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ベネデット・ジェッナーリ(子)『クレオパトラの死』
記事URL  カテゴリ | ローマ建国史絵画 | 2012年04月30日(月)13時00分 | 編集 |
2012年4月30日(月)


目次
1. 毒蛇に咬まれる女王
2. 原題


今回取り上げる作品は、ベネデット・ジェッナーリ(子)作『クレオパトラの死』です。

2012年4月30日ベネデット・ジェッナーリ(子)『クレオパトラの死』402

1. 毒蛇に咬まれる女王


イタリアの画家ベネデット・ジェッナーリ(子)(1633-1715)が描いているのは、クレオパトラが蛇に胸を咬まれた場面です。

クレオパトラは、目が半開きになり、次第に血の気が失せていきますが、右肘が高い位置に描かれていることから、まだ意識は十分にあると言えます。

これから、蛇の毒が全身に回り、帰らぬ人となるのです。


2. 原題


ベネデット・ジェッナーリ(子)(Benedetto Gennari junior)が描いた『クレオパトラの死』は、英語ではThe Death of Cleopatraと言います。

この作品は、イングランド西部の都市バース(Bath)にある、ヴィクトリア・アート・ギャラリー(Victoria Art Gallery)で見ることが出来ます。


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グイド・レーニ『クレオパトラの自殺』
記事URL  カテゴリ | ローマ建国史絵画 | 2012年04月29日(日)13時35分 | 編集 |
2012年4月29日(日)


目次
1. アクティウム海戦
2. 原題


今回取り上げる作品は、グイド・レーニ作『クレオパトラの自殺』です。

2012年4月29日グイド・レーニ『クレオパトラの自殺』446

1. アクティウム海戦


紀元前31年に行われたアクティウム海戦はクレオパトラとアントニウス連合軍の惨敗に終わりました。

勝ったのはオクタヴィアヌスです。

これまでクレオパトラはカエサル及びアントニウスという共和政ローマの実力者たちを女の色香で籠絡(ろうらく)して来ました。

しかし、その後継者となったオクタヴィアヌスには同じ手はもはや通じませんでした。

アレクサンドリアの王宮で自殺することを決意したクレオパトラは、毒蛇に胸を咬ませて死ぬという方法を選択します。

グイド・レーニ(1575-1642)の作品では、向かって左下にイチジクの入ったかごが描かれています。

このかごの中に毒蛇を忍ばせて自室へと運んだのです。

クレオパトラ(紀元前69-紀元前30)は右手に毒蛇を持って右の乳房を咬ませようとしています。
40年の人生に今、終止符を打とうとしているところです。


2. 原題


グイド・レーニ(Guido Reni)が制作した『クレオパトラの自殺』はイタリア語ではIl suicidio di Cleopatraと言います。

il suicidioが自殺という意味です。
この作品はフィレンツェにあるパラティーナ美術館(Galleria palatina)で見ることが出来ます。





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レイチェル・ワイズ主演映画『ハムナプトラ / 失われた砂漠の都』を見た感想
記事URL  カテゴリ | 外国映画 | 2012年04月28日(土)03時21分 | 編集 |
2012年4月28日(土)


4月25日(水)にTBSで、レイチェル・ワイズ主演の映画『ハムナプトラ / 失われた砂漠の都(原題:The Mummy)』をやっていたので録画して見ました。

この映画は、1932年に製作された映画『ミイラ再生(原題:The Mummy)』のリメイク作品です。

今から3,000年前のエジプトで、大神官のイムホテップがファラオのセティ1世の愛人であるアナクスナムンと不倫関係になるところから物語が始まります。

セティ1世に不倫関係を突き止められた後、イムホテップとアナクスナムンは共謀してファラオを殺害しますが、直ちに近衛兵に取り囲まれアナクスナムンは自害します。

イムホテップは不倫の罪とファラオ殺害の罪により厳罰としてミイラにされ、現代までその魂が生き続けます。

レイチェル・ワイズ(Rachel Weisz)が演じるのは、カイロ博物館に勤務する女性エヴリンです。

2012年4月28日レイチェル・ワイズ主演映画『ハムナプトラ 失われた砂漠の都』を見た感想 252

エヴリンは兄ジョナサンと軍人オコーネルと共に、ハムナプトラを目指します。
ハムナプトラとは伝説と化した死者の都で、そこには財宝があると信じられていたのです。

エブリンらは辿り着いたハムナプトラで、蘇ったイムホテップと対峙することになります。

死者が蘇るのでホラー映画という側面もありますが喜劇的な要素も随所に散りばめられ、それなりに楽しめる仕上がりにはなっています。

しかし凶暴化した無数のスカラベが人間を襲う場面を克明に描いたりして、気色悪い印象も受けました。

レイチェルが出ていなかったら途中で見るのをやめていたと思います。


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ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ『クレオパトラの祝宴』
記事URL  カテゴリ | ローマ建国史絵画 | 2012年04月27日(金)20時44分 | 編集 |
2012年4月27日(金)


