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アールト・デ・ヘルデル『エステルとモルデカイ』
記事URL  カテゴリ | 旧約聖書絵画 | 2013年03月30日(土)14時42分 | 編集 |
2013年3月30日(土)


目次
1. ユダヤ人絶滅計画
2. モルデカイの依頼
3. 原題


今回取り上げる作品は、アールト・デ・ヘルデル作『エステルとモルデカイ』です。

2013年3月30日アールト・デ・ヘルデル『エステルとモルデカイ』209


1. ユダヤ人絶滅計画


モルデカイは、後宮に入り王妃の座を獲得したエステルに付き添う形を取って、アケメネス朝ペルシアの中央政界へと進出を果たします。

そして、持ち前の政治力を発揮して、アハシュエロス政権の一翼を担うようになります。
アハシュエロスは、クセルクセス1世の別名です。

政権中枢に入ったモルデカイは、ユダヤ人であることを明らかにした上で、政務に励んでいました。
一方、王妃となったエステルは、未だに自分の出自については誰にも明かしてはいません。

ある日、大臣のハマンに対して跪(ひざまず)いて敬礼することを、モルデカイが拒否するという事件が起きました。

立腹したハマンは、モルデカイの同胞であるユダヤ人を皆殺しにすると宣言しました。

ハマンは、言葉巧みにアハシュエロスを抱き込むことにも成功します。

モルデカイの敬礼拒否に端を発したユダヤ人絶滅計画は、大臣ハマンの私的制裁という性格から、王の許可を得たペルシア政府の一つの政策へと発展していきます。

またしてもユダヤ民族には、存亡の危機が訪れたわけです。


2. モルデカイの依頼


アケメネス朝ペルシアの領土内で、このようなユダヤ人絶滅計画が進行していることを知り得たのは、政権中枢に近い立場にあったモルデカイと王妃エステルだけです。

モルデカイは、エステルに次のように言いました。

「こういう時のために、あなたは王妃になったのだ。王に直接進言して、絶滅計画の中止を訴えて欲しい。」

オランダの画家アールト・デ・ヘルデル(1645-1727)が描いているのは、モルデカイがエステルを説得している場面です。

王妃となったエステルの風貌からは、威厳が感じられますね。

ただ、王妃とは言え、アハシュエロスに意見を言うのは、エステルにとって、そんなにたやすいことではありませんでした。


3. 原題


アールト・デ・ヘルデル(Aert de Gelder)が描いた『エステルとモルデカイ』は、英語ではEsther and Mordecaiと言います。

この作品は、ブダペストにある美術館(The Museum of Fine Arts)で見ることが出来ます。

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テオドール・シャセリオ『アハシュエロス王との謁見のために化粧をするエステル』
記事URL  カテゴリ | 旧約聖書絵画 | 2013年03月28日(木)21時44分 | 編集 |
記事のタグ: ルーヴル美術館
2013年3月28日(木)


目次
1. 王妃への道
2. 原題


今回取り上げる作品は、テオドール・シャセリオ作『アハシュエロス王との謁見のために化粧をするエステル』です。

2013年3月28日テオドール・シャセリオ『アハシュエロス王との謁見のために化粧をするエステル』407


1. 王妃への道


アハシュエロスとは、クセルクセス1世の別名です。

モルデカイは、アハシュエロスが新たな王妃を探しているという話を耳にします。
モルデカイは美しい娘に成長したエステルなら、王妃に選ばれる可能性があると信じ、後宮へと送り込みます。

テオドール・シャセリオ(1819-1856)が描いているのは、アハシュエロスに見(まみ)える前に肌を磨いているエステルの姿です。

後宮の中で勝ち残り、王の愛を受けるためには、何と言っても美しいことが最大の武器となります。
この王妃選びでは、全国各地から美しい娘たちが集められました。

後宮では宦官の指揮の下、12ヶ月に渡る王妃の座争奪戦が繰り広げられました。

エステルには美貌に加えて豊麗な胸、滑らかな肌、そして何より勇気が備わっていました。

美しいエステルは、アハシュエロスの目に止まります。
そして数多くの美女たちを抑えて、見事王妃の座を勝ち取るのです。

続きます。


2. 原題


テオドール・シャセリオ(Théodore Chassériau)が制作した『アハシュエロス王との謁見のために化粧をするエステル』は、フランス語ではEsther se parant pour être présentée au roi Assuérusと言います。

