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ジョアッキノ・アッセレート『タンタロス』
記事URL  カテゴリ | ギリシア神話絵画 | 2011年06月30日(木)16時20分 | 編集 |
2011年6月30日(木)


目次
1. リュディア王タンタロス
2. ネクタルとアンプロシア
3. ペロプス殺害
4. 未来永劫の渇きと飢え
5. ペロプス復活
6. 原題


今回取り上げる作品は、ジョアッキノ・アッセレート作『タンタロス』です。

2011年6月30日ジョアッキノ・アッセレート『タンタロス』+Tantalus_Gioacchino_Assereto_circa1640s_convert_20121211162153

1. リュディア王タンタロス


タンタロスは、リュディアの王です。
リュディアは、現在のトルコ西部に同定されています。

タンタロスの父は、クロノス、ゼウス、オケアノスなど諸説あります。
タンタロスは、妻エウリュアナッサとの間にペロプスを儲けます。

ペロプスは後年リュディアを離れ、ペロポネソス半島の西部地域を支配する王となりました。
ペロポネソスとは、ペロプスの島という意味です。

ペロプスの息子には、テセウスの祖父にあたるトロイゼン王ピッテウスがいます。
系譜を示します。

タンタロス→ペロプス→ピッテウス→アイトラ→テセウス


2. ネクタルとアンプロシア


タンタロスは人間でしたが、ゼウスと親交を持ち、オリュンポスで開催される神々の饗宴に招かれることもありました。

オリュンポスでの饗宴において、タンタロスは、ネクタルと呼ばれる神酒やアンプロシアと呼ばれる神饌(しんせん)を口にすることを許可されていました。

ネクタルとアンプロシアを口にしていたタンタロスは、やがて不死の体を得ました。
後に、この不死の体を得たことがタンタロスには災いとなります。

タンタロスは饗宴の帰り際に、ネクタルとアンプロシアを神々の目を盗んで懐に入れるという行為を繰り返していました。

窃盗の常習犯ですね。

そして、ネクタルとアンプロシアをリュディアに持ち帰った後、周囲の者に配ったりしていました。

他の者達が手にすることの出来ないネクタルやアンプロシアを気前よく配ることで、タンタロスは自分の存在価値を高めようとしていたわけです。

持ち出し禁止だと分かっていながら、平気で盗みを行い、元手ゼロで、部下たちに恩を売っていたわけです。

悪党とは、このことです。

権力者の寵愛を受けた者が、次第に奢りたかぶって、分別を弁(わきま)えない行動に出たわけですね。

いつの時代でも、こういう勘違いをしている人間がいるのです。


3. ペロプス殺害


タンタロスの無分別は、まだまだ続きます。

ある時、タンタロスは神々をリュディアの宮廷に招きました。
タンタロスは、宮廷料理を用意するに当たり、その暴君ぶりを遺憾なく発揮します。

何と、あろうことか、息子ペロプスを殺害し、その人肉を切り刻んで、神々に提供するシチューの中に入れたのです。

デメテルを除く神々は、シチューの中身に気づいて手を付けませんでした。

しかしデメテルは、娘ペルセポネをハデスに誘拐されて精神的に塞ぎ込んでいた時期だったため、そのシチューの中身にはさしたる関心を払わず、そのまま口にしてしまったのでした。

ペルセポネの誘拐事件については、2011年5月13日(金)の記事『ピーテル・パウル・ルーベンス『ペルセポネの略奪』 loro2012.blog.fc2.com』を参照して下さい。

ネクタル盗難事件や、デメテルのシチュー事件などが神々の怒りを招き、タンタロスはタルタロスへと送られることになりました。


4. 未来永劫の渇きと飢え


タルタロスに到着したタンタロスには、永劫の処罰が待ち受けていました。

タンタロスは、沼の上に枝を広げた果樹に、その体を吊るされることになりました。
沼の水は徐々に満ちて、やがてタンタロスの顎までは届くようになります。

そこでタンタロスが水を飲もうと水面に口を近づけた途端、水位は一気に下がってしまうのです。
これでは、タンタロスは渇きを癒すことが出来ません。

また、タンタロスが枝に実っている果実に手を伸ばそうとした途端、下から風が巻き起こり果実は手の届かない位置まで上昇します。

これでは、タンタロスは飢えを凌ぐことが出来ません。

タンタロスはリュディア王だった時に、不死の体を得ていました。

この不死の体が徒(あだ)になり、タンタロスは死ぬことも出来ず、水と果実が手に入らない状況の中で未来永劫生き続けることになったのです。

イタリアの画家ジョアッキノ・アッセレート(1600-1649)は、タンタロスが果実を口にしようとしている場面を描いています。

果実は、タンタロスの目の前にあります。
しかし、この距離が絶対に縮まらないために、タンタロスは果実を口にすることが出来ないのです。

わずか数センチの距離ですが、タンタロスにとっては永遠に埋めることの出来ない隔たりとなっています。

英語でtantalizeは、「(相手が欲しい物を)見せびらかして焦(じ)らす」という意味ですが、このタンタロスの話が語源になっています。

どうせ手に入らないのであれば、その対象物が目に入らない方が幸せですよね。
目の前に欲しい物があるのに、意地悪をされて手に入らないのは、精神的にも疲れ果てていきますね。


5. ペロプス復活


ゼウスはこのようにして、傲慢なタンタロスに罰を与えました。

その後、ゼウスは、タンタロスによって殺された息子のペロプスについては、ヘルメスに命じて切り刻まれた体をシチューの中から寄せ集め、生き返らせる処置を取りました。

ただ、デメテルが左肩の肉にあたる部分を食べてしまったので、生き返ったペロプスには、その部位だけが不足しています。

そこで、デメテルは象牙で出来た肩をペロプスに与えました。

こうして、ペロプスは再び命を獲得したのでした。

ペロプスが復活したことにより、後に、ミノタウロスを退治することになるテセウスが、この世に生を享(う)けることにつながっていきます。

もう一度、系譜を示します。

タンタロス→ペロプス→トロイゼン王ピッテウス→王女アイトラ→テセウス


6. 原題


ジョアッキノ・アッセレート(Gioacchino Assereto)が描いた『タンタロス』は、英語ではTantalusと言います。

この作品は、ニュージーランド北部の街オークランド(Auckland)にあるオークランド美術館(Auckland Art Gallery)で見ることが出来ます。







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フランチェスコ・ズッカレッリ『竜を殺害するカドモスの物語』
記事URL  カテゴリ | ギリシア神話絵画 | 2011年06月29日(水)12時51分 | 編集 |
2011年6月29日(水)