目次
1. 真珠を溶かすクレオパトラ
2. 原題


今回取り上げる作品は、ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ作『クレオパトラの祝宴』です。

2012年4月27日ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ『クレオパトラの祝宴』475

1. 真珠を溶かすクレオパトラ


イタリアの画家ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ(1696-1770)が描いているのは、クレオパトラがアントニウスを宴に招いている場面です。

白い布が掛けられたテーブルの向かって右に座っているのがクレオパトラです。
クレオパトラが右手に持っているのは、先程まで身につけていた真珠のイヤリングです。

向かって左に座っているのがアントニウスです。
画面後景中央を見るとローマ軍の軍艦の白い帆が見えます。

アントニウスは頭にまだ武具を付けたままですね。
軍人政治家として暗殺の危険を常に感じながら生きていたということでしょう。

エジプトのファラオであるクレオパトラは、豊富な財力をアントニウスに示すために真珠を酢に溶かしました。

大粒の真珠はやがて酢の中で完全に溶けてしまい、その酢をクレオパトラは飲み干しました。

クレオパトラのこうした演出によりアントニウスは度肝を抜かれます。
今まで出会ったことのない女性クレオパトラにアントニウスは心を奪われてしまったのでした。


2. 原題


ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ(Giovanni Battista Tiepolo)が描いた『クレオパトラの祝宴』は、イタリア語ではIl Banchettoと言います。

il banchettoは宴会という意味です。
この作品はヴェネツィアにあるパラッツオ・ラビア(Palazzo Labia)で見ることが出来ます。





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ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ『アントニウスとクレオパトラの出会い』
記事URL  カテゴリ | ローマ建国史絵画 | 2012年04月26日(木)13時26分 | 編集 |
2012年4月26日(木)


目次
1. 第二回三頭政治
2. クレオパトラ7世
3. 原題


今回取り上げる作品は、ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ作『アントニウスとクレオパトラの出会い』です。

2012年4月26日ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ『アントニウスとクレオパトラの出会い』252

1. 第二回三頭政治


カエサル(紀元前100頃-紀元前44)が暗殺された後、共和政ローマを統治する正式な公職として、国家再建三人委員会が成立しました。

この国家再建三人委員会を、第二回三頭政治と呼んでいます。

第二回三頭政治を構成したのは、マルクス・アントニウス(紀元前83-紀元前30)、オクタウィアヌス、レピドゥスです。

この三人は一時的に同盟関係を結んでいたに過ぎず、キケロやブルータスなどの政敵を死に追いやった後は、反目し合うようになります。


2. クレオパトラ7世


クレオパトラ7世(紀元前70頃-紀元前30)は、古代エジプトのプトレマイオス朝最後のファラオです。
ファラオとは、古代エジプトの王を指します。

アントニウスは自らの政治的勢力を強化するために、ローマを離れてシリアなどの東方の国々へ赴きます。

各国の王と会見し、協力関係を打診する中で、エジプト女王クレオパトラとの出会いがありました。

アントニウスは、今は亡きカエサルが、クレオパトラとかつて愛人関係にあったことは知っていました。

そのことを承知でアントニウスは、クレオパトラに惚れ込み、のめり込んでいったと言われています。

イタリアの画家ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ(1696-1770)は、アントニウスとクレオパトラが出会った場面を描きました。

前景中央で、赤いマントを羽織っているのがアントニウスです。
アントニウスの向かって左隣にいる女性が、クレオパトラですね。

この時点ではまだ二人は、愛人関係にはなっていません。
しかしティエポロは、この二人を親密な男女として描きました。

画面後景向かって左には、ローマ軍の軍艦の帆が描かれています。
後景右側にいる男たちは、アントニウスの側近たちですね。


3. 原題


ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ(Giovanni Battista Tiepolo)が描いた『アントニウスとクレオパトラの出会い』は、イタリア語ではL'Incontroと言います。

l'incontroは、出会い、という意味です。
この作品は、ヴェネツィアにあるパラッツオ・ラビア(Palazzo Labia)で見ることが出来ます。





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サム・ワーシントン主演映画『タイタンの戦い』を見た感想
記事URL  カテゴリ | 外国映画 | 2012年04月25日(水)23時26分 | 編集 |
2012年4月25日(水)


