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ロレンツォ・デッロ・シオリーナ『ヘスペリデスの園の竜を殺すヘラクレス』
記事URL  カテゴリ | ギリシア神話絵画 | 2011年08月31日(水)20時49分 | 編集 |
2011年8月31日(水)


目次
1. ヘラクレスの12の功業(11番目)
2. ネメアの獅子の弟ラドン
3. 原題


今回取り上げる作品はロレンツォ・デッロ・シオリーナ作『ヘスペリデスの園の竜を殺すヘラクレス』です。

2011年8月31日ロレンツォ・デッロ・シオリーナ『ヘスペリデスの園の竜を殺すヘラクレス』625

1. ヘラクレスの12の功業(11番目)


ミケーネ王エウリュステウスがヘラクレスに課した11番目の功業は、ヘスペリデスの園にある黄金の林檎を手に入れることでした。

ヘラクレスはヘスペリデスの園がどこにあるのか知りません。
各地を歩きまわる内にコーカサス地方に辿り着きました。

ヘラクレスはコーカサスの山頂でプロメテウスと出会いました。
プロメテウスは人間に火を与えたことをゼウスに咎(とが)められて山頂に縛られていたのです。

プロメテウスは毎日大鷲に肝臓を食いちぎられるという拷問を受けていました。

プロメテウスがこの拷問から逃れるためには、不死の者がその権利を放棄して冥界へと旅立つことが必要でした。

山頂にいるプロメテウスには、そのような者がいるのかどうか知る由もありません。
ところがヘラクレスには心当たりがありました。

ヘラクレスは4番目の功業であるエリュマントスの猪を生け捕りにする際に、ケイロンの膝に誤って矢を命中させて瀕死の重傷を負わせていました。

ケイロンは痛みに耐えながら永遠に生きていくことを拒み、不死の存在であることを放棄して冥界へ行くことを望んでいたのでした。

プロメテウスと話していたヘラクレスは、このケイロンのことを思い出します。
そして父であるゼウスに祈りを捧げ、プロメテウスの解放とケイロンの冥界行きを頼んだのです。

願いは聞き届けられ、プロメテウスはようやく緊縛から解放されることになりました。
毎日プロメテウスの肝臓を食いちぎりに来ていた大鷲はヘラクレスによって射殺されました。

また、イアソンやアキレウスなどを育てたケイロンは望み通り命を落とすことになったのでした。


2. ネメアの獅子の弟ラドン


プロメテウスは助けてくれたお礼として、ヘラクレスにヘスペリデスの園への行き方を教えました。

ようやく辿り着いたヘスペリデスの園ではラドンが黄金の林檎の番をしていました。
ラドンとは100の頭を持つ竜で、ヘラの命を受けて林檎の番をしていたのです。

ラドンの父はオルトロス、母はエキドナです。
第1の功業においてヘラクレスによって絞め殺されたネメアの獅子はラドンの兄にあたります。

イタリアの画家ロレンツォ・デッロ・シオリーナ(1540頃-1598)が描いているのはヘラクレスがラドンを棍棒で殴り殺している場面です。

ヘラクレスの鍛え上げられた肉体から繰り出される殴打を何発も浴びて、ついにラドンは死に絶えました。

ヘラクレスは黄金の林檎を手に入れてヘスペリデスの園を後にし、ミケーネ王エウリュステウスの元へ戻る途中にリビアへ立ち寄りました。

そこで、アンタイオスと戦うハメになるのです。


3. 原題


ロレンツォ・デッロ・シオリーナ(Lorenzo dello Sciorina)が描いた『ヘスペリデスの園の竜を殺すヘラクレス』はイタリア語ではErcole uccide il drago delle Esperidiと言います。

Ercoleがヘラクレスです。
uccidere ZはZを殺すという意味です。

この作品はフィレンツェにあるヴェッキオ宮殿(Palazzo Vecchio)の中のStudiolo di Francesco Iで見ることが出来ます。





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ヘンドリック・ホルツィウス『ヘラクレスとカクス』
記事URL  カテゴリ | ギリシア神話絵画 | 2011年08月30日(火)11時46分 | 編集 |
2011年8月30日(火)


目次
1. アヴェンティーノの怪物
2. 原題


今回取り上げる作品は、ヘンドリック・ホルツィウス作『ヘラクレスとカクス』です。

2011年8月30日ヘンドリック・ホルツィウス『ヘラクレスとカクス』475

1. アヴェンティーノの怪物


ヘラクレスは、世界の果てからジブラルタルへと、黄金の盃に乗って牛たちと共に戻って来ました。

ヘラクレスが、ミケーネに向かう途中で、現在のローマに相当する地に立ち寄った時に、この牛たちが盗まれてしまう事件が起きました。

盗んだのは、カクスです。

カクスは鍛冶の神ヘパイストスの息子で、3つの頭を持つ怪物です。
カクスは、アヴェンティーノの丘の洞穴に住み、付近の人々に暴力を振るっていました。

アヴェンティーノの丘とは、ローマにおける七つの丘の一つです。

なお、この時点では、まだローマという都市は建設されてはいません。
古代ローマが建設されるのは、トロイ戦争の後のことです。

ヘラクレスは、奪われた牛たちを取り戻すためにカクスと戦います。

オランダの画家ヘンドリック・ホルツィウス(1558-1617)が描いているのは、ヘラクレスが一撃の下にカクスを殴り殺した場面です。

後景向かって左には、ゲリュオンから奪って来た牛が描かれていますね。
こうして、ヘラクレスは10番目の難行を成し遂げました。


2. 原題


ヘンドリック・ホルツィウス(Hendrik Goltzius)が描いた『ヘラクレスとカクス』は、英語ではHercules and Cacusと言います。

この作品は、オランダ北部の町ハーレム(Haarlem)にあるFrans Hals Museumで見ることが出来ます。





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フランシスコ・デ・スルバラン『ゲリュオンを打ち負かすヘラクレス』
記事URL  カテゴリ | ギリシア神話絵画 | 2011年08月29日(月)12時32分 | 編集 |
記事のタグ: プラド美術館
2011年8月29日(月)


目次
1. ヘラクレスの12の功業(10番目)
2. 世界の果てジブラルタル
3. ヘリオスの協力
4. ゲリュオンとの戦い
5. 原題


今回取り上げる作品は、フランシスコ・デ・スルバラン作『ゲリュオンを打ち負かすヘラクレス』です。

2011年8月29日フランシスコ・デ・スルバラン『ゲリュオンを打ち負かすヘラクレス』272

1. ヘラクレスの12の功業(10番目)


ミケーネ王エウリュステウスがヘラクレスに課した10番目の難行は、ゲリュオンが飼う、紅い牛を生け捕りにすることでした。

ゲリュオンとは、クリュサオルとカロリエの間に出来た怪物で、エキドナの兄に当たります。

クリュサオルとは、ペルセウスがメデューサの首を刎(は)ねた際に生まれた怪物です。
従って、クリュサオルとペガサスは、双子の兄弟となります。

カロリエは、オケアノスとテテュスとの間に出来た娘です。


2. 世界の果てジブラルタル


さて、ゲリュオンは、オケアノスの西の果てに浮かぶ島エリュテイアに住んでいます。

ジブラルタル海峡を越えて西に進むことになるため、一般的な船ではエリュテイアに辿り着くことは出来ません。

現代では、地中海からジブラルタル海峡を通過して、西へと向かうことは、それほど難儀なことではありませんが、古代ギリシア人の世界観では、ジブラルタルの西は、未知の空間であり、ジブラルタルこそが世界の果てであると認識されていました。