目次
1. 竜退治
2. アレスの奴隷
3. 原題


今回取り上げる作品は、フランチェスコ・ズッカレッリ作『竜を殺害するカドモスの物語』です。

2011年6月29日フランチェスコ・ズッカレッリ『竜を殺害するカドモスの物語』265

1. 竜退治


イタリアの画家フランチェスコ・ズッカレッリ(1702-1788)が描いているのは、カドモスが竜に止めを刺そうとしている場面です。

向かって左に描かれている泉の水を汲もうとして、カドモスの部下たちは泉の番をしていた竜に殺されてしまいました。

画面中央で倒れているのは、カドモスの部下たちです。
その向かって右で、両腕を振り上げて槍で竜の頭を突いているのがカドモスです。

カドモスが左肩から掛けているのは、ライオンの毛皮です。
この毛皮を身につけていたおかげで、カドモスは竜に殺されずに済みました。


2. アレスの奴隷


この竜は、軍神アレスの忠臣でした。
カドモスによって竜を殺されたアレスは、カドモスに対して補償を求めました。

そこで、カドモスは八年もの間、アレスの奴隷として奉仕することになってしまいました。

アレスの奴隷という立場をやり通したカドモスは、処女神アテナからボイオティアの地を与えられました。

ボイオティアは、コリンティアコス湾の北東部に位置する古代ギリシアの一地方です。

カドモスはこの地を、自分の名に因んでカドメイアと名付けました。
カドメイアは、後にテーバイと呼ばれるようになります。


3. 原題


フランチェスコ・ズッカレッリ(Francesco Zuccarelli)が描いた『竜を殺害するカドモスの物語』は、英語ではA Landscape with the Story of Cadmus Killing the Dragonと言います。

この作品は、ロンドンにあるテート・ブリテン(Tate Britain)で見ることが出来ます。





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ヘンドリック・ホルツィウス『竜を殺害するカドモス』
記事URL  カテゴリ | ギリシア神話絵画 | 2011年06月28日(火)19時11分 | 編集 |
2011年6月28日(火)


目次
1. カドモスによるエウロパの捜索
2. 牝牛の行き着く土地
3. 原題


今回取り上げる作品は、ヘンドリック・ホルツィウス作『竜を殺害するカドモス』です。

2011年6月28日ヘンドリック・ホルツィウス『竜を殺害するカドモス』253

1. カドモスによるエウロパの捜索


フェニキア王女エウロパが白い牡牛に連れ去られた後、エウロパの父アゲノールは息子カドモスにエウロパの捜索を命じました。

アゲノールはカドモスに対して、エウロパを見つけ出すまではフェニキアへ帰還してはならないと厳命します。

カドモスは、母テレパッサと共にフェニキアの港から旅立ちます。

カドモス一行は、ロードス島などを経由してトラキアに到達します。
トラキアとは、現在のバルカン半島東部に同定されています。

このトラキアの地で母テレパッサは力尽き、命を終えました。

カドモスは、どれだけ探しても妹エウロパの姿を見つけることは出来ません。
そこで、デルフォイまで赴いて神託を受けることにしました。

神託は、カドモスにエウロパの捜索を断念するよう告げました。
さらに神託は、牝牛の後をついて行き、新たな都市を建設することをカドモスに求めました。


2. 牝牛の行き着く土地


カドモスは神託に従って、デルフォイの街を出た後、一頭の牝牛を牛飼いたちから買い取ります。

そして、カドモスはその牝牛と共に歩き続け、牝牛が疲れて倒れた場所に都市を建設することにしました。

カドモスはその地にアテナ神殿を建て、牝牛を生け贄として捧げることにします。

生贄の儀式を行うために、カドモスは部下に命じて近所にある泉まで水を取りに行かせました。
その泉は、アレスが管理している泉で、アレスに忠実な竜が番をしていました。

水を汲みに来た部下たちは、その竜に殺されてしまいます。
カドモスは、部下の仇を討つために竜と戦うことになりました。

オランダの画家ヘンドリック・ホルツィウス(1558-1617)が描いているのは、竜と戦っているカドモスの姿です。

画面左で、両手で槍を持っているのがカドモスです。
地面に横たわっているのは、竜に殺されたカドモスの部下たちです。


3. 原題


ヘンドリック・ホルツィウス(Hendrik Goltzius)が描いた『竜を殺害するカドモス』は、英語ではCadmus slays the dragonと言います。

この作品は、デンマーク中部の街コリング(Kolding)にある美術館(the Museet på Koldinghus)で見ることが出来ます。





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ティツィアーノ・ヴェチェッリオ『エウロパの略奪』
記事URL  カテゴリ | ギリシア神話絵画 | 2011年06月27日(月)15時38分 | 編集 |
2011年6月27日(月)


目次
1. 濡れるエウロパ
2. ヨーロッパの語源
3. クレタ王妃エウロパ
4. ミノスの裏切り
5. エヴァンズによる発掘
6. 原題


今回取り上げる作品は、ティツィアーノ・ヴェチェッリオ作『エウロパの略奪』です。

2011年6月27日ティツィアーノ・ヴェチェッリオ『エウロパの略奪』295

1. 濡れるエウロパ


フェニキア王女エウロパを乗せた白い牡牛は、岸からどんどん離れて行きます。
岸に立つ侍女達の姿は、エウロパからはほとんど見えなくなってしまいました。

イタリアの画家ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(1490頃-1576)の作品では、牡牛の角を握り締めたエウロパのしどけない姿が描かれています。