4月22日(日)にテレビ朝日で、サム・ワーシントン主演の映画『タイタンの戦い(原題:Clash of the Titans)』をやっていたので録画して見ました。

この映画は1981年に公開された映画のリメイク版です。
1981年版ではゼウスをローレンス・オリヴィエ(Laurence Olivier)が演じています。

2012年4月25日サム・ワーシントン主演映画『タイタンの戦い』を見た感想 137

私がテレビで見た2010年版では主役のペルセウスをサム・ワーシントン(Sam Worthington)が演じ、イオをジェマ・アータートン(Gemma Arterton)が演じていました。

この映画は一般的に伝えられているギリシア神話とは異なる内容が多く、かなり脚色されています。

例えば2011年6月23日(木)の記事『ピエール・ミニャール『アンドロメダの解放』 loro2012.blog』で述べたように、一般的なギリシア神話ではペルセウスが怪物ケートスを退治してアンドロメダを解放した後、二人は結婚します。

ところがこの映画では、アンドロメダに襲いかかる怪物はクラーケンとされています。
クラーケンとは北ヨーロッパに伝承されている海の怪物です。

まあ、クラーケンでも海の怪物であることには違いありませんし、ペルセウスが持っていたメドゥーサの首を見せられて石と化す点は同じでした。

ただ、クラーケンが死ぬ間際に大暴れして周囲にある建造物をなぎ倒したため、海上に生贄として吊るされていたアンドロメダはその煽(あお)りを受けて海中へと落下します。

その後、アンドロメダがどうなったのかは描かれていないので不明です。
死んでしまったのでしょうか?

そして首尾よくクラーケンを退治したペルセウスは、ゼウスの計らいにより伴侶としてイオを与えられ、共に生きていくという筋立てになっています。

一般論として原作をわざわざ読まなくても映画を見れば内容は分かるということがよく言われます。

しかし、映画は監督の意向や上映時間の都合により原作とは大幅に異なるものに仕上がっている場合も結構あります。

今回の映画はまさに「原作」たるギリシア神話とはかなり異なる内容になっていました。

この映画には続編があり『タイタンの逆襲』という題名で現在公開中です。





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アンドレア・カザーリ『ルクレティア』
記事URL  カテゴリ | ローマ建国史絵画 | 2012年04月24日(火)13時24分 | 編集 |
2012年4月24日(火)


目次
1. 自害
2. 王政打破
3. 原題


今回取り上げる作品は、アンドレア・カザーリ作『ルクレティア』です。

2012年4月24日アンドレア・カザーリ『ルクレティア』451

1. 自害


ルクレティアは、タルクィニウスによって無理やり犯されました。
女性にとっては、残酷な強姦事件です。

しかし、このような一件を家族には内密にしておきたいと考える女性も、もしかしたらいるかも知れません。

ところがルクレティアは、すぐに父と夫を呼びました。
そして、真実を告白したのです。

一部始終を話した後、夫たちには必ず復讐して欲しいと言い残しました。
そしてルクレティアは、自害して果てたのです。

紀元前509年の出来事とされています。

アンドレア・カザーリ(1705-1784)は、短剣を腹部に刺して死んでいくルクレティアを描きました。

何ら落ち度のない妻が、美貌の持ち主であるという理由だけで、我が儘(まま)な王子に目を付けられました。

そして、このような理不尽な最期を迎えることになったわけです。


2. 王政打破


ルクレティアの夫であるコッラティヌスは、妻の復讐に向けて立ち上がります。
仲間を募り民衆に呼びかけ、最終的には、王家を打倒することに成功しました。

このルクレティア事件を契機とした反乱により、古代ローマの王政は崩壊し、共和政が始まることになります。

コッラティヌスは、新体制となった共和政ローマの共同執政官に就任します。

傲慢王と言われたタルクィニウス・スペルブス(在位:紀元前535-紀元前509)は、息子セクストゥスらと共に、ローマから追放されました。

初代王ロムルス(在位:紀元前753-紀元前715)以来続いてきた王政ローマは、250年足らずで終焉を迎えました。

コッラティヌスらが始めた共和政ローマは、この後、紀元前27年の帝政開始まで続く政体となりました。

なお、帝政ローマ初代皇帝は、アウグストゥス(在位:紀元前27-紀元14)です。


3. 原題


アンドレア・カザーリ(Andrea Casali)が制作した『ルクレティア』は、英語ではLucretiaと言います。

この作品は、ハンガリーの首都ブダペストにある美術館(Museum of Fine Arts)で見ることが出来ます。





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ジャンヌ・モロー主演映画『死刑台のエレベーター』を見た感想
記事URL  カテゴリ | 外国映画 | 2012年04月23日(月)00時13分 | 編集 |
2012年4月23日(月)


目次
1. あらすじ
2. 若者の貧弱な肉体


1. あらすじ


4月20日(金)に、NHKBSPでジャンヌ・モロー主演の映画『死刑台のエレベーター(原題:Ascenseur pour l'échafaud)』をやっていたので、録画して見ました。

