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フランシスコ・デ・スルバラン『聖ペドロ・ノラスコに現れる聖ペテロ』
記事URL  カテゴリ | その他絵画 | 2010年12月24日(金)12時31分 | 編集 |
記事のタグ: プラド美術館
2010年12月24日(金)


目次
1. フェリペ4世の時代
2. 苦しみを伴う死に方
3. 記録に残す意義
4. 原題


今日取り上げる作品は、フランシスコ・デ・スルバラン作『聖ペドロ・ノラスコに現れる聖ペテロ』です。

2010年12月24日フランシスコ・デ・スルバラン『聖ペドロ・ノラスコに現れる聖ペテロ』268

1. フェリペ4世の時代


聖ペドロ・ノラスコ(San Pedro Nolasco)は、1180年頃にバルセロナで生まれたということになっていますが、生没年と出生地については異説もあるようです。

作者であるフランシスコ・デ・スルバラン(1598-1664)は、昨日取り上げたアロンソ・カーノ(1601-67)と同様にベラスケス(1599-1660)と同時代を生きた画家で、多くの優れた宗教画や静物画を残しました。

ベラスケスと同時代ということは、フェリペ4世(1605-65)の治世下に活躍したということですね。


2. 苦しみを伴う死に方


この作品は聖ペドロ・ノラスコが瞑想している時に、聖ペテロが殉教時の姿で現れたという奇跡の瞬間を描いています。

ペテロは、逆さ十字架にかけられて殉教したとされています。

手や足に釘を打たれたイエスも大きな苦痛を感じたでしょうけど、逆向きにされたペテロも断末魔の苦しみを味わったのでしょうね。

なぜ権力者は、ここまで残酷になれるのでしょうか?

もともと残酷な人間が権力を手にしたのでしょうか?
あるいは、普通の人間でも権力を持つと残酷になるのでしょうか?

イエスとペテロの死に方というのは、2000年を経た今でも考えさせられる要素がたくさんありますよね。


3. 記録に残す意義


瞑想した人間の全てが、この絵に描かれているような神秘体験をするわけではありません。

神から特殊能力を授けられた一部の人々だけが、こういった奇跡的な場面に遭遇することがあるのでしょうね。

そして、その奇跡的な「事実」を単なる言い伝えに終わらせるのではなく、文字で記録に残すのが作家の役割であり、絵画という表現手段を用いて誰の目にも触れるようにするのが画家の使命なわけです。

あるいは、彫像という形で歴史を表現する任務を果たした芸術家もたくさんいます。

他の宗教と比べてキリスト教は、奇跡を記録に残すということに対して熱心に取り組んでいると思います。

表現手段が何であれ事実を記録に残すという役割を背負って生まれてきた人間がそのことに気づかなかったり、あるいは気づいたとしてもその仕事に情熱を注がないのであれば、民族や国家や組織の歴史はやがて人々の記憶から消えていくのだと思います。

キリスト教の歴史が2000年もの間、国境を越えて伝えられて来たのは、伝道者たる画家たちがその責務を全うしたからに他なりません。


4. 原題


フランシスコ・デ・スルバラン(Francisco de Zurbarán)が描いた『聖ペドロ・ノラスコに現れる聖ペテロ』は、スペイン語ではAparición del Apóstol San Pedro a San Pedro Nolascoと言います。

la apariciónは出現という意味です。
el apóstolは使徒という意味です。

1629年に制作されたこの絵画は、プラド美術館(Museo del Prado)の所蔵となっています。




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