は当初ローマにあるサンタ・マリア・デッラ・スカラ聖堂(Chiesa di Santa Maria della Scala)のために描かれたものでした。

ところが聖母マリアの姿が死体として描かれているという理由で、すぐに教会の壁から取り外されてしまいました。

現代の感覚からすると聖母の死を題材として描いているわけですから、当然マリアは死んだ姿で描かれるべきです。
ところが、この作品が制作された17世紀初頭の教会側の捉え方は聖母の死を一般人の死とは区別していたのです。

神の子を生んだマリアが亡くなった時の様子を描く場合は、マリアが眠っているかのように描くことが求められたのです。

テヴェレ川に身を投げた娼婦の水死体のような描き方をしたカラヴァッジオの作品は、教会としては断じて受け入れることは出来ませんでした。

横たわるマリアの前で腰掛けて泣いている女性はマグダラのマリアであるとされています。
マグダラのマリアの前にある盥(たらい)は聖母の遺体を洗うためのものです。


2. 代わりの作品


カラヴァッジオの作品が取り外された後、教会は別の画家に同じ主題で絵を描くよう依頼しました。
出来上がった作品がこちらです。

ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ『聖母の死』2 537


作者はカルロ・サラチェーニ(Carlo Saraceni)で、カラヴァッジオの画風を敬愛していた画家です。
サラチェーニ(1579-1620)は教会の意向を反映する形で死に際して目を開けたまま祈る聖母を描きました。

カトリック教会にとって聖母の死は一般人の死とは異なる荘厳なものである必要があったわけです。


3. 原題


カラヴァッジオが制作した『聖母の死』はフランス語ではLa Mort de la Viergeと言います。

la mortが死という意味です。
この作品はルーヴル美術館(Musée du Louvre)で見ることが出来ます。





フィリッポ・リッピ『聖母の死のお告げ』
記事URL  カテゴリ | 新約聖書絵画 | 2014年07月22日(火)21時48分 | 編集 |
記事のタグ: ウフィッツィ美術館
2014年7月22日(火) 


目次
1. 蝋燭
2. 原題


今回取り上げる作品はフィリッポ・リッピ作『聖母の死のお告げ』です。

フィリッポ・リッピ『聖母の死のお告げ』92


1. 蝋燭


イタリアの画家フィリッポ・リッピ(1406-1469)が描いているのはマリアが大天使ミカエルから死のお告げを受けている場面です。

向かって左に屈んでいるのは大天使ミカエルです。
受胎告知の時は大天使ガブリエルが白百合の花を携えてマリアの前に現れました。

天に召されることを告げに来たのは大天使ミカエルです。
キリスト教では大天使ミカエルは死者の魂を導くものとして捉えられています。

大天使ミカエルが右手に持っているのは蝋燭です。
蝋燭はマリアが死の床にある場面で描かれることが多いです。

画面中央では年老いたマリアが神妙な面持ちで右手を差し出して蝋燭を受け取っています。
この世での役割を終えたマリアはこの3日後に天国へと昇ることになります。


2. 原題


フィリッポ・リッピ(Filippo Lippi)が描いた『聖母の死のお告げ』はイタリア語ではAnnuncio del transito della Madonnaと言います。

il transitoは天国への旅立ちという意味です。
この作品はウフィツィ美術館(Galleria degli Uffizi)で見ることが出来ます。





アントニオ・デ・ペレーダ『天使によって解放される聖ペテロ』
記事URL  カテゴリ | 新約聖書絵画 | 2014年07月21日(月)10時30分 | 編集 |
記事のタグ: プラド美術館
2014年7月21日(月) 


目次
1. ヘロデ・アグリッパ1世
2. 迫害
3. 救出
4. 原題


今回取り上げる作品はアントニオ・デ・ペレーダ作『天使によって解放される聖ペテロ』です。

アントニオ・デ・ペレーダ『天使によって解放される聖ペテロ』449


1. ヘロデ・アグリッパ1世


イエス亡き後、使徒たちは精力的に宣教活動を行っていました。

イエスの生存中にローマ帝国から公認されたユダヤの統治者はヘロデ・アンティパス(在位:紀元前4-紀元後39)でした。

その後、ヘロデ・アンティパスはローマ皇帝カリギュラ(在位:37-41)によって追放されます。
後任としてガリラヤの統治権を得たのがヘロデ・アグリッパ1世(在位:39-44)でした。

ユダヤの統治者の系譜はこうなります。

ヘロデ大王(在位:紀元前37-紀元前4)→ヘロデ・アンティパス→ヘロデ・アグリッパ1世


2. 迫害


ヘロデ大王の孫に当たるヘロデ・アグリッパ1世はイエスの教えを広めようとする使徒たちを弾圧します。
まずエルサレム教会において指導的立場にあった大ヤコブを捕らえて斬首刑に処しました。

エルサレム教会とはイエスの弟子たちが布教活動のために作った組織です。

当初はペテロなどの構成員が共同生活を送りながら布教活動をしていました。
やがて共同生活の形態が崩れ「教会」と呼ぶ方が相応しい組織へと発展していったわけです。

ヘロデ・アグリッパ1世が大ヤコブの次に狙いを定めたのがペテロです。
エルサレム教会の屋台骨を支える大ヤコブとペテロを処刑してしまえば組織は弱体化すると睨んだのです。

ペテロはヘロデ・アグリッパ1世によって逮捕され牢獄に入れられます。
そして大ヤコブ同様、処刑されることに決まりました。

処刑日は過ぎ越しの祭りが終わる時と定められました。


3. 救出


処刑前夜、一人の天使が牢獄のペテロの元に現れました。
そして手足の鎖を解きペテロを解放したのです。

スペインの画家アントニオ・デ・ペレーダ(1611-1678)が描いているのは天使がペテロを救出する場面です。
年老いたペテロはやや驚いた面持ちで天使の瞳を見つめています。

天使は左手で逃げるべき道を示しています。
こうしてペテロは神の御業によって命を救われたのでした。


4. 原題


アントニオ・デ・ペレーダ(Antonio de Pereda)が描いた『天使によって解放される聖ペテロ』はスペイン語ではSan Pedro liberado por un ángelと言います。

liberar ZはZを自由にするという意味です。
この作品はプラド美術館(Museo Nacional del Prado)で見ることが出来ます。





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