この映画は、1958年に公開されたモノクロ映画で、フランス語音声、日本語字幕です。

主役のジャンヌ・モロー(Jeanne Moreau)は、社長夫人のフロランス・カララを演じています。

2012年4月23日ジャンヌ・モロー主演映画『死刑台のエレベーター』を見た感想 169

フロランスは、モーリス・ロネ(Maurice Ronet)が演じる愛人の男性従業員ジュリアン・タベルニエと共に、社長である夫シモン・カララの殺害を計画します。

会社での勤務中に、ジュリアンがカララ社長を殺害した後、近所のカフェで待つフロランスと合流し、車で逃亡する手はずになっていました。

ジュリアンは、犯行時刻には自分の執務室にいたというアリバイを作るために、社長室へと赴く際に、エレベーターを使用せず、建物の外壁をロープを使ってよじ登り、社長室へと辿り着きます。

その後、社長を拳銃で撃ち殺し、自殺したかのような痕跡を残して、社長室を離れます。

ここまでは、2人の計画通りだったのです。

ところが、ジュリアンが自分の執務室に急いで戻る際に、鉄柵に残したロープを、片付けるのを忘れてしまいます。

ジュリアンが、鉄柵に残されたこのロープの存在に気づいたのは、退社して建物の外に出て、路上に停めてあった自分の車に乗り込んで、エンジンをかけた後でした。

犯行を裏付ける証拠を残したままで、フロランスと共に逃げることは出来ません。

ジュリアンは、ロープを片付けるために、鍵をつけたまま車を放置して、建物に戻り、エレベーターに乗るのですが、上階へ向かう途中で、エレベーターが停止してしまいます。

ジュリアンが放置した車は、若い男女に無断で使われ、新たな犯罪に結びついていくのです。


2. 若者の貧弱な肉体


元軍人だったジュリアンはフロランスと共に、綿密な殺害計画を立てて実行しましたが、たった一つの失策により、逃亡計画は失敗に終わります。

ジュリアンが、ロープをしまうのを忘れなければ、あるいは、建物に戻る際に、車に鍵をかけておけば、あるいは、エレベーターが止まらなければ、あるいは、若い男女が車を盗まなければ・・・。

しかし、事態は、ジュリアンとフロランスにとって、悪い方へ悪い方へと展開して行きます。

監督のルイ・マル(Louis Malle)は、1932年生まれですので、この映画を監督したのは、25歳の時です。

ルイは、ジュリアンとフロランスが破滅へと向かう様子を、順を追って描く一方で、若い男女の浅はかな知恵と貧相な肉体を、克明に描きました。

この映画の一つの主題は、「若さの限界」です。

ジャンヌ・モロー(1928-)は、健在のようです。





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ティントレット『タルクィニウスとルクレティア』
記事URL  カテゴリ | ローマ建国史絵画 | 2012年04月22日(日)12時12分 | 編集 |
2012年4月22日(日)


目次
1. 抵抗する人妻
2. 原題


今回取り上げる作品はティントレット作『タルクィニウスとルクレティア』です。

2012年4月22日ティントレット『タルクィニウスとルクレティア』383

1. 抵抗する人妻


ティントレット(1518-1594)はタルクィニウスが今にもルクレティアに襲いかかろうとしている場面を描いています。

ルクレティアが最後まで抵抗する姿勢を見せたため、タルクィニウスは薄衣すらも破り捨てようとしています。

ルクレティアが抵抗する声を出すにつれてタルクィニウスはさらに欲情していきます。
ルクレティアの右足付近にはタルクィニウスが脅迫のために使用した短剣が落ちています。

もはやタルクィニウスにとっては刃物など必要ではありません。
力づくでルクレティアの熟れた肉体を我が物に出来るわけです。

美貌の人妻ルクレティアは、こうして王の息子によって強姦されました。

続きます。


2. 原題


ティントレット(Tintoretto)が制作した『タルクィニウスとルクレティア』は英語ではTarquin and Lucretiaと言います。

この作品はアメリカのイリノイ州シカゴにあるシカゴ美術館(The Art Institute of Chicago)で見ることが出来ます。





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ジェラール・フィリップ主演映画『赤と黒』を見た感想
記事URL  カテゴリ | 外国映画 | 2012年04月21日(土)13時37分 | 編集 |
2012年4月21日(土)


目次
1. 長編映画
2. 1955年版『チャタレイ夫人の恋人』


1. 長編映画


4月18日(水)と19日(木)の2日連続で、ジェラール・フィリップ主演の映画『赤と黒(原題:Le Rouge et le Noir)』をNHKBSPでやっていたので録画して見ました。