もちろん、ジブラルタルの西にアメリカ大陸があることなど、古代ギリシア人は知りませんでした。


3. ヘリオスの協力


ヘラクレスは、世界の果てであるジブラルタル海峡を無事に通過して、西へと向かう方法を知りませんので、途方に暮れていました。

そんなヘラクレスに、太陽神ヘリオスが救いの手を差し伸べます。

ヘラクレスは、ヘリオスから、船の代わりになるような、人が乗れる大きさの黄金の盃を贈られたのです。

ヘラクレスは、その盃に乗り込んで、ジブラルタル海峡を通過し、オケアノスを渡り、エリュテイアに到達することが出来ました。


4. ゲリュオンとの戦い


エリュテイアでは、双頭の犬オルトロスがゲリュオンの牛たちの見張り番をしていました。
オルトロスとは、テュポンとエキドナの子で、ケルベロスの弟にあたります。

ヘラクレスはオルトロスを棍棒で殴り殺し、牛の群れを奪うことに成功します。

一刻も早く、エリュテイアから逃れたいヘラクレスでしたが、牛たちを奪われたことを知ったゲリュオンが、取り返しに来ました。

ヘラクレスは毒矢を取り出し、ゲリュオンに狙いを定め、見事に射殺しました。

スペインの画家フランシスコ・デ・スルバラン(1598-1664)が描いているのは、ゲリュオンを射殺した後のヘラクレスの姿です。

向かって右で、大地に倒れているのがゲリュオンです。
こうしてヘラクレスは、ゲリュオンの牛たちを生け捕りにすることが出来ました。

ヘラクレスはゲリュオンの牛の群れと共に、オケアノスの西の果てに浮かぶ島エリュテイアからジブラルタル海峡まで、黄金の盃に乗って戻って来ました。

ヘラクレスは、ジブラルタルからミケーネに戻る途中で、現在のローマに相当する地に立ち寄りました。

その地で、カクスという名の怪物に、この牛たちを盗まれてしまう事件が起きました。

続きます。


5. 原題


フランシスコ・デ・スルバラン(Francisco de Zurbarán)が描いた『ゲリュオンを打ち負かすヘラクレス』は、スペイン語ではHércules vence al rey Geriónと言います。

vencer Zは、Zを打ち負かす、という意味です。
el reyは、王、という意味です。

この作品は、プラド美術館(Museo Nacional del Prado)で見ることが出来ます。





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Nikolaus Knüpfer『ヒッポリュテの腰帯を手に入れるヘラクレス』
記事URL  カテゴリ | ギリシア神話絵画 | 2011年08月28日(日)22時50分 | 編集 |
記事のタグ: エルミタージュ美術館
2011年8月28日(日)


目次
1. ヘラクレスの12の功業(8番目)
2. ヘラクレスの12の功業(9番目)
3. ヒッポリュテの条件
4. ヘラの策謀
5. 原題


今回取り上げる作品は、Nikolaus Knüpfer作『ヒッポリュテの腰帯を手に入れるヘラクレス』です。

2011年8月28日Nikolaus Knüpfer『ヒッポリュテの腰帯を手に入れるヘラクレス』438

1. ヘラクレスの12の功業(8番目)


8番目の功業は、トラキア王ディオメデスが飼っている、人食い牝馬(ひんば)を生け捕りにすることでした。

ディオメデスはトラキア領内を通過する旅人たちを捕らえて、この牝馬の餌としていました。

ヘラクレスは、友人のアブデロスに協力を要請し、2人でトラキアの地に入ります。

牝馬を生け捕りにする過程で、アブデロスは食い殺されましたが、ヘラクレスは生け捕りにすることに成功します。

ヘラクレスは、この難行も成し遂げました。


2. ヘラクレスの12の功業(9番目)


9番目の功業は、エウリュステウスの娘アドメテが手に入れたいと言い出した、アレスの腰帯を持ち帰ることでした。

この美しいアレスの腰帯は、アマゾンの女王ヒッポリュテが持っていました。

アマゾンとは、女性だけで構成されている部族で、ヒッポリュテが治める国は、現在の黒海沿岸にありました。

アマゾン族の軍事力は強大で、容易に攻め落とすことは出来ないと判断したヘラクレスは、ペレウスやテセウスに援軍を頼みます。

ペレウスは、後に、海の女神テティスと結婚し、アキレスの父となる人物です。
テセウスは、アテナイ王子としてミノタウロスを退治した後、アテナイ王になった人物です。

さて、ヘラクレス一行は、船に乗り、アマゾン族が支配するテミスキュラの港に到着します。

突如現れた異国の船に対して、アマゾンの女王ヒッポリュテは大きな関心を示し、下船したヘラクレスに対して、要求を尋ねます。

ヘラクレスは、アマゾン族と戦う意志はないこと、及び、ヒッポリュテが所有しているアレスの腰帯を手に入れたいことを告げました。

もちろん、ヒッポリュテとしては、そう簡単に腰帯を渡すわけにはいきません。

ヒッポリュテが、船から降りて来る男性陣に目をやると、次から次へと見目麗しい、屈強な男たちの姿が目に入りました。

ヒッポリュテの後ろに控えているアマゾンの部下たちにも、どことなく、色めき立つような雰囲気が漂って来ました。

そこで、ヒッポリュテは、ヘラクレスに対して腰帯を渡す代わりに、一つの交換条件を提示しました。


3. ヒッポリュテの条件


その交換条件とは、ヘラクレスたちが、アマゾンの女性たちのセックスの相手をするというものでした。

2011年8月8日(月)の記事『Claude Deruet『アマゾン族の出発』 loro2012.blog』で述べたように、女性だけで構成されるアマゾン族にとって、子種をどうやって手に入れるかは、子孫繁栄にとって重要な課題でした。

どんな男でも良いのであれば、日常的に子種を手に入れるのは、そう難しいことではありませんが、ヘラクレス、ペレウス、テセウスといった勇将の子種は、そうそう、手に入るものではありません。

そこで、ヒッポリュテは、腰帯を渡す代わりにセックスという交換条件を提示したわけですが、これは、ヘラクレスたちにとって、決して悪い話ではありません。

このまま黒海沿岸の地で暮らすことを義務付けられるのならともかく、アマゾンは男性を必要としない部族ですので、セックスが終わり次第、すぐに自国へと戻れるわけです。

あっさりと交渉は成立し、ヘラクレスが腰帯を受け取ろうとした瞬間、後方に控えていたアマゾンの女性の一人が歩み出て、ヘラクレスは奸計を巡らしていると、わめきちらしたのです。


4. ヘラの策謀


この大声を上げた女性は、ヘラがアマゾン族の女性に変身した姿でした。

ヘラは、ヘラクレスが何の苦労もなく、さらには、セックスという快楽まで伴って、簡単に腰帯を手に入れることを、快く思わず、邪魔してやろうと考えたのでした。

ヘラクレスの紳士的な態度にすっかり騙されたと悟ったヒッポリュテは、態度を急変させ、全軍に攻撃を命令します。

ヘラクレスたちは、元々、このような事態になることを想定していましたし、元来が勇敢な武将たちです。

いかにアマゾン族が強いとは言え、この勇者たちを打ち破ることは出来ませんでした。

戦争は、ヘラクレス側の勝利に終わり、ヘラクレスはヒッポリュテからアレスの腰帯を奪い取ります。

オランダの画家Nikolaus Knüpfer(1609-1655)が描いているのは、ヘラクレスが、戦いに敗れて逃げようとするヒッポリュテを捕まえている場面です。

ヒッポリュテは、豊満な右の乳房を露にして、何とか逃げようとしていますが、ヘラクレスに右腕をがっちりと捕まれて、万事休すの状態です。

この後、ヘラクレスは、ヒッポリュテが持っていた腰帯と斧を奪い、その剛腕で、ヒッポリュテを撲殺しました。

ヘラクレスはテセウスらの協力を得て、腰帯をエウリュステウスの元へと届けることが出来ました。
なお、ヒッポリュテから奪い取った斧は、後に、オンファレに贈られることになります。


