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フラ・アンジェリコ『受胎告知』 サン・マルコ美術館版
記事URL  カテゴリ | その他絵画 | 2010年12月31日(金)14時32分 | 編集 |
2010年12月31日(金)


目次
1. 婚約中の乙女
2. ヨセフに対する受胎告知
3. 原題


今回取り上げるのは、フラ・アンジェリコ作『受胎告知』です。

2010年12月31日フラ・アンジェリコ『受胎告知』397


2010年11月17日(水)の記事『フラ・アンジェリコ『受胎告知』 プラド美術館版 loro2012.blog』で、プラド美術館所蔵の『受胎告知』を紹介しましたが、今回は別の『受胎告知』です。


1. 婚約中の乙女


フラ・アンジェリコ(1387-1455)が描いた『受胎告知』には、神のお告げを従順に受け入れようとするマリアの心情が良く表されています。

マリアは突然の来訪者大天使ガブリエルに対して腰をかがめ、胸の前で手を交差させて恭順の意を示しています。

右手に持っているのは聖書です。

後に「聖母」と呼ばれることになるマリアですが、この時点では結婚を控えたうら若き乙女です。
マリアは婚約者であるヨセフには妊娠したことを打ち明けられずにいました。

ただいくら隠していたとしても、やがて月満ちてマリアの体型は変わっていきます。
ヨセフだけでなく周囲にいる者たちも、マリアが妊娠しているという事実を知ることになります。

ユダヤの律法ではこのような場合、婚約者であるヨセフがマリアの不義密通を公表した上で、婚約破棄の手続きを取ることが定められています。

ヨセフもマリアもユダヤ人ですので、本来であればヨセフは律法に従う生き方を選択すべきところです。

ところが、ヨセフはこの件に関しては律法を順守する道を選びませんでした。
結果的にはヨセフは、神の教えを記した律法の定めには従わなかったのです。

平たく言うと、ヨセフは神に逆らったということになりますね。

マリアから生まれたイエスは後に律法を無視するような行動を取り、それが十字架事件の一因になっていきます。

イエスの養父ヨセフも、若かりし頃に「律法破り」をしたわけです。


2. ヨセフに対する受胎告知


ヨセフは婚約者であるマリアを問い詰めることなく、黙って婚約を破棄しようとしました。

マリアが最も傷つかない方法を、ヨセフなりに模索したのでしょうね。
その後、ヨセフはマリアが受胎告知を受けていたことを天使から知らされました。

神はヨセフに対しても事の次第を明らかにしたわけです。

ただ、その「奇跡的な事実」を受け入れるに当たり、ヨセフは相当悩んだでしょうね。
男の立場としては非情に複雑な心境だったと思われます。


3. 原題


フラ・アンジェリコ(Fra Angelico)が制作した『受胎告知』は、イタリア語ではAnnunciazioneと言います。

この作品はフィレンツェにあるサン・マルコ美術館(Museo nazionale di San Marco)のフレスコ画として保存されています。



★Quelque part dans le temps


2009年12月28日にこのブログを開設して以来、一年が経過しました。

開設当初は語学を中心に据える構想を持っていました。
その後、紆余曲折を経て現在では主に絵画を扱うブログへと変貌を遂げました。

この一年、訪問してくれた皆さんありがとうございました。
そして、コメントをくれた皆さん感謝しています。

このブログは、まだまだ続きます。
ギリシア神話と聖書を題材とした絵画を取り上げる企画も控えています。

健康と発想が続く限り、連日更新を継続する予定です。

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菅野美穂主演ドラマ『ギルティ 悪魔と契約した女』を見た感想
記事URL  カテゴリ | 日本ドラマ | 2010年12月30日(木)20時15分 | 編集 |
2010年12月30日(木)


フジテレビのドラマ『ギルティ 悪魔と契約した女』が2010年12月21日(火)に終了しました。

無実の罪で殺人犯として服役させられた若い女性(菅野美穂)が、出所後に自分を陥れた者たちへ復讐していくという筋立てです。

菅野は裁判中にどれだけ無罪を主張しても、彼女の言葉に耳を傾ける者はいませんでした。

一個人の無力を思い知った菅野は、出所後に複数の関係者を自らの手で自殺に追い込んでいくことを決意します。

菅野はこのような復讐を続けていく毎日に内心では嫌気が差しています。

しかし、他人の人生を台無しにした悪人が平気で生きている姿を見ると、どうしても許せないのです。

20歳代の人生を刑務所で過ごすハメになった無実の女性の心を考えると、復讐もやむを得ないだろうと思います。

この世でエリートと呼ばれる者たちの何人かは、他人を陥れてその地位を得た者なのかも知れませんね。


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ヨハネス・フェルメール『合奏』
記事URL  カテゴリ | その他絵画 | 2010年12月30日(木)15時02分 | 編集 |
2010年12月30日(木)


目次
1. ボストン
2. 盗難
3. 原題


今回取り上げる作品はヨハネス・フェルメール作『合奏』です。

2010年12月30日ヨハネス・フェルメール『合奏』1 378

1. ボストン


ヨハネス・フェルメール(1632-1675)が1665年頃に描いた『合奏』は、アメリカの大富豪イザベラ・ステュワート・ガードナー(1840-1924)がオークションで競り落として彼女が運営する個人美術館の所蔵となりました。

その個人美術館の名称は彼女の名前を冠してイザベラ・ステュワート・ガードナー美術館(Isabella Stewart Gardner Museum)と言います。

設立は1903年でマサチューセッツ州のボストンにあります。


2. 盗難


1990年3月にイザベラ・ステュワート・ガードナー美術館で史上最大の絵画盗難事件が発生しました。

ヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer)の『合奏』や下掲のレンブラント(Rembrandt)のThe Storm on the Sea of Galileeなど合計で13点もの作品が盗まれてしまったのです。

