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ペルジーノ『ペテロへの鍵の授与』
記事URL  カテゴリ | 新約聖書絵画 | 2014年02月25日(火)12時18分 | 編集 |
2014年2月25日(火) 


目次
1. 12使徒の代表者
2. 原題


今回取り上げる作品は、ペルジーノ作『ペテロへの鍵の授与』です。

ペルジーノ『ペテロへの鍵の授与』219


1. 12使徒の代表者


ペテロとはイエスの一番弟子で、12使徒の中で指導者的な役割を果たした人物です。
本当の名はシモンと言い、弟のアンデレと共にガリラヤ湖畔で漁師をしていました。

ペテロとアンデレはイエスによって召命され聖職の道へと入ります。

ローマカトリック教はペテロを初代教皇と捉えています。
2013年3月に選出された現在のローマ教皇フランシスコは第266代です。

ローマ教皇になぜ宗教的な権威が与えられているかと言うと、教皇に就任した人物の知識や人徳だけでなくペテロの後継者という立場にあることが根拠となっています。

ペテロがイエスの愛弟子で初代教皇と見なされているということも重要ではあるのですが、それ以上に重要視されているのはイエスが天国の鍵をペテロに渡したという伝承が残っていることです。

神であるイエスから天国の鍵を授かったということは、ペテロはこの世における最高の権威を手にしたと解されているわけですね。

その出来事の存在がペテロの権威を高め、引いてはペテロの後継者であるローマ教皇の権威を担保しているのです。

現在のフランシスコ教皇も、ペテロがイエスから授かった天国の鍵を継承していると捉えられています。
ローマ教皇に宗教的な権威があるとされる理由は実はここにあるのです。

ペルジーノ(1450頃-1523)の作品には跪(ひざまず)いてイエスから鍵を手渡されているペテロが描かれています。

イエスが右手で持っているのが金の鍵です。
これは天国の門の象徴とされています。

ペテロが右手にぶら下げているのは銀の鍵です。
これは地獄の門の象徴とされています。

イエスの後ろにいるのは6人の使徒たちです。
ペテロの後ろには5人の使徒たちが描かれています。


2. 原題


ペルジーノ(Perugino)が制作した『ペテロへの鍵の授与』はイタリア語ではConsegna delle chiaviと言います。

consegnaは引渡しという意味です。

la chiaveは鍵という意味ですが、ここでは複数形のle chiaviが使われています。
天国の鍵と地獄の鍵の2つで複数形ということですね。

この作品は額縁に入って美術館に展示されている作品ではありません。
バチカン宮殿内に建てられたシスティーナ礼拝堂(Cappella Sistina)の壁に描かれたフレスコ画です。




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ピーテル・ブリューゲル(父)『盲人の譬え』
記事URL  カテゴリ | 新約聖書絵画 | 2014年02月23日(日)12時56分 | 編集 |
2014年2月23日(日) 


目次
1. パリサイ人批判
2. 原題


今回取り上げる作品は、ピーテル・ブリューゲル(父)作『盲人の譬え』です。

ピーテル・ブリューゲル(父)『盲人の譬え』188


1. パリサイ人批判


イエスはパリサイ人を盲人に譬(たと)えました。
パリサイ人とはユダヤ教の一派でファリサイ派と呼ばれる場合もあります。

パリサイ人は律法の細則に拘(こだわ)ってユダヤ教の枠を越えることが出来ません。
そうした有様を見て、イエスはパリサイ人が信仰に対して盲目になっていることを批判したのです。

フランドルの画家ピーテル・ブリューゲル(父)(1525頃-1569)は6人の盲人が列をなして歩いている様子を描きました。

先頭を行く盲人は道を踏み外し溝に落ちています。
二人目も信頼していた一人目が倒れた途端、体の均衡を失って倒れる寸前です。

三人目以降はこれから身に降りかかる災難を見通すことが出来ません。
神の導きによってのみ、人は正しい道を歩めるという譬えをイエスは述べたのだろうと思います。


2. 原題


ピーテル・ブリューゲル(父)(Pieter Bruegel il Vecchio)が描いた『盲人の譬え』はイタリア語ではParabola dei ciechiと言います。

il ciecoが盲人という意味です。
この作品においては6名の盲人がいますので、複数形のi ciechiが使われています。

この作品はナポリにあるカーポディモンテ美術館(Il Museo Nazionale di Capodimonte)で見ることが出来ます。




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レンブラント・ファン・レイン『放蕩息子の帰還』
記事URL  カテゴリ | 新約聖書絵画 | 2014年02月21日(金)12時58分 | 編集 |
記事のタグ: エルミタージュ美術館
2014年2月21日(金) 


