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サルヴァトル・ローザ『アイネイアスの夢』
記事URL  カテゴリ | ギリシア神話絵画 | 2012年03月31日(土)21時56分 | 編集 |
記事のタグ: メトロポリタン美術館
2012年3月31日(土)


目次
1. ラティウム王ラティヌス
2. トゥルヌスとの戦い
3. 原題


今回取り上げる作品は、サルヴァトル・ローザ作『アイネイアスの夢』です。

2012年3月31日サルヴァトル・ローザ『アイネイアスの夢』544

1. ラティウム王ラティヌス


イタリア半島に到着したアイネイアスは、イタリア半島中央部の西地域を支配していた王ラティヌスの臣下となります。

イタリア半島中央部の西地域は、ラティウムと呼ばれていました。
ラティウムは、現在のラツィオ州に相当します。

ラティウム王ラティヌスと妻アマタとの間には、ラウィーニアという娘がいました。
しかし、ラティウム王家には後継ぎとなる息子がいませんでした。

アイネイアスがラティウムにやって来る以前に、ラウィーニアには婚約者がいました。
婚約者は、ルトゥリ王トゥルヌスです。

トゥルヌスはラウィーニアといずれ結婚し、ラティウム王国を継承する予定になっていたのです。


2. トゥルヌスとの戦い


ラティウム王ラティヌスは、臣下となったアイネイアスの才気を見抜きました。
そして、アイネイアスにラティウム王国を継いで欲しいと考えるようになります。

そしてついに、娘のラウィーニアとルトゥリ王トゥルヌスとの婚約を破棄してしまいました。
続けて、ラウィーニアとアイネイアスとの結婚を許可し、公表します。

ラティヌスの行ったこの措置に対して、妻アマタと元婚約者トゥルヌスは猛烈に反発しました。
そして、トゥルヌスとアイネイアスは、戦いで雌雄を決することになったのです。

この戦いは、一騎打ちではなく、両者ともに部下を引き連れての戦いですので、結果として、トロイ人とラテン人の戦争が始まったわけです。

イタリアの画家サルヴァトル・ローザ(1615-1673)が描いているのは、戦いの中で疲れたアイネイアスが眠っている場面です。

向かって左で、眠っているのがアイネイアスです。

向かって右にいるのは、アイネイアスの夢の中に現れたティベリヌスです。
ティベリヌスとは、テヴェレ川の神です。

戦いに明け暮れるアイネイアスに対して、ティベリヌスが励ましの言葉をかけているところです。
アイネイアスの戦いは、まだまだ続きます。


3. 原題


サルヴァトル・ローザ(Salvator Rosa)が描いた『アイネイアスの夢』は、英語ではThe Dream of Aeneasと言います。

この作品は、ニューヨークのメトロポリタン美術館(The Metropolitan Museum of Art)で見ることが出来ます





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ピエトロ・ダ・コルトーナ『テヴェレ川の河口に到着するアイネイアス』
記事URL  カテゴリ | ギリシア神話絵画 | 2012年03月30日(金)16時51分 | 編集 |
2012年3月30日(金)


目次
1. イタリア半島上陸
2. 原題


今回取り上げる作品は、ピエトロ・ダ・コルトーナ作『テヴェレ川の河口に到着するアイネイアス』です。

2012年3月30日ピエトロ・ダ・コルトーナ『テヴェレ川の河口に到着するアイネイアス』1 185

1. イタリア半島上陸


イタリアの画家ピエトロ・ダ・コルトーナ(1596-1669)が描いているのは、アイネイアス一行がイタリア半島に上陸しようとする場面です。

カルタゴの地を後にして地中海を渡り、ようやくテヴェレ川の河口へと辿り着くところです。

2012年3月30日ピエトロ・ダ・コルトーナ『テヴェレ川の河口に到着するアイネイアス』2 322

画面中央で、赤いマントを着ているのがアイネイアスですね。

トロイ王家の血を引くアイネイアスがイタリアに到着しようとする、歴史的な場面です。
アイネイアスは、炎上し陥落したトロイの街を、異国の地で再興する使命を担っていました。

今まさに、その第一歩を踏み出そうとしています。


2. 原題


ピエトロ・ダ・コルトーナ(Pietro da Cortona)が描いた『テヴェレ川の河口に到着するアイネイアス』は、イタリア語ではEnea giunge alle foci del Tevereと言います。

giungereは、達する、という意味です。
この作品は、ローマにあるGalleria Doria Pamphiljで見ることが出来ます。





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ジョシュア・レノルズ『ディドの死』
記事URL  カテゴリ | ギリシア神話絵画 | 2012年03月29日(木)16時54分 | 編集 |
2012年3月29日(木)


