映画とドラマと語学、そして株式投資へ
| ホーム loro2012 |
| 投稿 |
ジェイムズ・ティソート『兄弟に夢を解き明かすヨセフ』
記事URL  カテゴリ | 旧約聖書絵画 | 2012年06月30日(土)20時40分 | 編集 |
2012年6月30日(土)


目次
1. 生意気なヨセフ
2. ガリ勉は悪なのか?
3. 言葉を飲み込むしかないのか?
4. 原題


今回取り上げるのは、ジェイムズ・ティソート作『兄弟に夢を解き明かすヨセフ』です。

2012年6月30日ジェイムズ・ティソート『兄弟に夢を解き明かすヨセフ』242

1. 生意気なヨセフ


作品の題名になっているヨセフとは、ヤコブの息子です。
系譜を示します。

テラ→アブラハム→イサク→ヤコブ→ヨセフ


ヨセフは、父ヤコブや同母弟のベニヤミン、異母兄たちと共にカナンの地で暮らしていました。

才気煥発で生意気なところがあったヨセフは、異母兄たちを挑発するような発言を、日頃から繰り返していました。

ヨセフが夢で見た話をする時でも、兄たちが自分にひれ伏したというような内容を、得意になって喋り続けます。

いくら夢の中の話とは言え、年上の兄たちを従えるかのような発言をすれば、反感を買ってしまいます。

人間には誰しも、嫉妬心や憎しみという感情があることに、若いヨセフは思いが至らないのです。

知性の低い者は、自分に知性がないことは承知していますので、憎しみを晴らすためには、知力以外の手段を用いて、知性の高い者を挫折させようと画策するわけです。

その最たるものは、暴力ですね。

人の上に立つには、知性を磨くことも重要なのですが、人間の本質を理解し、それを踏まえた上で、心を磨くことがそれ以上に重要なのです。

そして、心は言葉に表れます。

人間の本質を掴んでいないヨセフは、その知性の高さが裏目に出て、後に、辛酸を嘗めることになりますが、まだヨセフはそのことを知りません。

ナント生まれの画家ジェイムズ・ティソート(1836-1902)が描いているのは、少年ヨセフが兄たちに、夢で見たことの意味を話している場面です。


2. ガリ勉は悪なのか?


一般論として、知性の高い者が、知性の低い者から尊敬を得られるかというと、必ずしもそうではありません。

なぜなら、知性の高い低いに関わらず、人間には、感情や欲望が等しく備わっていて、その感情や欲望を高圧的な方法で封じ込められると、反発心が芽生えるからです。

反発心は、やがて敵意へと変貌しますので、敵愾心(てきがいしん)を抱いた者の心の中には、もはや相手を敬う気持ちが生じる余地はなくなります。

一方、知性の高い者の立場からすると、知性の低い者は、努力も我慢もせず、実力もないくせに、知性の高い者に対して反発ばかりしている、と映るわけですね。

概して、この世は無能で怠惰な者の方が多い、と言えるでしょう。

無能だから怠惰になるのか、怠惰だから無能になるのか、どちらが先かは分かりませんが、いずれにしても、そんな者たちに、価値を生み出すような建設的な人生など、手に入る訳がありません。

そして、そうした無能で怠惰な者たちは、有能で勤勉な者に対して従順なのかというと、決してそうではなく、どちらかというと、ひねくれた態度を取る者が大半です。

無能で怠惰な者たちは、勤勉に生きた経験がないので、勤勉であり続けることがどれほど苦しいか、を理解できません。

そして、あろうことか、有能で勤勉な者が目障りとなり、彼らを引きずり下ろすことを、人生の目的とします。

しかし、それが、人間の本質なのです。

中学校や高校において、勤勉な生徒を「ガリ勉」呼ばわりし、勉強することなど無意味だと持論を展開する生徒がいますが、人間は、すでに10代で、有能で勤勉な者が目障りになっていることの証左ですね。


3. 言葉を飲み込むしかないのか?


私がブログを書く目的は、一つには、人間の本質を解き明かすことにあります。

私の書いていることが全て正しい、と押し付けるつもりはありませんが、若い読者の皆さんには、知性や体力などを高める努力に勤(いそ)しむ以外に、人間の本質を追求する努力も怠らないことを願っています。

ギリシア神話や聖書は、そのための格好の教材となります。

ギリシア神話や聖書を学んだ私が、若い読者のあなたに言えることは、結局、あなたの人生を左右するのは、知的水準の高さや技術の優秀さではなく、人間の本質を理解した上での言動が出来るかどうか、にかかっているということです。

平たく言うと、言いたいことの半分は、胸の中に収める、ということですね。
ただし、代弁者としての立場にいるのであれば、言うべきことは、言わなければなりませんが。

有能で勤勉な者が身に付けるべき真の実力とは、自分よりも優秀な者から信頼を得ること、そして、自分よりも劣る者には希望を与えること、だと言えるでしょう。

それが出来そうもないのなら、凡庸な人生を選択する方が良いかも知れません。

なまじの知識だけを頼りに革命騒ぎを起こして、火炎瓶を投げつけ、人々の社会生活を乱すことしか出来ない者よりは、平凡で我慢強く、地に足をつけた人生を送る人の方が、尊いと思っています。


