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作者不詳『ポリュメストルの目を潰すヘカベ』
記事URL  カテゴリ | ギリシア神話絵画 | 2012年02月29日(水)23時32分 | 編集 |
2012年2月29日(水)


目次
1. 復讐するヘカべ
2. 犬の墓石となるヘカベ
3. 原題


今回取り上げる作品は、作者不詳『ポリュメストルの目を潰すヘカベ』です。

2012年2月29日作者不詳『ポリュメストルの目を潰すヘカベ』314

1. 復讐するヘカべ


息子ポリュドロスを殺されたヘカベは、ケルソネソスの王ポリュメストルに復讐することを誓います。
ケルソネソスの宮廷に入ったヘカベ一行は、ポリュメストルと対面します。

ポリュメストルは、ヘカベに対し、ポリュドロスがトロイへ戻って戦うために、彼自身の判断でケルソネソスを離れてしまったのだ、と虚偽の説明をします。

トロイ王家の財宝も、ポリュドロスが持って出て行ったので、ここにはもうない、とこれまた嘘の説明をしました。

事情を全て知っているヘカベは、一旦はポリュメストルの話を受け入れる素振りを示しましたが、腹の中では復讐の機会を窺っていたのです。

そして、間もなく、ヘカベはポリュメストルに襲いかかる機会を得て、息子を殺された恨みを果たしたのです。

この作品では、向かって右で背中を見せているのが、ヘカベです。
ヘカベに左手で顔を抑えつけられ、仰け反っているのがポリュメストルです。

ポリュメストルを後ろから押さえつけているのは、ヘカベの侍女です。

この作品には描かれていませんが、ヘカベは右手に持った短剣で、ポリュメストルの両目を潰しました。


2. 犬の墓石となるヘカベ


首尾よくポリュメストルに復讐する機会を得たヘカベでしたが、息子のポリュドロスが死んでしまったという事実は、変わりません。

慟哭(どうこく)するヘカベは、やがてうなり声を上げながら、そのまま犬の墓石と化しました。

その犬の墓石は、それからも時折、大きなうなり声を上げ、ケルソネソスの人々に恐れられたと伝えられています。

息子を殺された母親の壮絶な悲しみは、敵の目を潰したぐらいでは、癒されないのです。

トロイの王子ポリュドロスは、トロイ戦争と直接関係の無いところで命を落としましたが、広く見れば、ポリュドロスも戦争の犠牲者と言えるでしょう。

戦地で戦死した者だけが、戦争被害者ではないのです。

ギリシア神話の時代から、局地的な戦闘の中で死んだわけではなくても、総じて、戦争で死んだと言える死に方があった、ということですね。


3. 原題


作者不詳『ポリュメストルの目を潰すヘカベ』は、英語ではHecuba Blinding Polymnestorと言います。

この作品は、ブリュッセルにあるベルギー王立美術館(Musées royaux des beaux-arts de Belgique)で見ることが出来ます。





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ティツィアーノ・ヴェチェッリオ『ポリュドロスの伝説』
記事URL  カテゴリ | ギリシア神話絵画 | 2012年02月28日(火)14時23分 | 編集 |
2012年2月28日(火)


目次
1. トロイ王子ポリュドロス
2. 捕虜となる王妃ヘカベ
3. ポリュドロスの死
4. 原題


今回取り上げる作品は、ティツィアーノ・ヴェチェッリオ作『ポリュドロスの伝説』です。

2012年2月28日ティツィアーノ・ヴェチェッリオ『ポリュドロスの伝説』70

1. トロイ王子ポリュドロス


トロイ戦争は、結局10年に及んで、トロイの敗北で決着を見たのですが、戦争半ばの膠着状態にある間、トロイの王プリアモスとその妻ヘカベは、仮にこの戦争によってトロイ王家が倒れたとしても、その血筋だけは残るように画策します。

そして、末の息子である幼いポリュドロスを、トロイ宮廷から莫大な財産と共に、トラキア地方へと送り出していたのです。

トラキア地方は、現在のバルカン半島東部に同定されています。

なぜ、プリアモスがトラキア地方を選んだかと言うと、トラキア地方のケルソネソスという街には、王ポリュメストルがいて、そこへトロイ王家のイリオネが嫁いでいたからです。

イリオネは、ポリュドロスの実姉です。

プリアモスとヘカベは、ケルソネソスの王妃となっているイリオネを頼りに、幼いポリュドロスをトロイ宮廷から送り出していました。


2. 捕虜となる王妃ヘカベ


トロイが陥落する際、王プリアモスはネオプトレモスによって殺されましたが、王妃ヘカベは捕虜としてギリシア軍に連行されました。

トロイ王家の生き残りは、それぞれギリシアの各将軍の捕虜となったのですが、ヘカベを捕虜としたのはオデュッセウスでした。

オデュッセウスは、妻ペネロペの待つイタケに、ヘカベを連行する意志はありませんでした。

そこで、水と食料を補給するために途中寄港したトラキアの地で、ヘカベを下船させることにしたのです。

ヘカベは、娘イリオネと息子ポリュドロスに久しぶりに会えることを楽しみにして、トラキアの地で下船し、オデュッセウス一行と別れました。


3. ポリュドロスの死


ケルソネソス宮廷へと向かうヘカベ一行は、道中で若者が倒れている姿を発見します。
辛うじて息をしているその若者は、ヘカベの息子ポリュドロスでした。

ケルソネソスの王ポリュメストルは、トロイが陥落したと聞き、これ以上ポリュドロスを匿っていても利益はない、と判断しました。

王妃イリオネの嘆願虚しく、ポリュドロスはポリュメストルに斬りつけられ、その後、配下の者によって野原に捨てられたのでした。

ポリュドロスが持参したトロイ王家の莫大な財産は、ポリュメストルが自分のものとしたのです。

息も絶え絶えの状態ながら、ポリュドロスは最後の力を振り絞って、ポリュメストルの蛮行を母ヘカベに伝えました。

そして、母の腕の中で、ついに力尽きたのです。

イタリアの画家ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(1488頃-1576)は、ポリュドロスが殺害された場面を描きました。