目次
1. ディドの死
2. 原題


今回取り上げる作品は、ジョシュア・レノルズ作『ディドの死』です。

2012年3月29日ジョシュア・レノルズ『ディドの死』209

1. ディドの死


イングランドの画家ジョシュア・レノルズ(1723-1792)が描いているのは、カルタゴの女王ディドが息を引き取った場面です。

アイネイアスに見捨てられたディドは、美しいまま死ぬという選択をしました。

ディドとの愛を捨てたアイネイアスは、イタリア半島上陸を目指します。
もしアイネイアスがカルタゴでの生活を選んでいたら、後のローマは存在しません。

アイネイアスがイタリア半島を目指したのは、神の意志だったのです。

神の意志に逆らうことは出来ません。
ディドには気の毒ですが・・・。


2. 原題


ジョシュア・レノルズ(Joshua Reynolds)が描いた『ディドの死』は、英語ではThe Death of Didoと言います。

この作品は、イギリスのロイヤル・コレクション(The Royal Collection)の一つです。

ロンドンにあるバッキンガム宮殿(Buckingham Palace)で見ることが出来ます。





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セバスティヤン・ブルドン『ディドの死』
記事URL  カテゴリ | ギリシア神話絵画 | 2012年03月28日(水)14時26分 | 編集 |
記事のタグ: エルミタージュ美術館
2012年3月28日(水)


目次
1. カルタゴを去るアイネイアス
2. 原題


今回取り上げる作品は、セバスティヤン・ブルドン作『ディドの死』です。

2012年3月28日セバスティヤン・ブルドン『ディドの死』386

1. カルタゴを去るアイネイアス


ゼウスから、トロイを再興するようにとの命を受けたアイネイアスは、カルタゴを離れることにしました。

トロイ再興の地としてゼウスが指定したのは、イタリア半島です。

アイネイアスの愛人となっていたカルタゴの女王ディドは、見捨てられる形になってしまいました。
絶望したディドは、火葬壇の上で自刃(じじん)して果てました。

セバスティヤン・ブルドン(1616-1671)は、ディドが胸を突いて自殺する場面を描いています。
中央で、目をつぶっているのがディドです。

ディドの左肘が体を支える構図になっていますので、この時点ではまだディドには、息があることがわかります。

火葬壇からは煙が上がり、これからディドの豊麗な肉体を焼き尽くしていくことになります。

ディドの左手の下に描かれているのは、愛するアイネイアスが残していった剣です。
ディドの上部に描かれている有翼の女神は、ヘラの忠実な部下である虹の女神イリスです。

イリスはディドの魂を肉体から解き放つために、髪にはさみを入れようとしているところです。
この美しい髪は、やがて冥府へと届けられることになるのです。


2. 原題


セバスティヤン・ブルドン(Sébastien Bourdon)が制作した『ディドの死』は、ロシア語ではСмерть Дидоныと言います。

Смертьが、死、という意味です。
ディドは、ロシア語ではДидонаと綴ります。

この作品は、エルミタージュ美術館(Государственный Эрмитаж)で見ることが出来ます。





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ピエール=ナルシス・ゲラン『アイネイアスとディド』
記事URL  カテゴリ | ギリシア神話絵画 | 2012年03月27日(火)13時20分 | 編集 |
記事のタグ: ルーヴル美術館
2012年3月27日(火)


目次
1. アイネイアスとディドの愛
2. 原題


今回取り上げる作品はピエール=ナルシス・ゲラン作『アイネイアスとディド』です。

2012年3月27日ピエール=ナルシス・ゲラン『アイネイアスとディド』268

1. アイネイアスとディドの愛


ピエール=ナルシス・ゲラン(1774-1833)が描いているのは首尾よく恋仲になったアイネイアスとディドが語り合っている場面です。

アイネイアスはトロイの街が陥落する時の様子をディドに話して聞かせているのです。

異国の地カルタゴで女王ディドを愛人としたアイネイアスはこの後、ゼウスの命を受けてイタリアへ渡ることになります。

ディドはアイネイアスに捨てられる形になってしまうのです。


2. 原題


ピエール=ナルシス・ゲラン(Pierre-Narcisse Guérin)が制作した『アイネイアスとディド』はフランス語ではÉnée et Didonと言います。

この作品はルーヴル美術館(Musée du Louvre)で見ることが出来ます。





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フランチェスコ・ソリメーナ『アイネイアスとアスカニオスを装ったキューピッドを受け入れるディド』
記事URL  カテゴリ | ギリシア神話絵画 | 2012年03月26日(月)14時36分 | 編集 |
2012年3月26日(月)


目次
1. カルタゴの女王ディド
2. 原題


今回取り上げる作品は、フランチェスコ・ソリメーナ作『アイネイアスとアスカニオスを装ったキューピッドを受け入れるディド』です。

2012年3月26日フランチェスコ・ソリメーナ『アイネイアスとアスカニオスを装ったキューピッドを受け入れるディド』215

1. カルタゴの女王ディド


アイネイアス一行は、炎上するトロイの街を脱出し、クレタ島などを経た後、北アフリカのカルタゴに上陸します。

カルタゴの女王が、ディドです。

アイネイアスの母であるアプロディーテは、息子のエロスに命じて、ディドがアイネイアスと恋に落ちるように仕向けます。

エロスは、ローマ神話ではキューピッドに相当します。

トロイから身一つで逃げたアイネイアスが、当座を生き延びるためには、ディドの協力が不可欠です。
しかも単なる協力ではなく、愛情に裏付けられた協力が望ましいわけです。