海水と汗と涙で、エウロパの熟れた体は濡れています。
牡牛は、勝ち誇ったかのような黒い瞳を鑑賞者へ向けています。


2. ヨーロッパの語源


白い牡牛の姿になっているゼウスは、最終的にクレタ島へとエウロパを連れ去りました。
クレタ島は、ゼウスが幼少期を過ごした島ですね。

ゼウスの養育については、2011年3月11日(金)の記事『ニコラ・プッサン『ジュピターの養育』 loro2012.blog.fc2.com』を参照して下さい。

ゼウスはクレタ島へ至る道中、エウロパを背に乗せてあちらこちらを駈け回りました。

ゼウスがエウロパを連れて駆け回った地域一帯を、エウロパの名に因んでヨーロッパと呼ぶようになったわけです。

エウロパの出身地フェニキアは、現在のシリア地域とされています。


3. クレタ王妃エウロパ


クレタ島に到着した牡牛は、本来のゼウスの姿に戻り、エウロパと性交します。
生まれた子の内の一人が、ミノスです。

その後、エウロパはクレタ王アステリオスの妻となり、ミノスはクレタ宮廷で養育されることになります。

アステリオスの死後、ミノスは王位を継承しようとします。
しかし、ミノスはアステリオスの嫡男ではないので、島民からの支持が得られません。

ミノスは、島民の前で自分が王位に就くに相応しい人物であることを、証明する必要に迫られました。
そこで、ミノスはポセイドンに依頼し、牡牛を海上から岸へと遣わせてもらうことにしたのです。

このような奇跡が起こせる人物は王として相応しいと、人々から認められるというわけです。

ポセイドンはミノスの依頼を受け入れ、海上から一頭の美しい牡牛を遣わします。
そのおかげで、ミノスはクレタ王位に就くことが出来ました。


4. ミノスの裏切り


ミノスは王位に就いた後、この牡牛をポセイドンに生贄として捧げる約束をしていました。

ところが、美しい牡牛を手放したくなかったミノスは、別の牛を生贄として捧げ、ポセイドンとの約束を反故(ほご)にします。

神との約束すらも反故にするミノスの態度に怒ったポセイドンは、ミノスの妻パシパエがこの牡牛と交わるよう仕向けました。

ポセイドンによって狂気を吹き込まれたパシパエは、牡牛とセックスをします。
そうして生まれたのが、ミノタウロスです。

クレタ島の王となったミノスは、後年、クノッソス宮殿を建設することになります。

この後、ミノタウロスが閉じ込められた迷宮やアリアドネの赤い糸、あるいはイカロスの墜落の話へと繋がっていきます。


5. エヴァンズによる発掘


イギリスの考古学者アーサー・エヴァンズ(1851-1941)が、クノッソス遺跡を発掘したのは1900年のことです。

ドイツの考古学者ハインリッヒ・シュリーマン(1822-1890)がトロイ遺跡を発掘したのは1873年のことです。

19世紀後半の時代というのは、遺跡がいくつも発掘されたことによって、それまで神話として語り継がれてきた内容が、実際には歴史的な事実であったことが証明された時代だったわけですね。


6. 原題


ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(Tiziano Vecellio)が制作した『エウロパの略奪』は、英語ではRape of Europaと言います。

この作品は、ボストンにあるイザベラ・ステュアート・ガードナー美術館(Isabella Stewart Gardner Museum )で見ることが出来ます。







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アントニオ・カッラッチ『エウロパの強奪』
記事URL  カテゴリ | ギリシア神話絵画 | 2011年06月26日(日)15時09分 | 編集 |
2011年6月26日(日)


目次
1. 岸から離れて行く牡牛
2. 原題


今回取り上げる作品は、アントニオ・カッラッチ作『エウロパの強奪』です。

2011年6月26日アントニオ・カッラッチ『エウロパの強奪』491

1. 岸から離れて行く牡牛


エウロパを背に乗せた牡牛は、海の彼方へと向かって走り出します。
フェニキア王女エウロパは、侍女たちが見ている前で連れ去られてしまったのです。

イタリアの画家アントニオ・カッラッチ(1583頃-1618)は、略奪された直後のエウロパを描いています。

エウロパは岸辺にいる侍女達を振り返り、絶望的な表情を見せています。


2. 原題


アントニオ・カッラッチ(Antonio Carracci)が描いた『エウロパの強奪』は、イタリア語ではIl ratto di Europaと言います。

il rattoが、女性を拐(さら)うこと、という意味です。

この作品は、イタリア北部の町ボローニャ(Bologna)にあるボローニャ国立美術館(La Pinacoteca Nazionale di Bologna)で見ることが出来ます。





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フランソワ・ブーシェ『エウロパの略奪』
記事URL  カテゴリ | ギリシア神話絵画 | 2011年06月25日(土)16時16分 | 編集 |
記事のタグ: ルーヴル美術館
2011年6月25日(土)


目次
1. イオからエウロパへの系譜
2. フェニキア王女エウロパ
3. 原題


今回取り上げる作品は、フランソワ・ブーシェ作『エウロパの略奪』です。

2011年6月25日フランソワ・ブーシェ『エウロパの略奪』412

1. イオからエウロパへの系譜


雌牛の姿のイオは、ヘラの遣わした虻に追い回されてギリシアからエジプトまで逃げることになりました。

イオは、エジプトの地でようやく人間の姿に戻ることが出来ました。

イオはナイル川の畔で、ゼウスとの間に出来た子エパポスを生みます。

エパポスは、長じてエジプト王となります。
そして、河の神ナイルの娘メンピスと結婚しました。

エパポスとメンピスとの間には、娘リビュエが生まれます。
リビュエは、現在のリビアの国名の由来となりました。

リビュエはポセイドンと交わり、息子アゲノールを生みます。

アゲノールは長じてフェニキア王となり、テレパッサと結婚します。
フェニキアは、現在のシリアに同定されています。

アゲノールとテレパッサとの間に生まれたのが、エウロパです。
系譜を示します。

イオ→エパポス→リビュエ→アゲノール→エウロパ


2. フェニキア王女エウロパ


アゲノールの娘エウロパは、美貌の持ち主でした。
その美しさに目を付けたのがゼウスです。

ゼウスは白い牡牛に変身して、侍女たちと花を摘んでいたエウロパに近づきます。
白い牡牛に気づいたエウロパは、牡牛の体を撫でてやり、その背に跨(またが)りました。

フランスの画家フランソワ・ブーシェ(1703-1770)が描いているのは、エウロパが白い牡牛の背に腰掛けたところです。

この後、この牡牛は立ち上がり、エウロパを乗せたまま海上を走り去ることになります。
エウロパの悲劇が始まります。


3. 原題


フランソワ・ブーシェ(François Boucher)が描いた『エウロパの略奪』は、英語ではThe Rape of Europaと言います。

この作品は、ルーヴル美術館(Musée du Louvre)で見ることが出来ます。





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ルカ・ジョルダーノ『ピネウスとその部下を石に変えるペルセウス』
記事URL  カテゴリ | ギリシア神話絵画 | 2011年06月24日(金)10時44分 | 編集 |
2011年6月24日(金)