この作品では、ポリュドロスは首を斬られた姿で描かれています。

向かって右側の、両腕を広げて地面に倒れているのがポリュドロスです。
首は斬られ、右足の傍に転がっています。

向かって左の、赤い衣服を着て、地面に腰を下ろしている女性がヘカベです。

息子ポリュドロスが、ポリュメストルの裏切りによって殺されたことを聞き、全身の力が抜けて木にもたれかかっています。

ヘカベの向かって左にいる全裸の女性は、ヘカベの侍女と解されています。

画面中央の後景で描かれているのは、炎上するトロイの街です。


4. 原題


ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(Tiziano Vecellio)が描いた『ポリュドロスの伝説』は、英語ではThe Legend of Polydorusと言います。

この作品は、イタリア北東部の街パドヴァ(Padova)にある美術館(Museo Civico)で見ることが出来ます。





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ウィリアム・アドルフ・ブグロー『自責の念にかられるオレステス』
記事URL  カテゴリ | ギリシア神話絵画 | 2012年02月27日(月)12時09分 | 編集 |
2012年2月27日(月)


目次
1. 復讐の女神エリニュス
2. 原題


今回取り上げる作品は、ウィリアム・アドルフ・ブグロー作『自責の念にかられるオレステス』です。

2012年2月27日ウィリアム・アドルフ・ブグロー『自責の念にかられるオレステス』323

1. 復讐の女神エリニュス


成長したオレステスは、ついに母クリュタイムネストラとアイギストスを殺害することに成功します。
しかし、復讐の女神エリニュスは、いかなる理由があろうとも親殺しを認めません。

エリニュスとは、アレクト、ティシポネ、メガイラの三女神を指します。

母を殺したオレステスは、エリニュスによって罪の意識を植え付けられていくのです。

フランスの画家ウィリアム・アドルフ・ブグロー(1825-1905)は、エリニュスに詰め寄られて、母殺しを後悔しているオレステスの姿を描きました。

画面中央で、両耳を塞いでいるのがオレステスです。
オレステスは、エリニュスの三女神から毎日のように、母殺しを咎められています。

エリニュスは、髪の毛から蛇が姿を見せていますね。
向かって左で、胸を刺されて仰け反っているのが、クリュタイムネストラです。

こうして、トロイ戦争は勝者であるミケナイ王家にも、取り返しのつかない悲劇をもたらしたのです。


2. 原題


ウィリアム・アドルフ・ブグロー(William Adolphe Bouguereau)が描いた『自責の念にかられるオレステス』は、英語ではThe Remorse of Orestesと言います。

この作品は、アメリカのヴァージニア州ノーフォーク(Norfolk)にあるクライスラー美術館(Chrysler Museum of Art)で見ることが出来ます。





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フレデリック・レイトン『アガメムノンの墓前に立つエレクトラ』
記事URL  カテゴリ | ギリシア神話絵画 | 2012年02月26日(日)23時30分 | 編集 |
2012年2月26日(日)


目次
1. 逃げ延びるオレステスとエレクトラ
2. 墓前での再会
3. 原題


今回取り上げる作品は、フレデリック・レイトン作『アガメムノンの墓前に立つエレクトラ』です。

2012年2月26日フレデリック・レイトン『アガメムノンの墓前に立つエレクトラ』675

1. 逃げ延びるオレステスとエレクトラ


ミケナイ王アガメムノンが、王妃クリュタイムネストラに殺された時、王子オレステスは、まだ年少でした。

クリュタイムネストラは、息子のオレステスも亡き者にしようと画策しました。
しかし、次女エレクトラに阻まれて、オレステスを取り逃がします。

既に大人になっていたエレクトラは、愛人を作って父を殺害したクリュタイムネストラに、深い恨みを抱いていました。

心理学では、娘が父に愛着を持ち、母に対して反感を示すことをエレクトラ・コンプレックスと呼びます。

その語源は、このギリシア神話に求められます。

国外へと逃げ延びたエレクトラとオレステスは、母クリュタイムネストラと愛人アイギストスへ復讐する時期を待ちました。


2. 墓前での再会


アガメムノンの殺害事件から、8年が経過しました。
エレクトラとオレステスは、祖国ミケナイに戻りました。

姉弟は父アガメムノンの墓前で、母クリュタイムネストラへの復讐計画を練っています。

イギリスの画家フレデリック・レイトン(1830-1896)が描いているのは、アガメムノンの墓前で亡き父を偲ぶエレクトラの姿です。

オレステスはエレクトラの協力の下、クリュタイムネストラ殺害へ向けて第一歩を踏み出すのです。


3. 原題


フレデリック・レイトン(Frederic Leighton)が描いた『アガメムノンの墓前に立つエレクトラ』は、英語ではElectra at the Tomb of Agamemnonと言います。

この作品は、個人所蔵となっています。





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ジョン・コリア『クリュタイムネストラ』
記事URL  カテゴリ | ギリシア神話絵画 | 2012年02月25日(土)15時33分 | 編集 |
2012年2月25日(土)