5. 原題


Nikolaus Knüpferが描いた『ヒッポリュテの腰帯を手に入れるヘラクレス』は、英語ではHercules Obtaining the Girdle of Hyppolitaと言います。

girdleは、日本語にもなっていますが、女性用のガードルのことです。

この作品は、エルミタージュ美術館(State Hermitage Museum)で見ることが出来ます。





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フランシスコ・デ・スルバラン『クレタの牡牛と戦うヘラクレス』
記事URL  カテゴリ | ギリシア神話絵画 | 2011年08月27日(土)13時55分 | 編集 |
記事のタグ: プラド美術館
2011年8月27日(土)


目次
1. ヘラクレスの12の功業(6つ目)
2. ヘラクレスの12の功業(7つ目)
3. ポセイドンの怒り
4. 原題


今回取り上げる作品は、フランシスコ・デ・スルバラン作『クレタの牡牛と戦うヘラクレス』です。

2011年8月27日フランシスコ・デ・スルバラン『クレタの牡牛と戦うヘラクレス』294

1. ヘラクレスの12の功業(6つ目)


6つ目の功業は、ステュムパリデスの鳥たちを退治することでした。
ステュムパリデスは、ペロポネソス半島にある湖です。

ステュムパリデス湖畔の森に棲む鳥たちは、人間を襲ったり、田畑に毒性の糞を撒き散らしたりして、人間や周辺環境に甚大な被害を及ぼしていました。

ヘラクレスが鳥退治に向かうことを耳にした鍛冶の神ヘパイストスは、ヘラクレスのために青銅製の鳴子(なるこ)を製造しました。

鳴子とは、鳥威(おど)しの一種で、鳥獣が田畑に侵入した場合に、音が鳴る警報装置を指します。

音が鳴ることによって、鳥獣は恐怖を感じ、田畑から去って行くので、農家は穀物類を守ることが出来るという仕組みです。

ヘパイストスの作った鳴子は、軍神アテナによって、ヘラクレスの元へと届けられました。
ヘパイストスは脚が悪いので、出来上がった品物を自分では届けることが出来ないのです。

ヘラクレスは、美女アテナが自分のために品物を届けてくれたので、かなり勇気づけられたことでしょう。

美女が自分に対して微笑みかけ、声を掛けてくれるだけで、男性は俄然ヤル気になるのです。
美しく生まれた女性には、その分、社会から求められる役割も多いということです。

さて、ヘラクレスは鳴子を携えて、ステュムパリデス湖畔へとやって来ました。

湖畔の森からやって来た鳥たちは、いつものように田畑へ狙いを定めて、糞を落とそうとする構えです。

その時、ヘラクレスが鳴子を鳴らしました。

すると、ステュムパリデスの鳥たちは驚いて、一斉に田畑から離れ、飛び去ろうとします。
その飛び去る瞬間を狙って、ヘラクレスは立て続けに矢を射たのでした。

放たれた矢は、鳥たちに尽く命中します。

こうしてヘラクレスは、6つ目の難行も成し遂げたのです。


2. ヘラクレスの12の功業(7つ目)


7つめの功業は、クレタ島の牡牛を生け捕りにすることでした。
クレタ島の牡牛とは、かつてクレタの王位を狙うミノスに対して、ポセイドンが贈った牛です。

ミノスは、ゼウスとエウロパの間に生まれた息子です。

エウロパはクレタ島でミノスを生んだ後、クレタ王アステリオスの妻となりました。
アステリオスは、ミノスの養父となったわけです。

アステリオスの死後、ミノスは王位継承権を主張しますが、嫡男ではないため、周囲の賛同が容易には得られません。

そこで、ミノスは、自分が王となるに相応しい人物であることを、人々の前で証明する必要がありました。

つまり、何か奇跡的なことを実現する能力を備えていることを、人々に示す必要があったのです。

ミノスは、ポセイドンに願いを掛けることにしました。

具体的には、みんなが見ている前で自分が祈りを捧げると、海の中から突如として牡牛が現れるようにして欲しいと、祈ったのです。

ミノスの願いを聞いたポセイドンは、海から牡牛を登場させました。
この様子を見たクレタ島民は、不思議な力を有するミノスを次期王として認めたわけです。

実は、ミノスはポセイドンとの事前の約束で、王位に就いた後は、この牡牛をポセイドンに対して犠牲として捧げることになっていました。

ところが、ポセイドンが海上から遣わした牡牛は、余りにも美しく立派な牛だったため、ミノスは、これほど優れた牛を犠牲に捧げるのが惜しくなりました。

そこで、ミノスは、この牡牛を自分の所有物とし、ポセイドンへの捧げものとしては、別の牛を身代わりとして立てたのでした。

このあたりの経緯は、2011年6月27日(月)の記事『ティツィアーノ・ヴェチェッリオ『エウロパの略奪』 loro2012.blog.fc2.com』を参照して下さい。


3. ポセイドンの怒り


ミノスがポセイドンに対して別の牛を捧げたことは、間もなくポセイドンの知るところとなりました。

約束を反故(ほご)にされたポセイドンは激怒し、裏切ったミノスへの懲罰として、王妃パシパエがこの牡牛に恋心を抱くように仕向けました。

やがて、パシパエと牡牛との間には、ミノタウロスが生まれます。
その後、ポセイドンは美しい牡牛に狂気を吹き込み、暴れ牛に変身させました。

ミノスが気に入った美しい牡牛は、今や、単なる暴れ牛になっていて、ヘラクレスは、この暴れ牛を生け捕りに来たわけです。

スペインの画家フランシスコ・デ・スルバラン(1598-1664)が描いているのは、ヘラクレスがクレタの牡牛を棍棒で殴りつけようとしている場面です。

ヘラクレスは首尾良く牡牛を捕獲した後、海を渡って、ミケナイ王エウリュステウスの元へと連れて行きました。

エウリュステウスは、この牡牛を殺すことは望まなかったので、ヘラクレスはこの功業を達成した後、牛を放逐しました。

後に、このクレタ島の牡牛は、アテナイ王子テセウスによってマラトンの地で再び捕獲されることになります。

テセウスがクレタ島の暴れ牛をマラトンで捕獲した話は、既に2011年7月31日(日)の記事『ウィリアム・ラッセル・フリント『テセウスに毒杯を差し出すメディア』 loro2012.blog.fc2.com』で述べています。


4. 原題


フランシスコ・デ・スルバラン(Francisco de Zurbarán)が描いた『クレタの牡牛と戦うヘラクレス』は、スペイン語ではHércules lucha contra el toro de Cretaと言います。

この作品は、プラド美術館(Museo Nacional del Prado)で見ることが出来ます。





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フランシスコ・デ・スルバラン『アルペイオス川の流れを変えるヘラクレス』
記事URL  カテゴリ | ギリシア神話絵画 | 2011年08月26日(金)22時47分 | 編集 |
記事のタグ: プラド美術館
2011年8月26日(金)


目次
1. ヘラクレスの12の功業(5つ目)
2. 取り引き
3. アウゲイアスの裏切り
4. エウリュステウスの意地悪
5. 原題


今回取り上げる作品は、フランシスコ・デ・スルバラン作『アルペイオス川の流れを変えるヘラクレス』です。

2011年8月26日フランシスコ・デ・スルバラン『アルペイオス川の流れを変えるヘラクレス』287

1. ヘラクレスの12の功業(5つ目)