エロスの力によって、ディドはアイネイアスに恋をしました。

イタリアの画家フランチェスコ・ソリメーナ(1657-1747)が描いているのは、女王ディドが恋に落ちる瞬間です。

向かって左で、着座しているのがディドです。

ディドの左手を、可愛らしい右手で握っているのはエロスです。
エロスは恋の矢を背負い、羽を生やしている姿で描かれています。

しかし、ディドの目にはエロスではなく、アイネイアスの息子アスカニオスの姿として映っているわけです。

画面中央で、右手を差し出しているのがアイネイアスです。

傍流とは言えトロイ王家の血を受け継ぐアイネイアスは、カルタゴ女王ディドにとって不足のない相手です。

アプロディーテの策略が成功し、アイネイアスはひとまず、安住の地を手に入れることが出来ました。


2. 原題


フランチェスコ・ソリメーナ(Francesco Solimena)が描いた『アイネイアスとアスカニオスを装ったキューピッドを受け入れるディド』は、英語ではDido receiving Aeneas and Cupid disguised as Ascaniusと言います。

この作品は、ロンドンのナショナル・ギャラリー(The National Gallery, Trafalgar Square, London)で見ることが出来ます。





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フランソワ・ド・ノメ『炎上するトロイ及びアイネイアスとアンキセスの脱出』
記事URL  カテゴリ | ギリシア神話絵画 | 2012年03月25日(日)16時57分 | 編集 |
2012年3月25日(日)


目次
1. クレウサの死後
2. 原題


今回取り上げる作品は、フランソワ・ド・ノメ作『炎上するトロイ及びアイネイアスとアンキセスの脱出』です。

2012年3月25日フランソワ・ド・ノメ『炎上するトロイ及びアイネイアスとアンキセスの脱出』216

1. クレウサの死後


アイネイアスは、父アンキセスを背負い、息子アスカニオスを連れて辛うじてトロイから脱出します。
アイネイアスの妻クレウサは、脱出の混乱の中で、命を落とします。

フランスの画家フランソワ・ド・ノメ(1593-1620以降不明)が描いているのは、アイネイアスの脱出の場面です。

前景向かって右で、人を背負っているのがアイネイアスです。
アイネイアスの背中に乗っているのは、父アンキセスです。

アイネイアスの向かって右にいる子供は、息子のアスカニオスです。
アスカニオスは、左手に松明を持って行先を照らしています。

幼いアスカニオスは、母クレウサを失った悲しみに暮れる間もなく、街からの脱出を図っているところです。


2. 原題


フランソワ・ド・ノメ(François de Nomé)が描いた『炎上するトロイ及びアイネイアスとアンキセスの脱出』は、英語ではThe Burning of Troy with the Flight of Aeneas and Anchisesと言います。

この作品は、スウェーデンの首都ストックホルムにあるスウェーデン国立美術館(Nationalmuseum)で見ることが出来ます。





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フェデリーコ・バロッチ『トロイを脱出するアイネイアス』
記事URL  カテゴリ | ギリシア神話絵画 | 2012年03月24日(土)14時04分 | 編集 |
記事のタグ: ボルゲーゼ美術館
2012年3月24日(土)


目次
1. トロイ陥落後
2. クレウサの死
3. 原題


今回取り上げる作品は、フェデリーコ・バロッチ作『トロイを脱出するアイネイアス』です。

2012年3月24日フェデリーコ・バロッチ『トロイを脱出するアイネイアス』 233

1. トロイ陥落後


トロイ王プリアモスは、アキレスの息子ネオプトレモスによって殺害されました。
王プリアモスが討ち取られたことにより、トロイ王家は滅亡します。

ギリシア軍によって、トロイの街に火がつけられました。
難攻不落と謳われたトロイの街は、ここに陥落したのです。

トロイ王家の中で生き残ったのは、アイネイアスの家族だけでした。
系譜を示します。

トロイ王イロス→トロイ王女テミステ→アンキセス→アイネイアス→アスカニオス


アイネイアスは、プリアモスの娘クレウサと結婚していました。
系譜を示します。

トロイ王イロス→ラオメドン→プリアモス→クレウサ


アスカニオスは、アイネイアスとクレウサとの間に出来た息子です。


2. クレウサの死


アイネイアス一家は、トロイの街が燃え盛る最中、脱出を試みます。

イタリアの画家フェデリーコ・バロッチ(1526頃-1612)が描いているのは、アイネイアス一家がトロイの街から脱出する場面です。

画面中央で兜を被り、老人を抱き抱えているのがアイネイアスです。
アイネイアスが抱えている老人は、父アンキセスです。

向かって左にいる少年が、アスカニオスです。
この男性3名は、首尾よくトロイの街を脱出することが出来ました。

しかし、向かって右端に描かれているクレウサだけは、脱出の混乱の中で命を落とすことになりました。


3. 原題


フェデリーコ・バロッチ(Federico Barocci)が描いた『トロイを脱出するアイネイアス』は、英語ではAeneas' Flight from Troyと言います。

この作品は、ローマにあるボルゲーゼ美術館(Galleria Borghese)で見ることが出来ます。





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ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ『ヴィーナスと時の寓意』
記事URL  カテゴリ | ギリシア神話絵画 | 2012年03月23日(金)23時50分 | 編集 |
2012年3月23日(金)


目次
1. トロイ王家の傍流
2. セックスの女神から学ぶべきこと
3. ローマ建国の祖の誕生
4. 原題


今回取り上げる作品は、ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ作『ヴィーナスと時の寓意』です。

2012年3月23日ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ『ヴィーナスと時の寓意』495

1. トロイ王家の傍流


イタリアの画家ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ(1696-1770)が描いているのは、トロイ王家の血を引くアイネイアスが誕生した場面です。