se parerは、身を飾る、という意味で、ここでは現在分詞parantが使われています。
présenter X à Zは、ZにXを紹介する、という意味です。

エステルは役人の仲立ちで王に紹介される身分ですので、ここでは受動態が使われているわけです。

この作品は、ルーヴル美術館(Musée du Louvre)で見ることが出来ます。




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アンドレア・デル・カスターニョ『エステル』
記事URL  カテゴリ | 旧約聖書絵画 | 2013年03月27日(水)13時09分 | 編集 |
記事のタグ: ウフィッツィ美術館
2013年3月27日(水)


目次
1. モルデカイ
2. 原題


今回取り上げる作品は、アンドレア・デル・カスターニョ作『エステル』です。

2013年3月27日アンドレア・デル・カスターニョ『エステル』254


1. モルデカイ


アケメネス朝ペルシア初代国王キュロス2世が、バビロンの地で暮らすユダヤ人たちに、祖国帰還を促進する政策を打ち出したのにも関わらず、エルサレムには戻らずにペルシャ領内で暮らすことを選んだユダヤ人が少なからず存在しました。

そうしたユダヤ人の中に、モルデカイという名の男性がいました。
旧約聖書『エステル記』に登場するユダヤ人女性エステルは、そのモルデカイの養女です。

エステルが幼くして両親を亡くした後、従兄弟(いとこ)に当たるモルデカイが彼女を引き取って、養女として面倒を見て来ました。

ただ、モルデカイはペルシア領内で穏当に生き抜くために、自らの出自がユダヤ人であることは隠し続けました。

もちろん、エステルにもユダヤ人であることは伏せるように言い渡してあり、エステルも養父の命令に忠実に従って生きていました。

アンドレア・デル・カスターニョ(1421頃-1457)が描くエステルは、清楚で理知的な顔立ちをしています。
美貌のエステルは、この後、ペルシア後宮へ入ることになります。


2. 原題


アンドレア・デル・カスターニョ(Andrea del Castagno)が制作した『エステル』は、イタリア語ではEsterと言います。

この作品は、ウフィッツィ美術館(Galleria degli Uffizi)で見ることが出来ます。




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アールト・デ・ヘルデル『アハシュエロスの宴会』
記事URL  カテゴリ | 旧約聖書絵画 | 2013年03月26日(火)13時26分 | 編集 |
2013年3月26日(火)


目次
1. バビロン捕囚
2. ペルシャ王アハシュエロス
3. 原題


今回取り上げる作品は、アールト・デ・ヘルデル作『アハシュエロスの宴会』です。

2013年3月26日アールト・デ・ヘルデル『アハシュエロスの宴会』271

1. バビロン捕囚


紀元前586年に、新バビロニアの王ネブカドネザル2世(在位:紀元前605-紀元前562)によってエルサレムの街は攻撃を受け陥落します。

エルサレムにいたユダヤ人たちは新バビロニアへ強制移住させられました。
この出来事はユダヤ人の立場からバビロン捕囚と呼ばれています。

その後、バビロニアは紀元前539年に、キュロス2世率いるアケメネス朝ペルシアによって滅ぼされました。

ユダヤ人の新しい統治者となったアケメネス朝ペルシア初代国王キュロス2世(在位:紀元前550-紀元前529)は、バビロニアにいたユダヤ人を解放し、祖国へと戻るよう促しました。

キュロス2世の政策は、本来であれば異国の地バビロニアに強制移住させられて祖国帰還を夢見ながら暮らすユダヤ人にとっては好ましい政策であるはずです。

ところが、バビロニアの地において何とか生活基盤を確立させて、ある程度の生活水準を維持していたユダヤ人も少なからずいたのです。

このような、今すぐに祖国へ戻る必要のない、ある程度豊かな生活を送っていたユダヤ人たちはキュロス2世の帰還許可に従わず、そのままペルシャ王国の領土内に留まりました。