目次
1. 叔父ピネウス
2. メデューサの首
3. 息子ペルセス
4. ポリュデクテスの最期
5. アルゴス王アクリシオスの最期
6. 原題


今回取り上げる作品は、ルカ・ジョルダーノ作『ピネウスとその部下を石に変えるペルセウス』です。

2011年6月24日ルカ・ジョルダーノ『ピネウスとその部下を石に変えるペルセウス』262

1. 叔父ピネウス


エチオピア王ケペウスは娘アンドロメダとペルセウスとの結婚を許可しました。

しかしこの結婚を快く思っていなかった男がいたのです。
それはアンドロメダの婚約者ピネウスです。

ピネウスはケペウスの弟です。
従ってアンドロメダの叔父ということになります。

ピネウスは兄王ケペウスに対して、自分はアンドロメダの正式な婚約者であることを主張します。
そしてペルセウスとの結婚式は無効であると詰め寄りました。

ところが王ケペウスは、アンドロメダが岩場に繋がれている時に傍観していたピネウスに娘を与えるつもりはないと言い渡しました。

納得出来ないピネウスはこの結婚を暴力によって潰すことを画策します。
事件は二人の結婚披露宴の席で起きました。


2. メデューサの首


ペルセウスとアンドロメダとの結婚披露宴の場にピネウス一派が乱入して来ました。
力づくでこの結婚を無効にしてやろうという考えです。

ペルセウスはピネウス軍と戦います。
数の上では圧倒的に不利なペルセウスはメデューサの首を使うことにしました。

メデューサの首の威力は効果テキメンです。
ピネウス軍の兵士たちはメデューサの首を見るや否や、どんどん石に変身していきます。

イタリアの画家ルカ・ジョルダーノ(1634-1705)が描いているのは、乱入して来たピネウスの手下たちが次々と石にされていく場面です。

ペルセウスはまたしてもメデューサの首のおかげで道を切り開くことが出来ました。


3. 息子ペルセス


夫婦となったペルセウスとアンドロメダは、しばらくアンドロメダの故郷エチオピアで暮らすことになりました。

二人の間にはペルセスという息子が生まれました。

系譜を示します。

アルゴス王アクリシオス→ダナエ→ペルセウス→ペルセス


王ケペウスには息子が生まれなかったため、エチオピアには王の跡を継ぐ者がいませんでした。

そこでペルセウスは、アンドロメダとの間に生まれた息子のペルセスをエチオピアの跡継ぎにすることにしました。

ギリシア神話におけるエチオピアは東の彼方にある国とされていて、ペルシアに同定する見解があります。

そこでこの見解に従えば、ペルセウスの息子ペルセスはペルシア王家の祖となるわけです。

結果的にペルシアの歴代王はゼウスの子孫ということになります。
系譜を示します。

ゼウス→ペルセウス→ペルセス→(中略)→アケメネス朝ペルシア第3代の王ダレイオス1世(紀元前558年頃-486年)


4. ポリュデクテスの最期


ペルセスをエチオピア王ケペウスに託し、ペルセウスとアンドロメダは一緒にペルセウスの母が待つセリポス島へと旅立ちました。

ペルセウスが不在の間、セリポス島の王ポリュデクテスは何度もダナエを口説こうとしました。
身の危険を感じたダナエは王弟ディクテュスに連れられて神殿の中へと逃げ込むことになります。

帰還したペルセウスは強欲な王ポリュデクテスにメデューサの首を見せて、ポリュデクテスを石の姿に変えました。

セリポス王はダナエを守り続けたディクテュスが継承することになりました。

ペルセウスはこの後、メデューサの首を軍神アテナに奉献しました。
アテナは受け取ったメデューサの首を自分の楯にはめ込みます。

アテナの楯はアイギスと呼ばれています。
アイギスを英語読みするとイージス(Aegis)です。


5. アルゴス王アクリシオスの最期


ペルセウスは妻アンドロメダと母ダナエを連れて、故郷のアルゴスへと向かいました。
ダナエの父アクリシオスと和解し一緒にアルゴスの地で暮らすためです。

ところが、ペルセウス一行がアルゴスへ向かっているという知らせを聞いたアクリシオスはアルゴスの地を離れます。

アクリシオスは孫であるペルセウスに殺されるという神託の実現を恐れていたのです。
アクリシオスは両者が顔を合わせなければ神託が実現することはないという判断をしたのでした。

アクリシオスはギリシア北部の街ラリッサに身を隠します。

ちょうどその頃、ラリッサの王が死去したことに伴い王太子が新たな王となりました。

新王即位の式典の一環として、慣例に従ってラリッサにおいて陸上競技大会が開催されることになりました。

ペルセウスはアルゴスへと向かう途中で、このラリッサ競技大会のことを耳にします。

そこでアルゴス王アクリシオスに面会する際の手土産とするためにこの競技大会に参加し、優勝を目指しました。

ペルセウスは競技大会で円盤投げに出場しました。

ペルセウスの投げた円盤は本来の軌道を外れて観客たちがいるところへと向かい、一人の老人の頭に当たりました。

老人は即死でした。
この老人こそダナエの父アルゴス王アクリシオスだったのです。

こうして神託は実現しました。


6. 原題


ルカ・ジョルダーノ(Luca Giordano)が描いた『ピネウスとその部下を石に変えるペルセウス』は、英語ではPerseus turning Phineas and his Followers to Stoneと言います。

この作品は、ロンドンのナショナル・ギャラリー(The National Gallery)で見ることが出来ます。





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ピエール・ミニャール『アンドロメダの解放』
記事URL  カテゴリ | ギリシア神話絵画 | 2011年06月23日(木)23時20分 | 編集 |
記事のタグ: ルーヴル美術館
2011年6月23日(木)


目次
1. 解放されるアンドロメダ
2. 原題


今回取り上げる作品は、ピエール・ミニャール作『アンドロメダの解放』です。

2011年6月23日ピエール・ミニャール『アンドロメダの解放』246

1. 解放されるアンドロメダ


ペルセウスが海の怪物ケートスを退治してくれたおかげで、エチオピアの王女アンドロメダは生贄になる寸前で解放されました。

ピエール・ミニャール(1612-1695)は、ケートスを退治し終わったペルセウスの姿を描いています。
画面前景下部の海の中で首を切られた姿で描かれている怪物がケートスですね。