2010年12月30日ヨハネス・フェルメール『合奏』2 417


今(2010年)からちょうど20年前に起きた事件は今だに解決されていません。
FBI(Federal Bureau of Investigation)の捜査は現在も継続しているようです。

しかし、犯人と思われるテロリストたちが闇市場で売り捌(さば)いてしまったのではないかという見方もあります。

盗まれた絵画が戻って来る可能性は極めて低いと言われています。


3. 原題


『合奏』は英語ではThe Concertと言います。
この作品は現在イザベラ・ステュワート・ガードナー美術館には存在しません。

存在はしませんが美術館側は戻って来ることを信じて作品のあった場所に額縁だけ掛けてあるそうです。

通例このブログでは最終章において取り上げた絵画の原題及び所蔵美術館の情報を記しています。
しかし、残念ながら今回は「絵画の所在は不明です。」と書かざるを得ません。

私が生きている間に盗難作品全てがボストンへ戻って来ることを願います。

そして、このブログ上で「例の『合奏』は無事ガードナー美術館に戻りました。」という記事を書きたいと思います。




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二宮和也主演ドラマ『フリーター、家を買う。』を見た感想
記事URL  カテゴリ | 日本ドラマ | 2010年12月28日(火)20時13分 | 編集 |
2010年12月28日(火)


フジテレビのドラマ『フリーター、家を買う。』が2010年12月21日(火)に終了しました。

フリーターが家を買えるはずはないので、あまり期待せずに見始めました。
ところがドラマを見てみると、題名から受ける先入観とは全く異なる興味深い内容でした。

一家の主婦(浅野温子)がうつ病になってしまい、フリーターの息子(二宮和也)が就職活動をしながら母の面倒を見るという筋立てです。

二宮の役どころは、一見するとどこにでもいそうなフラフラしている若者です。
しかし、このフリーターは自分を犠牲にしてでも病気の母のことを最優先に考える息子なのです。

二宮が家を買う決心をしたのは、引越しをして母に新しい環境を与えてあげたいと思ったことがきっかけです。

生活環境を変えることによって、うつ病が治る可能性もあるそうです。

浅野は隣人の主婦(坂口良子)から何年にもわたり、執拗な虐(いじ)めを受けていました。
夫の竹中直人らは、そのことを知らずに暮らして来ました。

ある日突然浅野のうつ症状が顕在化し、一家の生活は大きく様変わりしていきます。

病気の母もつらいし、その面倒を見る息子もつらいです。
家族の中で浮いた存在になっている夫も哀れです。

こんな苦しい状況で、若者の二宮がどうやって局面を打開していくのかというのが見所になっています。

現代においてうつ病というのは他人事ではありません。
本放送を見逃した方にはDVDや再放送などを利用して是非とも見てもらいたいドラマです。

浅野温子、二宮和也、大友康平、竹中直人、香里奈、井川遥など、出演者は皆、役者という技術職として素晴らしい才能を発揮していたと思います。

脚本担当の橋部敦子も、見る者の心を揺さぶるようなセリフを随所に散りばめています。
このドラマは完璧に近い仕上がりになっていると言って良いでしょう。

主題歌は嵐の『果てない空』です。
挿入歌は西野カナの『君って』です。








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ジャン・オノレ・フラゴナール『ブランコ』
記事URL  カテゴリ | その他絵画 | 2010年12月28日(火)12時54分 | 編集 |
2010年12月28日(火)


目次
1. ロココ時代の画家
2. 秘め事
3. ミュールの意味
4. 石像の天使の意味
5. 原題


今回取り上げる作品はジャン・オノレ・フラゴナール作『ブランコ』です。

2010年12月28日ジャン・オノレ・フラゴナール『ブランコ』428

1. ロココ時代の画家


ジャン・オノレ・フラゴナール(1732-1806)はフランスのロココ時代を代表する画家です。

ロココ時代の始まりは、ルイ15世の公妾であったポンパドゥール夫人(1721-1764)が活躍した頃とされています。

その終焉はマリー・アントワネット(1755-1793)が没落していくあたりまでとされています。
フラゴナールの生涯もちょうどそれに重なりますね。


2. 秘め事


『ブランコ』で描かれている世界は実は不倫関係です。

画面向かって左に寝そべっている男性がこの作品の依頼者です。
ブランコに乗っている若い女性はこの男性の愛人なのです。

そして、向かって右側に描かれている初老の男性は女性の夫です。

夫はゆったりと腰掛けてブランコの紐を操りながら、妻と愛人との密会現場に立ち会っているという構図になっているわけです。

夫が公認している間柄ですから密会現場という言葉は相応しくないですね。
まあ、18世紀の社会通念は現代とは異なるのでしょう。

暇を持て余した貴族たちの情事というのは、このように三者間で了解がなされていた場合もあったのかも知れませんね。

花園で寝そべりながら愛人である男が見つめているのは女性のスカートの中ですね。

わざわざこんなことをしなくても、この男はブランコの女性の体を全て知り尽くしているはずです。
知り尽くしているがゆえに普通の情事では飽き足らなくなったということなのでしょうかね。


3. ミュールの意味


この作品では、ブランコに乗っている女性が履いていたミュールを空中で脱ぎ捨てている瞬間が描かれています。

これは密事の象徴です。

現代でも同じだと思いますがきちっとした身なりの女性が人前で靴を脱ぐということは、はしたないこととされています。

フラゴナールはそういった社会通念を踏まえた上でミュールが脱げた後の足を描いています。

ということは、この女は外見上は綺麗に着飾って貴婦人のように見えるかも知れませんが、性的には乱れた女であると作者は言っているわけです。

愛人の男としては、そういうはしたないことをしてくれる女の方が都合が良いんですけどね。
男の側からすると情事にはうってつけの女であるということが窺(うかが)えます。