目次
1. アガメムノン殺害後
2. オレステス殺害計画
3. 原題


今回取り上げる作品は、ジョン・コリア作『クリュタイムネストラ』です。

2012年2月25日ジョン・コリア『クリュタイムネストラ』549

1. アガメムノン殺害後


イギリスの画家ジョン・コリア(1850-1934)が描いているのは、夫アガメムノンを殺害した後のクリュタイムネストラの姿です。

右手に斧を持ち、堂々たる風格のクリュタイムネストラが描かれています。
斧から床に血が滴り落ち、殺害直後の生々しさが表現されています。

アガメムノンは、娘イピゲネイアを殺しました。

クリュタイムネストラは、その報いとしてアガメムノンが殺されるのは当然といった表情を見せています。


2. オレステス殺害計画


アガメムノンを殺害後、クリュタイムネストラは息子のオレステスによって復讐されることを恐れます。

クリュタイムネストラは、今はまだ幼いオレステスが成長した後に、自分と愛人のアイギストスを許さないはずだと考えました。

クリュタイムネストラとアイギストスは、幼いオレステスを殺すことを計画します。

オレステスもイピゲネイア同様、クリュタイムネストラとアガメムノンとの間の子です。
アイギストスにとっては、オレステスは邪魔な存在でしかありません。

クリュタイムネストラは、もはや後戻りの出来ない所まで来てしまったのです。


3. 原題


ジョン・コリアが描いた『クリュタイムネストラ』は、英語ではClytemnestraと言います。

この作品は、イングランドのシティ・オブ・ロンドン(City of London)にあるGuildhall Art Galleryで見ることが出来ます。





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ピエール=ナルシス・ゲラン『眠っているアガメムノンを殺す前に躊躇するクリュタイムネストラ』
記事URL  カテゴリ | ギリシア神話絵画 | 2012年02月24日(金)15時28分 | 編集 |
記事のタグ: ルーヴル美術館
2012年2月24日(金)


目次
1. アガメムノンの帰還
2. 殺害直前
3. 原題


今回取り上げる作品は、ピエール=ナルシス・ゲラン『眠っているアガメムノンを殺す前に躊躇するクリュタイムネストラ』です。

2012年2月24日ピエール=ナルシス・ゲラン『眠っているアガメムノンを殺す前に躊躇するクリュタイムネストラ』+Gérin_Clytemnestre_hésitant_avant_de_frapper_Agamemnon_endormi_Louvre_5185_convert_20121214162046


1. アガメムノンの帰還


ミケナイ王アガメムノンはトロイ戦争の指揮を執るために、10年もの間ミケナイ宮廷を不在にしていました。

その10年の間に、王妃クリュタイムネストラは愛人を作っていました。
愛人の名はアイギストスと言います。

トロイ戦争に勝利したアガメムノンは、10年ぶりに無事ミケナイへと戻りました。
クリュタイムネストラは、夫アガメムノンが戻って来たら殺害する計画を立てていました。

トロイ戦争の前にアガメムノンは娘のイピゲネイアをアルテミスの神殿に生贄として捧げています。

この行為がクリュタイムネストラの逆鱗に触れたのです。

トロイ戦争に出立する夫を見送る際に、クリュタイムネストラは次のように心に誓っていました。

「夫が生きて帰って来た時は、私が夫を殺して娘の復讐を果す!」

アガメムノンとクリュタイムネストラの間には三人の子供が生まれています。
長女イピゲネイア、次女エレクトラ、そして息子のオレステスです。

クリュタイムネストラは長女のイピゲネイアを最も愛していました。

最愛の娘イピゲネイアを殺したのは夫アガメムノンだったわけです。
戦争の生贄として娘を殺すという発想は、クリュタイムネストラの理解を超えたものでした。


2. 殺害直前


アガメムノンはミケナイに凱旋した時、トロイの王女カッサンドラを戦利品として連行して来ました。
クリュタイムネストラと愛人アイギストスは、アガメムノン凱旋の夜に殺害計画を実行に移します。

当初はアガメムノンだけを殺すつもりでしたが、今後邪魔になるであろうカッサンドラも一緒に殺すことにしました。

フランスの画家ピエール=ナルシス・ゲラン(1774-1833)が描いているのは、アガメムノンの寝室に入る直前のクリュタイムネストラとアイギストスの姿です。

画面中央に立っているのが美貌のクリュタイムネストラです。
右手には短剣を持っています。

クリュタイムネストラは土壇場になってやや怖気付いたような様子を示しています。

いかに計画して来たこととは言え、クリュタイムネストラは王を殺すことに躊躇(ためら)いを感じています。

クリュタイムネストラの右肩を押しているのがアイギストスです。
愛人アイギストスの立場としてはアガメムノンには早く死んでもらいたいわけです。

もしアガメムノンが明日以降ミケナイ王宮を取り仕切るとしたら、アイギストスとクリュタイムネストラの愛人関係はそう遠くない内に露呈します。

アガメムノンに二人の関係がバレたら、アイギストスは間違いなく処刑されるでしょう。
アイギストスには、凱旋した夜の内にアガメムノンを殺してしまう動機があったわけです。

アガメムノンは何も知らずに眠り続けています。
トロイ戦争に勝利したアガメムノンはこの後、妻に寝首を掻かれてしまうのです。


3. 原題


ピエール=ナルシス・ゲランが描いた『眠っているアガメムノンを殺す前に躊躇するクリュタイムネストラ』は、英語ではClytemnestra hesitates before killing the sleeping Agamemnonと言います。

この作品はルーヴル美術館(Musée du Louvre)で見ることが出来ます。





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Nicolas-Guy Brenet『テセウスに武具の所在を指し示すアイトラ』
記事URL  カテゴリ | ギリシア神話絵画 | 2012年02月23日(木)16時57分 | 編集 |
2012年2月23日(木)


目次
1. テセウスの最期
2. アイトラの最期
3. 原題


今回取り上げる作品は、Nicolas-Guy Brenet作『テセウスに武具の所在を指し示すアイトラ』です。

2012年2月23日Nicolas-Guy Brenet『テセウスに武具の所在を指し示すアイトラ』281

1. テセウスの最期


休止していたテセウスとアイトラのその後について、取り上げます。

テセウスは、アテナイ宮廷から追放された後、スキロス島の王リュコメデスを頼り、辛うじて居場所を確保します。

スキロス島は、エーゲ海に浮かぶ島で、息子たちアカマスとデモポンが流されたエウボイア島よりも、東に位置します。

スキロス島の王リュコメデスは、女装したアキレスを匿(かくま)っていたことで知られています。

リュコメデスは、かつてテセウスがアテナイにおいて、絶大な人気を得ていたことを知っています。
そのテセウスが、今、自分の治める国に身を寄せているのです。

たとえ落ちぶれたとは言え、テセウスの器量を持ってすれば、スキロス島の人々をまとめ上げ、スキロス王の座に就くことは容易なのではないかと、リュコメデスは次第に猜疑心に囚われるようになっていきます。

