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ピーター・レリー『オリバー・クロムウェルの肖像』
記事URL  カテゴリ | ヨーロッパ王家絵画 | 2011年03月06日(日)14時41分 | 編集 |
2011年3月6日(日) 


目次
1. 護国卿
2. スコットランド王チャールズ2世
3. 原題


今回取り上げる作品は、ピーター・レリー作『オリバー・クロムウェルの肖像』です。

2011年3月6日ピーター・レリー『オリバー・クロムウェルの肖像』398

1. 護国卿


清教徒革命によってチャールズ1世(在位:1625-1649)は処刑されました。
この後、イングランドは王政を廃して共和政の時代に入ります。

イングランド共和国(1649-1660)を主導したのはオリバー・クロムウェル(1599-1658)です。

オリバー・クロムウェルは護国卿に就任します(任期:1653-1658)。
護国卿とは王権に匹敵する最高統治権を与えられた官職を指します。

オリバー・クロムウェルの行った政治は、共和政という言葉の印象からはかけ離れた軍事独裁でした。

オランダの画家ピーター・レリー(1618-1680)が描いたこの作品は制作年がハッキリしません。

この作品が制作された時点でオリバー・クロムウェルが護国卿に就任していたかどうかは不明です。


2. スコットランド王チャールズ2世


イングランドで起きた清教徒革命は、隣国スコットランドでは異なる受け止め方をされました。

イングランドでは王政を打倒して共和政が樹立されました。
しかし、スコットランド国民は王政の存続を望みました。

そこで、チャールズ1世の息子のチャールズがスコットランド王に即位しチャールズ2世となりました。

1651年に正式に戴冠式を挙げています。

王政を嫌うオリバー・クロムウェルは、この動きを見てスコットランドに軍事侵攻します。
チャールズ2世率いるスコットランド軍はクロムウェルの軍隊に敗れました。

そして、チャールズ2世はヨーロッパ大陸に亡命することを余儀なくされました。

オリバー・クロムウェルは1658年に病死します。
護国卿の地位を継承したのは、息子のリチャード・クロムウェル(任期:1658-1659)でした。

リチャード・クロムウェルは父オリバーほどの器量や才覚がなく全くの不人気でした。
イングランド議会は1659年にリチャード・クロムウェルを辞任へと追い込みます。

そして、チャールズ2世をイングランド王として迎えることになるのです(在位:1660-1685)。
ここに王政復古が実現しイングランドは再びステュアート家が支配していくことになります。


3. 原題


ピーター・レリー(Peter Lely)が描いた『オリバー・クロムウェルの肖像』は、英語ではPortrait of Oliver Cromwellと言います。

この作品はフィレンツェにあるパラティーナ美術館(Galleria Palatina)で見ることが出来ます。

今回でフランス王家及びイングランド王家と続いた王朝関連の話題は一区切りとなります。
明日からは、いよいよギリシア神話を題材とした絵画を紹介する企画が始まります。


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