4. 石像の天使の意味


この密会は決して公衆の面前で行われているわけではありません。

ブランコは森の奥深くに設置されています。
三人の男女は人目を忍んで戯れています。

向かって左側に描かれている石像の天使は、この場面を見た者は内密にするようにと唇に指をあてていますね。

そう、現場を見てしまった私たちが内緒にしさえすれば、この三人は何事もなかったかのように明日から生きていけるのです。

この作品が描かれたのは1767年とされています。
絵の完成時点ではポンパドゥール夫人(1721-1764)はもう亡くなっています。

彼女が確立したロココの精神は次世代に受け継がれていきました。

優雅さを基調とした画風がもてはやされた当時において、他人の情事を目ざとく見つけて触れ回るような者は品性を疑われたのでしょうね。

まあ、これはロココ時代だけでなく現代でも同じかも知れません。


5. 原題


『ブランコ』はフランス語ではL'escarpoletteと言います。
l'escarpoletteは古いフランス語でブランコという意味です。

英語だとThe Swingと言います。
この作品はロンドンにあるThe Wallace Collectionの所蔵となっています。




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ティツィアーノ・ヴェチェッリオ『カルロス5世の肖像』
記事URL  カテゴリ | ヨーロッパ王家絵画 | 2010年12月27日(月)16時40分 | 編集 |
記事のタグ: プラド美術館
2010年12月27日(月)


目次
1. 神聖ローマ皇帝
2. 宗教改革
3. ルターを召喚尋問
4. 聖書翻訳
5. 局部も偉大な皇帝
6. 原題


ティツィアーノ・ヴェチェッリオ作『カルロス5世の肖像』はこちら。

2010年12月27日ティツィアーノ・ヴェチェッリオ『カルロス5世の肖像』609

1. 神聖ローマ皇帝


この作品に描かれている「カルロス5世(Carlos V)」は、神聖ローマ皇帝「カール5世(Karl V.)」をスペイン語読みしたものです。

神聖ローマ皇帝カール5世(在位:1519-1556)は、スペイン・ハプスブルク朝の王でもあります。

スペイン王としては、カルロス1世(在位:1516-1556)と名乗りました。
在位期間を見ると、神聖ローマ皇帝に即位する数年前にスペイン王になっていますね。


2. 宗教改革


マルチン・ルター(1483-1546)が1517年に『95か条の論題』を発表したことを通じて、神聖ローマ帝国内で宗教改革の機運が一気に高まりました。

「ルターはドイツで宗教改革を行った」という言い方がされる場合もあるのですが、正確に言うと間違いです。

1517年当時は、「ドイツ」という統一国家は存在していません。
現在のドイツに相当する地域は、神聖ローマ帝国の領土となっていました。

それから、『95か条の論題』というのは書籍のような形式で出版したのではなく、ヴィッテンベルク大学に付属する教会の扉に貼り付けるという方法で公表されました。

今の感覚で言うと、学内掲示板にレポートを貼り出したというような感じになるでしょうかね。

ルターは権力者であるローマ教皇に楯突いた者と評価され、破門されてしまいます。
当時のローマ教皇は、メディチ家出身のレオ10世(在位:1513-1521)です。

レオ10世はラファエロ(1483-1520)らを支援し、ローマを中心とするルネサンス文化を花開かせた教皇として知られています。


3. ルターを召喚尋問


カトリックから破門されたルター(1483-1546)に弁明の機会を与えるべく、ヴォルムス(Worms)での帝国議会を開催したのは神聖ローマ皇帝カール5世(1500-1558)です。

ヴォルムスとは、ライン川左岸にある街です。
英雄叙事詩『ニーベルンゲンの歌』の舞台となっている街でもあります。

1521年に議会が開催された時、カール5世はまだ21歳ですね。

今とは年齢に対する認識が異なるとは言え、この若さで宗教的な紛争に対して一定の答えを示さなければならなかったわけですから、対応には苦慮したことでしょうね。

結果的に、ルターは自説を撤回しませんでした。
そこで、カール5世はやむを得ず、ルターから法の保護を剥奪しました。

「法の保護を剥奪する」とは、平たく言うと神聖ローマ帝国はルターの身の安全を保証する意思はないということです。

私たち日本人は、日本国家によって法の保護を受けています。

保護を受けているがゆえに、国内では警察に駆け込むことも出来ますし、国外では領事館に身の安全を相談することも出来ます。

カール5世の決定によって、ルターはこういった公民としての権利を剥奪されてしまったということになりますね。

ルターは、もし傷害事件の被害者になったとしても、法的な保護は何ら受けられない身分にされてしまったわけです。

ルターは、もはや気楽に街を散歩することも出来なくなってしまったのでした。


4. 聖書翻訳


ルターはこのヴォルムス帝国議会での決定の後、現在のドイツ中部に位置するテューリンゲン州(Thüringen)のヴァルトブルク城(Die Wartburg)に逃げ込みます。

ルターは大手を振って街を歩けませんので、城の中に引きこもるしか生きる道がなくなったわけです。

そして、聖書をドイツ語に翻訳するという一大事業に取り組むことになるのです。

このルターの成し遂げた業績のおかげで、神聖ローマ帝国のドイツ語圏に暮らす人々にとって聖書は身近なものになっていったわけです。

ルターの宗教改革には、語学の力による改革という側面もあったのです。
語学を通して人を救うことも出来るということを示したのが、ルターであったと言えるでしょう。

若くして権力者の地位にあったカール5世は、自分よりも17歳も年上であるルターの知力や信念の強さを目の当たりにして、何を感じたのでしょうか?