そして、ついに、リュコメデスは、テセウス暗殺を決意します。

リュコメデスは、崖の傍までテセウスを友好的に誘い、テセウスが水平線を見つめている隙を見逃さず、背中を押して、海へと突き落としたのです。

英雄テセウスの最期は、呆気ないものでした。

アリアドネ、アイゲウス、アンティオペ、パイドラ、ヒッポリュトス・・・、多くの近親者が、テセウスのせいで不幸になりました。

クレタ島のミノタウロスを倒し、アテナイの若者に夢と希望を与えた稀代の英雄は、一方では、関わった人々を不幸に陥れる側面も併せ持っていたのです。

最終的には、息子たちに看取られることもなく、一人で海の藻屑となって、その生涯を終えることになったのでした。

なお、テセウスが死んだのは、トロイ戦争が終結した後のことです。


2. アイトラの最期


テセウスの母アイトラは、トロイが陥落する際に、テセウスの息子たちアカマスとデモポンの手によって、トロイ宮廷から救出されました。

その後、ギリシアへ帰還するために、息子のアカマスの船に同乗したのか、主人であるヘレネの船に同乗したのかは、定かではありません。

ギリシアへの途次、食料補給のために立ち寄った港で、アイトラはテセウスの悲劇的な死を知ることになります。

アイトラは、息子テセウスの訃報を耳にして悲嘆に暮れ、自ら命を絶つ決意を固めます。

アイトラが自殺した方法は伝えられていませんが、もしかしたら、息子同様、海に身を投げて死んだのかも知れません。

死ぬ間際のアイトラが、この世で最後に思い返していたのは、少年だったテセウスが大岩をどかして、アイゲウスの隠した武具を発見した場面だったかも知れません。

この場面は、2011年7月7日(木)の記事『アントニオ・バレストラ『父王の剣を見つけるテセウス』 loro2012.blog.fc2.com』で一度取り上げていますが、再度、別の画家の作品で取り上げました。

作者は、フランスの画家Nicolas-Guy Brenet(1728-1792)です。

アイトラは、孫たちの世話になって余生を過ごすことよりも、自分で育てたテセウスとの思い出を胸に、死ぬ道を選んだのです。

なぜなら、アイトラがどれだけ生きても、もうこの世では、テセウスには逢えないからです。

テセウスの人生も、波乱に満ちたものでしたが、母アイトラの人生も、息子に負けず劣らず、波乱に富んだものでした。

なお、メネラオスに許されたヘレネが、スパルタへ帰還できたのは、戦争終結から8年後のことでした。
そして、アカマスがアテナイへ帰還できたのは、戦争終結から9年が経過してからでした。

トロイの港を出航する時には、アイトラは、どちらかの船に乗っていたわけですが、故郷ギリシアの港には、アイトラの姿はありませんでした。


3. 原題


Nicolas-Guy Brenetが描いた『テセウスに武具の所在を指し示すアイトラ』は、英語ではAethra Showing her Son Theseus the Place Where his Father had Hidden his Armsと言います。

この作品は、ロサンゼルス郡美術館(Los Angeles County Museum of Art)で見ることが出来ます。





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ジョヴァンニ・バッティスタ・ピットーニ『ポリュクセネの犠牲』
記事URL  カテゴリ | ギリシア神話絵画 | 2012年02月22日(水)11時22分 | 編集 |
記事のタグ: エルミタージュ美術館
2012年2月22日(水)


目次
1. トロイ王女ポリュクセネ
2. アキレスの亡霊
3. 殺されるポリュクセネ
4. 原題


今回取り上げる作品は、ジョヴァンニ・バッティスタ・ピットーニ作『ポリュクセネの犠牲』です。

2012年2月22日ジョヴァンニ・バッティスタ・ピットーニ『ポリュクセネの犠牲』454

1. トロイ王女ポリュクセネ


ポリュクセネは、トロイ王プリアモスと王妃ヘカベとの間に生まれた末娘です。
パリスは、兄にあたります。

系譜を示します。

ゼウス→ダルダノス→エリクトニオス→トロス→イロス→ラオメドン→プリアモス→ポリュクセネ


生前のアキレスは、敵国トロイの王女であるポリュクセネに恋をしました。

アキレスはポリュクセネと愛の言葉を交わしているうちに、自分の弱点が足首にあることを喋ってしまいました。

ポリュクセネは、兄パリスにこの事実を話しました。
最終的にパリスがアキレスの足首を狙って矢を射たのは、その情報を妹から得ていたからなのです。


2. アキレスの亡霊


アキレスとデイダメイアとの間に、ネオプトレモスという息子がいました。

デイダメイアとは、スキロス島の王リュコメデスの娘です。
リュコメデスは、幼少のアキレスを少女のように扱って、スキロス王宮内で養育した王です。

アキレスはトロイ戦争に参加する前に、デイダメイアとの間に息子ピュロスを儲けていたのです。
ピュロスは長じてから、ネオプトレモスと呼ばれるようになりました。

パリスに射殺されたアキレスは、トロイ陥落後、息子のネオプトレモスの夢の中に現れました。
そして、次のように告げました。

「トロイ王女ポリュクセネを、自分の墓に捧げてもらいたい。
さもなければ、トロイからギリシアへと戻る軍の帰路を、妨げるであろう。」

要するに、ポリュクセネを生贄として殺せということです。

アキレスは、ポリュクセネのことを愛していました。
そこで、亡霊の姿になってでも、ポリュクセネの命を支配したいと考えたのでした。


3. 殺されるポリュクセネ


ギリシア軍は、アキレスの墓の前にトロイ王女ポリュクセネを連れて来ました。
戦勝国の都合により、敗戦国の王女は犠牲となることが決まりました。

イタリアの画家ジョヴァンニ・バッティスタ・ピットーニ(Giovanni Battista Pittoni 1687-1767)が描いているのは、処刑直前のポリュクセネの様子です。