2012年4月21日ジェラール・フィリップ主演映画『赤と黒』を見た感想1 223

映画『赤と黒』が最初にフランスで公開されたのは1954年のことです。

今回NHKが放送したのは2009年にデジタルリマスターされた完全版で、フランス語音声、日本語字幕でした。

映画全編は192分と長いため前半と後半に分けて、2日間に渡る放送となりました。

2012年4月21日ジェラール・フィリップ主演映画『赤と黒』を見た感想2 428

主演のジェラール・フィリップ(Gérard Philipe)は1922年の生まれですので、映画撮影時は32歳ぐらいです。

ジュリアン・ソレルを演じるにはやや年上かなという感じですね。

ジュリアンと恋仲になるルイーズ・レナールを演じていたのはダニエル・ダリュー(Danielle Darrieux)です。

2012年4月21日ジェラール・フィリップ主演映画『赤と黒』を見た感想3 471

ダニエルは1917年の生まれで、映画撮影時は37歳ぐらいです。

ルイーズは美貌の町長夫人で2人の子持ちという設定ですが、ダニエルは容姿・年齢ともに当たり役だったと思います。

2012年4月21日ジェラール・フィリップ主演映画『赤と黒』を見た感想4 460

私は2009年8月にスタンダールの原作を光文社古典新訳文庫(上下巻)で読んでいるのですが、あれから2年以上が経ち小説の細部はかなり忘れていました。

今回映像化された作品を見て、改めて内容を思い出したところです。

『赤と黒』に限りませんが、映像作品というのは原作者の意図を踏まえてはいますが監督の解釈が多分に盛り込まれますので、原作本とは異なる描き方がなされる箇所がままありますね。

最後の場面は、小説ではラ・モール侯爵家令嬢のマチルドが登場したと記憶していますが、映画ではマチルドは出て来ませんでした。

2012年4月21日ジェラール・フィリップ主演映画『赤と黒』を見た感想5 436

2. 1955年版『チャタレイ夫人の恋人』


ジェラール・フィリップ(1922-1959)はこの映画の後、数本の作品に出演し、その後36歳の若さで病死しています。

ダニエル・ダリュー(1917-)は健在のようです。

ダニエルは1955年に公開された映画『チャタレイ夫人の恋人(原題:L'Amant de Lady Chatterley)』に主演しています。

美貌のダニエルが映画の中で際どい性描写に挑んでいるはずなので、是非とも見てみたいところです。


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ティツィアーノ・ヴェチェッリオ『タルクィニウスとルクレティア』
記事URL  カテゴリ | ローマ建国史絵画 | 2012年04月20日(金)13時12分 | 編集 |
2012年4月20日(金)


目次
1. 王政末期
2. 貞淑な妻
3. 強姦魔
4. 原題


今回取り上げる作品は、ティツィアーノ・ヴェチェッリオ作『タルクィニウスとルクレティア』です。

2012年4月20日ティツィアーノ・ヴェチェッリオ『タルクィニウスとルクレティア』441

1. 王政末期


古代ローマの初代王ロムルス(在位:紀元前753-紀元前715)以来、王政ローマに君臨した王は、全部で7人です。

最後の第7代王は、ルキウス・タルクィニウス・スペルブス(在位:紀元前535-紀元前509)といって、「傲慢王」という渾名(あだな)が付けられるほど、ローマ市民からの評判は悪い王でした。

ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(1490頃-1576)の作品名には、タルクィニウスという名前がありますが、これは第7代王ルキウス・タルクィニウス・スペルブスのことではありません。

ルキウス・タルクィニウス・スペルブスの息子である、セクストゥス・タルクィニウスを指します。
系譜を示します。

ルキウス・タルクィニウス・プリスクス(第5代王)→ルキウス・タルクィニウス・スペルブス(第7代王)→セクストゥス・タルクィニウス


王子セクストゥス・タルクィニウスの蛮行が、ローマを王政から共和政に移行させることになります。
その歴史の流れの中で犠牲者となり、自刃(じじん)して果てたのが、美貌の人妻ルクレティアです。


2. 貞淑な妻


戦地に赴いていた王子セクストゥス・タルクィニウスは、ルクレティアの夫コッラティヌスたちと共に、陣中を抜け出します。

そして、それぞれの妻が夫のいない間に、どのような生活をしているのかを、盗み見ることにしました。

要するに、貞節を守って生活しているかどうか、浮気していないかどうかを、確認しに行ったわけです。

セクストゥス・タルクィニウスら王家の妻たちは、宴会に興じて、不埒な生活を送っていました。
要するに、夫のいない間に、いろんな男性とセックスを楽しんでいた、ということですね。