5. 局部も偉大な皇帝


ティツィアーノ(1490頃-1576)が『カルロス5世の肖像』を描いたのは、1533年とされています。

1500年生まれのカルロス5世は、この当時33歳ということになります。

カルロス5世の肩幅は過度に広く描かれ、股間には「持ち物」が巨大であることを示す装飾が施されていますね。

まあ、これは装飾というよりは粉飾と言った方が正確だと思います。

当時の王たちは股間にまで「威厳」を持たせて、周囲の男たちを屈服させようとする意図があったのでしょうね。

ここまで局部の偉大さを誇示しなくても、人徳があれば人は付いて来ると思うのですが・・・。

男根の長さと皇帝としての偉大さには、相関関係があると信じられていた時代だったのかも知れません。

天才ティツィアーノも、大真面目にこの股間を描いています。


6. 原題


ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(Tiziano Vecellio)が描いた『カルロス5世の肖像』は、スペイン語ではEl emperador Carlos V con un perroと言います。

el Emperadorは、皇帝、という意味です。
un perroは、犬、という意味です。

この作品は、プラド美術館(Museo Nacional del Prado)に所蔵されています。





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サンドロ・ボッティチェッリ『受胎告知』
記事URL  カテゴリ | その他絵画 | 2010年12月26日(日)16時04分 | 編集 |
記事のタグ: ウフィッツィ美術館
2010年12月26日(日)


BS朝日で『世界の名画 ~華麗なる巨匠たち~』という番組が、毎週水曜日に放送されています。
2010年4月7日(水)は、ボッティチェッリを特集していました。

目次
1. 小さな樽
2. 触れそうな指先


1. 小さな樽


ルネサンス期の巨匠、サンドロ・ボッティチェッリ(Sandro Botticelli)は、日本語ではボッティチェリと表記されることもありますが、イタリア語の綴りからするとボッティチェッリが正しいですね。

「チェ」にアクセントがあります。
ボッティチェッリというのは画家としての通称で、本当の名前は別にあります。

Botticelliとは、小さな樽という意味です。

イタリア語で「樽」を意味する「la botte」という語があり、そこから「小さい」という意味が込められた「botticella」という語が派生しました。

サンドロには兄がいたのですが、兄弟ともども大食漢(たいしょくかん)だったらしく、食べっぷりや風貌からそのようなあだ名(Botticelli)がついたようです。


2. 触れそうな指先


『受胎告知』というとボッティチェッリ(1444-1510)と同時代を生きた天才、レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)が描いたものが有名ですね。

2007年には、上野公園にある東京国立博物館に展示されたこともありました。

ダ・ヴィンチとボッティチェッリは、フィレンツェの工房で共に学んだ時期もあるという極めて近い立場にありました。

しかし、お互いの画風が異なることから、芸術に関しては歩み寄ることはなかったようです。

ボッティチェッリも、『受胎告知』と題する作品を数点描いています。

番組では、ウフィッツィ美術館(Galleria degli Uffizi)に収蔵されている作品が紹介されました。

2010年12月26日サンドロ・ボッティチェッリ『受胎告知』326


大天使ガブリエルと聖母マリアとの距離が近く、お互いの指が今にも触れそうな緊張感が伝わってきます。

マリアの伏し目がちな視線と右膝の方向を見る限り、突如現れた大天使に対するマリアの畏怖の念が感じられます。

レオナルド・ダ・ヴィンチの描いた『受胎告知』もいずれこのブログで取り上げる予定です。

ニ者の距離や調度品の存在、そしてマリアの表情や右膝の方向など、この歴史的瞬間に対する解釈はボッティチェッリとは明らかに異なります。




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フランシスコ・デ・スルバラン『聖ペドロ・ノラスコに現れる聖ペテロ』
記事URL  カテゴリ | その他絵画 | 2010年12月24日(金)12時31分 | 編集 |
記事のタグ: プラド美術館
2010年12月24日(金)


目次
1. フェリペ4世の時代
2. 苦しみを伴う死に方
3. 記録に残す意義
4. 原題


今日取り上げる作品は、フランシスコ・デ・スルバラン作『聖ペドロ・ノラスコに現れる聖ペテロ』です。

2010年12月24日フランシスコ・デ・スルバラン『聖ペドロ・ノラスコに現れる聖ペテロ』268

1. フェリペ4世の時代


聖ペドロ・ノラスコ(San Pedro Nolasco)は、1180年頃にバルセロナで生まれたということになっていますが、生没年と出生地については異説もあるようです。

作者であるフランシスコ・デ・スルバラン(1598-1664)は、昨日取り上げたアロンソ・カーノ(1601-67)と同様にベラスケス(1599-1660)と同時代を生きた画家で、多くの優れた宗教画や静物画を残しました。

ベラスケスと同時代ということは、フェリペ4世(1605-65)の治世下に活躍したということですね。


2. 苦しみを伴う死に方


この作品は聖ペドロ・ノラスコが瞑想している時に、聖ペテロが殉教時の姿で現れたという奇跡の瞬間を描いています。

ペテロは、逆さ十字架にかけられて殉教したとされています。

手や足に釘を打たれたイエスも大きな苦痛を感じたでしょうけど、逆向きにされたペテロも断末魔の苦しみを味わったのでしょうね。

なぜ権力者は、ここまで残酷になれるのでしょうか?

もともと残酷な人間が権力を手にしたのでしょうか?
あるいは、普通の人間でも権力を持つと残酷になるのでしょうか?