まずは、アイネイアスの先祖の系譜を見ておきましょう。

トロイという国名の元となった王は、トロスです。
トロスには3人の息子がいて、イロス、アッサラコス、ガニュメデスと言います。

ガニュメデスは、ゼウスによって神々の世界へと拉致され、宴会の給仕として働くことになります。
イロスの息子がラオメドンで、ラオメドンの息子がプリアモスです。

プリアモスはトロイ陥落時に殺害され、トロイ王国最後の王となった人物です。
パリスは、プリアモスの息子です。

まとめるとこうなります。

トロス→イロス→ラオメドン→プリアモス(トロイ王家滅亡)→パリス


アッサラコスの息子がカピュスで、カピュスの息子がアンキセスです。
アンキセスとアプロディーテとの間に生まれた息子が、アイネイアスです。

まとめるとこうなります。

トロス→アッサラコス→カピュス→アンキセス→アイネイアス→アスカニウス


従ってアイネイアスの家は、トロイ王家の傍流ということになるわけです。


2. セックスの女神から学ぶべきこと


アイネイアスは、アプロディーテを母とします。

アプロディーテは、セックスこそが神々の世界を動かして行く原動力になると信じていて、様々な相手と愛の遍歴を重ねて行く女神です。

多くの男神たちと性交することを通じて、自分一人では生み出すことの出来ない快感を手にし、その積み重ねにより、女神としての霊力を蓄えて来たのです。

これを人間の女性に置き換えれば、女性がセックスを通じて快感を得て、その積み重ねにより、美貌に磨きをかけ、色気を蓄えていく、ということになるわけですね。

女性が色気を蓄積するには、ある程度の男性遍歴が必要です。

20代の女性が、熟女の持つ色気を醸し出すことができないのは、積み重ねや訓練が足りないからなんですね。

セックスにせよ、学問にせよ、スポーツにせよ、何ごとに対しても粘り強く、諦めず、日々の訓練を怠らなかった者だけが、真の実力を蓄えることができるのです。


3. ローマ建国の祖の誕生


そんなアプロディーテが、人間の男性アンキセスと性交することになりました。
この二人の性交渉の原因は、最高神ゼウスが作ったとされています。

アプロディーテは、これまでに、「本業」である愛と性の女神の役割を果たすべく、多くの神々と人間たちとを結びつけて来ました。

その結果、神と人間を両親とする子がたくさん生まれ、特殊な能力を備えた彼らは、この世を良くするために様々な活躍をして来ました。

ところが、アプロディーテ自身は、これまでに人間の子を生んだことがありませんでした。

そこでゼウスがアプロディーテに、人間の子を生ませようとして恋を吹き込んだのです。
そしてアプロディーテが恋に落ちた相手は、トロイ王家の血を引くアンキセスでした。

中景向かって左で、豊満な上半身を披露しているのがアプロディーテです。
前景向かって右の、有翼の老人は、時間を偶像化したものです。

「時間」が両手に抱いているのが、アイネイアスです。

「時間」に守護されたアイネイアスは、トロイ陥落の中を生き延びて、やがてローマ建国の祖となっていくのです。

いよいよ、このギリシア神話絵画シリーズも、最終章のアイネイアスのところまで辿り着きました。
最終回まで、あと少しです。


4. 原題


ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ(Giovanni Battista Tiepolo)が描いた『ヴィーナスと時の寓意』は、英語ではAn Allegory with Venus and Timeと言います。

この作品は、ロンドンのナショナル・ギャラリー(The National Gallery, Trafalgar Square, London)で見ることが出来ます。





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フランチェスコ・プリマティッチオ『オデュッセウスとペネロペ』
記事URL  カテゴリ | ギリシア神話絵画 | 2012年03月22日(木)13時48分 | 編集 |
2012年3月22日(木)


目次
1. 女としての幸せ
2. 原題


今回取り上げる作品は、フランチェスコ・プリマティッチオ作『オデュッセウスとペネロペ』です。

2012年3月22日フランチェスコ・プリマティッチオ『オデュッセウスとペネロペ』302

1. 女としての幸せ


イタキ島の王オデュッセウスは、トロイ戦争出征以来、20年の歳月を経て、ようやく故国へ帰還することが出来ました。

イタキ島は、地中海の海域の一つであるイオニア海に浮かぶ島です。

オデュッセウスの留守中、多くの求婚者がペネロペの元に集まりましたが、ペネロペの貞節は固く、男たちに指一本触れさせませんでした。

美貌のペネロペと結婚することで、ペネロペの熟れた肉体だけでなく、イタキ王の座をも手に入れようと画策した男たちは、20年ぶりに帰還した王オデュッセウスによって打ち負かされ、イタキ島から追放されました。

フランチェスコ・プリマティッチオ(1504-1570)が描いているのは、オデュッセウスが妻ペネロペと久しぶりのセックスを楽しみ、夜通し語り合っている場面です。

オデュッセウスは、この20年、セックスを我慢してきたわけではありませんが、ペネロペは夫の生存を信じて貞節を守り通し、自分の性欲は完全に抑制してきたのです。

ペネロペは、20年ぶりに愛する夫の肉体に触れ、馴染みのペニスを握り、咥え、何度も挿入されて、言葉では言い表せない幸福感に浸りました。

女性にとっても、セックスを我慢し続けるのは、並大抵のことではありません。
待ち続けたペネロペにも、ようやく、女の幸せが訪れたわけです。


2. 原題


フランチェスコ・プリマティッチオ(Francesco Primaticcio)が制作した『オデュッセウスとペネロペ』は、英語ではOdysseus and Penelopeと言います。