5つ目の功業は、エリス王アウゲイアスが所有する家畜小屋の清掃です。

エリスとは、ペロポネソス半島西部にある地域を指します。
古代オリンピックが行われた街オリンピアは、エリスの勢力範囲にあったとされています。

エリス王アウゲイアスは、数千頭の牛を所有していました。

この多数の牛たちを収容する小屋は、未だかつて清掃されたことがありませんでした。
汚物にまみれ、悪臭を放つ牛小屋と化していたわけです。

ミケーネ王エウリュステウスは、この小屋を1日で掃除するようヘラクレスに命じました。


2. 取り引き


エリス王アウゲイアスの元に赴いたヘラクレスは、取り引きを持ちかけます。

「もし一日で清掃出来たら、家畜の10分の1を譲って欲しい。」

アウゲイアスは不可能なことが分かっていましたので、ヘラクレスの申し出を受諾しました。
そして、アウゲイアスの息子のピュレウスが、誓約の証人となりました。

なお、アウゲイアスは、ヘラクレスがわざわざ家畜小屋の清掃をしに来た理由を、この時点では知りません。

ヘラクレスから理由は告げませんでしたし、アウゲイアスからも尋ねませんでした。
このことが、後に、ヘラクレスとアウゲイアスの確執を生む契機となります。

さて、家畜受け渡しの取り引きが成立した後、ヘラクレスは早速作業に取り掛かります。

まず、小屋にいた多数の牛たちを、いったん外に出し、小屋とアルペイオス川を結ぶ土地に、大きくて深い溝を作ります。

アルペイオス川とは、ペロポネソス半島の中で最も長い川です。

溝は、川から小屋を経由して、再び川に戻るよう、設計されました。

次に、溝が出来たことによって、アルペイオス川の流れが変わり、川の水が溝を通って、家畜小屋まで引き込まれるようになりました。

これにより、大量の川の水が小屋の内部を通過し、その際に、汚物などが綺麗に洗い流され、汚れていた家畜小屋は見事に清掃されました。

スペインの画家フランシスコ・デ・スルバラン(1598-1664)は、川の流れを変えたヘラクレスを描いています。

左手には棍棒を携えて、誇らしげな態度です。


3. アウゲイアスの裏切り


家畜小屋が綺麗になったことを知ったアウゲイアスは、驚嘆しました。

アウゲイアスは、こんなことは絶対に不可能だと思っていましたので、当初、ヘラクレスとの約束を安請け合いしたのです。

ところが、現実に小屋が清掃された今、約束通り家畜の10分の1をヘラクレスに譲り渡すのが、惜しくなりました。

労働者を無償で働かせたり、まともな労賃を払わない強欲な雇い主というのは、この神話の時代から存在したわけですね。

アウゲイアスはヘラクレスに、この作業を申し出てくれた目的を尋ねてみました。

すると、ミケーネ王エウリュステウスの命令によってヘラクレスが行っている、難行の一環だということがわかりました。

ヘラクレスがそういう理由で清掃したのであれば、家畜を譲る必要はないとアウゲイアスは言い出します。

つまり、ヘラクレスは自己都合によって清掃したに過ぎず、アウゲイアスとしては、礼などするに及ばない、ということですね。

加えて、アウゲイアスは、そもそもそういった約束は初めから存在しない、とまで言い放ちました。

アウゲイアスの息子ピュレウスは、自分が2人の約束の場に立ち会っていたことを父に告げ、約束の履行を父アウゲイアスに迫りました。

息子から正論を言われて苛立ったアウゲイアスは、ヘラクレスとピュレスをエリスの国から追放してしまいました。

ピュレウスは、人として正しいことをしたにも関わらず、父の命令でエリス宮廷から追い出されてしまったわけです。

いつの時代でも、短気でケチな者が人事権を握ると、必ず犠牲者が出ますね。

ヘラクレスは、アウゲイアスによって約束を反故(ほご)にされたことを、この後、恨み続けることになります。

そして、後に、ヘラクレスは、エリスの街を攻撃して陥落させることになるのです。


4. エウリュステウスの意地悪


小屋の清掃を終えたヘラクレスは、エウリュステウスの元へ戻り、功業を達成したことを報告しました。

ところが、エウリュステウスは、ヘラクレスが見返りを求めて功業を行った点を責めました。

そして、この功業は数の中には入れないことを宣言します。

部下がちゃんと上司の命じた通りの結果を示しているのに、何かしら難癖をつけて、部下の仕事の成果を認めようとしない、底意地の悪い上司というのは、いつの時代にもいるわけです。

以前、ヘラクレスがレルネーのヒュドラを退治した時も、甥のイオラオスの援助を仰いだという理由で、2つ目の功業としては認めてもらえませんでした。

その結果、10の功業が全部で11になっていたのですが、今また1つ増えましたので、結局、ヘラクレスは全部で12の難行を成し遂げることになりました。

今回の家畜小屋の清掃は、通算では5番目の功業ですので、後、7つ残っているということです。


5. 原題


フランシスコ・デ・スルバラン(Francisco de Zurbarán)が描いた『アルペイオス川の流れを変えるヘラクレス』は、スペイン語ではHércules desvía el curso del río Alfeoと言います。

desviar Zは、Zを変える、という意味で、ここでは、川の流れが直接目的語になっています。
el cursoは、川の流れ、という意味です。

この作品は、プラド美術館(Museo Nacional del Prado)で見ることが出来ます。





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フランシスコ・デ・スルバラン『エリュマントスの猪と戦うヘラクレス』
記事URL  カテゴリ | ギリシア神話絵画 | 2011年08月25日(木)22時41分 | 編集 |
記事のタグ: プラド美術館
2011年8月25日(木)


目次
1. ヘラクレスの12の功業(3つ目)
2. ヘラクレスの12の功業(4つ目)
3. ケイロン傷害事件
4. 原題


今回取り上げる作品は、フランシスコ・デ・スルバラン作『エリュマントスの猪と戦うヘラクレス』です。

2011年8月25日フランシスコ・デ・スルバラン『エリュマントスの猪と戦うヘラクレス』291

1. ヘラクレスの12の功業(3つ目)


3番目の功業は、ケリュネイアの雌鹿を生け捕りにすることでした。
ケリュネイアの雌鹿とは、ケリュネイア山に放たれている鹿で、狩りの女神アルテミスの聖獣です。

この雌鹿は足が速く、アルテミスですらも捕まえることが出来ないほどです。

ヘラクレスはこの鹿を追い掛けて、ギリシアやトラキアなどを駆け回り、1年かけて、ようやく鹿を追い詰めました。

そして、鹿が川辺で水を飲んでいる隙に、ヒュドラの毒矢を放って脚に命中させ、仕留めることに成功します。

ヘラクレスが生け捕りにした雌鹿は、エウリュステウスが確認した後、アルテミスに返還されました。


2. ヘラクレスの12の功業(4つ目)


4番目の功業は、エリュマントスの猪を生け捕りにすることでした。

エリュマントスとは、アルカディアにある山の名称です。
アルカディアは、ペロポネソス半島中央部の山岳地帯に同定されています。

エリュマントスの雄猪は獰猛な性質を有し、田畑を荒らし回ることで農民たちから恐れられていました。

元々は、アルテミスが地上に放ったとされています。

ヘラクレスは、エリュマントスの猪を生け捕りにするために、エリュマントス山に向かったのですが、その途中で、ケンタウロス族のポロスと出会い、食事を共にします。

ケンタウロス族は、ペイリトオスの結婚式を台無しにした好色な半人半馬でしたね。
詳しくは、2011年8月13日(土)の記事『ヴィルヘルム・トリューブナー『ラピテス族とケンタウロス族の戦い』 loro2012.blog』を参照して下さい。