イエスとペテロの死に方というのは、2000年を経た今でも考えさせられる要素がたくさんありますよね。


3. 記録に残す意義


瞑想した人間の全てが、この絵に描かれているような神秘体験をするわけではありません。

神から特殊能力を授けられた一部の人々だけが、こういった奇跡的な場面に遭遇することがあるのでしょうね。

そして、その奇跡的な「事実」を単なる言い伝えに終わらせるのではなく、文字で記録に残すのが作家の役割であり、絵画という表現手段を用いて誰の目にも触れるようにするのが画家の使命なわけです。

あるいは、彫像という形で歴史を表現する任務を果たした芸術家もたくさんいます。

他の宗教と比べてキリスト教は、奇跡を記録に残すということに対して熱心に取り組んでいると思います。

表現手段が何であれ事実を記録に残すという役割を背負って生まれてきた人間がそのことに気づかなかったり、あるいは気づいたとしてもその仕事に情熱を注がないのであれば、民族や国家や組織の歴史はやがて人々の記憶から消えていくのだと思います。

キリスト教の歴史が2000年もの間、国境を越えて伝えられて来たのは、伝道者たる画家たちがその責務を全うしたからに他なりません。


4. 原題


フランシスコ・デ・スルバラン(Francisco de Zurbarán)が描いた『聖ペドロ・ノラスコに現れる聖ペテロ』は、スペイン語ではAparición del Apóstol San Pedro a San Pedro Nolascoと言います。

la apariciónは出現という意味です。
el apóstolは使徒という意味です。

1629年に制作されたこの絵画は、プラド美術館(Museo del Prado)の所蔵となっています。




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ジョルジュ・ド・ラ・トゥール『女占い師』
記事URL  カテゴリ | その他絵画 | 2010年12月22日(水)15時12分 | 編集 |
2010年12月22日(水)


目次
1. 騙(だま)されるわけ
2. 犯行の手口
3. 原題
4. 他国比較


今回取り上げる作品は、ジョルジュ・ド・ラ・トゥール作『女占い師』です。

2010年12月22日ジョルジュ・ド・ラ・トゥール『女占い師』274

1. 騙(だま)されるわけ


絵画の表題となっている占い師は、向かって右端に描かれています。
巧みな会話術で男性の関心を引きつけ、仲間の3人が盗みをしやすい環境を作り上げています。

この占い師は媚態を示すような女性ではありませんので、男性は警戒心を抱きません。
金持ちと思(おぼ)しき男性は、心からこの占い師のことを信用しているのでしょうね。

周囲に3人の女性がいることはもちろん認識はしていますが、その動きについては丸っきり注意を払ってはいません。

この4人が仲間であることすらも、気づいてはいないわけです。
まあ、カモとはこういう間の抜けた者のことを言うんですけどね。

この男は潤沢な財力を有し、家柄も良いのだと思います。
しかし、判断力や洞察力といった身を守る術が全く身についていないことが読み取れます。


2. 犯行の手口


画面向かって左端のスカーフを髪に巻いた女性が、男性の財布を抜き取ろうと右手の指先に神経を集中させています。

腰に位置している男性の右腕が下がってくる可能性がありますので、素早い行動が必要です。

その右側の黒髪の女性は、右手を差し出してその財布を受け取ろうとしているわけです。
財布を抜き取った後、万一男性に感づかれた場合は現行犯になってしまいます。

そういった事態に備えるために、左端の女性は財布を所持していないという状況を作ろうとしているわけですよ。

そして、「無実の私が疑われた!」と泣き叫んで、世論の同情を買おうという段取りなんでしょうね。

恐ろしいですね。

それから、向かって右から2番目の女性は、男性の金時計を刃物で切り取ろうとしています。
大胆極まりない犯行です。

切り取る際にはそれなりに音が出そうなものですが、この男は視覚及び聴覚の感性を磨く努力を普段怠っていますので、全く感じていないのでしょうね。

哀れですね。


3. 原題


ジョルジュ・ド・ラ・トゥール(Georges de La Tour)の描いた『女占い師』は、フランス語ではLa Diseuse de bonne aventureと言います。

la diseuseは、直訳すると、言う人、ということになります。

aventureは恋愛とか冒険といった語義がありますが、bonne aventureは成句で、運勢、という意味になります。

運勢を言う人ということで、占い師という意味になるわけです。

英語では、The Fortune Tellerと言います。
fortuneは、運勢、という意味ですね。

この作品は、ニューヨークにあるメトロポリタン美術館(The Metropolitan Museum of Art)の所蔵となっています。


4. 他国比較


ジョルジュ・ド・ラ・トゥール(1593-1652)の生きた時代の、各国の政体を見ておきましょう。


1) フランス


ルイ13世(在位:1610-1643)の時代です。
彼の母はマリー・ド・メディシス(1575-1642)です。


2) イングランド


ジェームズ1世(在位:1603-1625)の時代です。

現在のアメリカのヴァージニア州に、ジェームズタウン(Jamestown)と名付けられた植民地が建設されたのは1607年のことでした。

1607年以前にも、イングランドからアメリカ大陸東岸地域への植民活動は試みられていました。
しかし、原住民との戦いに敗れて失敗に終わっていました。

このジェームズタウンが、イングランドとしては最初の永続的植民地となりました。
植民地の名前は、時のイングランド王ジェームズ1世に由来します。


3) スペイン


フェリペ3世(在位:1598-1621)の時代です。
スペイン・ハプスブルク家は、この頃から衰退に向かいます。


4) 日本


徳川家光が、江戸幕府第3代将軍(在位:1623-1651)として君臨していた時代です。
家光の母は、お江(ごう)です。

お江(1573-1626)というのは、お市の方(信長の妹)の三女ですね。

家光は徳川家(父は徳川秀忠)だけでなく、織田家(お江の母方)や浅井家(お江の父方)の血を受け継いでいることになりますね。

また、家光の乳母は春日局(1579-1643)です。

2011年のNHK大河ドラマは、『江 姫たちの戦国』です。
お江の役は、『のだめカンタービレ』に出ていた上野樹里です。




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山田孝之主演ドラマ『闇金ウシジマくん』を見た感想
記事URL  カテゴリ | 日本ドラマ | 2010年12月21日(火)20時07分 | 編集 |
2010年12月21日