一方、コッラティヌスの妻ルクレティアは、静かに夫の帰りを待ち、貞節を守って暮らしていました。

貞淑な人妻であるルクレティアの姿を見たセクストゥス・タルクィニウスは、一目で恋に落ちます。

傲慢王の息子として我儘勝手に振舞うことが許される立場にあったセクストゥス・タルクィニウスは、美貌のルクレティアと一夜を共にする計画を立てました。


3. 強姦魔


数日後、セクストゥス・タルクィニウスは、コッラティヌスの不在を狙って犯罪を決行します。
家の中にいたルクレティアに忍び寄り、王子であることを明かして、性交することを求めました。

普段は、いかに貞淑な妻を装っているとは言え、男から言い寄られたら心変わりする女がたくさんいることを、セクストゥス・タルクィニウスは経験上知っていました。

しかも、自分は王子という立場です。
この世で手に入らないものは何もない、と信じて生きています。

ところが、ルクレティアは貞節を守るために、セクストゥス・タルクィニウスの誘いを断りました。

恥をかかされたセクストゥス・タルクィニウスは、本性を剥き出しにして、力づくでルクレティアをものにしようと方針転換しました。

激昂したセクストゥス・タルクィニウスは、刃物をちらつかせ、怯えるルクレティアにこう言いました。


「言う通りにしなければ、奴隷と密会していたかのように見せかけて殺す!」


ルクレティアを強姦した後、殺すだけでなく、奴隷の死体を傍に置いて、ルクレティアが浮気をしていたと周囲が認めるような状況を作る、と言っているわけです。

つまり、ルクレティアが奴隷と密会している現場に、セクストゥス・タルクィニウスが偶然踏み込み、情事にふける2人を成敗するために、やむを得ず殺したと証言すれば、世間は王子であるセクストゥス・タルクィニウスの言うことを信じるだろう、ということです。

卑劣です。

権力を笠に着て、抵抗の意志を示している女性を黙らせるとは、卑怯以外の何物でもありません。
でも、現代でもこういう男は、恐らくいるのでしょうね。

続きます。


4. 原題


ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(Tiziano Vecellio)が制作した『タルクィニウスとルクレティア』は、英語ではTarquin and Lucretiaと言います。

この作品は、イングランドのケンブリッジ大学にあるフィッツウィリアム美術館(Fitzwilliam Museum)で見ることが出来ます。





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ジャック=ルイ・ダヴィッド『ホラティウス兄弟の誓い』
記事URL  カテゴリ | ローマ建国史絵画 | 2012年04月19日(木)15時25分 | 編集 |
記事のタグ: ルーヴル美術館
2012年4月19日(木)


目次
1. トゥッルス・ホスティリウス
2. ホラティウス三兄弟
3. 決闘の結末
4. 原題


今回取り上げる作品は、ジャック=ルイ・ダヴィッド作『ホラティウス兄弟の誓い』です。

2012年4月19日ジャック=ルイ・ダヴィッド『ホラティウス兄弟の誓い』260

1. トゥッルス・ホスティリウス


フランスの画家ジャック=ルイ・ダヴィッド(1748-1825)が描いているのは、紀元前669年の出来事です。

紀元前669年というと、王政ローマ第三代の王トゥッルス・ホスティリウス(在位:紀元前710-紀元前641)の時代です。

王政ローマは、以下のような7人の王の系譜になっています。

初代ロムルス(在位:紀元前753-紀元前717)→第二代ヌマ・ポンピリウス(在位:紀元前716-紀元前673)→第三代トゥッルス・ホスティリウス→(中略)→第七代タルクィニウス・スペルブス(在位:紀元前535-紀元前510)


ホスティリウスが王位に就いた頃のローマは、隣国アルバ・ロンガとの間で農地の境界を巡る争いを繰り広げていました。

話し合いで解決する道を探った第二代王ポンピリウスとは異なり、ホスティリウスは強国アルバ・ロンガとの戦争に突入します。

ただその方法論として、全面戦争は回避しました。
その代わり3名の代表者を選出し、その決闘で勝負を決めることになりました。


2. ホラティウス三兄弟


ローマ側から選ばれたのは、ホラティウス三兄弟です。
アルバ・ロンガ側から選ばれたのは、クリアトゥス三兄弟です。

ダヴィッドの作品において、向かって左端で3人の男が並んで立っています。
この兵士たちが、ホラティウス三兄弟です。

三兄弟に正対して剣を持ち、赤いマントを着ているのが父親です。
ホラティウス三兄弟は、父親に対してローマ式敬礼を行っています。

ローマ式敬礼とは、腕を前方に真っ直ぐに伸ばして手の平を下にして指先を伸ばすことが特徴です。

画面向かって右端では、3人の女性が描かれています。
白い衣装の女性は、ホラティウス家の女性でカミッラと言います。

カミッラはこの時点で、敵となったクリアトゥス三兄弟の一人と婚約をしていたのです。
つまり兄弟が勝てば婚約者は殺され、婚約者が勝てば兄弟が殺されるという立場にあるわけです。

