映画とドラマと語学、そして株式投資へ
| ホーム loro2012 |
| 投稿 |
Jean-Jacques Lagrenée『オデュッセウスの息子テレマコスであることを知るヘレネ』
記事URL  カテゴリ | ギリシア神話絵画 | 2012年03月18日(日)13時44分 | 編集 |
記事のタグ: エルミタージュ美術館
2012年3月18日(日)


目次
1. テレマコスの冒険
2. ヘレネの美貌衰えず
3. テレマコスのイタキへの帰還
4. 原題


今回取り上げる作品は、Jean-Jacques Lagrenée作『オデュッセウスの息子テレマコスであることを知るヘレネ』です。

2012年3月18日Jean-Jacques Lagrenée『オデュッセウスの息子テレマコスであることを知るヘレネ』250

1. テレマコスの冒険


オデュッセウスと妻ペネロペとの間には、一人息子のテレマコスがいました。

オデュッセウスがトロイ戦争に出征した時は、テレマコスはまだ幼く、父との思い出もほとんどありません。

戦争終結後、20年が経過し、テレマコスは立派な青年に成長しました。
いつまで経ってもイタキ島へ帰還しない父を探すために、テレマコスは旅立つことにしたのです。

テレマコスの決断を促したのは、オデュッセウスの友人メンテスですが、実はこのメンテスは、アテナが変身した姿だったのです。

もちろん、ペネロペもテレマコスも、メンテスの正体がアテナであるとは気づいていません。

船に乗り、ギリシアの各地を回ったテレマコスは、最後にスパルタのメネラオスを訪ねることにします。

メネラオスは、トロイ戦争では、ギリシア側の副大将を務めた人物です。

メネラオスは、トロイ陥落後、妻であるヘレネを奪還し、8年かかってスパルタへの帰還を果たしていました。

メネラオスとヘレネとの間には、埋めがたい溝が出来ていましたが、メネラオスは心からヘレネを愛していたため、ヘレネを罰することが出来ず、そのまま王と王妃の関係に戻っていたのでした。


2. ヘレネの美貌衰えず


テレマコスがスパルタ宮廷を訪れた際、当初、メネラオスとヘレネは、この若者がオデュッセウスの息子であるとは、認識できませんでした。

しかし、話をしていく内に、王妃ヘレネがオデュッセウスの息子であることに気づきます。

フランスの画家Jean-Jacques Lagrenée(1739-1821)は、テレマコスがメネラオス夫妻と会話している場面を描きました。

中央で、右手を広げて着座しているのが、スパルタ王メネラオスです。

向かって左で、赤い布で顔を覆って泣いているのがテレマコスです。
テレマコスの向かって右にいるのは、今回の旅に同行している友人です。

テレマコスの後ろに立っている男性は、メンテスですが、実際にはアテナです。

向かって右で、青い布を身につけて立っているのはヘレネです。
ヘレネの容色は年をとっても衰えず、二の腕なども肉付きが良く、セクシーで美しいままです。


3. テレマコスのイタキへの帰還


せっかくスパルタまでやって来たテレマコスでしたが、メネラオスとヘレネからは、オデュッセウスの消息について、有力な情報は得られませんでした。

メネラオスは、次のようにテレマコスに語りました。

「一般論として、生きていればとっくに帰還しているはずである。

父王オデュッセウスは生きている、という可能性は捨て切れないとしても、一応、死んだものと捉え、王子としてイタキ島をまとめていく覚悟を固めた方が、現実的ではないかだろうか・・・。」

このような趣旨のことを言われて、テレマコスは涙を流していたわけです。

ただ、メネラオスの言う通り、現実的には父オデュッセウスが生きている可能性は、ほとんどないであろうことはテレマコスにも分かっていました。

スパルタ王と会見した後、テレマコスは、父オデュッセウスを頼るという気持ちを吹っ切りました。
そして、イタキの国と母ペネロペを自分が守る覚悟を固めて、帰国の途に着いたのでした。

テレマコスがこのような気持ちになることを見越して、アテナはこの冒険を企画し、実行させたわけです。

オデュッセウスが様々な経緯や理由があったにせよ、あちらこちらで、美女とセックスをしている間、息子のテレマコスは逞しい青年へと成長していったのです。


4. 原題


Jean-Jacques Lagrenéeが描いた『オデュッセウスの息子テレマコスであることを知るヘレネ』は、英語ではHelen Recognising Telemachus, Son of Odysseusと言います。

この作品は、エルミタージュ美術館(State Hermitage Museum)で見ることが出来ます。





関連記事