目次
1. 神の愛
2. 原題


今回取り上げる作品は、レンブラント・ファン・レイン作『放蕩息子の帰還』です。

レンブラント・ハルメンス・ファン・レイン『放蕩息子の帰還』438


1. 神の愛


オランダの画家レンブラント(1606-1669)が描いているのは放蕩息子が家に帰った時の様子です。

イエスは様々な譬(たと)え話で神の愛を説きました。
この放蕩息子の話も譬え話です。

父親の金を持って家を出た息子は贅沢三昧の日々を過ごしました。
やがて所持金が尽き行く当てもなくなります。

結局戻って来るのは父親の家です。
外の世界で欲望の限りを尽くして戻って来た弟に対して兄たちは冷たい視線を投げかけます。

しかし父親は涙を浮かべて息子の帰還を喜ぶのです。

この話の放蕩息子は私達人間を指します。
父親は神です。

神は好き勝手に生きた人間を大きな愛で迎え入れてくれるという譬え話です。

レンブラントの作品において、向かって左でボロ衣を着て跪いているのが放蕩息子です。

落ちぶれた姿で体調も崩しやっとの思いで父の待つ家まで戻って来ました。
そんな息子の背中を大きな手でさすっているのが父親です。

父親は堅実な人生を歩んでいるため良い身なりをしています。
向かって右に立っている赤いマントを身につけているのは放蕩息子の兄です。

父親の歓待ぶりに戸惑いの表情を示しています。
遊蕩な生き方を選んだ弟に対して憎しみすら抱いています。

兄は決して父の様には弟に対して手を差し伸べるつもりはありません。
両手を握り数歩離れた場所から父と弟の姿を眺めている立場です。

私達人間は弟の生き方や兄の生き方を選ぶことはそう難しくはありません。
しかし父親の生き方を選ぶことはほとんど不可能でしょう。

イエスの説く神の愛はここまで広く深いという譬えです。
イエスは決して放蕩息子として生きていた時代の全ての行為が許されると言っているわけではありません。

この放蕩息子に求められるのは悔い改めることです。
この悔悛がなければ神の愛に繋がる扉も閉ざされてしまうでしょう。


2. 原題


レンブラント・ハルメンス・ファン・レイン(Рембрандт Харменс ван Рейн)が描いた『放蕩息子の帰還』は、ロシア語ではВозвращение блудного сынаと言います。

Возвращениеが帰還という意味です。
блудный сынが放蕩息子という意味です。

ここではблудный(放蕩の~)とсын(息子)がそれぞれ単数生格になっているので、блудного сынаとなっているわけです。

この作品は、エルミタージュ美術館(Государственный Эрмитаж)で見ることが出来ます。




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ヨハネス・フェルメール『マルタとマリアの家にいるキリスト』
記事URL  カテゴリ | 新約聖書絵画 | 2014年02月18日(火)10時45分 | 編集 |
2014年2月18日(火) 


目次
1. ベタニアのマリア
2. 瞑想的生活
3. 原題


今回取り上げる作品は、ヨハネス・フェルメール作『マルタとマリアの家にいるキリスト』です。

ヨハネス・フェルメール『マルタとマリアの家にいるキリスト』379


1. ベタニアのマリア


前景で赤い服を着てイエスの話に耳を傾けている女性がマリアです。
このマリアは住んでいた村の名前を冠してベタニアのマリアと呼ばれています。

マリアというのは当時のユダヤ社会では多くの女性に付けられた名前だったようです。

画面中央でパンをテーブルに置いてイエスの世話をしているのが姉のマルタです。
マルタたちはイエスと親しい間柄にあったとされています。

『ラザロの蘇生』で描かれるラザロはマルタとマリアの弟にあたります。


2. 瞑想的生活


フェルメール(1632-1675)が描いたこの絵は姉マルタと妹マリアの生き方の違いが主題となっています。

姉のマルタはいくら親しい間柄とは言え客人のイエスが訪問して来ましたので、給仕のために甲斐甲斐しく働いています。

一方、妹のマリアは姉の働く姿を横目で見ながら手伝おうともせず、イエスの説教に耳を傾けるばかりです。

働いているマルタが妹の姿を見るにみかねて非難しました。
妹マリアの落ち着いた姿は、あくせくと労働しているマルタからすると怠けているようにしか見えなかったのでしょうね。

イエスと仲の良いマルタは、怠けて労働をしないマリアに手伝うよう言って欲しいとイエスに頼みました。
そこでイエスはマルタを諭して次のように言いました。

「人間にとってどうしても必要なことは僅かでありマリアはより良い方を選んでいる。それをマリアから取り上げてはいけない。」

つまりマリアにとってどうしても必要なことはパンを給仕することではなく、説教を聞くことだと言っているわけですね。

活動的な労働生活よりも観想的な宗教生活の方が尊いということをイエスは言いたかったのだと解釈されることが多いです。

現実的には労働者がいなければこの世は発展しません。
宗教的な生活を全ての人が選んだらこの世は機能しなくなりますね。

ただイエスが言いたかったのは、次のようなことだろうと思います。

「全ての人が労働に従事してその先にある果実を追い求めた場合、この世の争いが絶えることはないだろう。神のご加護によって瞑想的な生活の必要性に目覚めた者は、この世の栄耀栄華を捨ててでもその道を極めるべきである。」

このようなことがこの場面の趣旨なのではないかしらと思っています。


3. 原題


ヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer)が制作した『マルタとマリアの家にいるキリスト』は、英語ではChrist in the House of Martha and Maryと言います。

この作品はスコットランドのナショナル・ギャラリー(National Galleries of Scotland)で見ることが出来ます。




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レンブラント・ファン・レイン『姦通で連れて来られた女』
記事URL  カテゴリ | 新約聖書絵画 | 2014年02月16日(日)11時26分 | 編集 |
2014年2月16日(日) 