中景中央で、左手を引かれているのが、ポリュクセネです。
視線は伏し目がちですが、王女としての威厳を保とうとする意志が感じられます。

向かって左の、赤いマントを着た軍人がネオプトレモスです。
亡き父アキレスの命に従い、この後ポリュクセネの喉を切って、殺害することになります。

向かって右で、青いマントを着ているのは、アガメムノンです。
ミケーネ王アガメムノンは、トロイ戦争におけるギリシア軍総大将です。

アガメムノンは、ポリュクセネを処刑することには反対の立場でした。

ポリュクセネの命を助けたいというよりは、このまま生かしておいて、自分の愛人の一人にしてしまおうという魂胆があったのでしょうね。

さすがの強欲者アガメムノンも、トロイ戦争が終わった今となっては、自身の意向で全てを決定することは出来なくなっていたのです。


4. 原題


ジョヴァンニ・バッティスタ・ピットーニ(Джованни Баттиста Питтони)が描いた『ポリュクセネの犠牲』は、ロシア語ではЖертвоприношение Поликсеныと言います。

Жертвоприношениеは、生贄を供える儀式、という意味です。

Поликсенаは、ポリュクセネのことです。
ここでは、生格Поликсеныの形になっています。

この作品は、エルミタージュ美術館(Государственный Эрмитаж)で見ることが出来ます。





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ソロモン・ジョセフ・ソロモン『小アイアスとカッサンドラ』
記事URL  カテゴリ | ギリシア神話絵画 | 2012年02月20日(月)15時43分 | 編集 |
2012年2月20日(月)


目次
1. 小アイアスによる陵辱
2. アテナによる制裁
3. カッサンドラの最期
4. 原題


今回取り上げる作品は、ソロモン・ジョセフ・ソロモン作『小アイアスとカッサンドラ』です。

2012年2月20日ソロモン・ジョセフ・ソロモン『小アイアスとカッサンドラ』686

1. 小アイアスによる陵辱


ギリシア軍の攻撃によってトロイの街は陥落し、至る所で火の手が上がっています。

トロイ宮廷から脱出したカッサンドラは、ひとまずアテナ神殿の中に逃げ込みます。
当時の掟としては、神殿の中にいる者には一切危害を加えてはならない、とされていました。

ギリシア軍の小アイアスという兵士が、アテナ神殿に身を潜めているカッサンドラを発見します。

本来の身分で言えば、小アイアスは話しかけることすらも出来ない王女カッサンドラが、目の前にいます。

しかも、カッサンドラは美貌の女性です。

トロイが陥落した今となっては、小アイアスは圧倒的に優位な立場にいます。

異国の地に建てられた神殿であろうとも、掟は守らなければなりません。
しかし、勝利に浮かれた小アイアスには、掟など通用しません。

イギリスの画家ソロモン・ジョセフ・ソロモン(1860-1927)が描いているのは、小アイアスがカッサンドラを抱えて、これから強姦しようとしている場面です。

カッサンドラの後ろに見える像は、アテナ神像です。

アテナの像からは無数の糸が出て、カッサンドラの肉体を守ろうとしています。
しかし、屈強な小アイアスは、その糸を引きちぎりながら前進して行きます。

美女カッサンドラは、アテナ神殿の中で小アイアスに強姦されました。

小アイアスは、勝利者としての優越感や征服感に浸りながら、高貴な女性カッサンドラの膣内に、精液を思いっ切りぶちまけました。


2. アテナによる制裁


処女神アテナは、こうした蛮行は絶対に許しません。

そもそもアテナは、セックス自体を毛嫌いしているので、和姦ですらも受け入れることは出来ません。
この場合の和姦とは、他人の和姦であって、アテナ自身の和姦などあるはずがありません。

アテナは処女神であり、一度もセックスをしたことはありませんし、性欲など微塵もないのです。

アテナがここまでセックスを嫌う理由の一つは、セックスの最中に大量の体液が溢れ出て、清潔感が損なわれるからです。

唾液、汗、秘部からの愛液など、ありとあらゆる体液がセックスの最中に放出され、混ざり合い、清浄な環境を汚して行きます。

さらには、男が膣内で射精した後は、しばらくの間、膣内からトロトロと精液が滴り落ちて来るのです。

セックスをしたことによって発生するこうした副産物を、アテナは受け入れることが出来ないのです。

膣内からトロトロと精液が滴り落ちて来るのは、いかに高貴な身分であっても、女性である以上、皆同じです。

カッサンドラの膣内からは、小アイアスの精液がトロトロと流れ出し、神聖なるアテナ神殿の床に広がり、やがて、染みとなって残って行くのです。

アテナ神殿に限らず、神殿という聖域内でセックスするのは、神への冒涜とみなされます。
当たり前のことです。

この後、アテナを冒涜した小アイアスは、ギリシアへの帰路、溺死させられることになります。
当然です。


3. カッサンドラの最期


カッサンドラは、小アイアスに強姦された後、ギリシア軍総大将のアガメムノンの元へと連行されました。

アガメムノンは、王女カッサンドラの美貌と熟れた肉体に目をつけました。

そして、カッサンドラを殺さずに捕虜としてギリシアへ連れ帰り、ミケナイ宮廷に戻ったら愛人として囲うことにしました。

ミケナイへと向かう船の中で、カッサンドラはアガメムノンに何度も強姦されます。
征服者の傲慢は、古代ギリシアの頃からあったわけです。

そして、ミケナイに到着したその夜に、カッサンドラはアガメムノンの妻クリュタイムネストラによって殺害されるのです。

ギリシア神話において、最大の悲劇を背負った女性カッサンドラは、こうして不幸な生涯を終えたのでした。


4. 原題


ソロモン・ジョセフ・ソロモン(Solomon Joseph Solomon)が描いた『小アイアスとカッサンドラ』は、英語ではAjax and Cassandraと言います。