カミッラの向かって左で茶色いマントを身につけているのは、サビニと言います。

サビニはクリアトゥス家の出身で、現在はホラティウス三兄弟の長兄の妻となっている身です。

つまり夫が勝てば実家の兄弟は殺され、実家の兄弟が勝てば夫が殺されるという立場にあるわけです。

カミッラとサビニが絶望的な態度で描かれているのは、そういう理由があるからです。

サビニの向かって左にいる黒装束の女性は、ホラティウス三兄弟の母です。
サビニが生んだ幼い子供二人を、祖母として抱き寄せているところです。


3. 決闘の結末


女たちの複雑な心境を振り切って、ホラティウス三兄弟は決闘の場へと向かいました。
戦いは結果的に、ホラティウス三兄弟の一人が勝ち残りローマ側の勝利が確定しました。

凱旋したホラティウスは、妹カミッラから恨み言を言われます。

カミッラは婚約者を殺されたのです。
カミッラは兄弟の勝利を喜ばず、婚約者の死を嘆き悲しみました。

その姿に激怒したホラティウスは、妹カミッラを殺害するに至るのです。


4. 原題


ジャック=ルイ・ダヴィッド(Jacques-Louis David)が描いた『ホラティウス兄弟の誓い』は、フランス語ではLe Serment des Horacesと言います。

le sermentが誓約という意味です。
この作品はルーヴル美術館(Musée du Louvre)で見ることが出来ます。





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サンドラ・ブロック主演映画『イルマーレ』を見た感想
記事URL  カテゴリ | 外国映画 | 2012年04月19日(木)00時21分 | 編集 |
2012年4月19日(木)


4月16日(月)に、BSジャパンでサンドラ・ブロック主演の映画『イルマーレ(原題:The Lake House)』をやっていたので、録画して見ました。

この映画は、2000年に韓国で公開された映画『イルマーレ』のリメイク版です。
韓国版では、チョン・ジヒョンが主役の女性を演じていました。

イルマーレとは、イタリア語のil mareのことで、il mareの語義は、海、です。

チョン主演版では、舞台は海辺の家になっていました。
サンドラ主演版では、海辺ではなく、湖畔の家に設定が変わっていました。

サンドラ版は、2006年を生きる女性医師(サンドラ・ブロック)と、2004年を生きる男性建築家(キアヌ・リーヴス)の恋愛を描いた作品です。

2012年4月19日サンドラ・ブロック主演映画『イルマーレ』を見た感想 223

2年の時差がありますので、そもそも恋愛は不可能なのですが、湖畔の家に設置されている郵便受けに、お互いが手紙を投函し合うことで、恋を育んでいきます。

例えば、私に置き換えれば、2014年4月を生きる女性と、手紙のやり取りを通じて恋愛しているようなものです。

この映画で監督が訴えたいことは、未来は変えられる、ということだと思います。

そして、この世で自分が受け取る手紙などの情報は、未来からの伝言という側面もある、ということです。

特に、行ってはいけない場所とか、会ってはいけない人とか、買ってはいけない物については、現在を生きる私たちには、なかなか判断ができません。

欲に負けて、自分の意志を貫くことの方が多く、結果、失敗し、傷つくのが常です。

恋愛している相手が、未来を知らないがために、意志を押し通し、その結果として、痛手を負ったり、死に至ることが予め分かっているのであれば、未来から伝言を送ることが出来る者は、何としてでもその「事実」を伝えなければと考えるわけです。

2年先の未来を生きるサンドラが、2年前の過去を生きるキアヌに「事実」を伝え、結果として、映画の中では、2つの人生が描かれるのです。

私は、チョン版の『イルマーレ』も随分前に見ているのですが、サンドラ版と同じく、感銘を受けたことを覚えています。


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ジャック=ルイ・ダヴィッド『サビニの女たち』
記事URL  カテゴリ | ローマ建国史絵画 | 2012年04月18日(水)13時38分 | 編集 |
記事のタグ: ルーヴル美術館
2012年4月18日(水)


目次
1. けんかをやめて
2. 原題


今回取り上げる作品は、ジャック=ルイ・ダヴィッド作『サビニの女たち』です。

2012年4月18日ジャック=ルイ・ダヴィッド『サビニの女たち』240

1. けんかをやめて


ローマで暮らしているサビニ人の女性たちが訴えた内容は、以下のとおりです。

「もし、ローマが敗れた場合、私たちは夫を失って、未亡人になってしまう。
もし、サビニが敗れた場合、私たちは父や兄を失うことになる。
もうこんな争いごとは、いい加減にしてもらいたい!」