目次
1. 姦淫の罪
2. 原題


今回取り上げる作品は、レンブラント・ファン・レイン作『姦通で連れて来られた女』です。

レンブラント・ファン・レイン『姦通で連れて来られた女』423


1. 姦淫の罪


レンブラント(1606-1669)の作品で、中央で白い服を着ているのが姦淫の罪で捕まえられた女性です。
自分の過ちを悔いイエスの前で跪(ひざまず)いて涙を流しています。

ユダヤ教の律法では、姦淫の罪を犯した女は周囲の者が石を投げて打ち殺すことになっています。
女性の後ろに立ち並ぶ律法学者たちはイエスに対して判断を求めます。

イエスがここで語った言葉は有名です。

「あなた方の中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるが良い。」

これを聞いて周囲にいた者は一人また一人と去って行きました。
この世で生きていて罪のない者などいるはずがないからです。
女を罰しようとした者たちは全ていなくなりました。

イエスは女に対して次のように言います。

「誰もあなたを罰しない。私もあなたを罰しない。帰るが良い。」

イエスはこのようにして、律法学者の生命線であるユダヤの律法を無視するような言動を行っていったわけです。

度重なる律法無視の行為は、窮地に立たされた者を救うことに関しては意義がありました。
その代わりイエスは自らの命を縮めることになるのです。


2. 原題


レンブラント・ファン・レイン(Rembrandt van Rijn)が描いた『姦通で連れて来られた女』は、英語ではThe Woman taken in Adulteryと言います。

adulteryが不倫や姦通という意味です。
この作品はロンドンのナショナル・ギャラリー(The National Gallery)で見ることが出来ます。




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ハリソン・フォード主演映画『ファイヤーウォール』を見た感想
記事URL  カテゴリ | 外国映画 | 2014年02月15日(土)12時22分 | 編集 |
2014年2月15日(土) 


1月29日(水)にTBSで、ハリソン・フォード主演の映画『ファイヤーウォール(原題:Firewall)』を見ました。

ファイアーウォールはコンピューター用語で、ネットワークの安全を維持するために外部との通信を制御するソフトウェアを指します。

映画の題名からしてファイアーウォールを突破してシステムに侵入できるかどうかということが主眼になっているのかと思いましたが、実際にはコンピュターに関わる話は付け足しのような感じで、銀行のシステムを悪用した現金詐取を狙う犯行グループが行員とその家族に拳銃を突きつけて脅迫し、やがて殴り合う展開となり最終的には悪が滅ぶという筋書きでした。

アメリカ映画では銃口を突きつけて脅迫し相手を言いなりにさせる場面が辟易するほど出て来ますが、この映画もご多分に漏れずその方向性の映画でした。

ハリソン・フォードが演じるジャック・スタンフィールドは銀行のコンピューターセキュリティ部門に勤めるエンジニアで、ファイアーウォールを構築した担当者です。

巨額の預金を詐取することが目的の犯行グループはジャックの家族を人質に取り、ジャックを自在に操っていきます。

ジャックの妻ベスは娘と息子と共に自宅軟禁の身となり、一度は脱出を図りますがあえなく露見して人質生活を強いられます。

ベスを演じているのは豊麗な肉体が売りのヴァージニア・マドセンですが、色気のある場面は全く出て来ません。

ハリソン・フォード主演映画『ファイヤーウォール』を見た感想 506


話の筋立てには特に目新しいものはなく結末もありふれたものであり、ハリソン・フォードが出演している割には盛り上がりに欠ける駄作だといえるでしょう。


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バルトロメ・エステバン・ムリーリョ『ベテスダの池で麻痺患者を癒すキリスト』
記事URL  カテゴリ | 新約聖書絵画 | 2014年02月13日(木)11時17分 | 編集 |
2014年2月13日(木) 


目次
1. ベテスダの池
2. 原題


今回取り上げる作品は、バルトロメ・エステバン・ムリーリョ作『ベテスダの池で麻痺患者を癒すキリスト』です。

バルトロメ・エステバン・ムリーリョ『ベテスダの池で麻痺患者を癒すキリスト』305


1. ベテスダの池


エルサレムにあるベテスダの池は天使が奇跡を起こす池として知られていました。
この池の周囲には不治の病を患った人々が大勢暮らしていました。

そして、天使が池に舞い降りた時に一番最初に池の水に触れた者は病が治ると信じられていました。
ある日、イエスがベテスダの池の近くを通りかかると一人の男がイエスに訴えました。

「私は脚が麻痺しています。たとえ天使が舞い降りたとしても私は動くことが出来ないので、一番初めに池の水に触れることは叶いません。」

その言葉を聞いたイエスは、その男に手をかざして起き上がるように言いました。
すると、脚が麻痺していた男は癒されて歩けるようになりました。

イエスは麻痺した脚を治すという奇跡を示したのです。
スペインの画家バルトロメ・エステバン・ムリーリョ(1617-1682)はイエスが奇跡を行っている場面を描いています。

画面前景で横たわり両手を広げているのが脚が麻痺している男です。
画面中央に立つイエスは男に右手を差し伸べています。


2. 原題


バルトロメ・エステバン・ムリーリョ(Bartolomé Esteban Perez Murillo)が描いた『ベテスダの池で麻痺患者を癒すキリスト』は、英語ではChrist healing the Paralytic at the Pool of Bethesdaと言います。