この作品は、オーストラリア南東部ビクトリア州(Victoria)の街バララット(Ballarat)にある美術館(Ballarat Fine Art Gallery)で見ることが出来ます。





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イーヴリン・ド・モーガン『カッサンドラ』
記事URL  カテゴリ | ギリシア神話絵画 | 2012年02月18日(土)23時05分 | 編集 |
2012年2月18日(土)


目次
1. トロイ王女カッサンドラ
2. アポロンの恋人
3. トロイ陥落
4. 原題


今回取り上げる作品は、イーヴリン・ド・モーガン作『カッサンドラ』です。

2012年2月18日イーヴリン・ド・モーガン『カッサンドラ』not

1. トロイ王女カッサンドラ


カッサンドラは、トロイ王プリアモスの娘です。
系譜を示します。

ラオメドン→プリアモス→カッサンドラ


王女カッサンドラも、ラオコーンと同じように木馬がトロイの滅亡を招くことを預言した一人です。

カッサンドラの預言は全て正しいのですが、誰にも信じてもらえないという呪いをかけられていました。

呪いをかけたのは、アポロンです。


2. アポロンの恋人


美貌の王女カッサンドラは、アポロンに求愛され恋人となります。
カッサンドラはその見返りとして、予言の能力をアポロンから授けられました。

カッサンドラは、授かった予知能力を早速使ってみることにします。
すると、アポロンが自分に対する関心をやがて失い、去って行く場面が見えてしまったのです。

カッサンドラは、予知能力を得たばっかりに、アポロンとの愛が消滅することが、前もって分かってしまったのです。

もうこれ以上、カッサンドラはアポロンを愛することは出来なくなりました。

その後、カッサンドラはアポロンが求める愛を、全て拒絶するようになります。
カッサンドラは、二度とアポロンに抱かれることはありませんでした。

こうなると、神は人間を許しません。
アポロンは、神である自分を侮辱するような態度を取り続けるカッサンドラに、罰を与えます。

その罰は、カッサンドラの言う正しい予言に対して、耳を傾ける者が一人もいないようにする、というものでした。


3. トロイ陥落


カッサンドラは、トロイ人が木馬を市内へ引き入れると、トロイは滅亡すると予言しました。
しかし、誰一人としてその予言を信じる者はいません。

木馬はトロイの城壁を壊してまで、市内へと引き入れられてしまいました。

イギリスの画家イーヴリン・ド・モーガン(1855-1919)が描いているのは、トロイの王女カッサンドラです。

正しいことを言っているのに、周囲に黙殺され続けた女性預言者の、苦悩の表情が描かれています。

ある意味では、カッサンドラは、ギリシア神話において最大の悲劇を背負った女性かも知れません。
予知能力など、なまじ持たない方が良いという意識が、古代ギリシア人にもあったのでしょうね。

先のことは知りたいし、かと言って、結末が分かってしまうと興醒めになるし、というジレンマは、人類が抱える普遍的な苦悩のようです。

後景には、トロイの街が燃える様子が描かれています。
向かって左には、木馬が見えますね。


4. 原題


イーヴリン・ド・モーガン(Evelyn De Morgan)が描いた『カッサンドラ』は、英語ではCassandraと言います。

この作品は、ロンドンにあるDe Morgan Centreで見ることが出来ます。





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ジョヴァンニ・ドメニコ・ティエポロ『トロイの木馬をトロイ市へと運ぶ』
記事URL  カテゴリ | ギリシア神話絵画 | 2012年02月16日(木)14時57分 | 編集 |
2012年2月16日(木)


目次
1. 木馬の運搬
2. 原題


今回取り上げる作品は、ジョヴァンニ・ドメニコ・ティエポロ作『トロイの木馬をトロイ市へと運ぶ』です。

2012年2月16日ジョヴァンニ・ドメニコ・ティエポロ『トロイの木馬をトロイ市へと運ぶ』196

1. 木馬の運搬


ジョヴァンニ・ドメニコ・ティエポロ(1727-1804)が描いているのは、建造された木馬がトロイ市内へと運搬されて行く様子です。

木馬は城壁の正門を越える高さだったため、場内に入れるためには正門を破壊しなければなりませんでした。

これにより、神託によって示されていたトロイ陥落のための三つの条件は全て揃いました。

力を合わせて木馬を押したり引いたりしているのは全てトロイ人です。

トロイ人は自らの国を破滅させるために、ギリシア人によって建造された木馬を自らの労力で招き入れているわけです。

ギリシア神話の神託は必ず実現するということですね。


2. 原題


ジョヴァンニ・ドメニコ・ティエポロ(Giovanni Domenico Tiepolo)が描いた『トロイの木馬をトロイ市へと運ぶ』は、英語ではThe Procession of the Trojan Horse into Troyと言います。

the Processionは行進とか行列という意味です。

この作品はロンドンのナショナル・ギャラリー(The National Gallery, Trafalgar Square, London)で見ることが出来ます。





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エル・グレコ『ラオコーン』
記事URL  カテゴリ | ギリシア神話絵画 | 2012年02月14日(火)15時27分 | 編集 |
2012年2月14日(火)