3. ケイロン傷害事件


食事の最中、ヘラクレスが、ケンタウロス族の共有となっていた酒を勝手に飲んだことが原因で、ケンタウロス族との間に抗争が勃発します。

ヘラクレスはその争いの中で、ヒュドラの毒矢を放って応戦していたのですが、その内の一本の矢が、誤ってケイロンの膝に命中してしまいました。

ケイロンについては、2011年5月7日(土)の記事『ドメニキーノ『コロニスを殺害するアポロン』 loro2012.blog』の中で、少しだけ触れたことがあります。

ケイロンはクロノスの子で、不死の存在でした。

また、ケイロンはケンタウロス族の一員でしたが、人格高潔な賢者として知られ、好色な側面は全くありませんでした。

そんなケイロンは、不死の存在であるが故に、膝の激痛に耐えながら、未来永劫、生きて行かなければならなくなりました。

ケイロンはこのような苦痛と共に生き続けるぐらいなら、不死の命を放棄したいとヘラクレスに告げました。

ヘラクレスは、図らずもケイロンに傷害を負わせてしまいましたが、残念ながら為す術がありません。
そこで、ヘラクレスは、一旦、ケイロンから離れ、本来の目的である雄猪捕獲へと向かいます。

スペインの画家フランシスコ・デ・スルバラン(1598-1664)が描いているのは、ヘラクレスが大猪を棍棒で殴りつけようとしている場面です。

ヘラクレスは、この猪を首尾良く捕まえることが出来ました。

一方、傷を負わされたケイロンは、この後、痛みに苦しむ生活を送って行きますが、後年、ヘラクレスが11番目の功業を成し遂げる中で、ようやく死ぬことが許され、冥界へ行けるようになります。

ヘラクレスの11番目の功業は、ヘスペリデスの園にある黄金の林檎を手に入れることです。

このケイロンの死には、コーカサス山頂に縛り付けられているプロメテウスが関わって来るのですが、その話は後日取り上げます。


4. 原題


フランシスコ・デ・スルバラン(Francisco de Zurbarán)が描いた『エリュマントスの猪と戦うヘラクレス』は、スペイン語ではLucha de Hércules con el jabalí de Erimantoと言います。

この作品は、プラド美術館(Museo Nacional del Prado)で見ることが出来ます。





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アントニオ・デル・ポッライオーロ『ヘラクレスとヒュドラ』
記事URL  カテゴリ | ギリシア神話絵画 | 2011年08月24日(水)12時25分 | 編集 |
記事のタグ: ウフィッツィ美術館
2011年8月24日(水)


目次
1. ヘラクレスの12の功業(2つ目)
2. 原題


今回取り上げる絵画は、アントニオ・デル・ポッライオーロ作『ヘラクレスとヒュドラ』です。

2011年8月24日アントニオ・デル・ポッライオーロ『ヘラクレスとヒュドラ』483

1. ヘラクレスの12の功業(2つ目)


アントニオ・デル・ポッライオーロ(1431頃-1498)が画面左に描いているのは、ギリシア神話の英雄ヘラクレスです。

ヘラクレスが戦っている相手は9つの首を持つ猛獣ヒュドラです。

ヘラクレスは甥であるイオラオスの助けを借りてヒュドラを打ち倒すことに成功し、ミケーネ王エウリュステウスに2つ目の功業を達成したことを報告しました。

報告を受けたエウリュステウスは、ヘラクレスが独力ではなくイオラオスの援助を借りてヒュドラを倒したことを重視し、10の功業の中には入れないことにしました。

まあ、これはエウリュステウスの意地悪と言えば意地悪ですし屁理屈といえば屁理屈なのですが、いずれにしても決定権はエウリュステウスが握っているのでヘラクレスは従う以外にありません。

これにより、ヘラクレスの功業は現時点でまだ1つしか達成されていないことになりました。
そして総功業数は当初10だったものが、このヒュドラ退治を含めて11に増えてしまいました。

ヘラクレスはこの戦いの戦利品としてヒュドラの猛毒の血を手に入れました。

ヘラクレスはその血を矢に塗って毒矢とし、この後の様々な戦いの中で利用して行くことになります。

そして後にこのヒュドラの毒の血がヘラクレス自身の命を奪うことになるのです。


2. 原題


アントニオ・デル・ポッライオーロ(Antonio del Pollaiolo)が制作した『ヘラクレスとヒュドラ』は、イタリア語ではErcole e l'Idraと言います。

Ercoleがヘラクレス、l'Idraがヒュドラです。
この作品はウフィッツィ美術館(Galleria degli Uffizi)で見ることが出来ます。





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フランシスコ・デ・スルバラン『ヒュドラと戦うヘラクレス』
記事URL  カテゴリ | ギリシア神話絵画 | 2011年08月23日(火)12時58分 | 編集 |
記事のタグ: プラド美術館
2011年8月23日(火)


目次
1. イオラオスの協力
2. 原題


今回取り上げる作品は、フランシスコ・デ・スルバラン作『ヒュドラと戦うヘラクレス』です。

2011年8月23日フランシスコ・デ・スルバラン『ヒュドラと戦うヘラクレス』268

1. イオラオスの協力


ヒュドラの首は、全部で9つあります。
そして、その内の1つが不死でした。

そのため、ヘラクレスがどれだけ首を切り落としても、すぐに再生されてしまいます。
ヘラクレスは独力でヒュドラを倒すことを断念し、甥のイオラオスに援助を求めました。

イオラオスは、イピクレスの息子です。
系譜を示します。

ゼウス→ペルセウス→アルカイオス→アムピトリュオン→イピクレス→イオラオス


イオラオスは、ヒュドラの首の切り口を、松明で焼き焦がすことを思いつきました。

スペインの画家フランシスコ・デ・スルバラン(1598-1664)は、ヘラクレスがイオラオスと共にヒュドラに立ち向かっている場面を描きました。

向かって右で、両手で松明を持っているのがイオラオスです。
ヘラクレスはイオラオスの協力を得て、ヒュドラにとどめをさすことになります。


2. 原題


フランシスコ・デ・スルバラン(Francisco de Zurbarán)が描いた『ヒュドラと戦うヘラクレス』は、スペイン語ではLucha de Hércules con la hidra de Lernaと言います。

luchaが、戦闘、という意味です。

この作品は、プラド美術館(Museo Nacional del Prado)で見ることが出来ます。




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ギュスターヴ・モロー『ヘラクレスとレルネーの沼に住むヒュドラ』
記事URL  カテゴリ | ギリシア神話絵画 | 2011年08月22日(月)22時35分 | 編集 |
2011年8月22日(月)


目次
1. ヘラクレスの12の功業(2つ目)
2. 原題


今回取り上げる作品は、ギュスターヴ・モロー作『ヘラクレスとレルネーの沼に住むヒュドラ』です。

2011年8月22日ギュスターヴ・モロー『ヘラクレスとレルネーの沼に住むヒュドラ』393

1. ヘラクレスの12の功業(2つ目)


ヘラクレスの12の功業の内、2つ目はヒュドラ退治です。
ヒュドラとは、9つの頭を持つ怪物で、父テュポンと母エキドナの間に生まれた子です。

冥界の番犬ケルベロスは、ヒュドラの兄弟になります。
また、スフィンクスやラドンは、ヒュドラの異父妹弟です。

ヒュドラは、アルゴス近くのレルネーの沼地に住んでいます。

フランスの画家ギュスターヴ・モロー(1826-1898)は、ヘラクレスとヒュドラが対峙している場面を描きました。

これから、ヘラクレスの2つ目の功業が始まろとしています。
続きます。


2. 原題


ギュスターヴ・モロー(Gustave Moreau)が描いた『ヘラクレスとレルネーの沼に住むヒュドラ』は、英語ではHercules and the Lernaean Hydraと言います。

この作品は、シカゴにある美術館(Art Institute of Chicago)で見ることが出来ます。





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フランシスコ・デ・スルバラン『ネメアの獅子と戦うヘラクレス』
記事URL  カテゴリ | ギリシア神話絵画 | 2011年08月21日(日)13時39分 | 編集 |
記事のタグ: プラド美術館
2011年8月21日(日)