TBSの深夜ドラマ『闇金ウシジマくん』が2010年12月15日(水)に終了しました。

ヤミ金融の世界で生きる社長ウシジマを山田孝之が演じていました。

山田孝之は今まで二枚目俳優という位置づけだったと思いますが、今回のドラマでは笑顔を見せることのない冷淡な人物を演じていました。

自己都合による浪費が原因ではなく、家族の病気のために借金せざるを得ない人もいます。
お金がなければ医者にかかることも出来ませんし、もちろん手術も受けられません。

ヤミ金融業者は違法ですが、全て摘発して社会から根絶してしまったら、それはそれで困る人もいるのかも知れません。



希崎ジェシカや横山美雪も出演しています。


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イリヤ・レーピン『皇女ソフィア・アレクセーエヴナ』
記事URL  カテゴリ | その他絵画 | 2010年12月21日(火)12時01分 | 編集 |
2010年12月21日(火)


目次
1. 後継者争い
2. ソフィアの挫折
3. ノヴォヂェーヴィチ女子修道院
4. レーピンの悪意
5. 原題
6. 他国比較


今回取り上げるのは、イリヤ・レーピン作『皇女ソフィア・アレクセーエヴナ』です。

2010年12月21日イリヤ・レーピン『皇女ソフィア・アレクセーエヴナ』466

1. 後継者争い


画面中央で腕組みをしている女性が、ソフィア・アレクセーエヴナ(1657-1704)です。

ソフィアはロシア皇帝アレクセイ・ミハイロヴィチ(在位:1645-1676)の娘で、ピョートル大帝の異母姉にあたります。

この異母姉という人間関係が、今回のブログの鍵になる言葉です。

ロマノフ朝第2代の皇帝アレクセイ・ミハイロヴィチ(Алексей Михайлович)は、2人の妻を持ちました。

アレクセイの死後、3名の男子が皇帝位を継ぐべき候補として生き残りました。
先妻との間に2人(フョードルとイワン)、後妻との間に1人(ピョートル)です。

まず年齢が一番上のフョードル(1661-1682)が、フョードル3世(Фёдор III)として即位します。

しかし彼は病弱だったため、即位後、僅か6年でこの世を去ります(在位:1676-1682)。
次に皇帝になるのは、年齢順でいけばイワン(1666-1696)です。

ところがイワンには失語症などの障害がありましたので、頑健なピョートル(1671-1725)がピョートル1世(Пётр I)として即位することになりました(在位:1682-1725)。

しかし、1682年の時点ではピョートルはまだ11歳です。
後に「大帝」と呼ばれるようになるツァーリ(皇帝)も、この若さでは統治能力はありませんよね。

ソフィア・アレクセーエヴナ(Софья Алексеевна)は、クーデターを成功させます。

そして、弟イワンをイワン5世(在位:1682-1696)として即位させ、自らは摂政となり実権を握るに至ったわけです。


2. ソフィアの挫折


イワン5世(Ива́н V)の在位は形式的には1696年に没するまでということになっていますが、実質的には1689年まででした。

どういうことかと言うと、1689年にピョートル派がクーデターを起こしたのです。
ピョートル1世(1671-1725)は、18歳になっていますね。

事実上の支配者であるソフィアは、ピョートル派によって政権の座を追われ女子修道院へ幽閉されてしまいました。

修道院の中にいても前摂政であるソフィアの周囲には、キナ臭い雰囲気が漂っていたのでしょう。
異母弟であるピョートル1世も、警戒を解くことは出来なかったはずです。

そして、事件は起きました。

1698年、ピョートル1世がヨーロッパ視察旅行に出かけている際に反乱が勃発します。
ピョートル1世は迅速に行動し、すぐに反乱は鎮圧されたのですが首謀者が判然としません。

事の経緯からするとソフィアが裏で糸を操っていると思われるのですが、ついに彼女が首謀者であるという証拠は出てきませんでした。

ピョートル1世はこの時とばかり反対派を粛清する意図もあって、1,500人近くを処刑したそうです。

処刑された内の1人が、この絵画の中に描かれています。


3. ノヴォヂェーヴィチ女子修道院


ソフィア・アレクセーエヴナが幽閉されていたモスクワの修道院は、ノヴォヂェーヴィチ女子修道院(Новодевичий монастырь)と言います。

この絵画はその修道院の中の一室を描いているのですが、窓枠の外側に何かぶら下がっているように見えますよね。

これは、死体です。
ソフィア派と目される銃兵隊の指揮官の死体なのです。

ピョートル1世(1671-1725)に処刑された後、ソフィアの居室の窓から見えるように吊るされているのです。

この一件を見ても、いかにピョートルがソフィアを恐れていたかがわかりますよね。

修道院の中に閉じ込められてもその政治力は衰えず、「大帝」を震え上がらせるだけの策略を準備していたのかも知れません。

少なくとも、ピョートルはそう思っていたはずです。
ただ、明確な証拠が無い上、流石(さすが)に皇女を処刑することは出来ませんよね。

ピョートルにとっては、異母姉でもありますしね。


4. レーピンの悪意


ソフィアはこの絵画に描かれたほど醜悪だったかというと、それほどでもなかったようです。

ということは、作者であるイリヤ・レーピン(1844-1930)はソフィアに対して何らかの悪意を込めてこの肖像画を描いたということになりますよね。

イリヤ・レーピン(Илья Репин)の生きた時代には、もちろんソフィアは存在していません。
歴史的な経緯を調査して、レーピンはソフィアに反対の立場を取ったのかも知れません。