4. 原題


ジェイムズ・ティソート(James Tissot)が描いた『兄弟に夢を解き明かすヨセフ』は、英語ではJoseph Reveals His Dream to His Brethrenと言います。

brethrenは、brotherの古語複数形です。

なお、ジェイムズ・ティソートは、James Jacques Joseph Tissotという名前で表記される場合も多いです。

この作品は、ニューヨークにあるユダヤ美術館(The Jewish Museum of New York)で見ることが出来ます。





関連記事

ジェイムズ・ティソート『エサウとヤコブの再会』
記事URL  カテゴリ | 旧約聖書絵画 | 2012年06月29日(金)12時19分 | 編集 |
2012年6月29日(金)


目次
1. 感動の再会
2. 原題


今回取り上げるのは、ジェイムズ・ティソート作『エサウとヤコブの再会』です。

2012年6月29日ジェイムズ・ティソート『エサウとヤコブの再会』220

1. 感動の再会


ナント生まれの画家ジェイムズ・ティソート(1836-1902)が描いているのは、エサウとヤコブが久しぶりに再会し、お互いの確執を捨て去り、仲良く暮らして行くことを誓っている場面です。

ヤコブからのたくさんの贈り物を受け取ったエサウは、過去に生じた蟠(わだかま)りを解く、と言いました。

ようやく兄弟の和解が成立し、ヤコブは何も恐れる必要なく、カナンへと戻ることが出来たのです。


2. 原題


ジェイムズ・ティソート(James Tissot)が描いた『エサウとヤコブの再会』は、英語ではThe Meeting of Esau and Jacobと言います。

なお、ジェイムズ・ティソートは、James Jacques Joseph Tissotという名前で表記される場合も多いです。

この作品は、ニューヨークにあるユダヤ美術館(The Jewish Museum of New York)で見ることが出来ます。





関連記事

ジェイムズ・ティソート『エサウがやって来るのを見つめるヤコブ』
記事URL  カテゴリ | 旧約聖書絵画 | 2012年06月28日(木)20時37分 | 編集 |
2012年6月28日(木)


目次
1. エサウとヤコブの和解
2. 原題


今回取り上げるのは、ジェイムズ・ティソート作『エサウがやって来るのを見つめるヤコブ』です。

2012年6月28日ジェイムズ・ティソート『エサウがやって来るのを見つめるヤコブ』240

1. エサウとヤコブの和解


天使との格闘の後、ヤコブはエサウと再会することになります。

ナント生まれの画家ジェイムズ・ティソート(1836-1902)が描いているのは、エサウが大勢の者を引き連れてヤコブに会いに来ているのをヤコブが小高い丘から眺めている姿です。

画面中央で白い服を着て右手に杖を持っているのがヤコブです。
兄弟の確執が解けるのも、もう間近です。


2. 原題


ジェイムズ・ティソート(James Tissot)が描いた『エサウがやって来るのを見つめるヤコブ』は、英語ではJacob Sees Esau Coming to Meet Himと言います。

なおジェイムズ・ティソートは、James Jacques Joseph Tissotという名前で表記される場合も多いです。

この作品はニューヨークにあるユダヤ美術館(The Jewish Museum of New York)で見ることが出来ます。





関連記事

ウジェーヌ・ドラクロワ『天使とヤコブの闘い』
記事URL  カテゴリ | 旧約聖書絵画 | 2012年06月27日(水)20時25分 | 編集 |
2012年6月27日(水)


目次
1. ハランを去るヤコブ
2. カナンへの帰途
3. ヤボク川での決闘
4. 原題


今回取り上げる作品は、ウジェーヌ・ドラクロワ作『天使とヤコブの闘い』です。

2012年6月27日ウジェーヌ・ドラクロワ『天使とヤコブの闘い』407

1. ハランを去るヤコブ


異国の地ハランで、晴れてラケルと結婚したヤコブは、その後、一緒に暮らすラバンやその息子たちから、様々な嫌がらせを受けていました。

いつの時代でも、どの民族でも、よそ者に対する排除行動や陰湿ないじめが横行しているということは、それらは人間の本能なのかも知れません。

本能だとすれば、その本能は倫理上、間違っているのですが、間違っていても止められないから本能だと言えるわけですね。

ギリシア神話や聖書を学ぶと、この世の限界や人間の限界が見えて来て、絶望的になってしまいます。

それでも、諦めずにこの世を良くして行く努力を続けるのが、私たち大人に課せられた使命なのですが、その努力の道のりは、途方も無く長く、どれだけ歩んでも一向に終着点が見えないので、途中で息切れする人の方が多いわけです。

さて、執拗な意地悪をされて、ついに我慢の限界に達したヤコブは、家族を連れて故郷のカナンへ戻ることをラバンに申し出ます。

ところが、義父ラバンは、ヤコブの帰郷案に対して、色好い返事をしませんでした。
ラバンは、奴隷的労働力の担い手としてのヤコブを、手放すつもりがなかったのでしょうね。

