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オラス・ヴェルネ『ユダとタマル』
記事URL  カテゴリ | 旧約聖書絵画 | 2012年07月22日(日)11時29分 | 編集 |
2012年7月22日(日)


今回の記事には露骨な性的表現が含まれています。
性的表現に対して心的なストレスを感じる方は、読まないことをお勧めします。


目次
1. ヤコブの息子ユダ
2. ユダの息子オナン
3. 膣外射精と手コキ
4. 神は膣外射精を許さず
5. オナニーの語源
6. セックスのネタとの向き合い方
7. タマルのその後
8. ただでセックスはさせないわよ
9. ダビデへの系譜
10. 原題


今回取り上げる作品は、オラス・ヴェルネ作『ユダとタマル』です。

2012年7月22日オラス・ヴェルネ『ユダとタマル』437

1. ヤコブの息子ユダ


この作品で描かれているユダは、ヤコブとレアとの間に生まれた息子です。

系図を示します。

テラ→アブラハム→イサク→ヤコブ→ユダ


ヤコブには4人の妻がいました。
ユダはレアを母とする四男です。


2. ユダの息子オナン


ユダには妻シュアとの間に3人の息子がいました。
名前は年齢順にエル、オナン、シェラと言います。

長男のエルはタマルという女性と結婚していましたが、神に逆らったため神によって殺されました。

エルが神を怒らせた原因や死に方などは不明です。

エルが死んだため、妻であったタマルは寡婦になりました。
そこでユダは次男のオナンに次のように命じました。

「兄嫁であったタマルをお前の妻として迎えなさい。
そして、亡くなった兄エルのために子孫を残すのだ。」

未亡人になった女性が死亡した夫の兄弟と再婚する形態をレビレート婚と言います。

レビレート婚はレビラト婚と呼ばれる場合もあり、日本では逆縁婚、あるいはもらい婚という言い方をします。

レビレート婚はユダヤ人だけに限った風習ではなく、モンゴル人やチベット人でも一般的だとされています。

なぜユダがこういう結婚の形態を次男のオナンに命じたかというと、律法で定められているからです。

つまり、レビレート婚は神が定めたということですね。

この場合のレビレート婚はエルの弟オナンが夫を亡くしたタマルと結婚するということですが、長男の寡婦と結婚する次男にとっては不利益の方が大きいのです。

なぜなら、次男のオナンと長男の寡婦であるタマルが結婚し性交して男の子が生まれた場合、その子は亡くなった長兄エルの名前を継ぐことになるからです。

実の父親であるオナンの名前は継承されません。

生まれた子が長兄の名前を継ぐということは一家の長であるユダが有する財産も、その子が将来的に継ぐということです。

精子はオナンのものなのに生まれた息子はエルの子と見做され、財産相続権を与えられるわけです。

タマルの生んだ息子に長子相続権が与えられるということは、次男であるオナンは父ユダの財産を受け継ぐことが出来ないということです。

もしタマルがオナンとの間に男の子を生まなければ、父ユダの財産は次男であるオナンのものになります。

とすると、オナンとしてはタマルに自分の子を生んで欲しくないと考えるようになるわけです。


3. 膣外射精と手コキ


レビレート婚の制度に則って、オナンはタマルと結婚します。

オナンは妻となったタマルと毎晩のようにセックスはするのですが、子を儲けないために常に膣外射精をしていました。

そこまでしてタマルを妊娠させたくないのであればオナンはセックスをしなければ良いのですが、あり余る性欲を抑えられるはずもなく、しかも妻であれば無料でセックスが出来るので射精直前までのセックスは普通の夫婦同様していたわけですね。

オナンは身勝手な男ですが、別の観点から見るとよく膣内射精を我慢して上手く膣外に射精していたものだと感心します。

なかなか膣外射精は出来る芸当ではありませんね。

恐らく余裕を持って早めにペニスを膣内から抜き出し、最終的には手でシゴイて射精していたのでしょうね。

現代のAV男優でも射精の瞬間を見せるにあたり、瞬時の早業でコンドームを外し手でシゴイて女優の顔や胸を目がけて射精を行なっています。

顔射にするか胸射にするかは台本で予め定められているため、男優としてはギリギリまで我慢してから射精に臨むと、場合によってはコンドームの中で果ててしまうという情けない結果にもなりかねません。