目次
1. 城外にある巨大な木馬
2. ラオコーンとカッサンドラ
3. 父子皆殺し
4. 原題


今回取り上げる作品は、エル・グレコ作『ラオコーン』です。

2012年2月14日エル・グレコ『ラオコーン』264

1. 城外にある巨大な木馬


夜の内に、ギリシア軍の一部の兵士たちは船で近くのテネドス島に移動しました。
残りの兵士たちは木馬の中に入って息を潜めていました。

夜が明けてトロイ人が辺りを見回すとギリシア人の姿がありません。
代わりに城外には巨大な木馬が残されていました。

トロイ軍の兵士は、辺りをぶらついていたギリシア兵のシノンを捕縛し拷問にかけました。
シノンはトロイ人を欺くために、ただ一人近辺に残っていたのです。

これもギリシア軍の策略の一つでした。
もちろん、トロイ人はシノンを捕虜としてしか見ていません。

トロイ人はギリシア人達の姿が消えた理由や、巨大な木馬が城外に残されている理由をシノンに問い質します。

シノンは次のようにトロイ人に答えました。

「ギリシア人は夜の内に全員が逃げ去った。
私は皆から嫌われていたので置き去りにされてしまった。
ギリシア人たちはアテナの怒りを鎮める目的でこの木馬を建造した。
この木馬はトロイのアテナ神殿に奉献するためのものである。」

シノンは打ち合わせた通り、表面的には筋が通っている嘘を並べ立てました。
結局トロイ人たちはシノンの言うことを全面的に信じます。

シノンの巧みな話術によって、トロイ人は完全に騙されてしまったのです。


2. ラオコーンとカッサンドラ


トロイ人の中で二人だけ、この木馬の真相を見抜いた者がいました。
その二人とは神官ラオコーンと預言者カッサンドラです。

ラオコーンは木馬を市内へ運ぶことに強く反対しました。
この木馬が亡国の決定的な要素になることを人々に説きました。

それでも人々の意見には変化が見られません。
そこでラオコーンは、木馬の中が実際には空洞であることを証明するために槍を投げつけたのです。

その直後、海から二匹の大蛇が現れました。
そして大蛇はラオコーンの両目を潰しました。

この大蛇たちはアテナが遣わした海の怪物でした。

このトロイ戦争においてはオリュンポスの神々も二手に分かれていました。

アテネの守護女神であるアテナは、ヘラやポセイドンとともにギリシアを支援する側に立っていたのです。


3. 父子皆殺し


アテナの遣わした大蛇は攻撃の手を緩めません。
大蛇はラオコーンと彼の二人の息子に襲いかかり、絞め殺しにかかります。

木馬の秘密を見抜いた神官ラオコーンは、こうして息子二人と共に非業の死を遂げるのです。

クレタ島出身の画家エル・グレコ(1541-1614)は、ラオコーン父子が大蛇に襲われる様子を描きました。

中央で横たわり右手で蛇の首を持っているのがラオコーンです。

向かって右にいる息子は絞め殺されて息絶える寸前です。
向かって左で立っている息子も間もなく殺されるところです。

中景にはトロイの木馬が小さく描かれています。
トロイの破滅はもうすぐです。


4. 原題


エル・グレコ(El Greco)が描いた『ラオコーン』は、英語ではLaocoönと言います。

この作品はワシントンのナショナル・ギャラリー(National Gallery of Art, Washington, DC)で見ることが出来ます。





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ジョヴァンニ・ドメニコ・ティエポロ『トロイの木馬の建造』
記事URL  カテゴリ | ギリシア神話絵画 | 2012年02月11日(土)15時49分 | 編集 |
2012年2月11日(土)


目次
1. オデュッセウスの提案
2. 原題


今回取り上げる作品は、ジョヴァンニ・ドメニコ・ティエポロ作『トロイの木馬の建造』です。

2012年2月11日ジョヴァンニ・ドメニコ・ティエポロ『トロイの木馬の建造』177

1. オデュッセウスの提案


トロイ戦争は、10年目に入っていました。
ギリシア、トロイ双方ともに決定的な策がなく、膠着状態が続いています。

トロイの勇将ヘクトルがアキレスに殺され、アキレスもパリスに足首を狙われて、射殺されました。
ギリシアの知将オデュッセウスは、軍議において一つの提案をします。

それは、木馬を造って中に兵士を潜ませ、トロイ市内へと運ぶというものでした。
一部の反対意見を抑えて、この木馬作戦は実行に移されることになりました。

木馬の制作は、エペイオスが指揮を執ることになりました。
エペイオスの系譜は、次のとおりです。

ゼウス→アイアコス→ポコス→パノペウス→エペイオス


イタリアの画家ジョヴァンニ・ドメニコ・ティエポロ(1727-1804)が描いているのは、木馬が建造されているところです。

向かって左で、右腕を差し出している老齢の男性が、指揮者のエペイオスだと思われます。


2. 原題


ジョヴァンニ・ドメニコ・ティエポロ(Giovanni Domenico Tiepolo)が描いた『トロイの木馬の建造』は、英語ではThe Building of the Trojan Horseと言います。

この作品は、ロンドンのナショナル・ギャラリー(The National Gallery, Trafalgar Square, London)で見ることが出来ます。





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イーヴリン・ド・モーガン『トロイのヘレネ』
記事URL  カテゴリ | ギリシア神話絵画 | 2012年02月08日(水)13時59分 | 編集 |
2012年2月8日(水)