そうしたラバンの真意を見抜いていたヤコブは、ラバンの許可なしでハランを去ることにしました。

人間関係が決裂しても構わないと腹を括る場合は、自分の行為に対する相手の許可など、いらないわけです。

ヤコブは、かつて、兄エサウと決裂し、今また、義父ラバンとも決裂しました。
ただ、決裂したからといって、ヤコブに協調性がなかった、と断じることは出来ませんね。

ヤコブに対して不誠実だったのは、エサウやラバンの方です。

諍(いさか)いの原因を作った者が罰せられるべきですので、本来であれば、エサウやラバンが経済的にも肉体的にも追い込まれるべきです。

ところが、この世は必ずしも、正が邪に勝つわけではないのです。

邪の側がのうのうと生きる一方で、正の側が塗炭の苦しみを被ることが往々にしてあるのが、この世なのです。

この世の不条理は、旧約聖書の時代から延々と続いているわけですね。


2. カナンへの帰途


ヤコブは、二人の妻、レアとラケル、及び子供たち、さらには彼が所有する多くの家畜を連れて、一路カナンの地を目指します。

ヨルダン川に差し掛かったあたりで、ヤコブ一行は、川のほとりで夜営することにしました。

ヤコブはカナンへ入る前に、兄エサウとの人間関係を修復する必要性を感じていました。

そもそもヤコブがハランまで逃げて行ったのは、長子権を失ったエサウによって殺される危険を回避するためでした。

あれから20年が経過しているとは言え、エサウの恨みが消えていない可能性も高い、とヤコブは判断しました。

そこで夜が明ける前に、従者たちをヤギやラクダなどと共に、一足先にカナンへと送り出すことにしました。

ヤコブが引き連れて来た数多くの家畜は、今後は、全て兄エサウのものであり、ヤコブとしては兄と争う意志がないことを表明するためです。

従者たちの出発を見送った後、ヤコブは残った妻二人と子供たち、そして側女たちと一緒に、夜が明ける前にヤボク川を渡ることにしました。

ヤボク川はヨルダン川の支流で、現在のザルカ川に同定されています。


3. ヤボク川での決闘


ヤコブ以外の全員が、夜のヤボク川を渡り終えた後、ヤコブだけがまだ川を渡らずに、川岸に残っていました。

ヤコブがこれから川を渡ろうとした時、何者かがヤコブに組みついてきました。
闇の中でヤコブは、誰だか分からない相手と格闘します。

両者一歩も譲らず、二人の格闘は夜明け近くまで続きました。
間もなく夜が明けるという時間帯になった頃、相手は格闘を中止し、身分を明かします。

「私は天使である。お前はこれからイスラエルと名乗るが良い。」

そう言い残して、天使は消えました。
イスラエルとは、神に勝った者、という意味で、現在のイスラエルの国名の由来となっています。

ウジェーヌ・ドラクロワ(1798-1863)は、ヤコブが有翼の天使と戦っている場面を描いています。

向かって右で、下を向いて、前のめりになっているのがヤコブです。
向かって左に描かれた天使は、後退(あとずさ)りしながらも、余裕の表情を浮かべています。

時間帯は夜明け前ですので、ヤコブには相手の姿が見えてはいません。


4. 原題


ウジェーヌ・ドラクロワ(Eugène Delacroix)が描いた『天使とヤコブの闘い』は、フランス語ではLa Lutte de Jacob avec l'Angeと言います。

la lutteが、格闘、という意味です。
この作品は、パリにあるサン=シュルピス教会(L'église Saint-Sulpice)が所蔵しています。





関連記事

ヘンドリック・テル・ブルッヘン『ラバンを非難するヤコブ』
記事URL  カテゴリ | 旧約聖書絵画 | 2012年06月26日(火)20時22分 | 編集 |
2012年6月26日(火)


目次
1. 7年間の無償奉仕
2. 騙されるヤコブ
3. もう7年の無償奉仕
4. 原題


今回取り上げる作品は、ヘンドリック・テル・ブルッヘン『ラバンを非難するヤコブ』です。

2012年6月26日ヘンドリック・テル・ブルッヘン『ラバンを非難するヤコブ』284

1. 7年間の無償奉仕


ラケルに恋をしたヤコブは、伯父ラバンにラケルとの結婚を認めてくれるよう頼みました。
ラバンは、7年間無償で働くことを条件に承諾します。

ヤコブは、7年の長きにわたって主に羊飼いとして、ラバンの元で働きました。
無償労働という辛さを乗り越えることが出来たのは、ラケルへの愛があったからです。

そしてラケルもヤコブの愛に応え、7年間待ち続けました。


2. 騙されるヤコブ


ようやく7年が経ち、晴れてヤコブはラケルを妻として娶ることが出来るようになりました。
義父となったラバンから最終承諾を得て、ヤコブはラケルとの新婚初夜を迎えました。

翌朝、陽が昇ってからヤコブは、隣で眠っているラケルの顔を見ました。
すると、その女性はラケルではなく、姉のレアだったのです。

怒り心頭のヤコブは、ラバンに詰め寄ります。

「約束が違うではないか!」

ラバンは、素知らぬ顔で答えました。

「姉が先に嫁に行くのが、しきたりである。レアより先に、ラケルを嫁がせることは出来ない。」

オランダの画家ヘンドリック・テル・ブルッヘン(1588-1629)が描いているのは、ラバンを非難するヤコブと、それに反論するラバンの姿です。

向かって左で、赤い服を着ているのがヤコブです。
右手を差し出して、ラバンの卑劣なやり方を強く批判しています。

ラバンは椅子に深々と座り、若いヤコブの言うことなどまるで聞く耳を持たない様子です。
「しきたり」という言葉一辺倒で、ヤコブの主張を退けます。

ラバンの隣で立っているのが、ラケルの姉のレアです。
父と共謀してヤコブと初夜を共にし、夫を手に入れたのです。


3. もう7年の無償奉仕


ヤコブは、美しいラケルを諦めることなど出来ません。
どうすればラケルと結婚出来るのかを、ラバンに問い質しました。

ラバンは、後7年の無償奉仕を条件としました。
常識的に考えて、この条件は無茶苦茶です。

ラバンは、最初からヤコブを騙すつもりだったのでしょう。
一番卑劣なのは、ラバンです。

しかし、ヤコブはこの卑怯なやり方を受け入れ、追加の7年の無償労働に従事することになるのです。
そこまでしてラケルを妻にしたいというヤコブの想いは、少なくともラケルには届いていました。