目次
1. ヘラクレスの養父アムピトリュオンの最期
2. ヘラクレスの結婚
3. ヘラクレスの狂気(1回目)
4. アポロンの神託
5. ヘラクレスの12の功業(1つ目)
6. 原題


ヘラクレスの話は、2011年7月10日(日)の記事『アンニーバレ・カラッチ『ヘラクレスの選択』 loro2012.blog』で一旦休止していましたが、今日から再開します。

今回取り上げる作品は、フランシスコ・デ・スルバラン作『ネメアの獅子と戦うヘラクレス』です。

2011年8月21日フランシスコ・デ・スルバラン『ネメアの獅子と戦うヘラクレス』273

1. ヘラクレスの養父アムピトリュオンの最期


テーバイ王オイディプスは、先王ライオスを殺害した過去が明るみに出て、テーバイの街から追放されました。

オイディプスがテーバイから追放される経緯は、2011年7月28日(木)の記事『フレデリック・レイトン『アンティゴネ』 loro2012.blog』や、2011年7月29日(金)の記事『Antoni Brodowski『オイディプスとアンティゴネ』 loro2012.blog』を参照して下さい。

オイディプスの後を継いだ長男ポリュネイケスと次男エテオクレスは、後に仲違いし戦闘の中で相討ちして、お互いに命を落とします。

オイディプスの血を引く王子が二人共亡くなった後、エテオクレスの後を継ぐ形でテーバイ王に就いたのは摂政のクレオンでした。

クレオンは、オイディプスの妻であり実母だったイオカステの実兄です。

さて、そのクレオンが率いるテーバイは、オルコメノスの王エルギノスと戦争をすることになりました。

オルコメノスは、テーバイと同様にギリシア中部のボイオティアに位置する都市です。

この戦争にアムピトリュオンとヘラクレスがテーバイ側の武将として加わり、クレオンの助太刀をしました。

アムピトリュオンはこの戦闘の中で命を落としましたが、ヘラクレスは縦横無尽の活躍を示しテーバイを勝利に導きました。

アムピトリュオンは、ヘラクレスの養父にあたるのでしたね。

ヘラクレス出生の経緯については、2011年7月8日(金)の記事『ティントレット『天の川の起源』 loro2012.blog』を参照して下さい。


2. ヘラクレスの結婚


テーバイ王クレオンは、軍功のあったヘラクレスに対して娘のメガラを妻として与えました。
その後、ヘラクレスはメガラとの間に3人の子供を儲けます。

ヘラクレスの双子の兄弟のイピクレスは、クレオンのもう一人の娘と結婚していて2人の子供を儲けていました。

ヘラクレスはテーバイ宮廷においてしばらくは平穏な暮らしをしていましたが、ヘラクレスに対して敵意を持つヘラの策略によって、この後人生が暗転します。


3. ヘラクレスの狂気(1回目)


ヘラクレスはヘラの策謀により生涯において2度狂気を吹き込まれることになるのですが、今回は1回目の狂気の話です。

ヘラの魔法によって狂気に取り憑かれたヘラクレスは、自身の子3人とイピクレスの子2人の計5人を炎の中に投げ込んで殺してしまいました。

子供たちを失って生きる希望を失った妻メガラは、この事件の直後自殺しました。

テーバイ王家には徹底的に不幸が付き纏(まと)いますね。

まあ、ギリシア神話はほとんどが悲劇で構成されていますので、テーバイ以外の王家にも様々な災いが降りかかってはいますが、それにしてもこのテーバイの悲劇は度を越しています。

さて、このヘラクレスが行った子殺しはヘラクレスが自らの意志で行ったものではなく、あくまでもヘラの計略によって正常な判断力を奪われた上での犯行です。

しかし、周囲はそのような理解をしません。
そして正気に戻ったヘラクレス自身も、自らの犯した罪の大きさに絶望します。

ヘラクレスのせいで、子供たちだけでなく妻メガラまでが命を落とすことになったのです。

ヘラクレスはこの事件に対する償いの方法を知るためにデルフォイに向かい、アポロンの神託を伺いました。


4. アポロンの神託


アポロンの神託は次のようなものでした。

「ミケーネ王エウリュステウスに仕えて、10の勤めを果たしなさい。」

エウリュステウスとは、ステネロスとニキッペの間に生まれた息子です。
系譜を示します。

ゼウス→ペルセウス→ステネロス→エウリュステウス


ヘラクレスは、ミケーネ王エウリュステウスに事の次第と神託の内容を話しました。

エウリュステウスは剛腕ヘラクレスがいつか自分の王としての地位を脅かすのではないかと疑い、この神託に基づく難行を利用してヘラクレスを亡き者にしようと企みます。

王座を維持したいエウリュステウスにとっては、ヘラクレスが死んだ方が好都合なのです。

そこで、エウリュステウスはヘラクレスの申し出を受け入れ、ヘラクレスに対して死の危険を伴うような10の難行を課すことにしました。

結果的にこの難行は途中で2つ増えますので、ヘラクレスがエウリュステウスによって命じられた難行は最終的に12となりました。

この難行は「ヘラクレスの12の功業」という表現で呼ばれることが多いです。


5. ヘラクレスの12の功業(1つ目)


一つ目の功業は、ネメアに住み着いて人や家畜を襲っているライオンを倒すことです。
ネメアとは、現在のギリシャのペロポネソス半島北東部にある古代遺跡に同定されています。

ネメアの獅子は、エキドナを母としオルトロスを父とします。
スフィンクスやラドンはネメアの姉弟にあたります。

ネメアの獅子はその厚い皮膚の下に甲羅が出来ていて、その甲羅が体全体を覆(おお)っています。

最初、ヘラクレスは獅子に対して矢を放ち棍棒で殴りつけましたが、硬い甲羅で守られた体には全く効き目がありません。

武器による手段が封じられたヘラクレスは接近戦を挑み、ネメアの獅子の体を締め上げる戦術に出ました。

スペインの画家フランシスコ・デ・スルバラン(1598-1664)は、ヘラクレスが獅子に対して絞め技に入っている場面を描いています。

ヘラクレスの右足の傍には棍棒が描かれています。
また、右足の後方には矢が数本描かれていますね。

棍棒も矢もこの獅子に対しては役に立ちません。
最後の手段としてヘラクレスは自慢の怪力で勝負することにしたわけです。

この作戦が功を奏し、ヘラクレスはネメアの獅子を絞め殺し、無事に一つ目の功業を成功させたのです。

戦いの後、ヘラクレスはこの獅子の皮を頭から被り、鎧の代わりとして用いて行くことになります。
一方、ヘラクレスに倒されたネメアの獅子は、後に獅子座となったと言われています。


6. 原題


フランシスコ・デ・スルバラン(Francisco de Zurbarán)が描いた『ネメアの獅子と戦うヘラクレス』は、スペイン語ではLucha de Hércules con el león de Nemeaと言います。

luchaが戦いという意味です。
この作品はプラド美術館(Museo Nacional del Prado)で見ることが出来ます。





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Nikiphoros Lytras『死んだポリュネイケスの前のアンティゴネ』
記事URL  カテゴリ | ギリシア神話絵画 | 2011年08月20日(土)15時36分 | 編集 |
2011年8月20日(土)


目次
1. テーバイ王クレオン
2. 王の命に逆らうアンティゴネ
3. アンティゴネの最期
4. アテナイ王テセウスの活躍
5. 原題


今回取り上げる作品は、Nikiphoros Lytras作『死んだポリュネイケスの前のアンティゴネ』です。

2011年8月20日Nikiphoros Lytras『死んだポリュネイケスの前のアンティゴネ』228

1. テーバイ王クレオン


アンティゴネは、父オイディプスがコロノスの森で亡くなった後、テーバイへと戻りました。
そして、アンティゴネは、摂政クレオンの息子ハイモンと恋仲になり、二人は婚約します。