その先頭に立ち、戦争の仲裁役を買って出たのが、ロムルスの妻ヘルシリアです。
ヘルシリアは、サビニ王ティトゥス・タティウスの娘でもあります。

つまり、彼女は両軍の最高責任者の家族、という立場にあったわけです。

ジャック=ルイ・ダヴィッド(1748-1825)が中央に描いている、しなやかな両腕を開いている女性がヘルシリアです。

画面向かって右側で、槍を投げつけようとしているのがロムルスです。
向かって左で、盾を掲げてやや腰が引けているのは、サビニ王ティトゥス・タティウスです。

ヘルシリア以外にも、大勢の女性たちが体を張って、この戦闘を止めようとしています。

この勇気ある行動が実を結び、ローマとサビニは和解します。
この後、ロムルスとタティウスは、2つの都市を共同で統治することを約束しました。


2. 原題


ジャック=ルイ・ダヴィッド(Jacques-Louis David)が制作した『サビニの女たち』は、フランス語ではLes Sabinesと言います。

この作品は、ルーヴル美術館(Musée du Louvre louvre.fr)に所蔵されています。





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セバスティアーノ・リッチ『ローマとサビニの戦い』
記事URL  カテゴリ | ローマ建国史絵画 | 2012年04月17日(火)14時14分 | 編集 |
2012年4月17日(火)


目次
1. 意外に幸せな女性たち
2. 戦争観の相違
3. 原題


今回取り上げる作品は、セバスティアーノ・リッチ作『ローマとサビニの戦い』です。

2012年4月17日セバスティアーノ・リッチ『ローマとサビニの戦い』216

1. 意外に幸せな女性たち


ロムルスによって拉致されたサビニ人の女性たちを取り戻すべく、サビニの男たちは兵を挙げます。
ローマ対サビニの戦いは、どちらも決め手を欠き、一進一退の戦況が続きました。

この戦いの中で、ローマで暮らすサビニの女性たちは、驚くような行動に出ます。
サビニの女性は、必ずしも故郷サビニの味方をしたわけではないのです。

そもそも、非人道的な行為を最初に仕掛けたのは、ローマです。

サビニの女性たちは、無理やり連れて来られたローマの社会を捨てて、サビニの社会に戻って暮らしていくのが本筋です。

拉致された後、ローマ人の男たちと結婚させられ、子供まで産んだ身だとしても、彼女たちの本拠地がサビニであることは変わりません。

ところがロムルスの懐柔策が功を奏し、サビニの女性たちはローマという社会に根を下ろし、それなりに幸せに暮らしていたのです。

ある程度、幸せを感じながら、拉致された女性たちが静かな生活を送っているところへ、サビニの男たちが女性たちを解放するために、正義の戦争を仕掛けて来ました。

両軍ともに決定打を欠くために、戦乱は思いの外、長引きます。

男達が繰り広げる無益な戦いを間近に見て、ホトホト嫌気が差したサビニの女性たちは、意を決して立ち上がりました。

イタリアの画家セバスティアーノ・リッチ(1659-1734)が描いているのは、両軍の兵士たちに戦いを止めるよう、戦場に赴いて説得しているサビニ女性たちの姿です。

サビニ女性たちは、ローマ人との間に生まれた子供を抱いて、兵士たちに無益な争いを止めるよう、懇願しているのです。


2. 戦争観の相違


男達は、戦争の勝利を一義的に願います。

戦いに臨む以上、勝つことが使命であり、たとえ自分が命を落としたとしても、最終的に自国が勝てばそれで良いという理解をした上で、戦いに赴きます。

一方、女性は戦争に関して、必ずしもそのような一義的な捉え方をしていません。

結果的に自国が戦争に勝ったとしても、自分の家族が戦死したのでは、女性にとっては、その戦争の勝利は、何の意味もないのです。

仮に自国が戦争に負けたとしても、父や夫や兄弟や息子が無事に戦地から帰還してくれれば、女性にとって最悪の事態は避けられた、ということになります。

男性の戦争観と女性の戦争観は、完全には一致しないのです。
その見解の相違が、古代ローマの時代に既に語られているということは、興味深いところです。


3. 原題


セバスティアーノ・リッチ(Sebastiano Ricci)が描いた『ローマとサビニの戦い』は、英語ではBattle of the Romans and the Sabinesと言います。

この作品は、ウィーンにあるリヒテンシュタイン美術館(Liechtenstein Museum)で見ることが出来ます。





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