この作品は、ロンドンのナショナル・ギャラリー(The National Gallery, Trafalgar Square, London)で見ることが出来ます。




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唐沢寿明主演ドラマ『白い巨塔』を見た感想
記事URL  カテゴリ | 日本ドラマ | 2014年02月12日(水)16時22分 | 編集 |
2014年2月12日(水) 


1月14日(火)から28日(火)までフジテレビで、唐沢寿明主演のドラマ『白い巨塔』を見ました。

元々このドラマはフジテレビで2003年10月から2004年3月までに全21回で放映されたドラマです。

原作本である山崎豊子著『白い巨塔』は週刊誌『サンデー毎日』に1963年から連載されたもので、1968年1月から1969年1月にかけて行われた東大紛争にも大きな影響を与えたと言われています。

『白い巨塔』はこの唐沢寿明版を含めてこれまで3度、テレビの連続ドラマになっています。

1回目は佐藤慶が主演で1967年にNETテレビで放映されました。
NETテレビは現在のテレビ朝日の前身です。

2回目は田宮二郎が主演で1978年にフジテレビで放映されました。

さて、唐沢寿明が演じる財前五郎は42歳で国立浪速大学医学部第一外科の助教授です。

ドラマの前半では財前助教授が岳父の財前又一らの協力を得て、第一外科教授の椅子を手に入れるまでが描かれます。

国立大学の医学部外科では、医師としての学識や手術の腕前よりも人間関係や政治力あるいは資金力によって教授になれるかどうかが決まるという知られざる世界を白日の下に晒しています。

ドラマの後半では財前教授が手術を行った患者が急死し、遺族が治療方針の説明不足を不服として財前を訴えるという医療過誤裁判が描かれています。

前半の白熱した教授選に比べると後半の裁判はやや冗長ぎみで、財前側が公判を有利に進めるためにあれこれと姑息な手段に打って出る様子が事細かに描かれている一方、財前が外科医としての卓越した腕を振るう場面はほとんど描かれていませんでした。

『白い巨塔』は医療ドラマというよりは医学部に勤務する人々の人間関係ドラマであり、医療よりむしろ政治に重きが置かれていると感じました。

その一つの証左として、財前助教授の師匠である東(あずま)貞蔵第一外科教授は財前を教授にさせないために様々な対策を打つのですが、日本外科医学会会長で東都大学第二外科主任教授の船尾悟から政治工作の稚拙さを指摘される場面が描かれています。

東教授はどちらかというと学究肌であり、弟子の財前が華々しく手術の成果を上げて行く姿を間近で見て嫉妬を越えて憎しみに近い感情を抱いています。

弟子が自分を上回る名声を得ていく事実を素直に受け入れられない俗物・東貞蔵を石坂浩二が好演しています。
医学部に限らず、こういう小人物の上司って世の中にたくさんいるんでしょうね。

幼い頃から苦学を重ねようやく国立大学医学部教授という地位を得た財前は、生涯を通じて全力で働き続けた人間でありまだまだやり残したことがあったため、40代後半という若さでこの世を去ることは到底受け入れられなかったはずです。

いつの時代でも人生の目標を見つけられず技術を磨く努力を厭い漫然と生きている若者が多い中、財前は浪速大学医学部に合格して奨学金を得ながら優秀な外科医になるための道を邁進していきます。

財前が子供の頃に父親が他界した後、実母の黒川きぬは内職をして岡山の県立高校へ進学させてくれました。
黒川きぬは池内淳子が演じています。

財前が妻の杏子と一緒に西宮市夙川の豪邸に住んでいる一方、きぬは実家である岡山県和気郡に一人で暮らしています。

財前は給料の一部を仕送りしており、母親への電話連絡も欠かしません。

財前五郎は野心家で目立ちたがり屋であるという側面が強調されがちですが、野心の裏付けとなる技術の鍛錬を怠らず学業を疎かにせず、40代後半で亡くなるまで人一倍働いて何千人という患者の命を救って来たのです。

財前が肺がん及び脳へのがん転移で死んだ後、きぬが病室に到着し「五郎、よく頑張ったねえ。ご苦労様でした。」と亡骸に向かって労(ねぎら)いの言葉をかける名場面があります。

このドラマが最初に放映された2004年の時点ではまだ30代後半だった私も、現在では財前の年齢と同じ40代後半になり、きぬのこの慈愛に満ちた台詞はまるで自分に言われているように感じて深く感情移入しました。

財前五郎が心から信頼を寄せて深く愛した女性は妻の杏子ではなく、バーの経営者・花森ケイ子です。

黒木瞳が演じる愛人の花森ケイ子は立場的に財前が亡くなった直後の病室には入ることが出来ず、寂しく病院の廊下を歩いて去って行く場面があります。

妻以上に財前を思い心を通わせ性的にも満足させて来たケイ子が、愛人という立場的なものが理由で死に目に会えないというこの世の現実が淡々と描かれていて、かえって心に深く残りました。


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フアン・デ・フランデス『キリストとサマリアの女』
記事URL  カテゴリ | 新約聖書絵画 | 2014年02月11日(火)14時18分 | 編集 |
記事のタグ: ルーヴル美術館
2014年2月11日(火) 


目次
1. サマリア人とは何か?
2. 分け隔てしないイエス
3. 原題


今回取り上げる作品は、フアン・デ・フランデス作『キリストとサマリアの女』です。

フアン・デ・フランデス『キリストとサマリアの女』492


1. サマリア人とは何か?


