2011年8月27日(土)
目次
1. ヘラクレスの12の功業(6つ目)
2. ヘラクレスの12の功業(7つ目)
3. ポセイドンの怒り
4. 原題
今回取り上げる作品は、フランシスコ・デ・スルバラン作『クレタの牡牛と戦うヘラクレス』です。

1. ヘラクレスの12の功業(6つ目)
6つ目の功業は、ステュムパリデスの鳥たちを退治することでした。
ステュムパリデスは、ペロポネソス半島にある湖です。
ステュムパリデス湖畔の森に棲む鳥たちは、人間を襲ったり、田畑に毒性の糞を撒き散らしたりして、人間や周辺環境に甚大な被害を及ぼしていました。
ヘラクレスが鳥退治に向かうことを耳にした鍛冶の神ヘパイストスは、ヘラクレスのために青銅製の鳴子(なるこ)を製造しました。
鳴子とは、鳥威(おど)しの一種で、鳥獣が田畑に侵入した場合に、音が鳴る警報装置を指します。
音が鳴ることによって、鳥獣は恐怖を感じ、田畑から去って行くので、農家は穀物類を守ることが出来るという仕組みです。
ヘパイストスの作った鳴子は、軍神アテナによって、ヘラクレスの元へと届けられました。
ヘパイストスは脚が悪いので、出来上がった品物を自分では届けることが出来ないのです。
ヘラクレスは、美女アテナが自分のために品物を届けてくれたので、かなり勇気づけられたことでしょう。
美女が自分に対して微笑みかけ、声を掛けてくれるだけで、男性は俄然ヤル気になるのです。
美しく生まれた女性には、その分、社会から求められる役割も多いということです。
さて、ヘラクレスは鳴子を携えて、ステュムパリデス湖畔へとやって来ました。
湖畔の森からやって来た鳥たちは、いつものように田畑へ狙いを定めて、糞を落とそうとする構えです。
その時、ヘラクレスが鳴子を鳴らしました。
すると、ステュムパリデスの鳥たちは驚いて、一斉に田畑から離れ、飛び去ろうとします。
その飛び去る瞬間を狙って、ヘラクレスは立て続けに矢を射たのでした。
放たれた矢は、鳥たちに尽く命中します。
こうしてヘラクレスは、6つ目の難行も成し遂げたのです。
2. ヘラクレスの12の功業(7つ目)
7つめの功業は、クレタ島の牡牛を生け捕りにすることでした。
クレタ島の牡牛とは、かつてクレタの王位を狙うミノスに対して、ポセイドンが贈った牛です。
ミノスは、ゼウスとエウロパの間に生まれた息子です。
エウロパはクレタ島でミノスを生んだ後、クレタ王アステリオスの妻となりました。
アステリオスは、ミノスの養父となったわけです。
アステリオスの死後、ミノスは王位継承権を主張しますが、嫡男ではないため、周囲の賛同が容易には得られません。
そこで、ミノスは、自分が王となるに相応しい人物であることを、人々の前で証明する必要がありました。
つまり、何か奇跡的なことを実現する能力を備えていることを、人々に示す必要があったのです。
ミノスは、ポセイドンに願いを掛けることにしました。
具体的には、みんなが見ている前で自分が祈りを捧げると、海の中から突如として牡牛が現れるようにして欲しいと、祈ったのです。
ミノスの願いを聞いたポセイドンは、海から牡牛を登場させました。
この様子を見たクレタ島民は、不思議な力を有するミノスを次期王として認めたわけです。
実は、ミノスはポセイドンとの事前の約束で、王位に就いた後は、この牡牛をポセイドンに対して犠牲として捧げることになっていました。
ところが、ポセイドンが海上から遣わした牡牛は、余りにも美しく立派な牛だったため、ミノスは、これほど優れた牛を犠牲に捧げるのが惜しくなりました。
そこで、ミノスは、この牡牛を自分の所有物とし、ポセイドンへの捧げものとしては、別の牛を身代わりとして立てたのでした。
このあたりの経緯は、2011年6月27日(月)の記事『ティツィアーノ・ヴェチェッリオ『エウロパの略奪』 loro2012.blog.fc2.com』を参照して下さい。
3. ポセイドンの怒り
ミノスがポセイドンに対して別の牛を捧げたことは、間もなくポセイドンの知るところとなりました。
約束を反故(ほご)にされたポセイドンは激怒し、裏切ったミノスへの懲罰として、王妃パシパエがこの牡牛に恋心を抱くように仕向けました。
やがて、パシパエと牡牛との間には、ミノタウロスが生まれます。
その後、ポセイドンは美しい牡牛に狂気を吹き込み、暴れ牛に変身させました。
ミノスが気に入った美しい牡牛は、今や、単なる暴れ牛になっていて、ヘラクレスは、この暴れ牛を生け捕りに来たわけです。
スペインの画家フランシスコ・デ・スルバラン(1598-1664)が描いているのは、ヘラクレスがクレタの牡牛を棍棒で殴りつけようとしている場面です。
ヘラクレスは首尾良く牡牛を捕獲した後、海を渡って、ミケナイ王エウリュステウスの元へと連れて行きました。
エウリュステウスは、この牡牛を殺すことは望まなかったので、ヘラクレスはこの功業を達成した後、牛を放逐しました。
後に、このクレタ島の牡牛は、アテナイ王子テセウスによってマラトンの地で再び捕獲されることになります。
テセウスがクレタ島の暴れ牛をマラトンで捕獲した話は、既に2011年7月31日(日)の記事『ウィリアム・ラッセル・フリント『テセウスに毒杯を差し出すメディア』 loro2012.blog.fc2.com』で述べています。
4. 原題