その後、テーバイ対アルゴスの戦争は終結を迎え、ポリュネイケスは、弟王エテオクレスと相討ちして死にました。

エテオクレスの後を継いでテーバイ王となったのは、摂政のクレオンでした。

ポリュネイケスは、生前、クレオンに反目していましたので、王となったクレオンには、ポリュネイケスに対する積年の恨みがありました。

そこで、クレオンはポリュネイケスの遺体を弔うことを禁じ、地面に置き去りにするよう、テーバイの国民に命じたのです。

かつてはテーバイの王だったポリュネイケスの亡骸は、太陽や風に晒(さら)され、日に日に朽ちて行きます。


2. 王の命に逆らうアンティゴネ


アンティゴネは、兄ポリュネイケスの亡骸が腐敗し、鳥たちが啄(ついば)む様子を、テーバイ宮廷から毎日見ていました。

そして、アンティゴネは、いくら死体とは言え、兄の姿が日々、変わり果てて行くのを見るのが、いたたまれなくなりました。

アンティゴネは、ついに意を決して宮廷の外に出て、王クレオンの命令に逆らって、ポリュネイケスの遺体を埋め、ささやかな葬儀を行ってしまったのです。

ギリシアの画家Nikiphoros Lytras(1832-1904)が描いているのは、アンティゴネがポリュネイケスの遺体を埋葬しようとしている場面です。

クレオンの命令を破ったアンティゴネは、すぐに捕縛され、投獄されました。

クレオンは、息子ハイモンの婚約者であるアンティゴネを斬首に処すことが出来なかったため、アンティゴネを石牢に閉じ込め、光のない世界でそのまま朽ち果てるよう命じたのです。

このままでは、アンティゴネは、食べ物を与えられずに、餓死する日を待つだけになってしまいます。

しかも、外界から遮断された薄暗い石牢の中で、何も見えず、聴覚だけを頼りに生きて行くことになります。

結果的に、アンティゴネは、父オイディプスと似たような状況に追い込まれたわけです。


3. アンティゴネの最期


アンティゴネは、石牢に閉じ込められた数日後、縊死(いし)しました。
その訃報を聞いた婚約者のハイモンは絶望し、宮廷内の自室で縊死しました。

また、クレオンの妻エウリュディケは、息子ハイモンが自殺した後の姿を目の当たりにして、これ以上、生きる意味を見い出せなくなりました。

そして、エウリュディケもまた、息子の後を追って、縊死したのです。

結局、クレオンは、王という最高権力の地位を得る一方で、妻エウリュディケと息子ハイモンを失ったのです。


4. アテナイ王テセウスの活躍


クレオンは、ポリュネイケスの遺体だけでなく、アルゴス軍の兵士たちの遺体も、路上に放置していました。

アテナイ王テセウスは、アルゴス軍の兵士たちの遺体が放置されているという噂を耳にして、テーバイへとやって来ました。

テセウスは、クレオンが戦死者の遺体を弔わないのは、人の道に外れた振る舞いであると糾弾します。

テセウスは、クレオンが路上に遺棄された死体を埋葬する気がないのであれば、代わりにアテナイ軍の手で埋葬すると申し出ました。

クレオンが、この申し出を断った場合は、テーバイとアテナイとの戦争に発展することが見えていました。

アテナイとの戦争を回避したいクレオンは、テセウスの申し出を受け入れることにします。

こうして、アルゴス軍兵士の遺体は、アテナイ軍によって引き取られ、手厚く葬られたのでした。

テセウスは、元テーバイ王オイディプスの葬儀を行い、異国のアルゴス軍兵士たちの葬儀も行いました。

このあたりの、テセウスの人情味溢(あふ)れる働きは、名君と呼ばれるに相応しい活躍だと言えますね。

これで、オイディプスのシリーズはおしまいです。
明日からは、ヘラクレスの話を再開します。


5. 原題


Nikiphoros Lytrasが描いた『死んだポリュネイケスの前のアンティゴネ』は、英語ではAntigone in front of the dead Polynicesと言います。

この作品は、アテネにある美術館(The National Art Gallery and Alexander Soutzos Museum)で見ることが出来ます。





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ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ『エテオクレスとポリュネイケス』
記事URL  カテゴリ | ギリシア神話絵画 | 2011年08月19日(金)15時33分 | 編集 |
記事のタグ: 美術史美術館
2011年8月19日(金)


目次
1. ポリュネイケスとエテオクレスの最期
2. オイディプスの最期
3. 原題


今回取り上げる作品は、ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ作『エテオクレスとポリュネイケス』です。

2011年8月19日ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ『エテオクレスとポリュネイケス』764

1. ポリュネイケスとエテオクレスの最期


エテオクレスが率いるテーバイ軍と、ポリュネイケスに味方するアルゴス軍の戦争が始まりました。

長い戦いの中で、テーバイ軍とアルゴス軍双方ともに多くの戦死者を出しました。
しかし、お互いに決め手を欠き勝負がつきません。

そこで、ポリュネイケスとエテオクレスが一騎打ちをすることで決着をつけることにしました。

イタリアの画家ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ(1696-1770)が描いているのは、ポリュネイケスとエテオクレスが一対一で勝負している場面です。

この勝負は相討ちとなり、ポリュネイケスとエテオクレスの兄弟は共に命を落としました。

オイディプスがテーバイ宮廷を追われる際に息子たちに掛けた呪いは、こういう形で成就したのです。


2. オイディプスの最期


オイディプスは息子たちが争っている間に、コロノスの森で静かに息を引き取りました。
娘のアンティゴネが死に際を看取りました。

アテナイ王テセウスは生前の約束通り、オイディプスの亡骸を丁重に葬(ほうむ)り鎮魂の儀式を粛々と行いました。

明日はアンティゴネの最期を取り上げて、このオイディプス・シリーズの完結編とします。


3. 原題


ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロが描いた『エテオクレスとポリュネイケス』は、ドイツ語ではEteokles und Polyneikesと言います。

この作品はウィーンにある美術史美術館(Kunsthistorisches Museum)で見ることが出来ます。





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ヨハン・ハインリヒ・フュースリー『息子ポリュネイケスを呪うオイディプス』
記事URL  カテゴリ | ギリシア神話絵画 | 2011年08月18日(木)15時29分 | 編集 |
2011年8月18日(木)


目次
1. オイディプスの息子たち
2. 追放されるポリュネイケス
3. テーバイ攻めの七将
4. 神託
5. 原題


今回取り上げる作品は、ヨハン・ハインリヒ・フュースリー作『息子ポリュネイケスを呪うオイディプス』です。

2011年8月18日ヨハン・ハインリヒ・フュースリー『息子ポリュネイケスを呪うオイディプス』306

1. オイディプスの息子たち


テーバイ王だったオイディプスには妻イオカステとの間に二人の息子がいました。
長男はポリュネイケス、次男はエテオクレスと言います。

ポリュネイケスとエテオクレスは、父オイディプスが実父を殺害し実母を妻としたという所業を許すことは出来ませんでした。

そしてその事実が明るみに出た際、彼らは摂政クレオンに同調し父王オイディプスをテーバイから追放する勢力に加担したのです。

オイディプスは実の息子たちからも忌み嫌われテーバイを追放されたわけですが、テーバイ宮廷を離れる際に自分を庇(かば)おうともしなかった2人の息子たちがその後お互いに憎しみ合い争い合うように呪いをかけたのでした。