この作品は、アメリカのオハイオ州にあるトレド美術館(Toledo Museum of Art)で見ることが出来ます。





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本木雅弘主演ドラマ『運命の人』を見た感想
記事URL  カテゴリ | 日本ドラマ | 2012年03月21日(水)00時27分 | 編集 |
2012年3月21日(水)


目次
1. 現在の沖縄が抱える諸問題の原点
2. 国家の税金より、他人のセックスに興味がある人々
3. 論点は何だったのか?
4. 近未来に直結する罪
5. 国家を守るのは誰か?


1. 現在の沖縄が抱える諸問題の原点


TBSテレビの1月~3月期のドラマ『運命の人』を見ました。

主演の本木雅弘が演じていた弓成亮太は、毎日新聞記者の西山太吉(1931-)をモデルとしています。
大森南朋が演じていた山部一雄は、読売新聞の渡辺恒雄(1926-)をモデルとしています。

このドラマは、辣腕記者の西山が佐藤栄作内閣(任期:1964-1972)において実現した沖縄返還に際して、日本政府とアメリカのニクソン政権(任期:1969-1974)との間に不透明な資金の流れがあったことを暴き、それを契機として多くの人々の人生が変わって行く様を描いています。

この沖縄返還密約事件に関する裁判は1978年に西山記者の有罪が確定したことで終結を見たのですが、原作の山崎豊子は正しいことをした記者が国家権力によって職を奪われ、その結果として言論の自由が反故(ほご)にされたことがその後の沖縄が抱える諸問題の一因になっているという捉え方をしています。

つまり、もしあの裁判で西山記者が無罪を勝ち取り、さらには佐藤内閣が行った密約の事実が公になっていれば、国民の沖縄に対する見方や感情も変わったでしょうし、政府が実行する沖縄政策にも大幅な軌道修正を要求できたはずだということです。

ところが残念ながら、正義の西山記者には執行猶予付きとは言え有罪判決が下り、その結果西山は世論から非難される立場へと転落して行きます。

その原因は言葉のすり替えです。


2. 国家の税金より、他人のセックスに興味がある人々


当初、この事件は「沖縄返還密約事件」として捉えられていたのですが、その後「外務省機密漏洩事件」という言葉に置き換えられ、挙句の果てには「西山と外務省女性事務官とのセックス事件」へと変貌して行きました。

西山と女性事務官が国家公務員法違反の疑いで逮捕、起訴されたのは1972年のことですが、当時の世論は沖縄返還協定に関わる使途不明な税金の行方にはあまり関心を示さず、むしろ西山が外務省の女性事務官と不倫関係になり、西山がその事務官と何度もセックスをする見返りに機密情報を手に入れたという誤った情報に飛びついたわけです。

西山記者の名誉のためにも私がここで申し上げたいのは、1972年当時にこの事件に関して報道された「種々の事実」の中にはテレビの視聴率を上げるために「歪曲された事実」も数多く含まれていたし、また雑誌の販売部数を上げるために「捏造された事実」も少なからず存在したということです。

西山の愛人問題が「事実」だったとしても、事件の本質と比べればそれは極めて些細なものに過ぎません。

一方の徹底究明するべき政府の裏切り行為については、佐藤内閣の巧妙な広報戦略が功を奏し、やがて完全に隠蔽されてしまったのです。

マスコミが本筋である税金不正使用問題を蚊帳の外に置き、瑣末なセックスの話題ばかりに光を当てるような報道体制を敷いたため、この裁判では何が論点になっているのかさえ知らない国民が増加し、そのことを憂う有識者がいたとしても発言の場を与えられなかったというのが「真実」だと思います。

今の時代であれば有識者でなくても、ブログやSNSを利用して世に自説を問うということも出来るのですが、当時はマスメディアを使って意見を述べることしか方法がない時代だったのです。


3. 論点は何だったのか?


事件の論点は憲法学の側面としては、民間人の西山を国家公務員法違反の罪で裁くことが出来るかということでした。

政治的側面の論点としては政府が国会の場で税金の使い途を明らかにせず、国民に知らせるべき情報を隠蔽した場合に内閣や官僚の責任はどこまで追求できるのかということだったわけですが、この点は裁判の場でも取り上げられることはありませんでした。

その意味では裁判所も大失態を犯したと言えるでしょう。

残念ながらいつの時代でも、国民は小難しい税金や法律にはあまり興味を示さず、セックスや不倫あるいは醜聞といったものに目を奪われてしまうのです。

マスコミ界がそのような国民を対象として番組制作や雑誌作りをしている以上、セックス絡みの話題に多くの放送時間や紙面を割くのは、ある意味仕方のないことです。

卑近な例としては2011年にニューヨークで起きたストロスカーン事件でも、フランスやアメリカのマスコミはセックス絡みの話題なので徹底的に放送枠を確保し、ストロスカーンの日々の動向を報道していましたね。