それぐらい射精を統制するのは男にとって不可能なのですよ。

また、この時代にはコンドームなどありませんし妊娠危険日などという概念もありませんので、避妊の方法としては膣外射精ぐらいしかなかったわけですね。

参考までに妊娠危険日とは排卵日の3日前を起算日とし、排卵期間の5日間を経て排卵後の1日までを含む9日間を指すと理解されています。


4. 神は膣外射精を許さず


さて、オナンは本来であればタマルとの間に男の子を儲ける努力を続け、首尾よく生まれたその子が長子相続権を継承していくのが律法で定められたレビレート婚の趣旨です。

つまりは神の意志です。

ところがオナンは神の意志に逆らい、膣外射精を繰り返しました。

一般論としては、どれだけセックスをしても男が女の膣内に射精しない限り妊娠することはありません。

最終的な射精の瞬間というのはセックスの終盤で男が堪(こら)え切れなくなり、やむを得ず発射してしまうことを指しますが、その瞬間に至るまでにペニスの先端からは様々な体液が自然放出されているわけですね。

その中には、もしかしたら精液も含まれているのかも知れず、射精時に膣外に出したとしても、射精前に既に膣内に精子が放出されている可能性も否定は出来ません。

その意味では、避妊をしたいのであればペニスを膣内に挿入する前に、コンドームを装着するのが最も確実な方法なのですが、オナンの時代にはコンドームなどは存在しませんので膣外射精しか方法がなかったわけですね。

しかし、このオナンが行った膣外射精は、神の命令に対する不服従の罪にあたります。

オナンに限らず、神は男に膣内射精をさせ女を妊娠させるためにレビレート婚を定めているわけです。

セックス時の快楽というのは人間にとってはそれ自体がセックスの目的となりますが、どれだけセックスに励んで性的快楽を得たとしても、女が妊娠しないのであればその家系は断絶し、最悪の場合民族自体が絶えます。

民族が絶えるということは、神の設計書には載っていません。

少なくともユダヤ民族は未来永劫子孫繁栄し、カナンの地で暮らすよう神によって定められているわけですね。

オナンはタマルと何度もセックスしお互いにセックスの快楽だけは共有していましたが、その都度膣外射精をしていたオナンは最終的に神によって処刑されました。

オナンには執行猶予期間があったのですが、その間に悔い改めもせず、相も変わらず膣外射精を繰り返していたため、ついに死刑宣告が下されたわけですね。

このブログで何度も述べていますが、ユダヤの神には絶対に逆らってはいけません。
逆らったらオナンのように殺されます。

神の命令には忠実であるべきです。

子供を儲けろと命じられたら、たとえ得られるはずの財産を失ったとしても、セックスに励み膣内射精するべきなのです。

オナンは得られるはずの財産権を手放したくないばかりに、ついに命を落としたのです。


5. オナニーの語源


オナニーという言葉は、実はこのオナンの膣外射精が語源と言われています。
オナンが行ったのは、正確には避妊するための膣外射精であってオナニー自体ではありません。

しかし第3章で述べたように、オナンは射精の瞬間が近づいたと感じたら余裕を持って早めにペニスを膣内から抜き出し、最終的には手でシゴイて射精していたはずであり、最後の射精の仕方はオナニーと全く同じだと言えます。

さらに膣外射精もオナニーも、生殖を目的としない射精行為に該当するという点では同じですね。

その意味でオナンがタマルと性交する時に繰り返していた射精行為が、いつしか自慰行為と同一視され、自慰行為はオナンの名前をとってオナニーという名称で呼ばれるようになりました。

ということは少なくともオナン以前の時代には、オナニーという名称はなかったということになりますね。

人類の祖アダム以降カイン、アベル、セト、そして、ノア→アブラハム→イサク→エサウ、ヤコブ→ヨセフ、ベニヤミンなど何代にも渡って男性が生きていたわけですから、彼らは全員がオナニーをしていたはずです。

恐らく箱舟の中でもノアたちはオナニーをしていたはずですし、ヨセフはエジプト宮廷においてオナニーをしていたはずです。

オナニーをしない男なんていません。

もしオナニーをしない男がいるとすれば、その男には必要な時にセックスパートナーがいるからオナニーをしないだけです。

AV男優の加藤鷹は17歳以降オナニーをしていないそうですが、彼は公私共にセックスパートナーに困ったことがないからですね。

男は100%オナニーをしますが、女も同じようにオナニーをするはずです。

100%とは言えないかも知れませんが、セックスパートナーのいない女は溢れる性欲を抑えるためには、オナニーするしか手立てがないと思います。

ソープランドなど男性用の性欲処理施設は街に存在しますが、女性用の性欲処理施設は恐らくないのだろうと思います。

その意味では日常的に襲って来る強烈な性欲を抑制するために、男性よりも女性の方がマスターベーションをする機会が多いはずなんですけどね。

また、セックスよりオナニーの方がイケるという女性もいるみたいですしね。

セックスを主導している男にとっては惨めな話ですが。

まあ、いずれにせよ健康な人間として生まれたのであれば、男女に関わらずオナニーをして当たり前ですし恥でも何でもありません。

逆に不健康などの理由によりオナニーが出来なくなる環境に追い込まれたら、精神的に安らかではいられないと思います。


6. セックスのネタとの向き合い方


なお、私はブログではハンドルネームを使って赤裸々にセックスのネタを綴っていますが、ハンドルネームだからこそ書けることであり、本名で人と会う時は相手が誰であれ下ネタなど話しませんし、下ネタを面白がって話題にしたがる者(まあ全部男ですが)とは交際はしません。