古代イスラエルの第3代王ソロモン(在位:紀元前965-紀元前925頃)が亡くなった後、王国は南北に分裂しました。
北はイスラエル王国、南はユダ王国と呼ばれています。

イスラエル王国はサマリアを首都として不安定ながらも国家体制を維持していました。
しかし紀元前721年にアッシリアのサルゴン2世(在位:紀元前722-紀元前705)によって滅ぼされてしまいます。

サマリアにいたイスラエル王国の大多数の人々は奴隷としてアッシリアへと連行されました。
その後サマリアはアッシリア人の植民地と化しました。

サマリアの地に残った一部のユダヤ人たちと新たに移住して来たアッシリア人との間には、多くの混血児が生まれることになります。

このユダヤとアッシリアの混血児たちをサマリア人と呼んでいます。
そして正統なるユダヤ人たちは、後にこのサマリア人を差別し迫害していくことになるのです。

なぜなら、サマリア人には憎き敵であるアッシリアの血が入っているからです。
さらにサマリア人はユダヤ教の伝統を軽視し、アッシリアの宗教を受容する姿勢を示しました。

宗教的に異なる方向へ突き進んだサマリア人を正統なるユダヤ人が許容するということはあり得ないわけです。


2. 分け隔てしないイエス


フランドルの画家フアン・デ・フランデス(1460頃-1519頃)が描いているのは、井戸端でサマリア人女性に水をもらおうとして声をかけているイエスの姿です。

ユダヤ人がサマリア人に声を掛けるというのは、当時のユダヤ人の感覚からするとあり得ないことです。
サマリア人からしても、ユダヤ人に話しかけられるということはまず経験したことがないぐらいのことです。

それぐらいユダヤ人とサマリア人は仲の悪い間柄だったわけです。
しかしイエスはそのような分け隔ては一切しません。

イエスは民族や国家などという枠組みにとらわれることなく教えを広めていました。

イエスは水を飲みたいと思った時に井戸端にいた女性に頼んだだけなのです。
偶然その女性がサマリア人だったというだけです。

他のユダヤ人であれば、水を飲みたくても相手がサマリア人なら話しかけずに水を飲むことを我慢するはずです。
なぜならユダヤ人にとってサマリア人は差別すべき対象だからです。

イエスは説法の中でこういったユダヤ人の視野の狭さを徹底的に批判しました。
批判するだけでなく、この話のように実際にサマリア人との関わりを持ちました。

イエスの教えには対象となる相手を差別するという側面はありません。
ここがユダヤ教とキリスト教の決定的な違いだと思われます。

イエスはこのサマリア人女性に次のように言いました。

「この水を飲む者は誰もがまた渇く。しかし私が与える水を飲む者は渇くことがないのだ。」


3. 原題


フアン・デ・フランデス(Juan de Flandes)が描いた『キリストとサマリアの女』は、フランス語ではLe Christ et la Samaritaineと言います。

この作品はルーヴル美術館(Musée du Louvre)で見ることが出来ます。




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レイチェル・ジェーン・デイ主演映画『プリズン・レイプ 残酷女子刑務所』を見た感想
記事URL  カテゴリ | 外国映画 | 2014年02月09日(日)12時35分 | 編集 |
2014年2月9日(日) 


ギャオでレイチェル・ジェーン・デイ主演の映画『プリズン・レイプ 残酷女子刑務所(原題:Forbidden Border)』を見ました(配信期間:2014年1月26日~2014年2月25日)。

この映画は2009年にアメリカでThe Borderという題名で公開されましたが、後にForbidden Borderと改題されギャオ版では後者が表示されていました。

邦題からは女性受刑者が刑務所内で男性看守から強姦されたり、受刑者仲間から肉体的にひどい仕打ちを受ける内容が連想されますし、ギャオの説明文もその方向性を匂わせる「サディスティックな魅力が炸裂する、戦慄のバイオレンス・アクション!」という書き方がしてあります。

ところが映画が訴えようとしているのはアメリカ製薬品のアメリカとメキシコにおける価格格差であり、アメリカに暮らす低所得者層が安価な薬品を買い求めるために国境を超えてメキシコにまで足を伸ばす現実を描いています。

その意味では、原題のForbidden Border(入国を禁じられた国境)の方が邦題よりも映画の内容を端的に表していると言えます。

初期の題名で採用されたthe borderはAEではリオ・グランデ川沿いのアメリカ=メキシコ国境を指し、この映画でもその意味合いで使われていると思われます。

レイチェル・ジェーン・デイ(Rachel Jane Day)が演じるシエナ・カッセルはロサンゼルスで母親と暮らす若い女性です。

レイチェル・ジェーン・デイ主演映画『プリズン・レイプ 残酷女子刑務所』を見た感想1 504


シエナはファッションデザイナーとして就職が決まり、病弱な母親を連れて2週間後にニューヨークに引っ越すことになりました。

シエナの母親は教師を辞めて年金で暮らしているのですが、咳に悩まされており咳止めの薬が欠かせません。

ロサンゼルスにせよニューヨークにせよアメリカ国内で売られている薬はカッセル家のような低所得者層にとっては家計に大打撃を与えるほど高額であり、国境を超えてメキシコに入国する機会のあるアメリカ人は同じ薬をメキシコで大量購入する者も少なくありません。