時代や民族が違ってもマスコミの体質は変わらないようです。

ということは、時代が進み世代が交代しても、社会を構成する一般人の関心領域には大きな変化は見られないということの裏返しでもあります。

話を戻しますが、「正」の西山が失業に追い込まれ「邪」の佐藤が訴追もされず、挙句の果てにはノーベル平和賞という名誉まで手に入れて平穏無事にこの世を去ったというのは、やはり理不尽さを感じます。

何も知らない国民がマスコミに煽られて事件の全貌を解明するための入口として、まずは西山の愛人問題に好奇の目を向けるのは良いと思います。

しかし、事件の出口を追い求める国民が残念ながら当時の日本には少なかったために、結果として佐藤は首尾よく逃げ切ることが出来たわけです。

しかも、未だに佐藤の名誉は剥奪されてはいません。


4. 近未来に直結する罪


沖縄の基地問題やアメリカ兵による蛮行事件は、未だに沖縄で暮らす人々に暗い影を落とし続けています。

その大元の原因は、もちろんアメリカとの戦争に負けたことなのですが、戦後25年が経過した時点で佐藤は新たな原因と前例を作ってしまいました。

平たく言うとアメリカが脅しをかければ日本政府はいくらでも資金を出し、表面的には日本が資金提供したことを隠すという前例です。

現在、沖縄に駐留するアメリカ軍のグアム移転に関する経費を日本とアメリカでどのように負担するかという交渉が行われていますが、政府発表の負担額、つまり日本のマスコミが発表した負担額は率直に言うと信用できません。

なぜなら自民党政権が倒れようとも日本政府を引き継いだ者たちは、「現実的な判断」と称して国民の知らないところでいくらでも外国と密約を結び、その結果国会に報告できない「裏の資金」が大量に動いていることがある程度予想されるからです。

そして、それらの「裏金」は公式には「存在しないもの」として公にはされないため、マスコミが暴かない限りあるいは機密情報が漏洩しない限り、野党を含めた国民には一切知らされずに年月だけが過ぎて行くのです。

さらに、諸外国との密約を果たすことで減少してしまった「裏金」を補填するためにも、政府からは増税が叫ばれ政府の方針に逆らえないマスコミを通じて増税不可避という世論が形成され、やがて国民は絶望し結果的には政府の決めたことを受け入れざるを得ない状況に追い込まれてしまうのです。


5. 国家を守るのは誰か?


今後、西山記者のような骨のある人物がマスコミ界に現れなければ、日本はアメリカなどの諸外国に食い物にされて大東亜戦争の敗北以来続いている属国としての地位から抜け出ることは出来ないのだろうと思います。

もちろん、私も「第二の西山記者」の登場を待っているだけではなく、私の立場で出来る限りの戦いはして行きますよ。

近い将来に日本に生まれて来る子孫の生活を守るためにも、私たち現役世代の戦いはまだまだ続くのです。

その戦いに勝利を収めるためにも、外国語の素養は必須のものとなります。

なぜなら、この日本を属国化しているのは日本語を母国語としない諸国家であり、彼らは属国内だけ使われている日本語など修得する気持ちがないからです。

先方のそういう意識を変えられない以上、私たち日本人が語学力を身につけるしかありません。

ただ、語学力の基礎になるのは母国語の言語能力であり、外国語だけを学んでいても真の語学力は決して身につかないことはこのブログでも再三述べているところです。

日本が属国化されていることの象徴が沖縄の現状であり、沖縄の未来を変えることは日本の未来、引いては東アジアの未来を変えることになるのです。

なお、この「沖縄の未来を変える」という方向性は、今私が思いついて打ち出したものではなく、40年も前に既に西山太吉が打ち出していたものです。

この40年間で日本は多くのことを成し遂げて来ましたが、西山が目指した属国化からの脱却は未だに実現されてはいません。

沖縄の現状を見れば一目瞭然なのです。


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ピントゥリッキオ『ペネロペと求婚者たち』
記事URL  カテゴリ | ギリシア神話絵画 | 2012年03月20日(火)13時30分 | 編集 |
2012年3月20日(火)