中央で右手に剣を持っているのがペルセウスです。
ペルセウスの左足の傍に転がっているのは、メドゥーサの首ですね。

ペルセウスの後ろにいる有翼の馬はペガサスです。
ペガサスはペルセウスがメドゥーサの首を刎ねた際に、血しぶきとともに飛び出したとされています。

難敵ケートスを倒したペルセウスは、この後アンドロメダと結婚することになります。
しかし、その結婚披露宴の席で大騒動が起きるのです。

続きます。


2. 原題


ピエール・ミニャール(Pierre Mignard)が制作した『アンドロメダの解放』は、フランス語ではLa Délivrance d'Andromèdeと言います。

la délivranceは解放という意味です。
この作品はルーヴル美術館(Musée du Louvre)で見ることが出来ます。





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フランソワ・ルモワーヌ『ペルセウスとアンドロメダ』
記事URL  カテゴリ | ギリシア神話絵画 | 2011年06月22日(水)21時45分 | 編集 |
2011年6月22日(水)


目次
1. メドゥーサの首
2. 原題


今回取り上げる作品はフランソワ・ルモワーヌ作『ペルセウスとアンドロメダ』です。

2011年6月22日フランソワ・ルモワーヌ『ペルセウスとアンドロメダ』451

1. メドゥーサの首


ゼウスが黄金の雨となってダナエと性交した結果、生まれたのがペルセウスでした。
成長したペルセウスはアテナやヘルメスの協力を得て、怪物メドゥーサの首を取ることに成功します。

ペルセウスはメドゥーサの首を取った後、ヘルメスから与えられた翼のあるサンダルを使って、エチオピア上空を飛んでいました。

そして岩壁に繋がれて泣いているアンドロメダを発見するのです。

仔細を聞いたペルセウスはアンドロメダを救出するべく海の怪物ケートスと戦うことにしました。

フランソワ・ルモワーヌ(1688-1737)の作品で向かって左側で右手に剣を持っているのがペルセウスです。

向かって右側の豊麗な美女がアンドロメダですね。

ペルセウスは首尾よくケートスを打ち破り、アンドロメダを救出することになります。


2. 原題


フランソワ・ルモワーヌ(François Lemoyne)が制作した『ペルセウスとアンドロメダ』は英語ではPerseus and Andromedaと言います。

この作品はロンドンにあるウォレスコレクション(Wallace Collection)で見ることが出来ます。





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テオドール・シャセリオ『ネレイスによって岩壁に鎖で縛られるアンドロメダ』
記事URL  カテゴリ | ギリシア神話絵画 | 2011年06月21日(火)11時07分 | 編集 |
2011年6月21日(火)


目次
1. カシオペアの娘
2. 緊縛されるアンドロメダ
3. 原題


今回取り上げる作品は、テオドール・シャセリオ作『ネレイスによって岩に鎖で縛られるアンドロメダ』です。

2011年6月21日テオドール・シャセリオ『ネレイスによって岩壁に鎖で縛られるアンドロメダ』419

1. カシオペアの娘


アンドロメダは、エチオピアの王女です。

ギリシア神話におけるエチオピアは、現在アフリカ大陸にあるエチオピアとは異なり、世界の東の彼方にある国を指しています。

エチオピア王は、ケフェウスと言います。
王妃はカシオペアといい、美貌の持ち主でした。

カシオペアはその美しさを鼻にかけ、ネレイスよりも美しいと日頃、自慢していました。
ネレイスとは、海に棲む女神のことです。

アキレウスを生んだテティスも、ネレイスの中の1人です。

ネレイスは、外見が美しいことで知られていました。

そのネレイスを侮辱するような発言をしているカシオペアは、ネレイスたちの反感を買ってしまいます。

ネレイスたちはカシオペアを懲らしめるために、海神ポセイドンに訴えることにしました。
ポセイドンはネレイスたちの訴えを聞き入れ、海の怪物ケートスをエチオピアに送り込みます。

ケートスによって国土を荒らされたエチオピアは、許してもらうために生贄を差し出さなければならなくなりました。


2. 緊縛されるアンドロメダ


ケートスへの生贄として選ばれたのが、王女アンドロメダです。
アンドロメダは波が打ち寄せる岩壁に連れて行かれ、ネレイスたちによって鎖で繋がれてしまいます。

テオドール・シャセリオ(1819-1856)が描くアンドロメダは、全裸にされて絶望の表情を浮かべています。

これから、この若く美しい肉体が、ケートスの餌食になるわけです。

画面向かって左下には、海の怪物ケートスが描かれていますね。

向かって右端に描かれているネレイスたちは、自分と同等以上に美しいアンドロメダに対して、冷たい視線を投げかけています。

自分たちの美しさを脅かす存在は、死ねばいい・・・。

見目麗しい者は、それだけで周囲の反感を買うのです。

美しく生まれることが出来なかった者たちの、美男美女に対する嫉妬心は日常的にくすぶり続け、機会があると一斉に爆発するのです。

ネレイスによって緊縛されたアンドロメダは、絶体絶命の危機に立たされます。
ここでアンドロメダを救うのがペルセウスなのですが、それは次回に続きます。


3. 原題


テオドール・シャセリオ(Théodore Chassériau)が制作した『ネレイスによって岩壁に鎖で縛られるアンドロメダ』は、フランス語ではAndromède attachée au rocher par les Néréidesと言います。

attacher Zは、Zを縛る、という意味です。
ここでは、過去分詞が使われて受動態になっていますね。

le rocherは、切り立った岩、という意味です。

この作品は、ルーヴル美術館(Musée du Louvre)で見ることが出来ます。





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フランチェスコ・マッフェイ『メデューサの首をはねるペルセウス』
記事URL  カテゴリ | ギリシア神話絵画 | 2011年06月20日(月)12時58分 | 編集 |
2011年6月20日(月)


目次
1. セリポス島の王ポリュデクテス
2. メデューサの首
3. 傲慢なメデューサ
4. 聖域におけるセックス
5. アテナとヘルメスの協力
6. メデューサの死
7. 原題