2. ペルシャ王アハシュエロス


その後、時代は45年ほど進み、ペルシアではダレイオス1世の息子であるクセルクセス1世(在位紀元前485-紀元前465)が王となりました。

クセルクセス1世は別名アハシュエロスと言います。

王位に就いたアハシュエロスは、即位祝いと称して様々な宴を開催します。

オランダの画家アールト・デ・ヘルデル(1645-1727)が描いているのは、アハシュエロスが宴会の場でワインを飲んで酩酊している場面です。

向かって左に描かれている恰幅(かっぷく)のいい男がアハシュエロスです。

アハシュエロスは左手に大きな杯を持っていますが、中身のワインは全て飲み干した後です。
アハシュエロスは酔って杯を傾けているので、僅(わず)かに杯の中に残っていたワインが滴り落ちています。

ワインの力で良い気分になったアハシュエロスは、王妃ワシュティにも宴に参加し市民の前に姿を見せること命じました。

しかし、王妃はその命令を拒み宴会にはついに現れませんでした。

アハシュエロスは命令に従わない王妃を廃して、新たな王妃を探すことにしました。


3. 原題


アールト・デ・ヘルデル(Aert de Gelder)が描いた『アハシュエロスの宴会』は、英語ではThe Banquet of Ahasuerusと言います。

この作品は、アメリカのカリフォルニア州ロサンゼルスにあるJ. Paul Getty Museumで見ることが出来ます。




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ディルク・ボウツ『荒野での預言者エリヤ』
記事URL  カテゴリ | 旧約聖書絵画 | 2013年03月25日(月)11時44分 | 編集 |
2013年3月25日(月)


目次
1. 荒野への逃亡
2. 原題


今回取り上げる作品は、ディルク・ボウツ作『荒野での預言者エリヤ』です。

2013年3月25日ディルク・ボウツ『荒野での預言者エリヤ』422


1. 荒野への逃亡


エリヤは、首尾良くバアル神の預言者を打ち負かしました。
ところが、これに腹を立てた王妃イゼベルは、エリヤの命を狙うようになりました。

身の危険を感じたエリヤは、荒野へと逃げ延びて行きます。
やがて、食料と水が尽きたエリヤは、死を覚悟して神に祈りました。

すると、天使が現れ、エリヤにパンと水を与えたのです。
フランドルの画家ディルク・ボウツ(1410頃-1475)は、荒野で力を失って倒れているエリヤを描いています。

有翼の天使が右手を差し伸べて、エリヤに力を与えようとしています。
天使に救われたエリヤはこの後、荒野での40日に及ぶ厳しい旅に耐え抜きました。

後景には、その後のエリヤがホレブ山へと身を隠す場面が描かれています。
ホレブ山とは、モーゼが神から十戒を授かったとされるシナイ山の別名です。

ホレブ山においてエリヤは、ユダヤの神と出会います。
そして神はエリヤに対して、以下のような命令を授けました。

エリヤの後継者には、エリシャがなること。
次期イスラエル王には、イエフがなること。

ホレブ山を下りたエリヤは、エリシャと出会います。
エリシャはエリヤの弟子となって、預言者になるための修行を積むことになるのです。

エリヤのこのような事績を踏まえて、ユダヤ教ではエリヤのことをモーゼ以降の最大の預言者と看做(みな)しています。


2. 原題


ディルク・ボウツ(Dierick Bouts)が描いた『荒野での預言者エリヤ』は、英語ではProphet Elijah in the Desertと言います。

この作品は、ベルギー中部の都市ルーヴェン(Leuven)にある聖ペテロ教会(St. Peter's Church)で見ることが出来ます。




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ホセ・デ・リベーラ『預言者エリヤ』
記事URL  カテゴリ | 旧約聖書絵画 | 2013年03月23日(土)14時00分 | 編集 |
2013年3月23日(土)