目次
1. エウリュトスの弓
2. オデュッセウスの帰還
3. 原題


今回取り上げる作品は、ピントゥリッキオ作『ペネロペと求婚者たち』です。

2012年3月20日ピントゥリッキオ『ペネロペと求婚者たち』272

1. エウリュトスの弓


イタリアの画家ピントゥリッキオ(1454-1513)が描いているのは、オデュッセウスの妻ペネロペが、機織りをしている場面です。

向かって左で、青い服を着ているのがペネロペです。
ペネロペは、侍女と共に、義父の死装束を作製しているところです。

ペネロペの頭上の壁には、弓と矢筒が描かれています。

この弓は、元々はアポロンの物でした。

それをオイカリアの王エウリュトスが譲り受け、エウリュトスの息子のイピトスが所有するに至ります。

イピトスとオデュッセウスが出会った際に、二人は所持品を交換しました。

イピトスは、オデュッセウスに弓を渡しました。
オデュッセウスは、イピトスに刀と槍を渡しました。

こうしてエウリュトスの弓は、イタキ島の王オデュッセウスの物となったのです。

この弓の所有者の、系譜を示します。

アポロン→エウリュトス→イピトス→オデュッセウス


なお、本題からは逸れますが、このオイカリアの王子イピトスは、狂気を催したヘラクレスによって殺されることになります。


2. オデュッセウスの帰還


オデュッセウスはトロイ戦争に出かける際に、この弓を館に残していきました。

弓には、弦が張られていません。
弦を張るには相当な腕力が必要で、常人には不可能です。

画面前景の、向かって右にいる3人は、ペネロペに結婚を迫っている男たちです。
後景で、入り口から中に入ろうとしている男は、物乞いに変装したオデュッセウスですね。

オデュッセウスは、ようやく、イタキ島へ帰還したのです。

この後、オデュッセウスは、このエウリュトスの弓を使うことによって、自分が王であることを周囲に認めさせることになるのです。


3. 原題


ピントゥリッキオ(Pinturicchio)が描いた『ペネロペと求婚者たち』は、英語ではPenelope with the Suitorsと言います。

この作品は、ロンドンのナショナル・ギャラリー(The National Gallery, Trafalgar Square, London)で見ることが出来ます。





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レアンドロ・バッサーノ『裁縫した作品を解くペネロペ』
記事URL  カテゴリ | ギリシア神話絵画 | 2012年03月19日(月)23時47分 | 編集 |
2012年3月19日(月)


目次
1. ペネロペに殺到する求婚者
2. ペネロペの提案
3. 原題


今回取り上げる作品は、レアンドロ・バッサーノ作『ペネロペ』です。

2012年3月19日レアンドロ・バッサーノ『裁縫した作品を解くペネロペ』373

1. ペネロペに殺到する求婚者


オデュッセウスがトロイ戦争に参加すると言って、故郷イタキ島から出航したのはもう20年も前の話です。

その後、トロイ戦争は終結したのにオデュッセウスはイタキ島へ戻って来ません。

イタキ島の人々は、王オデュッセウスがもうどこかで死んだのではないかと思い始めています。
夫オデュッセウスの帰還を待ち続けるペネロペの元には、多くの求婚者が毎日のようにやって来ます。

もしペネロペがオデュッセウスのことを死んだものと諦めて再婚する決意を固めれば、求婚者の内の一人が美貌のペネロペを妻にし、そのままイタキ島の王の座を手に入れることになるわけです。

仮にオデュッセウスがどこかで生きていたとしても、この20年の間に異国の街で妻を娶り家族を作って別の人生を歩んでいる可能性もあります。

実際にオデュッセウスは、異国の街で妻を娶り家族を作って暮らしていましたよね。


2. ペネロペの提案


イタキ王妃ペネロペは、頑(かたく)ななまでに王オデュッセウスの留守を守り続けています。

しかし、周囲は音信不通の夫をいつまでも待ち続けている内に、ペネロペの容色が衰えることを心配します。

そして、美しい姿である間に権力を有する男と再婚したらどうかという声が日増しに高まっていきます。

毎日のようにペネロペの元を訪れ、頭を下げて求婚している男たちにも一応の立場というものがあります。

ペネロペとしても、彼らに対する返事を何年も保留にしておくことは出来ません。

そこでペネロペは一つの提案をしました。

その提案とは、義父ラエルテスの葬儀の時のための死装束を織り終えた時点でオデュッセウスの帰還を諦め、求婚者の内の誰かと再婚するというものでした。

ラエルテスはオデュッセウスの父です。
系譜を示します。

ケパロス→アルケイシオス→ラエルテス→オデュッセウス


当時の慣習として義父が亡くなった時に備えて、嫁が死装束を手織りして準備しておくことになっていました。

この時点では義父ラエルテスは生きていますので、ペネロペはこの慣習を巧みに利用して時間稼ぎをしようと思いついたわけです。

ペネロペには再婚するつもりなど毛頭ありません。
ペネロペは夫オデュッセウスが必ず戻って来ると信じています。

そこで昼間のうちに機織りをし、夜の内にそれを解くということを繰り返していました。

イタリアの画家レアンドロ・バッサーノ(1557-1622)は昼間織った糸を、夜、蝋燭の火の下で一人解いているペネロペを描きました。


3. 原題


レアンドロ・バッサーノ(Leandro Bassano)が描いた『裁縫した作品を解くペネロペ』は、フランス語ではPénélope défaisant son ouvrageと言います。

défaire ZはZを解くという意味です。
un ouvrageはここでは、裁縫した作品という意味で使われています。

この作品はフランス北西部の町レンヌ(Rennes)にある美術館(Musée des beaux-arts de Rennes)で見ることが出来ます。





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Jean-Jacques Lagrenée『オデュッセウスの息子テレマコスであることを知るヘレネ』
記事URL  カテゴリ | ギリシア神話絵画 | 2012年03月18日(日)13時44分 | 編集 |
記事のタグ: エルミタージュ美術館
2012年3月18日(日)