2. 追放されるポリュネイケス


オイディプスがテーバイから追放された後、しばらくの間はクレオンが摂政の立場でテーバイを治めていました。

やがてポリュネイケスとエテオクレスは成人し一年交代で王の地位に就きテーバイを治めて行くことになったのですが、弟のエテオクレスが王位に就いた時、兄であるポリュネイケスは謀反の嫌疑を掛けられてテーバイから追放されることになります。

完全なる冤罪ですがエテオクレス派が陰謀を巡らし、ポリュネイケス派をテーバイから駆逐することに成功したのです。

その後エテオクレスはテーバイ王位を独り占めすることになりました。

オイディプスの呪いが、まずは長男のポリュネイケスの人生を狂わせて行きます。

テーバイを追われたポリュネイケスは、ハルモニアの首飾りを携えてアルゴスへと逃れて行きました。

ハルモニアの首飾りとはかつてテーバイの建設者カドモスとハルモニアが結婚した際に、祝いの品として母であるアプロディーテがハルモニアに贈ったものです。

この首飾りは代々受け継がれテーバイ王家の象徴となっていました。

ポリュネイケスはテーバイ宮廷を去る際に、その首飾りを弟王エテオクレスに無断で持ち出し奪って行ったわけです。


3. テーバイ攻めの七将


ポリュネイケスは落ち延びたアルゴスにて王アドラストスの情けを受け、捲土重来(けんどちょうらい)を期すことになります。

また、ポリュネイケスはアドラストスの娘アルゲイアとの結婚を認められ、アルゴス宮廷における地位を確保します。

アドラストスはポリュネイケスがアルゴスへ落ち延びた経緯を聞き、義理の息子となったポリュネイケスのためにテーバイに対して挙兵することを決意します。

アルゴスには予言の力を持ったアムピアラオスという武将がいました。

王アドラストスはアムピアラオスを宮廷に呼び出し、テーバイとの戦いがどのような結果になるかを占わせました。

すると、アムピアラオスは戦いに参加した武将は王アドラストスを除いて全員が死ぬと予言したのです。

もちろんアムピアラオスも参戦すれば、テーバイ軍に討たれて死ぬということになります。
そこで、アムピアラオスは自らの参戦を回避しようとしたのでした。

ポリュネイケスは勇敢な武将アムピアラオスにもテーバイとの戦争に加わって欲しいと思ったので、一計を案じアムピアラオスの妻エリピュレに働きかけることにしました。

ポリュネイケスはエリピュレに対して、もしアムピアラオスに参戦するよう説得してくれたらテーバイ王家の至宝ハルモニアの首飾りを贈ると約束しました。

エリピュレは目の前に置かれた高名(こうめい)な首飾りを一目見て心を奪われます。

エリピュレは夫アムピアラオスに予言の才が備わっていることは承知していますし、参戦すれば夫が死ぬという予言も聞かされています。

にも関わらず壮麗な首飾りに目が眩んだエリピュレは、夫アムピアラオスに対してアドラストスやポリュネイケスに従ってテーバイを攻めるよう懇願したのです。

もちろんアムピアラオスは、エリピュレとポリュネイケスとの間に裏取引があることは知りません。

従ってアムピアラオスは、妻エリピュレが純粋な気持ちから参戦を願っているのだと理解したのです。

結局、アムピアラオスは妻の懇願に負け、死ぬことが分かっていながらテーバイ攻めに参加することになってしまいました。

こうしてアルゴス王アドラストスを筆頭に、ポリュネイケスやアムピアラオスなどの七人の武将がテーバイ攻めに加わることになりました。

この七人をテーバイ攻めの七将と呼んでいます。


4. 神託


ポリュネイケスは弟エテオクレスと戦うに当たり、どうすれば勝利を収めることが出来るのかを神託に問いました。

すると、父オイディプスを味方につけた方が勝利を得るという神託が下ります。
そこで、ポリュネイケスはオイディプスの居場所を突き止め、コロノスの森へとやって来たわけです。

スイス人画家ヨハン・ハインリヒ・フュースリー(1741-1825)は、オイディプスがポリュネイケスを叱責し追い返している場面を描いています。

向かって右で左腕を差し出して人差し指を突き出している老人がオイディプスです。
オイディプスの指の先にいて顔を背けているのが長男ポリュネイケスです。

ポリュネイケスは父オイディプスをテーバイから追放した首謀者の一人です。

時を経てポリュネイケスは自分が戦争に勝利するために父を利用しようという魂胆でコロノスまでやって来ました。

ポリュネイケスの邪心を見抜いたオイディプスは、ポリュネイケスに対して早々にコロノスの森から立ち去るよう命じます。

オイディプスとポリュネイケスの間に立っている女性はアンティゴネです。

アンティゴネは久しぶりに再会した父と兄が仲違いしている場面を見て、当惑の表情を浮かべています。


5. 原題


ヨハン・ハインリヒ・フュースリー(Johann Heinrich Füssli)が描いた『息子ポリュネイケスを呪うオイディプス』は、英語ではOedipus Cursing His Son, Polynicesと言います。

この作品はワシントンのナショナル・ギャラリー(National Gallery of Art, Washington, DC)で見ることが出来ます。





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Fulchran-Jean Harriet『コロノスのオイディプス』
記事URL  カテゴリ | ギリシア神話絵画 | 2011年08月17日(水)16時09分 | 編集 |
2011年8月17日(水)


目次
1. テセウスとの面会
2. ポリュネイケスの来訪
3. 原題


オイディプスの話は、2011年7月30日(土)の記事『Charles Jalabert『オイディプスとアンティゴネ』 loro2012.blog.fc2.com』で一旦休止していましたが、今日から再開します。

今回取り上げる作品は、Fulchran-Jean Harriet作『コロノスのオイディプス』です。

2011年8月17日Fulchran-Jean Harriet『コロノスのオイディプス』392

1. テセウスとの面会


盲目となったオイディプスは、娘アンティゴネに手を引かれて、放浪の旅を続けていました。
年老いたオイディプスが辿り着いた街は、アテナイに近いコロノスでした。

フランスの画家Fulchran-Jean Harriet(1776-1805)が描いているのは、コロノスの地で物乞いをして生きるオイディプスとアンティゴネの姿です。

目の見えない父親を先導して、各地を放浪して来たアンティゴネは、疲弊し切って、父親の膝の上に身を投げ出しています。

アンティゴネは、長旅によって肉体的な疲労が蓄積しているだけでなく、各地で様々な罵詈雑言を浴びせられたことで、精神的にも追い詰められて、もはや限界を超えている状態です。

オイディプスたちが辿り着いたコロノスは、アテナイ王テセウスが治める街でした。

テセウスは、オイディプスがコロノスにいるとの情報を耳にし、コロノスまでやって来てオイディプスと面会しました。

その際、オイディプスは、このコロノスの地で静かに息を引き取りたいと、テセウスに伝えます。

アテナイ王テセウスは、オイディプスの意志を尊重し、その亡骸をこの地で丁重に葬ることを約束します。

諸国を放浪しながら、自分には、死に場所すらもないのかと不安に思っていたオイディプスでしたが、テセウスの好意を得て、ようやく安住の地を見つけることが出来ました。


2. ポリュネイケスの来訪


そんなオイディプスのところへ、長男ポリュネイケスが突然、訪ねて来ました。

ポリュネイケスは、オイディプスとイオカステとの間に生まれた長男ですが、テーバイから父王オイディプスを追放した首謀者の一人でもあります。

ポリュネイケスは、一体、何をしに来たのでしょうか?


3. 原題


Fulchran-Jean Harrietが描いた『コロノスのオイディプス』は、英語ではOedipus at Colonusと言います。

この作品は、アメリカオハイオ州にあるクリーブランド美術館(The Cleveland Museum of Art)で見ることが出来ます。





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