あるいは、作品が完成した1879年頃にロシア皇帝であったアレクサンドル2世(在位:1855-1881)の意向が反映されているのかも知れません。

いずれにしても、絵画の中には常に真実が描かれているとは限りません。


5. 原題


『皇女ソフィア・アレクセーエヴナ』は、ロシア語ではЦаревна Софья Алексеевна в Новодевичьем монастыреと言います。

Царевнаは、皇帝の娘、つまり皇女ですね。
Софья Алексеевнаは、ソフィア・アレクセーエヴナのことです。

в Новодевичьем монастыреは、ノヴォヂェーヴィチ女子修道院の中に(いる)、という意味です。

この作品は、モスクワにある国立トレチャコフ美術館(Государственная Третьяковская галерея)の所蔵となっています。


6. 他国比較


ソフィア(1657-1704)が生きた時代の他国では、どのような政体だったのかを見ておきましょう。


1) スペイン


カルロス2世(在位:1665-1700)の時代です。
スペイン・ハプスブルク家が断絶して行く頃ですね。


2) フランス


ルイ14世(在位:1643-1715)の時代です。
ブルボン家の最盛期で、彼は太陽王と呼ばれるぐらい強大な権力を有しました。


3) イングランド


チャールズ2世(在位:1660-1685)の時代です。

オリバー・クロムウェル(1599-1658)がチャールズ1世(在位:1625-1649)を処刑してイングランド共和国(1649-1660)を樹立しましたが、彼の死後、王政復古が実現したわけですね。


4) 日本


徳川綱吉(在位:1680-1709)が、5代将軍として君臨していた時代です。
赤穂浪士の仇討ちは、彼が在任中の1703年の出来事です。




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ドミニク・アングル『泉』
記事URL  カテゴリ | その他絵画 | 2010年12月20日(月)15時11分 | 編集 |
記事のタグ: オルセー美術館
2010年12月20日(月)


目次
1. 長寿画家
2. 擬人化
3. 原題


今回ご紹介する絵画は、ドミニク・アングル作『泉』です。

2010年12月20日ドミニク・アングル『泉』670

1. 長寿画家


ジャン・オーギュスト・ドミニク・アングル(1780-1867)は、ナポレオン1世(在位:1804-1814)の時代からナポレオン3世(在位:1852-1870)の時代までのフランスを生き抜いた画家です。

87歳まで生きていますので長寿と言えますよね。
この『泉』という作品はイタリア滞在中に描き始め、最終的には1856年に完成しました。

40歳前後で着手し、出来上がったのは80歳近かったということになります。


2. 擬人化


絵画の中に描かれている女性は、実在の人物ではありません。
神話や聖書の中に出てくる女性でもありません。

この水瓶を担いでいる女性は、泉という存在を擬人化したものなのだそうです。
アングルにとって泉は、このような姿に見えることがあったということなのでしょうね。

虚ろな目をして口は半開き、頬は紅潮しています。
膨(ふく)よかな腰回りと肉付きの良い太股は、瑞々しい生命力を感じさせます。

股間の描写は陰影をハッキリとつけていますので、極力人間の女性に近づけようとする意図が見て取れます。

アングルの作品に限りませんが、画家の考える女性の色香は膝の動きや角度で表現されることが多いですね。


3. 原題


『泉』は、フランス語ではLa Sourceと言います。
la sourceは泉とか水源という意味です。

この作品は、オルセー美術館(Musée d'Orsay)に所蔵されています。





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アントワーヌ・ヴィールツ『麗しのロジーヌ』
記事URL  カテゴリ | その他絵画 | 2010年12月17日(金)14時38分 | 編集 |
2010年12月17日(金)


テレビでの放送日:2010年3月15日(月) 
番組名:「怖い絵」で人間を読む(NHK教育) 講師:中野京子

目次
1. 疫病のない時代
2. 生の勝利
3. 原題


2010年12月16日(木)の記事『ピーテル・ブリューゲル『死の勝利』 loro2012.blog.fc2.com』で取り上げたピーテル・ブリューゲル(1525頃-1569)が活躍していた頃から300年ほど時代を先に進めます。