目次
1. テレマコスの冒険
2. ヘレネの美貌衰えず
3. テレマコスのイタキへの帰還
4. 原題


今回取り上げる作品は、Jean-Jacques Lagrenée作『オデュッセウスの息子テレマコスであることを知るヘレネ』です。

2012年3月18日Jean-Jacques Lagrenée『オデュッセウスの息子テレマコスであることを知るヘレネ』250

1. テレマコスの冒険


オデュッセウスと妻ペネロペとの間には、一人息子のテレマコスがいました。

オデュッセウスがトロイ戦争に出征した時は、テレマコスはまだ幼く、父との思い出もほとんどありません。

戦争終結後、20年が経過し、テレマコスは立派な青年に成長しました。
いつまで経ってもイタキ島へ帰還しない父を探すために、テレマコスは旅立つことにしたのです。

テレマコスの決断を促したのは、オデュッセウスの友人メンテスですが、実はこのメンテスは、アテナが変身した姿だったのです。

もちろん、ペネロペもテレマコスも、メンテスの正体がアテナであるとは気づいていません。

船に乗り、ギリシアの各地を回ったテレマコスは、最後にスパルタのメネラオスを訪ねることにします。

メネラオスは、トロイ戦争では、ギリシア側の副大将を務めた人物です。

メネラオスは、トロイ陥落後、妻であるヘレネを奪還し、8年かかってスパルタへの帰還を果たしていました。

メネラオスとヘレネとの間には、埋めがたい溝が出来ていましたが、メネラオスは心からヘレネを愛していたため、ヘレネを罰することが出来ず、そのまま王と王妃の関係に戻っていたのでした。


2. ヘレネの美貌衰えず


テレマコスがスパルタ宮廷を訪れた際、当初、メネラオスとヘレネは、この若者がオデュッセウスの息子であるとは、認識できませんでした。

しかし、話をしていく内に、王妃ヘレネがオデュッセウスの息子であることに気づきます。

フランスの画家Jean-Jacques Lagrenée(1739-1821)は、テレマコスがメネラオス夫妻と会話している場面を描きました。

中央で、右手を広げて着座しているのが、スパルタ王メネラオスです。

向かって左で、赤い布で顔を覆って泣いているのがテレマコスです。
テレマコスの向かって右にいるのは、今回の旅に同行している友人です。

テレマコスの後ろに立っている男性は、メンテスですが、実際にはアテナです。

向かって右で、青い布を身につけて立っているのはヘレネです。
ヘレネの容色は年をとっても衰えず、二の腕なども肉付きが良く、セクシーで美しいままです。


3. テレマコスのイタキへの帰還


せっかくスパルタまでやって来たテレマコスでしたが、メネラオスとヘレネからは、オデュッセウスの消息について、有力な情報は得られませんでした。

メネラオスは、次のようにテレマコスに語りました。

「一般論として、生きていればとっくに帰還しているはずである。

父王オデュッセウスは生きている、という可能性は捨て切れないとしても、一応、死んだものと捉え、王子としてイタキ島をまとめていく覚悟を固めた方が、現実的ではないかだろうか・・・。」

このような趣旨のことを言われて、テレマコスは涙を流していたわけです。

ただ、メネラオスの言う通り、現実的には父オデュッセウスが生きている可能性は、ほとんどないであろうことはテレマコスにも分かっていました。

スパルタ王と会見した後、テレマコスは、父オデュッセウスを頼るという気持ちを吹っ切りました。
そして、イタキの国と母ペネロペを自分が守る覚悟を固めて、帰国の途に着いたのでした。

テレマコスがこのような気持ちになることを見越して、アテナはこの冒険を企画し、実行させたわけです。

オデュッセウスが様々な経緯や理由があったにせよ、あちらこちらで、美女とセックスをしている間、息子のテレマコスは逞しい青年へと成長していったのです。


4. 原題


Jean-Jacques Lagrenéeが描いた『オデュッセウスの息子テレマコスであることを知るヘレネ』は、英語ではHelen Recognising Telemachus, Son of Odysseusと言います。

この作品は、エルミタージュ美術館(State Hermitage Museum)で見ることが出来ます。





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サルヴァトル・ローザ『オデュッセウスとナウシカ』
記事URL  カテゴリ | ギリシア神話絵画 | 2012年03月17日(土)15時38分 | 編集 |
記事のタグ: エルミタージュ美術館
2012年3月17日(土)


目次
1. スケリア王宮
2. 原題


今回取り上げる作品は、サルヴァトル・ローザ作『オデュッセウスとナウシカ』です。

2012年3月17日サルヴァトル・ローザ『オデュッセウスとナウシカ』458

1. スケリア王宮


イタリアの画家サルヴァトル・ローザ(1615-1673)が描いているのは、全裸のオデュッセウスにナウシカが衣服を与えている場面です。

ナウシカは、惨めな身なりのオデュッセウスを、スケリア王宮へと連れて行きました。

王宮に着いたオデュッセウスは、食事を与えられ、身だしなみを整えて、ようやく元気を取り戻します。

スケリア王アルキノオスは、美しい青年の姿に戻ったオデュッセウスを見て、このまましばらく王宮に留まることを許可します。

そして、アルキノオスは、知力及び体力に優れたオデュッセウスを、娘ナウシカの結婚相手として考えるようになっていきます。

王女ナウシカも、オデュッセウスに次第に惹かれていきました。

しかし、オデュッセウスは、あくまでもイタキ島の王です。
そして、故郷には妻ペネロペを残している身です。

しばらくして、オデュッセウスとナウシカに、別れの時が訪れました。

ナウシカはオデュッセウスの幸せを願いながら、イタキ島へ向かって出航していくオデュッセウスを見送るのでした。


2. 原題


サルヴァトル・ローザ(Salvator Rosa)が描いた『オデュッセウスとナウシカ』は、英語ではOdysseus and Nausicaaと言います。

この作品は、エルミタージュ美術館(State Hermitage Museum)で見ることが出来ます。





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