目次
1. 預言者
2. エリヤの奇跡
3. 原題


今回取り上げる作品は、ホセ・デ・リベーラ作『預言者エリヤ』です。

2013年3月23日ホセ・デ・リベーラ『預言者エリヤ』630


1. 預言者


エリヤとは、旧約聖書『列王記』に登場するユダヤ人の預言者です。
エリヤが活躍したのは、北イスラエル王国の王アハブ(在位:紀元前869年-紀元前850年)の時代です。

王ソロモン(在位:紀元前965-紀元前925頃)の死後、紀元前922年にイスラエル王国は南北に分裂します。
アハブは、北に存在したイスラエル王国の第七代王です。

アハブは、シリアの王女イゼベルを妻に迎えました。

イゼベルはユダヤ人ではないので、偶像崇拝禁止というユダヤ文化を受け入れず、シリアのバアル神を信仰してイスラエル宮廷にも導入します。

バアル神は、偶像崇拝を肯定する神です。

預言者エリヤは、王妃イゼベルの信仰態度を非難しました。
ユダヤの王妃になったのであれば、偶像崇拝を否定するユダヤの神を信仰するべきだ、という主張を展開します。


2. エリヤの奇跡


アハブの治世において、日照りが続いて飢饉がひどくなった時期がありました。
飢饉を解消するために、バアル神の預言者たちとエリヤが山に祭壇を築いて、それぞれの神に祈りを捧げました。

バアル神は、預言者たちに何の反応も示しませんでした。
一方、エリヤの祈りに対してユダヤの神は、雨を降らせるという奇跡を示します。

この勝負により、エリヤだけが奇跡を起こしたことが確認されました。
その後、敗れたバアル預言者たちはエリヤによって皆殺しにされました。

スペインの画家ホセ・デ・リベーラ(1591-1652)は、右手から炎を発するエリヤの姿を描いています。
炎を自由に操ることが出来るというエリヤの呪術的な性格を表した作品となっています。

続きます。


3. 原題


ホセ・デ・リベーラ(José de Ribera)が描いた『預言者エリヤ』は、イタリア語ではIl profeta Eliaと言います。

il profetaが、預言者、という意味です。
profetaは語尾がaですが、男性名詞です。

この作品は、ナポリにあるサン・マルティーノ修道院(Certosa di San Martino)で見ることが出来ます。




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コンラート・ヴィッツ『ソロモン王とシバの女王』
記事URL  カテゴリ | 旧約聖書絵画 | 2013年03月14日(木)15時22分 | 編集 |
2013年3月14日(木)


目次
1. シバ王国の女王
2. 原題


今回取り上げる作品は、コンラート・ヴィッツ作『ソロモン王とシバの女王』です。

2013年3月14日コンラート・ヴィッツ『ソロモン王とシバの女王』358

1. シバ王国の女王


シバ王国は、旧約聖書『列王記』に記されている王国です。
現在のイエメンかエチオピアのあたりに存在したのではないか、と言われています。

イエメンは、アラビア半島の南西に位置します。
エチオピアは、アフリカ大陸の東に位置します。

ソロモンの賢王ぶりを噂で聞いた女王は、遠路はるばるラクダに乗ってエルサレムまでやって来ました。
シバ王国の所在地が現在のイエメンだとすると、紅海に沿って北上して行ったことになりますね。

来訪に際しては大勢の随行員を伴い、大量の宝石や香料等をソロモンに寄贈したとされています。
訪問の目的は、賢者ソロモンに難問を浴びせてその解答を聞き出すことだったとされています。

実際には質疑応答以外にも通商の交渉など、シバ王国の発展に役立つような政策的な目的があったものと思われます。

コンラート・ヴィッツ(1400頃-1445頃)の作品では、シバの女王がソロモンに贈り物を差し出している場面が描かれています。


2. 原題


コンラート・ヴィッツ(Konrad Witz)が制作した『ソロモン王とシバの女王』は、ドイツ語ではKönig Salomo und Königin von Sabaと言います。

Königが王、 Königinが女王という意味です。
この作品は、ベルリン国立美術館絵画館(Die Berliner Gemäldegalerie)に所蔵されています。




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ニコラ・プッサン『ソロモンの審判』
記事URL  カテゴリ | 旧約聖書絵画 | 2013年03月09日(土)14時31分 | 編集 |
記事のタグ: ルーヴル美術館
2013年3月9日(土)