ヤコブが14年待ったということは、ラケルも14年待ったわけです。
14年間、二人の間には、性交渉はありません。

ヤコブとラケルが初めて出会ってから14年後、二人は念願の結婚式を挙げることが出来たのです。


4. 原題


ヘンドリック・テル・ブルッヘン(Hendrick ter Brugghen)が描いた『ラバンを非難するヤコブ』は、英語ではJacob reproaching Labanと言います。

reproach Zは、Zを咎(とが)める、という意味です。

この作品は、ロンドンのナショナル・ギャラリー(The National Gallery, Trafalgar Square, London)で見ることが出来ます。





関連記事

ヨーゼフ・フォン・フューリッヒ『ラケルと出会うヤコブ』
記事URL  カテゴリ | 旧約聖書絵画 | 2012年06月25日(月)13時02分 | 編集 |
2012年6月25日(月)


目次
1. ハランの井戸端
2. 原題


今回取り上げる作品は、ヨーゼフ・フォン・フューリッヒ作『ラケルと出会うヤコブ』です。

2012年6月25日ヨーゼフ・フォン・フューリッヒ『ラケルと出会うヤコブ』221

1. ハランの井戸端


ヤコブは、ようやくハランの街へ到着しました。
街のはずれにある井戸の傍で、ヤコブはラバンの家がどこにあるのかを、道行く人に尋ねます。

しばらくして、羊の群れを連れた若い娘が、井戸へとやって来ました。
周囲にいる者が、ヤコブに言いました。

「あれが、ラバンの娘ラケルですよ。」

ヤコブは女性に近寄り、自分がリベカの息子であることを告げました。
二人は抱き合い、出会えたことを喜び合います。

ラケルは取りも直さず、父のところへ知らせに走りました。

ラケルから話を聞いたラバンは、ヤコブが待っている場所へと赴きます。
そして、遠路はるばるやって来たヤコブを歓迎して、自宅へと連れて行きました。

オーストリアの画家ヨーゼフ・フォン・フューリッヒ(1800-1876)は、ヤコブとラケルが初めて出会った瞬間を描いています。

画面中央で、赤い服を着ているラケルが、右手に杖を持っているのは、彼女が羊の群れを連れているからですね。

美しいラケルを見初めたヤコブは、ラケルとの結婚を望みました。
しかしその代償として、ヤコブはこの後ラバンの元で、14年間タダ働きを強いられることになります。

続きます。


2. 原題


ヨーゼフ・フォン・フューリッヒ(Joseph von Führich)が描いた『ラケルと出会うヤコブ』は、ドイツ語ではJakob begegnet Rachel mit den Herden ihres Vatersと言います。

begegnen Zは、Zに偶然出会う、という意味です。

die Herdenは、die Herdeの複数形で、家畜の群れ、という意味です。
mitが3格支配の前置詞ですので、定冠詞はdenになっています。

この作品は、ウィーンのベルヴェデーレ宮殿内にある、オーストリア・ギャラリー(Österreichische Galerie Belvedere)で見ることが出来ます。





関連記事

フェルディナント・ボル『ヤコブの天国の梯子の夢』
記事URL  カテゴリ | 旧約聖書絵画 | 2012年06月24日(日)20時19分 | 編集 |
2012年6月24日(日)


目次
1. 神の家
2. 原題


今回取り上げる作品は、フェルディナント・ボル作『ヤコブの天国の梯子の夢』です。

2012年6月24日フェルディナント・ボル『ヤコブの天国の梯子の夢』441

1. 神の家


オランダの画家フェルディナント・ボル(1616-1680)は、「ヤコブの梯子」を題材とするにあたり、天使の姿に焦点を当てて描いています。

向かって右下で、岩に横たわっているヤコブは、眼を閉じて完全に眠っている状態です。
従って、この場面はヤコブが実際に目にした光景ではなく、夢の中の出来事であることがわかります。

画面中央に立つ有翼の天使は、ヤコブに向かって右手をかざし、祝福を与えています。
天使は、次のようにヤコブに告げました。

「私は常にあなたと共にあり、決してあなたを見捨てない。」

ヤコブは目覚めた後、この場所を神の家と考え、ベテルと名付けました。
神から祝福を受けたヤコブは、大いに勇気づけられてハランへと向かいます。


2. 原題


フェルディナント・ボル(Ferdinand Bol)が描いた『ヤコブの天国の梯子の夢』は、ドイツ語ではJakobs Traum von der Himmelsleiterと言います。

Traumは、夢、という意味です。
die Himmelsleiterは、der Himmel(天国)とdie Leiter(梯子)の合成語です。

von+2格は所有代名詞の代用となりますので、定冠詞は2格のderになっています。

この作品は、ドイツ東部の都市ドレスデンにある国立美術館(Staatliche Kunstsammlungen Dresden)で見ることが出来ます。





関連記事

ホセ・デ・リベーラ『ヤコブの夢』
記事URL  カテゴリ | 旧約聖書絵画 | 2012年06月23日(土)20時14分 | 編集 |
記事のタグ: プラド美術館
2012年6月23日(土)