体の弱い母親の代わりにシエナは車でメキシコに赴き、安価な薬を大量に購入して母親にニューヨークでの新生活を安心して始めてもらおうと考えます。

医師の処方箋がないと薬局で薬を処方してもらえないのはアメリカもメキシコも同じなので、シエナは母親名義の処方箋を薬局で差し出します。

しかし母親名義の処方箋を見た薬局の係員は、建前としてはたとえ娘であっても転売目的の大量購入を阻むために販売はできないと告げます。

シエナは相当額の現金を係員に提示し、ロサンゼルスに戻って薬を転売し利益を上げる意志のないことを主張します。

そのやりとりの最中、メキシコ警察が踏み込んで来てシエナは違法ディーラーの容疑で逮捕・勾留される羽目になるのです。

女子刑務所の大部屋に入れられたシエナはその後強姦未遂などの陵辱に巻き込まれて行きますが、刑務所で知り合った受刑者のイゼルが何かと力になってくれて最終的には脱獄に成功します。

イゼルを演じているのはマリアン・ガベーロ(Mariann Gavelo)です。

レイチェル・ジェーン・デイ主演映画『プリズン・レイプ+残酷女子刑務所』を見た感想2 505


映画の後半では『24 -TWENTY FOUR-(原題:24)』を模したかのような裏切り者は誰なのか、一体誰が味方なのかという展開になりハラハラ・ドキドキ感を味わえます。

薬は必要な者にとってはいくらお金を出してでも手に入れたいものですが、映画ではアメリカの製薬会社が病人の弱みにつけ込んで不当なまでに薬を高く売りつけているという現実を訴えます。

アメリカは一応経済大国ですが富は偏在しており、貧困にあえぐ人々が多いのも事実です。

シエナと母親は少ない年金収入の中から高額の医療費や薬代を何らかの方法で捻出しなければならず、ロサンゼルスを離れることを期に国境を超えてメキシコで薬を大量購入することを思いついたわけです。

アメリカと国境を接するメキシコとカナダにある薬局の内、2,000以上の薬局が毎年多くのアメリカ人を相手に薬を相対的に安価で販売しているという現実があります。

転売目的での薬の購入は法律で禁じられており、シエナのようにその法律を知らなかったとしても警察の捜査に引っかかれば逮捕は免れないでしょう。

母親思いのシエナが逮捕されて自由を奪われる姿は不条理そのものですが、現実にはこうした逮捕劇は少なからず発生しているのだと思います。

映画の舞台の大半はメキシコですので、台詞はスペイン語と英語が半々ぐらいで構成されています。
スペイン語で台詞が発せられる時は英語の字幕も現れます。

邦題を見ると映画を視聴する気が失せる人もいるかも知れませんが、実際には邦題から受ける印象とはかけ離れた社会派の作品ですので国際政治に関心のある女子高生にも視聴して欲しいと思っています。


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レオナルド・ディカプリオ主演映画『ブラッド・ダイヤモンド』を見た感想
記事URL  カテゴリ | 外国映画 | 2014年02月07日(金)15時05分 | 編集 |
2014年2月7日(金) 


1月25日(土)にBSTBSで、レオナルド・ディカプリオ主演の映画『ブラッド・ダイヤモンド(原題:Blood Diamond)』を見ました。

映画の舞台は20世紀末のシエラレオネ共和国です。

アフリカの西部に位置するシエラレオネ共和国では、反政府勢力の革命統一戦線(RUF)と政府軍との間でダイヤモンド鉱山の支配権を巡り1991年から2002年まで大規模な内戦が行われていました。

RUF(Revolutionary United Front)に村を襲われ捕虜となったソロモン・バンディーは、ダイアモンド採掘場で強制労働させられている時に川底から偶然ピンク色のダイヤモンドを見つけ、近隣の土中に隠しました。

しかしRUFのポイゾン大尉がその様子を見ており、ソロモンが隠したダイヤモンドを掘り返すよう命令している最中に政府軍による爆撃が行われ、ソロモンとポイゾンは捕虜となって政府が管理する留置場へと連行されます。

レオナルド・ディカプリオが演じるダニー・アーチャーはローデシア出身の元白人傭兵で、現在はRUFに武器を渡す見返りとしてダイヤモンドの原石を受け取りシエラレオネの隣国リベリア共和国へ密輸して利益を上げるという裏稼業を生業としています。

ローデシアはかつてアフリカの南部に存在したイギリス領の地域で、現在ではザンビア共和国とジンバブエ共和国になっています。
ダニーは密輸の最中に逮捕され留置場に連行されますが、そこでソロモンと出会いピンク色のダイヤモンドの存在を知ります。