今回取り上げる作品は、フランチェスコ・マッフェイ作『メデューサの首をはねるペルセウス』です。

2011年6月20日フランチェスコ・マッフェイ『メデューサの首をはねるペルセウス』271

1. セリポス島の王ポリュデクテス


ダナエとペルセウスは、ディクテュスと一緒に静かな暮らしを送っていました。

セリポス島の王ポリュデクテスは、弟ディクテュスの家にいる美女ダナエを妻に迎えようと考えました。

しかし、ダナエは息子ペルセウスとの生活に十分満足しています。
そのため、王ポリュデクテスの求愛を拒否し続けました。

権力者ポリュデクテスは、ダナエの熟れた肉体を手に入れることを諦めることが出来ません。
ダナエが頑(かたく)なに王からの誘いを拒否しているのは、息子ペルセウスがいるからです。

そこでポリュデクテスは、邪魔者のペルセウスをセリポス島から追い出すことにしたのです。

悪知恵の働くポリュデクテスは、ペルセウスがいなくなればダナエの心も変わるのではないかと考えたわけです。


2. メデューサの首


ある日、ポリュデクテスは島の人々に王への贈り物をするよう求めました。
資産を持っている者たちは、羊や山羊などの家畜を王に贈ることにしました。

一方、貧しいペルセウスには王に贈れるような資産がありません。
そこで、王はペルセウスに対して、家畜の代わりにメデューサの首を差し出すよう命じたのです。

怪物メデューサの首を取ることは不可能だと信じられていました。
なぜなら、メデューサの首を見た者は全て石に変えられていたからです。

王の意地悪な命を受けたペルセウスは、メデューサの首を取るためにセリポス島を離れることになりました。


3. 傲慢なメデューサ


メデューサは元々は美しい女性でした。
特に髪の美しさを誇りとしていました。

そして、軍神アテナの髪よりも自分の髪の方が美しいと公言していたのです。
アテナが常日頃兜を被っているのは、さほど美しくもない髪を隠すためであると言っていたのでした。

メデューサはポセイドンの愛人でもありました。
ポセイドンはつい最近アテナイの守護神の座を巡ってアテナに敗れたばかりでした。

『ミネルヴァとネプチューンの争い』については、2011年4月30日(土)の記事『ノエル・アレ『ミネルヴァとネプチューンの争い』 loro2012.blog』を参照して下さい。

愛人であるメデューサはポセイドンが処女神アテナに敗れたことが悔(くや)しくてなりません。
そこで、アテナに対して嫌がらせをすることにしました。

アテナが最も嫌がること・・・、それはセックスです。

アテナはセックスから得られる快楽を否定しているだけでなく、セックスの最中に溢れ出る精液や愛液に対して極度の嫌悪感を抱いています。

アテナにとって精液や愛液は見るのも触るのもおぞましい存在なのです。

男性が射精した後、膣内から愛液と精液が入り交じって少しずつ流れ落ちてくる様子などは、処女神にとって吐き気を催すものでしかないのです。


4. 聖域におけるセックス


メデューサはアテナイに建造されたばかりの真新しいアテナ神殿の中で、これ見よがしに性交することを思いつきました。

早速メデューサはポセイドンを誘って一緒にアテナ神殿の中に入り、濃厚なセックスを開始します。

神聖なるアテナ神殿の中で傲慢な美女メデューサはポセイドンの男根を受け入れ、セックスの最中何度も絶頂に達しました。

しばらくしてポセイドンはメデューサの膣内に射精し、その精液はメデューサの股間から神殿の床へと流れ落ちていきます。

処女神アテナを祀(まつ)る神殿の床に大量の精液が付着したのです。

処女神アテナがこうした愚行を許すはずがありません。
断じてあってはならないことです。

憤慨したアテナはメデューサの自慢の髪に魔法をかけました。

その魔法によりメデューサの髪は一本一本が全て蛇と化したのです。
美しかったメデューサの顔も魔力によって化け物の様相を呈しました。

そして、これ以降メデューサの顔を見た者は恐怖から石と化すようになりました。

愛人ポセイドンに対して顔向け出来なくなったメデューサは、世界の西の果てへと逃亡したのでした。


5. アテナとヘルメスの協力


ペルセウスがメデューサの首を取りに行く際にアテナとヘルメスが援助をしてくれました。

アテナはアイギスと呼ばれる楯を貸しました。

メデューサの顔を直接見ると石に変えられてしまうので、楯に映ったメデューサの影を見ながら傍に近づくためです。

ヘルメスは首を切り落とすための大鎌を与えました。

この大鎌はクロノスがウラノスの男根を切り取った時に使用したものです。
特別な因縁のある鎌でなければメデューサの首は切り落とすことが出来ないとされていました。

『ウラノスの男根の切断』については、2011年3月8日(火)の記事『ジョルジョ・ヴァザーリ『ウラノスの男根の切断』 loro2012.blog』を参照して下さい。

さらにヘルメスは空を飛ぶことの出来るサンダルを貸しました。
このサンダルを履いてペルセウスはヘスペリデスの園へと向かうことになります。

ヘスペリデスの園にはハデスが所有する隠れ兜があるのです。

ハデスの隠れ兜を身につけると姿を隠すことが出来るので、ペルセウスはメデューサに自分の存在を気取(けど)られることなく接近することが出来るわけですね。

こうして準備を整えたペルセウスは、いよいよメデューサの首を取りに赴きました。


6. メデューサの死


イタリアの画家フランチェスコ・マッフェイ(1605頃-1660)が描いているのは、ペルセウスがメデューサの首を切り落としている場面です。

画面向かって右で右腕を上げているのがメデューサです。

中央で顔を背けながらメデューサの首を掻こうとしているのがペルセウスです。
ペルセウスはハデスの隠れ兜を頭につけていますね。

向かって左に立っているのは応援のために駆けつけたアテナです。

処女神アテナは恋愛やセックスなど全く眼中にありませんが、自身は絶世の美女であり、かつ豊満な肉体の持ち主です。

そして、同じ軍神でも戦場の混乱を引き起こすだけのアレスとは異なり、アテナは頭脳明晰で知略に優れる軍神です。

マッフェイもその前提でアテナを描いていますね。

ペルセウスがメデューサの首を切り落とした時、首の切り口からペガサスが生まれ出ました。

ペガサスは鳥の翼を持つ馬です。
ポセイドンとメデューサがアテナ神殿で性交した時に出来た子供がペガサスだったのです。

首尾良くメデューサの首を斬り落としたペルセウスは、空を飛んで母ダナエの待つセリポス島へ向かいます。

その途中で岸壁に繋がれたアンドロメダを発見することになります。


7. 原題


フランチェスコ・マッフェイ(Francesco Maffei)が描いた『メデューサの首をはねるペルセウス』は、英語ではPerseus Beheading Medusaと言います。