目次
1. 逃げるヤコブ
2. 荒野での夢
3. 原題


今回取り上げる作品は、ホセ・デ・リベーラ作『ヤコブの夢』です。

2012年6月23日ホセ・デ・リベーラ『ヤコブの夢』256

1. 逃げるヤコブ


次男のヤコブに相続権を騙し取られた長男のエサウは、復讐を誓います。
ヤコブさえ死んでしまえば、相続権は再びエサウのものになるのです。

エサウは、かつて、空腹に耐えかねて、ヤコブに長子権を譲り渡して、その見返りにレンズマメの食事を選択したという事実など、とっくに忘れています。

現代でも、自分にとって都合の悪い過去の事実は、綺麗さっぱり忘れて、自分の立場を守るための発言権だけは維持しようとする幼稚な者がいますが、どの民族でも似たような者がいるわけですね。

さて、エサウは父イサクが死ぬ時を待って、ヤコブを殺害する計画を立てていました。
エサウが具体的な行動に出る前に、母リベカはヤコブを逃がすことにしました。

ヤコブが向かった先は、ハランです。
ハランは、リベカの故郷です。

ハランには、リベカの兄ラバンが暮らしています。
ヤコブは叔父ラバンの庇護を期待して、カナンの地を去ることになりました。


2. 荒野での夢


ヤコブは、荒野を逃亡する毎日に疲れ果てていました。
ある日、ヤコブは岩の上で横たわることにします。

そして、いつしか眠りに落ちました。
夢の中で不思議な光景が繰り広げられました。

一本の梯子(はしご)が地上から伸びて天まで達し、天使たちがその梯子を昇り降りしているのです。
そして、天使の一人がヤコブに告げました。

「私は常にあなたと共にあり、決してあなたを見捨てない。」

この夢に現れた梯子は、後に「ヤコブの梯子」と呼ばれ、ユダヤ民族の中で語り継がれることになります。

ホセ・デ・リベーラ(1591-1652)の作品では、ヤコブの頭上に見える光の筋の中に、「ヤコブの梯子」や天使の姿が描かれていると言われています。

ただ、梯子が明瞭に描かれているわけではありません。
あくまでも、夢の中の出来事という側面を強調した描き方になっています。


3. 原題


ホセ・デ・リベーラ(José de Ribera)が描いた『ヤコブの夢』は、スペイン語ではEl sueño de Jacobと言います。

el sueñoが、夢、という意味です。

この作品は、プラド美術館(Museo Nacional del Prado)で見ることが出来ます。





関連記事

ホーファールト・フリンク『ヤコブを祝福するイサク』
記事URL  カテゴリ | 旧約聖書絵画 | 2012年06月22日(金)13時51分 | 編集 |
2012年6月22日(金)


目次
1. 視力が低下するイサク
2. 欺かれたイサク
3. 原題


今回取り上げる作品は、ホーファールト・フリンク作『ヤコブを祝福するイサク』です。

2012年6月22日ホーファールト・フリンク『ヤコブを祝福するイサク』270

1. 視力が低下するイサク


エサウとヤコブの兄弟の間では、長子権の受け渡しが約束されました。
しかし、父イサクは既定方針通り、長男のエサウに跡を継がせるつもりでいます。

ヤコブを愛していた母レベッカは、何とかしてヤコブへの長子権移譲を、夫イサクに認めさせなければなりません。

兄弟間での口約束があるとはいえ、決定権者であるイサクに対して、何も働きかけをしなければ、原則としては、長男のエサウが家督を継ぐことになるからです。

レンズマメ事件から、数年が経過しました。

年老いたイサクは、老衰で目がかすみ、物の見分けがつかなくなっていました。
双子の息子たちの姿さえも、目で確認することは容易ではなくなっていたのです。

こうした健康状態の中で、イサクは跡取りの話に決着をつけるため、長男のエサウを枕元に呼び、次のように言いました。

「まずは、野原で獲物を捕り、私に料理を作って欲しい。その後で、お前に財産を相続させる。」


エサウは父の命に従い、弓矢を取って野原へと駆け出しました。
弟ヤコブと数年前に交わした口約束など、反故(ほご)にする腹づもりです。

夫と長男のやりとりを聞いていたリベカは、一計を案じます。

そして、イサクに出す料理をリベカが作り、ヤコブに持って行かせることにしました。
その際に、ヤコブの両腕には子ヤギの毛皮を巻きつけたのです。

こうしてヤコブは、エサウになりすまして父の元へと向かったのでした。


2. 欺かれたイサク


ヤコブに食事を届けてもらったイサクは、相手がエサウだと信じ込んでいます。
イサクは満足気にぶどう酒を飲みながら、食事を楽しみました。

そして、床に入ったイサクは息子を傍に呼び、相続の話を切り出しました。
イサクは、そばに来た子供は長男のエサウだと勘違いしています。

イサクは目が見えないので、長男かどうかを確認するために息子の手に触ると、毛皮のような肌触りです。

このことにより、イサクは今ここにいる子どもが、エサウだと確信しました。

生まれながらに毛皮のような手をしていたのは、兄のエサウでしたね。

そして、イサクは、エサウになりすましたヤコブに向かって相続権を与えることを宣言し、祝福したのです。

ホーファールト・フリンク(1615-1660)の作品では、目の見えないイサクが、ヤコブの左手を握っている姿が描かれています。

そして、右手をヤコブの頭にかざし、祝福を与えているのです。
イサクは相手がエサウだと思っていますし、妻のリベカも今ここにいるのはエサウだと言っています。

リベカとヤコブの作戦勝ちですね。
エサウは欠席裁判で、正式に長子権を失いました。

全てのことが終わった後で、エサウは狩りから戻りました。
エサウは、弟ヤコブの騙し討ちのようなやり方を非難します。

しかし、もはや時既に遅し・・・。
この後、エサウはヤコブに対して、殺意を抱くようになります。

続きます。


3. 原題


ホーファールト・フリンク(Govert Flinck)が制作した『ヤコブを祝福するイサク』は、英語ではIsaac Blessing Jacobと言います。

この作品は、アムステルダム国立美術館(Rijksmuseum Amsterdam)で見ることが出来ます。





関連記事

マティアス・ストーメル『エサウとヤコブ』
記事URL  カテゴリ | 旧約聖書絵画 | 2012年06月21日(木)11時52分 | 編集 |
記事のタグ: エルミタージュ美術館
2012年6月21日(木)