このダイヤモンドの在り処と所有権を巡り、この後多くの血が流されます。

ジャーナリストのマディー・ボウエンは内戦が行われているシエラレオネに乗り込み、ダイヤモンド密輸の実態を突き止めるための活動を行う中でダニーと知り合います。

アメリカ人のマディーを演じているのはジェニファー・コネリーです。

レオナルド・ディカプリオ主演映画『ブラッド・ダイヤモンド』を見た感想 210


映画ではRUFに連行されて捕虜となった少年たちが兵士としての訓練を受け、武器を持って政府軍の兵士や民間人を平然とした顔で撃ち殺す場面が描かれていますが、シエラレオネ内戦の時代には実際に軍事訓練を受けた少年兵が武器を持って戦っており、大人たちの都合に巻き込まれて戦争の意義を理解しないまま引き金を引いていた子どもたちも少なくありませんでした。

ダニーは内戦による大地や人心の荒廃を目の当たりにして神はなぜ手を差し伸べないのかと考えますが、長く裏稼業に携わる内に一つの結論を得ます。

「ここにはもはや神はいないのだ。」

神が人間たちの悪事を見過ごしているのではなく、神がいないので人間たちの放縦がまかり通っているというエドワード・ズウィック監督の主張が印象深かったです。


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ウジェーヌ・ドラクロワ『嵐の間に眠るキリスト』
記事URL  カテゴリ | 新約聖書絵画 | 2014年02月06日(木)11時19分 | 編集 |
2014年2月6日(木) 


目次
1. 風を従わせるイエス
2. 原題


今回取り上げる作品は、ウジェーヌ・ドラクロワ作『嵐の間に眠るキリスト』です。

ウジェーヌ・ドラクロワ『嵐の間に眠るキリスト』272


1. 風を従わせるイエス


フランスの画家ウジェーヌ・ドラクロワ(1798-1863)が描いているのは、嵐が起きている中で悠然と眠っているイエスの姿です。

ある夕刻にイエスと弟子たちは船でガリラヤ湖の対岸へと向かっていました。
突然嵐が起こり、イエス一行が乗っている船は沈みそうになっています。

大騒ぎしてうろたえる弟子たちとは異なり、師イエスは船の上で悠然と眠ったままです。
このままでは、間もなく船が沈んでしまいます。

全員が溺れてしまうことを懸念した弟子たちは、眠っているイエスに声をかけて助けを求めました。
目を覚ましたイエスは次のように言いました。

「黙れ! 静まれ!」

イエスが波に向かってそのように叫ぶと、あっという間に嵐は静まりました。
大自然の波や風さえも、イエスの言葉には従ったのでした。


2. 原題


ウジェーヌ・ドラクロワ(Eugène Delacroix)が描いた『嵐の間に眠るキリスト』は、英語ではChrist Asleep during the Tempestと言います。

この作品は、ニューヨークにあるメトロポリタン美術館(The Metropolitan Museum of Art)で見ることが出来ます。




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ロバート・デ・ニーロ主演映画『ケープ・フィアー』を見た感想
記事URL  カテゴリ | 外国映画 | 2014年02月04日(火)15時50分 | 編集 |
2014年2月4日(火) 


1月23日(木)にテレビ東京で、ロバート・デ・ニーロ主演の映画『ケープ・フィアー(原題:Cape Fear)』を見ました。

1991年に公開されたこの映画は、1962年に公開された『恐怖の岬(原題:Cape Fear)』のリメイク版です。

ウィキペディアにはサイコスリラー映画と書いてありますが、怖がりの私でもそれほど恐怖を感じることなく見通すことが出来ました。

サイコスリラー的な描写はいくつか見られましたが、マーティン・スコセッシ監督は視聴者をびくつかせるような過大な音響効果を採用していなかったので、結末まで集中して見ることが出来ました。

ロバート・デ・ニーロが演じるマックス・ケイディは14年前に強姦の容疑で起訴されましたが、公選弁護人サム・ボーデンの尽力により比較的軽い暴行罪が適用されて14年間収監されることになりました。

マックスは犯行当時文字の読み書きが出来なかったのですが、刑務所内で文字を学び法律を習得しキリスト教学や文学などにも造詣を深めて行きました。

14年の受刑生活に耐えて出所したマックスは、裁判官や検察官ではなく弁護人のサムを逆恨みしていました。

出所後に正当な遺産を相続したマックスは豪華な車を乗り回してサムの周囲に姿を見せるようになり、復讐を予告します。

サムはマックスが自分を恨んでいる理由が見当たらないため、なぜ減刑に持ち込んだ弁護士を恨んでいるのかとマックスに尋ねます。

マックスがサムへの復讐を誓った根拠となった事柄については映画の後半で明らかになります。

マックスは本性が強姦魔なのでサムをただ単に殺害するだけでは飽き足らず、サムの妻と娘を強姦した上でサムを殺すことを目論みます。

サムの妻リーはジェシカ・ラングが演じています。

ロバート・デ・ニーロ主演映画『ケープ・フィアー』を見た感想1 505


ジュリエット・ルイスが演じる娘ダニエルは素行不良な面がある高校生で、犯罪歴のあるマックスに何となく心惹かれていくのです。

マックスに騙される形で教室に一人呼び出されたダニエルは年上男性とのセックスに対する憧れや好奇心も手伝って、マックスによる顔の愛撫に抵抗を見せることなくマックスが口の中に挿入して来た親指を含んで舐め、熱い口づけを交わします。