この作品はヴェネツィアにあるアカデミア美術館(Gallerie dell'Accademia)で見ることが出来ます。





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アレクサンドル・ジャック・サントロン『ダナエ』
記事URL  カテゴリ | ギリシア神話絵画 | 2011年06月19日(日)13時22分 | 編集 |
2011年6月19日(日)


目次
1. 黄金の雨
2. 生まれた子はペルセウス
3. 原題


今回取り上げる作品は、アレクサンドル・ジャック・サントロン作『ダナエ』です。

2011年6月19日アレクサンドル・ジャック・サントロン『ダナエ』494

1. 黄金の雨


ダナエは青銅の塔の中に閉じ込められて、男との交わりを断たれてしまいました。

これだけの美貌の持ち主が、セックスの快楽も知らず、ただ老いていくだけの人生では気の毒だと考えた男神がいました。

ゼウスです。

ゼウスの仕事は、美女と性交し子供を孕ませることです。
そのためには、あらゆるものに変身します。

ゼウスは、目的のためには手段を選びません。
塔に幽閉されている美女ダナエと、どうすれば性交出来るかを思案しました。

美女と性交するためなら、どんなことでも思いつくゼウスです。
ゼウスは塔の中に入り込む手段として、自らを雨の姿に変えたのです。

ただし、普通の雨ではありません。
最高神たるゼウスは黄金の雨となってダナエに接近し、そのまま思いを遂げました。

フランスの画家アレクサンドル・ジャック・サントロン(1842-1918)は、黄金の雨がダナエの膣内に入って行く場面を描きました。

雨粒は小さいので、ダナエは少し膝を開くだけで性交が出来るわけですね。
大量の黄金の雨が、ダナエの下半身を濡らしました。


2. 生まれた子はペルセウス


ゼウスとの性交により、ダナエは男の子を出産します。
この子は、ペルセウスと名付けられました。

ダナエの父であるアルゴス王アクリシオスは、ダナエの生んだ息子が自分を殺すであろうという神託が実現することを恐れました。

そこで、ダナエと赤子のペルセウスを木箱に入れて、海に流してしまいました。
木箱は運良く、セリポス島に漂着します。

二人を発見したのは、ディクテュスでした。
ディクテュスは、セリポス島の王の弟です。

親切なディクテュスに保護されて、ダナエとペルセウスは数年の間、平穏な日々を送ることが出来ました。


3. 原題


アレクサンドル・ジャック・サントロン(Alexandre Jacques Chantron)が描いた『ダナエ』は、英語ではDanaeと言います。

この作品は、フランス西部の街レンヌにある美術館(Musée des beaux-arts de Rennes)で見ることが出来ます。





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レンブラント・ファン・レイン『ダナエ』
記事URL  カテゴリ | ギリシア神話絵画 | 2011年06月18日(土)15時00分 | 編集 |
記事のタグ: エルミタージュ美術館
2011年6月18日(土)


目次
1. アルゴス王女
2. 原題


今回取り上げる作品は、レンブラント・ファン・レイン作『ダナエ』です。

2011年6月18日レンブラント・ファン・レイン『ダナエ』302

1. アルゴス王女


ダナエはギリシア神話に登場するアルゴス王女です。

アルゴス王のアクリシオスには世継ぎとなる男の子がありませんでした。
そこで今後、世継ぎに恵まれるのかどうかを神託に問うことにしました。

するとアクリシオスには息子は授からないが、娘のダナエが男の子を生むとの神託がありました。

ただしもう一つ神託がありました。

それはアクリシオスがダナエの生んだ男の子によって殺されるであろうというものだったのです。

この神託を実現させないために、アクリシオスは娘のダナエを青銅の塔に幽閉します。

こうしておけば娘は男と交わることがないため息子も生まれません。
ダナエが男の子を生まなければ、アクリシオスはアルゴス王であり続けることが出来るわけです。

美貌の王女ダナエは人生を塔の中で過ごすことになってしまったのです。

レンブラント(1606-1669)の作品では外界から遮断された環境にあるダナエと世話役の侍女が描かれています。

青銅の塔に幽閉されたダナエは人との関わりがない生活を送っていますが、相変わらず美しさを保っています。
ダナエの官能的な乳房や腰回りを天界から眺めていた神がいました。

最高神ゼウスです。

ゼウスはダナエが閉じ込められている青銅の塔の中に忍び込むために、黄金の雨に変身しました。
ダナエと侍女の視線の先にあるのは黄金の雨です。

続きます。


2. 原題


レンブラント・ハルメンス・ファン・レイン(Rembrandt Harmensz. van Rijn)が制作した『ダナエ』は、英語ではDanaeと言います。

この作品はサンクト・ペテルブルクにあるエルミタージュ美術館(State Hermitage Museum)で見ることが出来ます。





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ローレン・グレアム主演ドラマ『ギルモア・ガールズ』シーズン1を見た感想
記事URL  カテゴリ | 海外ドラマ | 2011年06月17日(金)15時38分 | 編集 |
2011年6月17日(金)


6月6日からギャオで『ギルモア・ガールズ(原題:Gilmore Girls)』シーズン1が始まりました。

全話一括配信で6月26日(日)まで無料で見ることが出来ます。

主演はローレン・グレアム(Lauren Graham)です。

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ローレン・グレアムが演じるローレライ・ギルモアは16歳の時に子どもを産み、その子に自分と同名のローレライと名づけました。

母と娘が同じ名前なので、区別するために娘はローリーという愛称で呼ばれています。

そのローリーが16歳となり、父親不在の家庭ながら母娘で仲良く暮らしています。
ローレライとローリーは、母娘というよりは親友のような感覚で生活を共にしています。

ギルモア・ガールズとはギルモア家の娘たちといった意味で使われているのだと思います。

この2人にローレライの実家の両親が絡んで来ます。
ローリーからすれば祖父母です。

2011年6月17日ローレン・グレアム主演ドラマ『ギルモア・ガールズ』シーズン1を見た感想 main

実家の両親は16歳で出産して家を出て行ったローレライのことを今だに快(こころよ)くは思っていません。

しばらくローレライとは疎遠になっていたのですが、孫のローリーが名門私立高校に転校することをきっかけに交流が再開します。

シーズン1の構成の基本となっているのはローレライとローリーの恋愛です。

その観点ではありふれたドラマと言えますが、主役のローレライがギャクを連発するキャラクターで単なる美人ではないという設定になっています。

ローレン・グレアムは痩せているためそれほど官能的な風貌ではありませんが、まあそれでも一応、色気のある場面も盛り込まれてはいます。

ローレライは全21話の中で何回かセックスをしますが、視聴者層を大人だけでなく家族全員に設定しているため露骨なセックス描写は排除されています。

ただ、娘のローリーは優等生という設定の割には男とキスしている場面が多かったように思います。

殺人事件とは無縁のコメディードラマなので方向性としては『デスパレートな妻たち』よりも『フレンズ』の方が近いと思います。

ギャオでシーズン2も続けてやって欲しいと思います。


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サンティ・ディ・ティト『パエトンの姉妹』
記事URL  カテゴリ | ギリシア神話絵画 | 2011年06月17日(金)15時27分 | 編集 |
2011年6月17日(金)