目次
1. 双子の兄弟
2. レンズマメの煮物
3. 原題


今回取り上げる作品は、マティアス・ストーメル作『エサウとヤコブ』です。

2012年6月21日マティアス・ストーメル『エサウとヤコブ』246

1. 双子の兄弟


イサクが60歳の時に妻リベカは双子の兄弟を生みました。
兄はエサウ、弟はヤコブと名付けられます。

イサクは40歳の時にリベカと結婚しましたので、子どもが授かるまでに20年かかったということになります。

兄のエサウは生まれた時に全身が毛皮のようであったと記されています。
エサウは長じて狩人となり父イサクからは愛されていました。

しかし、母のリベカは穏やかな性格の弟ヤコブを愛していました。


2. レンズマメの煮物


ある日、家でヤコブがレンズマメの煮物料理をしているところにエサウが狩りから帰宅します。
空腹に耐えかねたエサウが料理を欲しがるとヤコブは交換条件を出しました。

「長子権を譲ってくれるなら、レンズマメの煮物料理を食べさせてやっても良い。」


長子権とは財産・家督を一括して相続する権利です。

エサウは大切な長子権を失うことを承知の上で目先の料理に飛びついたわけで、一人の人間として思慮が浅すぎますね。

オランダの画家マティアス・ストーメル(1600-1652)の作品では向かって右がエサウです。

エサウは左手に狩りの獲物を持っています。
右手で皿を掴んで一刻も早く食欲を満たすことしか考えていない表情ですね。

向かって左はヤコブです。
エサウに対して食事を与える代わりに長子権を譲り渡すよう話している場面です。

中央の女性は母リベカです。

エサウがヤコブに長子権を譲り渡すと発言したことを聞いて、満足そうな視線を鑑賞者に投げかけています。

現代においても、私たち人間は食欲や性欲を完全に統制することは実際問題としては極めて困難です。

しかし、だからと言って一時的な欲望を満たすために大切な権利を簡単に放棄してしまうのは、少なくとも人の上に立つ人物のすることではありません。

続きます。


3. 原題


マティアス・ストーメル(Matthias Stomer)が描いた『エサウとヤコブ』は、ロシア語ではИсав и Иаковと言います。

иは英語のandに相当する語です。

この作品はエルミタージュ美術館(Государственный Эрмитаж)で見ることが出来ます。

なおMatthias StomerはMatthias Stomと綴る場合もあります。
ロシア語ではМатиас Стомерと綴ります。





関連記事

ジョヴァンニ・ベネデット・カスティリョーネ『イサクとリベカの出会い』
記事URL  カテゴリ | 旧約聖書絵画 | 2012年06月20日(水)20時12分 | 編集 |
記事のタグ: エルミタージュ美術館
2012年6月20日(水)


目次
1. カナンへ向かうリベカ
2. 原題


今回取り上げる作品は、ジョヴァンニ・ベネデット・カスティリョーネ作『イサクとリベカの出会い』です。

2012年6月20日ジョヴァンニ・ベネデット・カスティリョーネ『イサクとリベカの出会い』235

1. カナンへ向かうリベカ


アブラハムの従僕エリエゼルは、リベカの父ベトエルと面会し、事の次第を説明した上で、ベトエル家に対してアブラハムからの贈り物を差し出します。

エリエゼルから一部始終を聞いたベトエルは、この結婚話を承諾しました。

リベカはアラム・ナハライムの街を後にして、一路カナンへと向かうことになりました。

ジョヴァンニ・ベネデット・カスティリョーネ(1609-1664)が描いているのは、カナンで待っていたイサクのところへ、レベッカが到着した場面です。

40歳になったイサクが、妻となるリベカと初めて会った時の様子が描かれています。

イサクと結婚したリベカは、20年後、つまり、イサクが60歳の時に、双子のエサウとヤコブを生むことになります。

後年、ヤコブはカナンを離れて、母リベカの故郷アラム・ナハライム、すなわちハランへとやって来ることになるのです。


2. 原題


ジョヴァンニ・ベネデット・カスティリョーネ(Giovanni Benedetto Castiglione)が制作した『イサクとリベカの出会い』は、ロシア語ではВстреча Исаака и Ревеккиと言います。

Встречаが、出会い、という意味です。

この作品は、エルミタージュ美術館(Государственный Эрмитаж)で見ることが出来ます。





関連記事

ニコラ・プッサン『エリエゼルとリベカ』
記事URL  カテゴリ | 旧約聖書絵画 | 2012年06月19日(火)13時01分 | 編集 |
記事のタグ: ルーヴル美術館
2012年6月19日(火)