目次
1. 古代イスラエル第3代の王
2. 真の母はどちらか?
3. 原題


今回取り上げる作品は、ニコラ・プッサン作『ソロモンの審判』です。

2013年3月9日ニコラ・プッサン『ソロモンの審判』222


1. 古代イスラエル第3代の王


画面中央の上部に赤い肩掛けをして腰掛けているのがソロモンです。

ソロモンとはダビデの息子で、古代イスラエル第3代の王(在位:紀元前965頃-紀元前925頃)です。
ソロモンの母はバテシバです。

人妻であったバテシバをダビデが権力と策謀によって妻にしたのでしたね。

ソロモンの治世は後に「ソロモンの栄華」と称えられました。
彼は知力によりイスラエルの最盛期を築いた王となったのです。

その知力の一端を窺い知ることが出来るのが、『ソロモンの審判』で描かれている場面です。


2. 真の母はどちらか?


画面向かって右側に描かれている女性は、死に絶えた赤ん坊を左腕に抱えています。
この母親は自分で赤ん坊を生んだのですが、生まれた直後に誤って窒息死させてしまいました。

向かって左側に描かれている女性も同じ時期に赤ん坊を生みました。
この女性が生んだ赤ん坊は元気に生きています。

ソロモンの前にいる女性2人は、今生きている赤ん坊が自分の生んだ子であると双方が主張して譲らないのです。

両者の主張を静かに聞いていたソロモンは次のように言います。

「お前たちがそこまで自分の発言に自信があると言うのなら、これは誰にも判断出来ない案件である。
従って、生きている赤ん坊を半分に切り裂いて、それぞれのものとするが良い。」

ソロモンのこの言葉を聞いて、右側の赤い衣装を身につけている女性はすぐさま生きている赤ん坊を2つに切るよう主張します。

一方、左側の青い衣装を身につけている女性は大きく両手を広げてソロモンに懇願します。

「私が嘘をついておりました。その子は私の子ではありません。どうか切り裂くようなことだけはおやめ下さい。」

両者の反応を見たソロモンは判決を下します。

「真の母は子の幸せを最優先に考えるものである。この子はお前の子であることが分かった。」

ソロモンはそう言って、向かって左の女性が本当の母であることを見抜いたのです。

正しい答えを導き出すための術(すべ)として、このような知恵を用いたソロモンは賢明な王として称えられ、その名声は広く世界に知れ渡りました。

その知性溢れる人物像を実際に確かめるために、多くの外国使節がイスラエル王国を訪ねて来ました。
その中にシバの女王もいたのです。


3. 原題


ニコラ・プッサン(Nicolas Poussin 1594-1665)の描いた『ソロモンの審判』は、フランス語ではLe jugement de Salomonと言います。

le jugementは裁定とか判決という意味です。
この作品はルーヴル美術館(Musée du Louvre)に所蔵されています。




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ジェラルド・バトラー主演映画『オペラ座の怪人』を見た感想
記事URL  カテゴリ | 外国映画 | 2013年03月03日(日)13時50分 | 編集 |
2013年3月3日(日)


2月24日(日)にBSフジで、ジェラルド・バトラー主演の映画『オペラ座の怪人(原題:The Phantom of the Opera)』をやっていました。

2013年3月3日ジェラルド・バトラー主演映画『オペラ座の怪人』を見た感想1 268

『オペラ座の怪人(原題:Le Fantôme de l'Opéra)』はミュージカル版が有名ですが、元々はフランスの作家ガストン・ルルー(Gaston Leroux 1868-1927)が書いた小説です。

ミュージカル版はアンドリュー・ロイド=ウェバーが作曲し世界中で大ヒットしていますが、2004年にアメリカで公開されたこの映画はそのミュージカルを映画化したものです。

従って劇中に使われている曲は全てミュージカルで歌われたものですし、全体構成もミュージカルと同じです。
製作と脚本はアンドリュー・ロイド=ウェバーが担当しています。