例えば初体験は何歳でしたかとか、最後に性風俗店に行ったのはいつでしたかとか、週に何回セックスやオナニーをしていますかなどという質問は、匿名性が担保されたアンケート調査において行えばいいことであり、面と向かって話している特定人に対して投げかけるべきではありませんね。

別の話題を話し合うために集合した相手に向かって、そういうセックスに関する質問を人目も憚(はばか)らず平気で投げかける者は本性が下品なのですよ。

じゃあ、お前だってブログにおいてたとえハンドルネームを使っているとはいえ、セックスの話題を提供しているのだからお前の本性は下品ではないのかと立腹する人もいるかも知れませんが、人間の本質を突き止めるためにはセックスの分野を看過することは出来ないのです。

私がブログを書きネット上に記録に残す最大の理由は、人間の本質を明らかにし私の知り得たことを後輩に伝えるためです。

外国語や絵画の研究をする過程で人間の生業(なりわい)に着目すると、どうしてもセックス関連の話題を避けて通ることは出来ず、適当な頻度で下ネタを提供することになるのです。

なぜなら、男女に関わらず人間が最も関心を寄せる主題はセックスだからです。
もし人類がセックスに対する研究を放棄した場合、医学も法学も文学も語学も成り立ちません。

例えば医学部では、当然ペニスや膣の構造を学びます。

医学部6年間の早い時期にどういうペニスが正常か、あるいはどういう膣が異常なのかなどについて画像などを元にして学ぶわけですよ。

女医を目指す女子医学部生は何科に進むにせよ、ペニスには関心がないなんて言ってられません。

次に法律においては刑法で強姦罪を規定し、民法で結婚や離婚を規定しています。

強姦罪を語る際に論点の一つとなるのは精液が膣内に残っていたかどうかであり、結婚生活の破綻は往々にして性生活の破綻を意味します。

法曹(裁判官、検察官、弁護士)を目指す女子法科大学院生は、強姦被害者の膣内に残された精液になど関心はないなんて言ってられませんし、離婚裁判に関わる際に夫婦の間に性生活があったか否かについて無関心を貫くことは不可能です。

このように医療関係者や法務関係者は、広い意味でセックスについての理解や関心がなければ実務を遂行できませんね。

それから文学の主題として頻繁にセックスが選ばれることは、今更言うまでもないでしょう。

例えばフランス文学の最高峰とも称されるスタンダールの『赤と黒(原題:Le Rouge et le Noir)』を官能小説に分類する専門家はいないと思いますが、あの小説で描かれている世界の大半はセックスを題材としたものです。

従って見方によっては『赤と黒』はエロ小説であるという評価をしても差し支えないと思いますよ。

清純な女子高生は読まない方が良いかも知れません。

さらに語学の業界ではフェラチオへの理解がなければ翻訳者になれない場合もあることは、2012年3月2日(金)の記事『ジュリア・ロバーツ主演映画『エリン・ブロコビッチ』を見た感想 loro2012.blog』で述べたところです。

外国作品に限らず映画やドラマの大半はセックスを主題としていますので、翻訳者を目指す女性はフェラチオやクンニリングスなんて言葉は聞いたことがありません、知りたくもないです、もちろん実体験なんかあるわけないじゃないですかなんて言ってる場合ではないのですよ。

実体験の有無はともかく知識としては仕入れておかないと、翻訳実務に支障が出る場合があるということですね。

こういったことを踏まえて、私は私の立場でセックスの話題を提供しているのです。

出来る限り下品にならないように定期的な訪問者に見放されないよう品性を保ちながら、エロい話題を提供しているつもりです。


7. タマルのその後


さて、話を戻します。

オナンが神の逆鱗に触れて処刑された後、タマルは再度後家となりました。
そして、舅(しゅうと)であるユダの判断で実家へと戻されました。

オラス・ヴェルネ(1789-1863)が描いているのは、実家へと戻った後のタマルとユダが出会っている場面です。

向かって右のユダは、妖艶な女性がタマルであることに気づいていません。
向かって左のタマルは、豊満な肉体を武器に娼婦として客引きをしているところです。

実家へ戻ったタマルは生きていくために娼婦になっていたわけですね。

現代でもソープランドなどの性風俗店を職場として選択する女性は、何はさておきお金を稼ぐことが主目的なのだろうと推測しますが、旧約聖書の時代にも既に娼婦という職業は成立していたわけですね。

ソープ嬢にせよAV女優にせよ、あれは過酷な肉体労働だと思いますし、ああいう仕事をしたことのない女性が先入観に縛られて彼女たちを色眼鏡で見るようなことはあってはならないのだろうと私は思っています。