目次
1. 結婚話
2. 原題


今回取り上げる作品は、ニコラ・プッサン作『エリエゼルとリベカ』です。

2012年6月19日ニコラ・プッサン『エリエゼルとリベカ』195

1. 結婚話


水を分け与えてもらったエリエゼルは、リベカに自分がここにいる理由を話しました。
突然の結婚話に、リベカは驚いたことでしょう。

リベカは、「神の導き」という事情を理解出来る娘でした。
そして、結婚を受け入れる意思を表示します。

遠路はるばるアラム・ナハライムまで派遣されたエリエゼルは、首尾よくその役目を果たしたのです。

ニコラ・プッサン(1594-1665)が描いているのは、エリエゼルがリベカに指輪を渡している場面です。

画面中央向かって右の、青い服を着て右手を胸に当てている女性がリベカです。
リベカに正対しているエリエゼルは、右手に指輪を持っています。

周囲にいる娘たちは、突然の出来事に戸惑いの表情を見せています。
二人のやりとりを、好奇の眼差しで見つめている女性たちもいますね。

続きます。


2. 原題


ニコラ・プッサン(Nicolas Poussin)が描いた『エリエゼルとリベカ』は、フランス語ではEliézer et Rébeccaと言います。

この作品は、ルーヴル美術館(Musée du Louvre)で見ることが出来ます。





関連記事

バルトロメ・エステバン・ムリーリョ『リベカとエリエゼル』
記事URL  カテゴリ | 旧約聖書絵画 | 2012年06月18日(月)12時08分 | 編集 |
記事のタグ: プラド美術館
2012年6月18日(月)


目次
1. イサクの嫁探し
2. テラの曾孫
3. 原題


今回取り上げる作品は、バルトロメ・エステバン・ムリーリョ作『リベカとエリエゼル』です。

2012年6月18日バルトロメ・エステバン・ムリーリョ『リベカとエリエゼル』235

1. イサクの嫁探し


アブラハムは、息子イサクの結婚相手として、居を構えているカナンの土地に住む女性よりも、カルデア人女性を希望しました。

カルデアとは、広大なメソポタミア地方を指します。
後に、新バビロニア王国(紀元前625-紀元前539)が領土とした地域に相当します。

アブラハムは、カルデアのウルという街で生まれました。
ウルは、現在のイラク南部にある街です。

アブラハムの父テラは、一族を引き連れて、ウルからハランへと向かったのでした。
ハランの街を含む地域は、アラム・ナハライムと呼ばれていました。

イサクにとって相応しい女性を探すために、アブラハムはアラム・ナハライムへと従僕を派遣します。
従僕の名は、エリエゼルと言います。

アブラハムの意を受けたエリエゼルは、多くの贈り物を携えて、ラクダに乗ってカナンを出発しました。

目的地であるアラム・ナハライムに辿り着いたエリエゼルは、町はずれに作られた共同水汲み場で、ラクダを留めました。

そして、エリエゼルは、水汲み場を出入りするたくさんの女性たちを眺めていました。

これだけ多くの女性たちの中から、イサクの妻になる女性を見出すのは、容易ではありません。
エリエゼルが途方に暮れていると、次のような神の啓示がありました。

「イサクの妻になる女性は、お前とラクダに水を分け与えるだろう。」

しばらくしてエリエゼルの傍に、水瓶を両肩に乗せた女性がやって来ました。
エリエゼルは意を決して、その女性に話しかけます。

「水を分け与えていただきたい。あなたの水瓶を、私が飲めるように傾けて下さい。」

その女性は優しい態度で、エリエゼルに返事をします。

「わかりました。どうぞお飲み下さい。そしてあなたのラクダにも、水を与えましょう。」

エリエゼルは、この女性こそイサクの妻になる人だ、と確信したのです。


2. テラの曾孫


この女性の名は、リベカと言います。
リベカは、父ベトエルと兄ラバンと一緒に暮らしていました。

ベトエルの父はナホルと言って、アブラハムの弟にあたります。
テラを起点とした系図を2つ書くと、こうなります。

テラ→アブラハム→イサク

テラ→ナホル→ベトエル→リベカ


ムリーリョ(1617-1682)が描いているのは、リベカから水を分けてもらっているエリエゼルの様子です。

中央で、赤い布を胸から下に巻いているのがリベカです。

初対面の男が水を飲んでいる姿をじっと見つめるのは良くないと判断して、リベカは顔を背けていますね。

一方、向かって右側に描かれている娘たちは、興味津々でエリエゼルの様子を眺めています。

続きます。


3. 原題


バルトロメ・エステバン・ムリーリョが描いた『リベカとエリエゼル』は、スペイン語ではRebeca y Eliezerと言います。

この作品は、プラド美術館(Museo Nacional del Prado)で見ることが出来ます。





関連記事

ドメニキーノ『イサクの犠牲』
記事URL  カテゴリ | 旧約聖書絵画 | 2012年06月17日(日)12時22分 | 編集 |
記事のタグ: プラド美術館
2012年6月17日(日)