目次
1. 琥珀
2. パエトンの教訓
3. 中田英寿選手の優れた判断力
4. よほどの例外的状況
5. 原題


今回取り上げる作品は、サンティ・ディ・ティト作『パエトンの姉妹』です。

2011年6月17日サンティ・ディ・ティト『パエトンの姉妹』485

1. 琥珀


イタリアの画家サンティ・ディ・ティト(1536-1603)が描いているのは、パエトンが墜落死した後の姉妹たちの姿です。

パエトンの訃報を聞いた姉妹たちは、パエトンが落ちたと言われるエリダノス河畔へとやって来ました。

エリダノス川は現在のポー川に同定されています。

画面中景や後景で嘆き悲しんでいるのはパエトンの姉妹たちです。
顔を覆ったり両手を上げたりしてパエトンの死を悼(いた)んでいます。

パエトンを失った深い悲しみは、やがて彼女たちを樹木に変えてしまいます。
背中を向けている女性の指先からは葉が出ていますね。

樹木となった後も彼女たちは泣き続けました。
その涙は樹皮から滲(にじ)み出し、やがて琥珀になったと言われています。


2. パエトンの教訓


このパエトンの話はいくつかの教訓を秘めていて興味深いですね。

パエトンが引き起こした大惨事の原因を作ったのは父であるヘリオスです。

太陽の馬車を少年パエトンが制御できないことぐらい、初めからヘリオスには分かっていました。
しかし息子可愛さについ心が緩んで、ヘリオスは重大な判断の過ちを犯してしまいました。

人間どんな仕事に従事するにせよ、技術的な過ちを無くすことはほぼ不可能と言って良いでしょう。

例えば商店の店員がお釣りを間違って渡したり、原稿を書く人間が誤字脱字に気づかなかったりと、人間は技術的な過ちを犯す可能性がある動物なのです。

だからこそ複数の人間が一つの仕事に同時に関与して、多角的な視点で過ちがないかどうかを検証する体制を築く必要があるわけです。

書籍などの編集部門においては最終原稿完成→著者校正→幹事校正→印刷という手順を踏みますが、その校正作業の中である程度の確率で誤字脱字が見つかります。

場合によっては印刷してから誤字脱字に気づく場合もあります。
もう手遅れですけどね。

それぐらい人間の仕事の能力は一般論としては高くはないですし、だからこそ検証作業が必要になるのです。

「この仕事は彼がやったのだから、恐らく正しいのだろう」という思い込みや手抜きを完全に排除して、検証作業に重きを置いて仕事に取り組まないと技術的な過ちはなくなりません。


3. 中田英寿選手の優れた判断力


一方、判断の過ちというのは、人によってはゼロに近づけることが可能です。

判断力が身に備わっている人は、よほどの例外的状況を除いてその判断力が鈍るということはまず考えられません。

例えば、以前サッカー日本代表の岡田武史元監督が中田英寿選手を評して、次のようにテレビで言っていました。

「彼にも技術的なミスというのはあります。しかし判断のミスというのは、ほぼ無いと言って良いと思います。」

私には中田選手のサッカーセンスを論評する能力はありませんが、おそらく岡田監督の言う通り中田選手には司令塔に不可欠な判断力が備わっているのでしょうね。

ヘリオスに話を戻しますが、ヘリオスは神ですので正しい判断力が備わっていることが前提になっていると思います。

しかし馬車に乗りたいというパエトンからの熱望を受けて、父親としての甘さがヘリオスの判断力を鈍らせました。

そしてその判断の過ちが、最終的には地上に大惨事をもたらす結果を招いたのです。

いつの時代でもどの民族でも、親は子に対しては甘いのでしょうね。

他人の子どもには原理原則を貫くくせに自分の子には特例を認めてしまう・・・、それが人の親なのかも知れません。


4. よほどの例外的状況


アメリカのドラマ『ER』の中でどのシーズンだったか忘れましたが、興味深い場面がありました。

モーラ・ティアニー(Maura Tierney)が演じる女医アビー・ロックハートは、預けていた我が子が病気になってERへ搬送されて来た姿を見て気が動転します。

マニュアルでは、この病状の場合であれば麻酔を打つべきところです。
しかしアビーは、乳児である我が子にマニュアル通りに麻酔を打つことには反対します。

麻酔を打って、もし赤ちゃんに万一のことがあれば取り返しがつかないからというのが理由です。

けれどアビーは女医として今までに似たような状況においては、他人の赤ちゃんに麻酔を打ってきたわけです。

もちろん、麻酔を打つに当たり躊躇(ためら)いなどありません。

医師は患者の命を救うために麻酔を打つべきですし、他に選択肢などありません。
だからこそ、麻酔を打つことがマニュアルで定められているのです。

アビーは女医の立場としては麻酔を打つべきだと分かっているのですが、母の立場としては後遺症の危険性が頭をかすめて判断力が鈍ります。

アビーは「よほどの例外的状況」に追い込まれたわけですね。
結局、他の医師たちの正論に押されて、アビーは我が子に麻酔を打つことに同意します。

親という立ち場はこれほどまでに判断力を曇らせてしまう、厄介なものなのかも知れません。


5. 原題


サンティ・ディ・ティト(Santi di Tito)が描いた『パエトンの姉妹』は、イタリア語ではLe sorelle di Fetonteと言います。

le sorelleが姉妹たちという意味です。

この作品は、フィレンツェにあるヴェッキオ宮殿(Palazzo Vecchio)の中の、Studiolo di Francesco Iという部屋で見ることが出来ます。


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