なぜならソープ嬢もAV女優も、セックスパートナーに飢えている男性に希望と潤いを与え、日々否応なしに押し寄せる性欲を処理するために一役買ってくれている存在だからです。

特にAV女優は顔と体が美しくないと売れないという厳しい世界ですし、外見の美しさだけでなく作品の趣旨を理解した上での演技力も求められる高度な職種なのです。

例えば、熟女AV女優として人気の新尾きり子は肌も綺麗ですが演技力も抜群です。

ソープ嬢についても来店した客と密室内で何らかの話をするわけですから、性技だけでなく人柄もそれなりに要求されるわけですね。

外見の美だけでなく様々な能力を兼ね備えた女性でないと、性風俗界で活躍できないわけです。
性風俗界は、決して落ちぶれた女性の行き着く先ではありません。

一部の会社ではそういう人生の落伍者も在籍しているのかも知れませんが、ヤル気のない風俗嬢には客が集まらず結局廃業に追い込まれます。

一方人気を集める風俗嬢は外見と内面の両方に優れ、その上で性技にも磨きをかけることを怠らない努力家たちなのです。

いずれにせよサービス業を選ぶ者は男女に関わらず、客の心を掴めないと小手先の技術だけでは長続きはしないということです。

路上に立つ娼婦を生業(なりわい)とするタマルには、客の心を掴むだけの雰囲気があったのでしょうね。

ユダは吸い寄せられるようにタマルへと近づいて行きます。


8. ただでセックスはさせないわよ


ユダはこの時かなりの高齢だったと思われますが、タマルの色香に心を奪われて足を止め声をかけました。

色っぽいタマルの豊満な肉体に視線が釘付けになり、高齢であってもユダはしっかりと勃起していたのでしょう。

いくつになっても男は性欲には勝てないようです。

まあ女から見ればユダの勃起は馬鹿だと思えるでしょうが、男にはそういう馬鹿な一面があるということです。

ユダはこの美女がまさかかつて長男及び次男の嫁だったタマルだとは思っていないので、喜び勇んで自分との性交を求めました。

もう一度言いますが、男にはそういう馬鹿な一面があるということです。

私もユダの勃起したペニスを想像するにユダは馬鹿だと思いますが、くどいようですが男にはそういう馬鹿な一面があるということです。

画面向かって左のタマルは客であるユダにセックスの見返りとして差し出されるものを尋ねます。

「あなたと性交したら何をくれますか?」

ユダは、後ほどヤギの子を送り届けると約束します。

しかしタマルとしては、行きずりの男から約束されたことをそのまま鵜呑みにするわけにはいきません。

交渉が成立してセックスをさせてやり、その上中出しまでさせてやったにも関わらず、事前に約束した報酬を渡さない卑怯な男などいくらでもいるはずなのです。

そこでタマルは保証を求めました。

「指輪と鎖と杖をヤギの子が届けられるまでの保証として私に渡して下さい。」

作品においてタマルが右手を出して要求しているのは、担保としての物品なわけです。

タマルの豊麗な乳房や太股を盗み見しながら、勃起したユダは担保を差し出すことに同意し二人は性交します。

なんと結果論とはいえ、タマルは長男とセックスし次男とセックスし義父ともセックスをしたわけですね。


9. ダビデへの系譜


この時タマルに相手の男がかつての義父ユダであるという認識があったかどうかは、旧約聖書は伝えていません。

私の推測ですが、タマルは気づいていたんじゃないかと思いますけどね。

旧約聖書は、この後タマルがユダの子を身ごもったと記しています。

高齢のユダはちゃんとペニスを膣内に挿入しきっちり膣内射精し、その精子は何億分の一の確率を突破して見事に受精したわけですね。

こうして生まれた男の子はベレツと言います。
そして、ベレツの子孫にダビデとイエスがいるのです。

系譜を示します。

アブラハム→イサク→ヤコブ→ユダ→ベレツ→サルマ→(中略)→ダビデ→ソロモン→(中略)→ヨセフ(養父)→イエス

旧約聖書においてタマルの話を削除出来ないのは、ダビデに至る血縁関係があるからなのです。

本来であれば、こういう艶っぽい話は削除したいところですよね。

しかしアダムからイエスへと至る血脈を担保するには、全ての事実を包み隠さず伝えていくしかないのです。

その意味では、ユダヤ人って勇気がありますよね。


10. 原題


オラス・ヴェルネ(Horace Vernet)が制作した『ユダとタマル』は、英語ではJudah and Tamarと言います。

この作品はロンドンにあるウォレス・コレクション(The Wallace Collection)で見ることが出来ます。

旧約聖書『創世記』の話は今回でおしまいです。
次回からは『出エジプト記』の話に入ります。








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