ロバート・デ・ニーロ主演映画『ケープ・フィアー』を見た感想2 434


ジュリエット・ルイスはダニエル役の演技が高く評価されて第64回アカデミー賞(1992年3月)の助演女優賞にノミネートされました。

この後、身の危険を感じたボーデン一家はマックスの魔の手から逃れるために車でケープ・フィアー(恐怖の岬)を目指しますが、マックスの執拗な追跡によってリーとダニエルの身には強姦の危険が迫るのです。

1962年版『恐怖の岬』で弁護士のサム・ボーデンを演じたグレゴリー・ペックが、マックス・ケイディの弁護人リー・ヘラー役でカメオ出演しています。


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スーザン・サランドン主演映画『依頼人』を見た感想
記事URL  カテゴリ | 外国映画 | 2014年02月02日(日)10時24分 | 編集 |
2014年2月2日(日) 


1月22日(水)にTBSで、スーザン・サランドン主演の映画『依頼人(原題:The Client)』を見ました。

邦題も原題も素っ気ない題名が付けられていて、題名からは映画の内容を予測することは難しいです。
スーザン・サランドンが演じるレジー・ラブは離婚歴及び麻薬中毒だったという過去を持つ弁護士です。

スーザン・サランドン主演映画『依頼人』を見た感想 472


レジーの事務所に11歳の少年マーク・スウェイが弁護を依頼にやって来ました。
「依頼人」とはマークを指します。

マークはテネシー州メンフィスで暮らす不良少年で、ある日森の中で弟のリッキーと煙草を吸っていました。

マークとリッキーが遊び場としている森の中に一台の自動車が止まっており、車内にいる大柄な男性が排気ガスを利用したガス自殺を図っていました。

図らずも人が死ぬ直前の様子を遠くから目撃した場合、普通の子供であればリッキーを連れて家に戻り母親や周囲の大人に今しがた目にしたことを喋って対応策を大人の判断に委ねるはずですが、マークは何と言っても不良少年ですので大人など信用していませんし何ごとも自分の手で人よりも早くやってみたいのです。

マークはリッキーをその場に残して一人で自動車に近づいて行きましたが、座席に座っていた男性に見つかってしまい車内に連れ込まれてしまいます。

車内に監禁されたマークは、この男性がジェローム・クリフォードという弁護士でありロミーと呼ばれていることや、行方不明になっているルイジアナ州の上院議員殺害に関与していることなどを聞かされ、秘密を知った以上は一緒に死んでもらうと脅されます。

僅かな隙をついてマークは車から逃げ出し、その後ジェロームが拳銃を使って自殺します。

ここからマークは警察の尋問を受ける一方で、上院議員殺害の実行グループである殺し屋たちから命を狙われる羽目になります。

窮したマークはレジー・ラブに弁護を依頼し、報酬として1ドルを渡します。
レジーは報酬1ドルという条件提示を受け入れ、不良少年と共に事件の全容解明へと動き出すのです。

この映画の公開は1994年で、マークを演じるブラッド・レンフロ(1982-2008)は撮影時11歳ぐらいです。

ブラッドはマーク役のオーディションを勝ち抜いて俳優としてのデビューを果たし、ふてくされたりひねくれたりと見事な不良少年ぶりを示しましたが、実生活においてもコカイン所持や窃盗などの罪を犯し2008年にヘロインの過剰摂取により25歳で死去しました。

スーザン・サランドンは母性溢れる女性弁護士を好演しています。


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フアン・デ・フランデス『カナでの婚宴』
記事URL  カテゴリ | 新約聖書絵画 | 2014年02月01日(土)14時13分 | 編集 |
2014年2月1日(土) 

 
目次
1. 公に示した最初の奇跡
2. 原題


今回取り上げる作品は、フアン・デ・フランデス作『カナでの婚宴』です。

フアン・デ・フランデス『カナでの婚宴』438


1. 公に示した最初の奇跡


カナとはガリラヤ湖の西にある街の名前です。
マグダラより南でナザレよりも北に位置します。

イエスは母マリア及び弟子たちの数名を連れて知人の婚礼に出席しました。

フランドルの画家フアン・デ・フランデス(1460頃-1519頃)の作品では向かって左に着席しているのがイエスとマリアです。

中央に着座している二人の男女が新郎と新婦です。
新郎は赤い服を着て新婦は胸の前で合掌しています。

婚宴の最中、葡萄酒がなくなってしまうという事態になりました。
葡萄酒の手配は婚宴の主催者がするべきことです。

ところが目算を誤ったのか、宴の半ばで葡萄酒がなくなってしまったわけです。
これは招待客をもてなす主催者の立場としては大失態です。

このことにいち早く気づいたマリアがイエスに告げています。
イエスはこの家の使用人を呼び、6つの水甕(みずがめ)を全て水で満たすよう命じました。

しばらくして婚宴の運営責任者が水甕の水を口にしてみると、それは上質の葡萄酒に変化していました。
こうしてイエスは世間に対する最初の奇跡を起こしたのです。

イエスのおかげで婚宴の責任者は面目を保つことが出来ました。


2. 原題


フアン・デ・フランデス(Juan de Flandes)が描いた『カナでの婚宴』は、英語ではThe Marriage Feast at Canaと言います。

この作品はニュヨークのメトロポリタン美術館(The Metropolitan Museum of Art)で見ることが出来ます。




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