目次
1. アブラハムとサラの子
2. 試される信仰
3. モリヤの山
4. この世の子羊
5. 原題


今回取り上げる作品は ドメニキーノ作『イサクの犠牲』です。

2012年6月17日ドメニキーノ『イサクの犠牲』356

1. アブラハムとサラの子


イサクとはアブラハムとサラの子です。

長らく子に恵まれなかったサラは出産を諦めていました。
ところが90歳になって男の子を生むことが出来ました。

その男の子がイサクです。

まあ、90歳という年齢での出産は荒唐無稽な話ではあります。

しかし旧約聖書『創世記』に書かれている内容を全て現代の社会通念で解釈しようとすることには無理があります。

現代と『創世記』の時代とは色んな面で分けて考えるべきでしょうね。


2. 試される信仰


アブラハムにとってイサクは正妻サラとの間に出来た一人息子です。
アブラハムにはもう一人、イシュマエルという息子がいました。

イシュマエルはサラの奴隷であったハガルとアブラハムとの間に出来た息子です。

第1章で述べたようにサラは出産を諦めていましたので、アブラハムの子孫を残すために夫にハガルとの性行為を勧めたわけです。

正妻としてはつらい決断だったと思いますが、サラ自身には妊娠の可能性がないためにやむを得ない策だったのでしょうね。

その後、サラは奇跡的に懐妊しイサクを生むわけです。

そんな奇跡の子イサクを神の犠牲として差し出すようアブラハムに命令が下ります。

通常、神に捧げる犠牲とは子羊を指すことが多いのですが、何と神はイサクの命を差し出すようアブラハムに求めたわけです。

今までこのシリーズで見てきたようにユダヤの神の命令は絶対です。
逆らいでもしたら大変な目に遭わされます。

アブラハムは相当悩んだでしょうが、結果的にイサクを子羊の代わりに生贄として神に捧げることを決意しました。


3. モリヤの山


命令のあった翌朝、アブラハムはイサクを連れて神が命じた場所であるモリヤの山へと向かいました。

モリヤの山とは現在のエルサレムにある聖墳墓教会の辺りではないかという説もあります。

聖墳墓教会とはイエスが処刑されたゴルゴダの丘があったとされている場所に建っている教会ですね。

さて、息子のイサクは父と共に神に捧げ物をするためにモリヤの山を登って行くわけですが、生贄となる子羊がいないことに疑念を抱きます。

通例、生贄の儀式の場合は子羊を帯同させるのですが今回は子羊の姿がどこにも見当たりません。
老練な父が手配を誤るはずがありません。

「ということは・・・、」

イサクの脳裏にあることがよぎります。
普通の人間であれば気づきますよね。

アブラハムが祭壇を築き薪木を並べている間、今回の件の真相が読めてしまったイサクは腹を決めたのだと思います。

父が決断したのと同様に息子も決断したわけです。


4. この世の子羊


アブラハムはイサクを後ろ手に縛り、意を決して刺し殺そうとします。

その瞬間、天空から天使が現れアブラハムの手を押さえて、すんでのところで殺人は未遂に終わります。

この劇的な瞬間がドメニキーノ(1581-1641)の『イサクの犠牲』に描かれているわけです。
アブラハムが今まさに振り下ろそうとしている刀を天使の右手が押さえ込んでいます。

アブラハムは突然現れた天使の瞳を食い入るように見つめ、神の真意を知るところとなりました。
死を覚悟したイサクは茫然自失といった感じですね。

画面向かって左には子羊が描かれています。

アブラハムたちはモリヤの山に子羊を連れて来てはいませんでした。
では、この子羊はどこから来たのかというと天空から舞い降りて来たのです。

生贄の儀式自体は行わなければなりませんので生贄となるものが必要となります。
我が子イサクを生贄にしない以上、その代わりとなる子羊が必要になるわけです。

ドメニキーノは子羊の影もちゃんと地面に描いていますので、間違いなくこの子羊はこの世のものであるということですね。


5. 原題


『イサクの犠牲』はスペイン語ではEl sacrificio de Isaacと言います。

el sacrificioは犠牲という意味です。
この作品はプラド美術館(Museo Nacional del Prado)の所蔵となっています。





関連記事

ジュゼッペ・ボッターニ『ハガルと天使』
記事URL  カテゴリ | 旧約聖書絵画 | 2012年06月16日(土)14時51分 | 編集 |
記事のタグ: ルーヴル美術館
2012年6月16日(土)


目次
1. 尽きる水
2. 天使の救済
3. 原題


今回取り上げる作品は、ジュゼッペ・ボッターニ作『ハガルと天使』です。

2012年6月16日ジュゼッペ・ボッターニ『ハガルと天使』178

1. 尽きる水


ハガルとイシュマエルは、アブラハムの命令によって、ベエルシェバの荒野へと追放されました。
ベエルシェバは、現在のイスラエル南部の都市ベエルシェバに同定されています。

ハガルは、アブラハムの家を出る時に、僅かな食料と水しか与えられませんでした。
荒野をさ迷っている内に、やがて手持ちの食料と水は尽きてしまいました。

不毛の地で、食べ物や水が見つかるはずがありません。
息子のイシュマエルは、力尽きて、もうこれ以上歩くことが出来ません。

イシュマエルが衰弱して死んでいく姿を見たくないハガルは、イシュマエルを低木の下に寝かせました。

そして、自分は少し離れたところに腰を下ろし、声を上げて泣き始めました。
砂漠の中で、ハガルは死を覚悟します。


2. 天使の救済


その時、ハガルの前に天使が現れました。
そして、近くにある井戸まで導いてくれたのです。

ハガルとイシュマエルは、神の力によって命を救われました。

イタリアの画家ジュゼッペ・ボッターニ(1717-1784)が描いているのは、ハガルの前に天使が現れた場面です。

中央に座っているハガルの右手の下には、空になってしまった水の壺が転がっています。
向かって右端で、ぐったりと横たわっているのは、息子のイシュマエルです。

両翼の天使は、右手で井戸の在処(ありか)を指し示しています。
絶望的な状況から、ハガルとイシュマエルは生き延びることが出来たのです。


3. 原題


ジュゼッペ・ボッターニ(Giuseppe Bottani)が描いた『ハガルと天使』は、フランス語ではAgar et l'angeと言います。

この作品は、ルーヴル美術館(Musée du Louvre)で見ることが出来ます。





関連記事