目次
1. パリスの最期
2. デイポボスの妻ヘレネ
3. ヘレノスの裏切り
4. トロイ陥落の三条件
5. 原題


今回取り上げる作品は、イーヴリン・ド・モーガン作『トロイのヘレネ』です。

2012年2月8日イーヴリン・ド・モーガン『トロイのヘレネ』704

1. パリスの最期


ピロクテテスは、ヘラクレスの弓を用いてパリスを射ち、瀕死の重傷を負わせました。

パリスはトロイの街を抜け出し、イデ山に暮らす前妻オイノネを頼ります。
しかし、オイノネはパリスに対して治療を施すことを拒否しました。

パリスは、仕方なくイデ山を降りてトロイの街へと戻って行きます。
その山中で、パリスは命を落としました。

パリスを突き返したオイノネは、後悔の念に苛まれ、パリスの後を追いました。
そして、パリスが死に絶えた姿を発見し、自らも命を絶つのです。


2. デイポボスの妻ヘレネ


パリスの死後、未亡人となったヘレネを巡ってトロイ宮廷で争いが起きました。
パリスの弟二人が、美貌のヘレネに求婚したのです。

弟二人とは、ヘレノスとデイポボスです。
父王プリアモスは、年長のヘレノスではなく年下のデイポボスをヘレネの夫に選びました。

こうして、世界一の美女ヘレネは、トロイの王子デイポボスを三番目の夫に迎えることになったのです。

イギリスの画家イーヴリン・ド・モーガン(1855-1919)が描いているのは、トロイ宮廷で暮らすヘレネの美しい姿です。


3. ヘレノスの裏切り


年長者でありながらヘレネと結婚出来なかったヘレノスは、トロイ宮廷を去り、イデ山に篭(こ)もりました。

弟であるデイポボスが毎晩のようにヘレネと性交している場面を想像すると、腹立たしくてなりません。

そこへ、ギリシア軍のオデュッセウスがやって来ました。
オデュッセウスはヘレノスを殺さない代わりに、ギリシア軍が勝つための条件を聞き出します。

実は、ヘレノスはカッサンドラと双子の兄妹で、アポロンによって予言の力を授けられていたのです。

父プリアモスや弟デイポボスへの恨みから、ヘレノスはトロイを陥落させるための三つの条件をオデュッセウスに教えてしまいます。

ヘレノスのしたことは、トロイ王国に対する裏切り行為です。

しかしヘレノスは、美女ヘレネの熟れた体に触れることが出来なかった恨みを、このような形で晴らしたわけです。

結局、戦いというのは、真正面からぶつかり合う側面よりも、ヘレノスのような私怨に基づく裏切りによって勝敗が決することが多いのです。

歴史では、「勝った者が正しい」ので、どんな手段を裏でとっていても、最終的に勝てばいいわけです。

トロイ戦争の頃から、戦争においては、腕力よりも諜報力が決め手になっていたということです。

腕力自慢のアキレスが、呆気なく死んだ一方で、策士・オデュッセウスが情報戦を制し、ギリシア軍を最終的な勝利に導く働きを示したことは、極めて象徴的な出来事なのです。

2011年12月27日(火)の記事『Jan de Bray『リュコメデスの娘の中からアキレスを見つけるオデュッセウス』 loro2012.blog.fc2.com』で述べましたが、トロイ戦争の前に、スキロス宮廷で「侍女」として働いていたアキレスを、戦争へと駆り出す役目を担ったのは、策士・オデュッセウスでしたね。


4. トロイ陥落の三条件


ヘレノスがギリシア軍に明かしたトロイ陥落の三条件とは、以下の通りです。

1) ペロプスの骨を、トロイへ持って来ること。
2) アキレスの息子ネオプトレモスを参戦させること。
3) トロイからパラディオンを盗み出すこと。


1) ペロプスの骨を、トロイへ持って来ること。


ペロプスは、かつてペロポネソス半島の西部地域を支配した王でした。
ペロポネソスとは、ペロプスの島という意味です。

テセウスの祖父にあたるトロイゼン王ピッテウスは、ペロプスの息子です。
系譜を示します。

タンタロス→ペロプス→ピッテウス→アイトラ→テセウス


2) アキレスの息子ネオプトレモスを参戦させること。


ネオプトレモスは、父アキレスの死後、ギリシア軍に合流します。
トロイ陥落時にプリアモスを殺害したのは、ネオプトレモスです。


3) トロイからパラディオンを盗み出すこと。


パラディオンとは、都市の安全を守護する木像です。
トロイの街の中にパラディオンがある間は、決してトロイは陥落しないとヘレノスが予言しました。

オデュッセウスとディオメデスは、トロイの街に侵入してパラディオンを盗み出すことに成功します。

トロイの陥落は、もう目の前です。


5. 原題


イーヴリン・ド・モーガン(Evelyn De Morgan)が描いた『トロイのヘレネ』は、英語ではHelen of Troyと言います。

この作品は、ロンドンにあるDe Morgan Centreで見ることが出来ます。





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ピーテル・パウル・ルーベンス『アキレスの死』
記事URL  カテゴリ | ギリシア神話絵画 | 2012年02月05日(日)22時59分 | 編集 |
2012年2月5日(日)


目次
1. アキレス腱
2. 原題


今回取り上げる作品は、ピーテル・パウル・ルーベンス作『アキレスの死』です。

2012年2月5日ピーテル・パウル・ルーベンス『アキレスの死』336

1. アキレス腱


フランドルの画家ピーテル・パウル・ルーベンス(1577-1640)が描いているのは、アキレスがパリスに射殺される場面です。

前景中央で赤いマントを身につけているのがアキレスです。
右足のアキレス腱に矢が刺さっていますね。

アキレスが赤ん坊の頃に、母テティスはアキレスを不死の体にするためにステュクスの水に浸しました。

ステュクスとは、冥界を七重に取り巻いて流れる大河です。
生者の領域と死者の領域とを区別する境界線の役割を負っている川です。

テティスはアキレスの踵を握った状態で体をステュクスの水につけました。
この結果、アキレス腱だけはステュクスの水に浸すことが出来ませんでした。

成長したアキレスにとって、唯一の弱点がアキレス腱となったのです。
後景向かって左で矢を放っているのはトロイの王子パリスです。


2. 原題


ピーテル・パウル・ルーベンス(Peter Paul Rubens)が描いた『アキレスの死』は、英語ではDeath of Achillesと言います。

この作品はロンドンにあるコートールド・ギャラリー(Courtauld Gallery)で見ることが出来ます。





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