邦題ではPhantomを怪人と訳していますが、phantomの直訳は幽霊あるいは幻です。

幻を怪人と訳したのは大幅な意訳と言えますが、主役の怪人は「怪しい人」として描かれていますので妙訳だと言えるでしょうね。

怪人に愛されるクリスティーヌ・ダーエを演じているのは、エミー・ロッサム(Emmy Rossum)です。

2013年3月3日ジェラルド・バトラー主演映画『オペラ座の怪人』を見た感想2 420

話の筋立ては私が書くまでもないぐらい有名なので省略しますが、作者のガストン及び製作者のアンドリューが観客に問い掛けているのは、歪んだ愛をどこまで受け入れられるかということだと思います。

最終的にクリスティーヌは怪人の歪んだ愛を受け入れ、その証として恋人であるラウルの前で醜い顔を晒したままの怪人に口づけをするのですが、彼女の心を理解した怪人はクリスティーヌとラウルを解放し姿を消してしまいます。

怪人が姿を消したことで、オペラ座を恐怖に陥れた怪人騒動は全てが幻となったわけです。

その後、数10年が経過しクリスティーヌを始めとして当時の出来事を知る者はこの世を去り、やがて「オペラ座の怪人」は伝説となっていつまでも人々の心に残るのです。

2013年3月3日ジェラルド・バトラー主演映画『オペラ座の怪人』を見た感想3 435

私は『オペラ座の怪人』を劇団四季の舞台で10回近く見ていますし、ロンドンのウエストエンドにも1回見に行きました。

もちろんCDも2種類、劇団四季(日本語)版とオリジナルキャスト(英語)版を持っています。

オリジナルキャスト版CDのクリスティーヌ・ダーエを担当しているのは、サラ・ブライトマンです。


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アールト・デ・ヘルデル『ダビデ王』
記事URL  カテゴリ | 旧約聖書絵画 | 2013年03月02日(土)14時03分 | 編集 |
2013年3月2日(土)


目次
1. ソロモンの母
2. アブサロムの反乱
3. 原題


今回取り上げる作品は、アールト・デ・ヘルデル作『ダビデ王 upload.wikimedia.org』です。

2013年3月2日アールト・デ・ヘルデル『ダビデ王』291


1. ソロモンの母


夫ウリヤの知らないところで性交・懐妊・出産したバテシバには、何ら罪はありません。
悪いのは、ダビデです。

ユダヤの神は、ダビデに天罰を降しました。
バテシバの生んだ不義の子は、間もなく亡くなりました。

ウリヤが戦場で死んだ後、ダビデの妻となっていたバテシバは、その後、もう一人男の子を生みます。
この子が成長して、後に古代イスラエルの第3代王ソロモン(在位:紀元前965頃-紀元前925頃)となるのです。


2. アブサロムの反乱


オランダの画家アールト・デ・ヘルデル(1645-1727)は、晩年のダビデを描きました。
身に付けている衣装は豪華ですが、ダビデの表情は険しく、悩みが尽きないといった印象を受けます。

ダビデにはバテシバ以外に、複数の妻がいました。

アヒノアムという女性との間には、アムノンという息子を儲けました。
マアカという女性との間には、アブサロムという息子と、タマルという娘を儲けました。

ある日、アムノンは、異母妹タマルの美しさに性欲を抑え切れず、強姦してしまいます。

妹を強姦されたアブサロムは、それ以後、異母兄アムノンを殺害する機会を窺(うかが)い、ついに2年後にアムノンを暗殺します。

この兄殺しの罪により、アブサロムは王ダビデによって、いったん追放処分を受けました。

この処分は3年後に許されるのですが、この一連の出来事を経て、アブサロムはダビデに対して敵意を抱き、謀反を企てるに至ります。

最終的に、アブサロムのクーデターは失敗に終わり、アブサロムはダビデの部下によって殺されます。
ダビデは、我が子アブサロムの死を、深く悼んだと伝えられています。


3. 原題


アールト・デ・ヘルデル(Aert de Gelder)が描いた『ダビデ王』は、英語ではKing Davidと言います。

この作品は、アムステルダム国立美術館(The Rijksmuseum Amsterdam)で見ることが出来ます。




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