19世紀を生きた画家アントワーヌ・ヴィールツの描く『麗しのロジーヌ』はブリューゲルの『死の勝利』とは大きく異なる視点で生と死を捉え直しています。

2010年12月17日アントワーヌ・ヴィールツ『麗しのロジーヌ』1 508

1. 疫病のない時代


アントワーヌ・ヴィールツ(1806-1865)はベルギー出身の画家です。

彼が生きた時代のヨーロッパにおいてはペストという病気は医学の力によって既に克服されていました。

人々にとってペストという言葉は過去のものになっていたわけです。

さらにヴィールツは数千万人の命を奪ったスペイン風邪(インフルエンザ)の流行(1918-1919)を知らずに亡くなっている世代です。

今回の番組における主題として扱われた『死と乙女』を描いたエゴン・シーレ(1890-1918)はこのスペイン風邪が原因で、28年の人生を閉じました。

2010年12月17日アントワーヌ・ヴィールツ『麗しのロジーヌ』2 287


2. 生の勝利


ヴィールツ作『麗しのロジーヌ』からは死をも超越する「美の力」を信じようとする意志が感じられます。

絵画の中の女性は死の象徴としての骸骨の前でその豊満な肉体美を誇示し、瞳を毅然と見据えています。

死に対して真正面から向き合っているというよりは、死の先に広がっている世界を眺めているようにも感じられます。

女性の持つ気高さとみずみずしさをヴィールツは丹念に描きました。
左手の薬指には指輪が輝き、死を恐れない「根拠」を示しています。

そして、この女性が経済的にも恵まれた環境で日々暮らしていける身分にあることは意匠を凝らした髪飾りが示していると言えるでしょう。

若さ、美しさ、経済力、そして愛のある生活・・・、これらの力で死を圧倒し「生の勝利」を宣言している作品であると思います。

ブリューゲルの描いた『死の勝利』からは決して感じることの出来ない、生きるということに対する喜びがこの絵画の右半分には満ち溢れています


3. 原題


アントワーヌ・ヴィールツ(Antoine Wiertz)の描いた『麗しのロジーヌ』はフランス語ではLa Belle Rosineと言います。

この作品はブリュッセルにあるベルギー国立ヴィールツ美術館(Musée Wiertz)で見ることが出来ます。


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ピーテル・ブリューゲル『死の勝利』
記事URL  カテゴリ | その他絵画 | 2010年12月16日(木)15時14分 | 編集 |
記事のタグ: プラド美術館
2010年12月16日(木)


目次
1. 皆殺し
2. 原題


1. 皆殺し

2010年12月16日ピーテル・ブリューゲル『死の勝利』1 253

ネーデルランドの画家ピーテル・ブリューゲル(1525頃-1569)は、上掲の『バベルの塔』や下掲の『イカロスの墜落のある風景』で有名です。

2010年12月16日ピーテル・ブリューゲル『死の勝利』2 221

そのブリューゲルが『死の勝利』という作品の中で、人間がいかに死というものを恐れているかを克明に表現しています。

2010年12月16日ピーテル・ブリューゲル『死の勝利』3 239

この絵画においては、地上にいる大半の人間が死神によって命を奪われています。
死神は「皆殺し」の役割を担っているのです。

ヨーロッパ出身の画家たちが「死という名の暴力」を主題としてたくさんの絵画を制作した背景には、14世紀末に大流行したペストの存在がありました。

当時のヨーロッパの人口の半分近く(約2,500万人)が、このペストで命を失ったと言われています。

死に至る病の前で為す術のない人間たちの悲しい姿を、死神の視点から描いたのがこの『死の勝利』という作品です。

絵画の中で「動き」を示しているのは人間ではなく死神です。
本来、人間こそが動いているべき存在のはずです。

しかし、この絵の中では手足を動かして「生命力」を示しているのは死神たちなのです。

人間は何をしているのかというと、既に事切れているか又は死の間際で力なく横たわっているか、あるいは逃げ惑うか・・・。

いずれにしても、この絵画全体を貫く主題は無力感に打ちひしがれた人間の姿です。

ブリューゲルは40代で亡くなっています。
死因は明らかにはなっていないようです。

幼い子供を残して没していますので心残りがあっただろうと思われます。


2. 原題


ピーテル・ブリューゲル(Pieter Bruegel)の描いた『死の勝利』は、スペイン語でEl triunfo de la Muerteと言います。

この作品はプラド美術館(Museo Nacional del Prado)で見ることが出来ます。


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ジャン=レオン・ジェローム『ローマの奴隷市場』
記事URL  カテゴリ | その他絵画 | 2010年12月15日(水)15時17分 | 編集 |
2010年12月15日(水)


目次
1. 背中の色気
2. 鮮烈な股間描写
3. 原題


今回ご紹介する絵画はジャン=レオン・ジェローム作『ローマの奴隷市場』です。

2010年12月15日ジャン=レオン・ジェローム『ローマの奴隷市場』1 l_pl1_37885_fnt_tr_t03ii

1. 背中の色気


ジャン=レオン・ジェローム(1824-1904)はナポレオン3世(在位:1852-1870)治世下のフランスで頭角を著した画家です。

この作品は1884年に制作されたものです。
古代ローマにおける奴隷売買の一場面が描かれています。

奴隷である女性は右腕で顔を隠し、買い手たちに胸部や局部を晒しています。

この場面を反対側から見ている私たちは、この女性の成熟しきった臀部に視線を注いでいるわけです。

いずれこの女性は男たちの要望に応じて立ち位置を変え、その美しい背中も見せることになるのでしょう。

絡めた指先や揃えた踵(かかと)からも妖艶さが感じられます。
品定めをしている男たちの妙に生真面目な顔つきが滑稽ですね。


2. 鮮烈な股間描写


ジャン=レオン・ジェローム(Jean-Léon Gérôme)は同じ時期に同じ主題でもう1つ絵画を作成し、エルミタージュ美術館に所蔵されています。

2010年12月15日ジャン=レオン・ジェローム『ローマの奴隷市場』2 T8P_40MA6IZY7KAKIN3

右手を額に当てて立っている女性の股間は極めて鮮やかに描かれていると思います。
史実に即した主題ということで19世後半の絵画界でも容認されたのでしょうね。


3. 原題


『ローマの奴隷市場』はフランス語ではLe Marché d'esclavesと言います。
le marchéが市場、esclaveが奴隷という意味です。

英語ではA Roman Slave Marketと言います。
slaveが奴隷という意味ですね。

この作品はアメリカのMaryland州BaltimoreにあるThe Walters Art Museumが所蔵しています。




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