フランシスコ・デ・スルバラン(Francisco de Zurbarán)が描いた『クレタの牡牛と戦うヘラクレス』は、スペイン語ではHércules lucha contra el toro de Cretaと言います。
この作品は、プラド美術館(Museo Nacional del Prado)で見ることが出来ます。
目次
1. ヘラクレスの12の功業(6つ目)
2. ヘラクレスの12の功業(7つ目)
3. ポセイドンの怒り
4. 原題
今回取り上げる作品は、フランシスコ・デ・スルバラン作『クレタの牡牛と戦うヘラクレス』です。

1. ヘラクレスの12の功業(6つ目)
6つ目の功業は、ステュムパリデスの鳥たちを退治することでした。
ステュムパリデスは、ペロポネソス半島にある湖です。
ステュムパリデス湖畔の森に棲む鳥たちは、人間を襲ったり、田畑に毒性の糞を撒き散らしたりして、人間や周辺環境に甚大な被害を及ぼしていました。
ヘラクレスが鳥退治に向かうことを耳にした鍛冶の神ヘパイストスは、ヘラクレスのために青銅製の鳴子(なるこ)を製造しました。
鳴子とは、鳥威(おど)しの一種で、鳥獣が田畑に侵入した場合に、音が鳴る警報装置を指します。
音が鳴ることによって、鳥獣は恐怖を感じ、田畑から去って行くので、農家は穀物類を守ることが出来るという仕組みです。
ヘパイストスの作った鳴子は、軍神アテナによって、ヘラクレスの元へと届けられました。
ヘパイストスは脚が悪いので、出来上がった品物を自分では届けることが出来ないのです。
ヘラクレスは、美女アテナが自分のために品物を届けてくれたので、かなり勇気づけられたことでしょう。
美女が自分に対して微笑みかけ、声を掛けてくれるだけで、男性は俄然ヤル気になるのです。
美しく生まれた女性には、その分、社会から求められる役割も多いということです。
さて、ヘラクレスは鳴子を携えて、ステュムパリデス湖畔へとやって来ました。
湖畔の森からやって来た鳥たちは、いつものように田畑へ狙いを定めて、糞を落とそうとする構えです。
その時、ヘラクレスが鳴子を鳴らしました。
すると、ステュムパリデスの鳥たちは驚いて、一斉に田畑から離れ、飛び去ろうとします。
その飛び去る瞬間を狙って、ヘラクレスは立て続けに矢を射たのでした。
放たれた矢は、鳥たちに尽く命中します。
こうしてヘラクレスは、6つ目の難行も成し遂げたのです。
2. ヘラクレスの12の功業(7つ目)
7つめの功業は、クレタ島の牡牛を生け捕りにすることでした。
クレタ島の牡牛とは、かつてクレタの王位を狙うミノスに対して、ポセイドンが贈った牛です。
ミノスは、ゼウスとエウロパの間に生まれた息子です。
エウロパはクレタ島でミノスを生んだ後、クレタ王アステリオスの妻となりました。
アステリオスは、ミノスの養父となったわけです。
アステリオスの死後、ミノスは王位継承権を主張しますが、嫡男ではないため、周囲の賛同が容易には得られません。
そこで、ミノスは、自分が王となるに相応しい人物であることを、人々の前で証明する必要がありました。
つまり、何か奇跡的なことを実現する能力を備えていることを、人々に示す必要があったのです。
ミノスは、ポセイドンに願いを掛けることにしました。
具体的には、みんなが見ている前で自分が祈りを捧げると、海の中から突如として牡牛が現れるようにして欲しいと、祈ったのです。
ミノスの願いを聞いたポセイドンは、海から牡牛を登場させました。
この様子を見たクレタ島民は、不思議な力を有するミノスを次期王として認めたわけです。
実は、ミノスはポセイドンとの事前の約束で、王位に就いた後は、この牡牛をポセイドンに対して犠牲として捧げることになっていました。
ところが、ポセイドンが海上から遣わした牡牛は、余りにも美しく立派な牛だったため、ミノスは、これほど優れた牛を犠牲に捧げるのが惜しくなりました。
そこで、ミノスは、この牡牛を自分の所有物とし、ポセイドンへの捧げものとしては、別の牛を身代わりとして立てたのでした。
このあたりの経緯は、2011年6月27日(月)の記事『ティツィアーノ・ヴェチェッリオ『エウロパの略奪』 loro2012.blog.fc2.com』を参照して下さい。
3. ポセイドンの怒り
ミノスがポセイドンに対して別の牛を捧げたことは、間もなくポセイドンの知るところとなりました。
約束を反故(ほご)にされたポセイドンは激怒し、裏切ったミノスへの懲罰として、王妃パシパエがこの牡牛に恋心を抱くように仕向けました。
やがて、パシパエと牡牛との間には、ミノタウロスが生まれます。
その後、ポセイドンは美しい牡牛に狂気を吹き込み、暴れ牛に変身させました。
ミノスが気に入った美しい牡牛は、今や、単なる暴れ牛になっていて、ヘラクレスは、この暴れ牛を生け捕りに来たわけです。
スペインの画家フランシスコ・デ・スルバラン(1598-1664)が描いているのは、ヘラクレスがクレタの牡牛を棍棒で殴りつけようとしている場面です。
ヘラクレスは首尾良く牡牛を捕獲した後、海を渡って、ミケナイ王エウリュステウスの元へと連れて行きました。
エウリュステウスは、この牡牛を殺すことは望まなかったので、ヘラクレスはこの功業を達成した後、牛を放逐しました。
後に、このクレタ島の牡牛は、アテナイ王子テセウスによってマラトンの地で再び捕獲されることになります。
テセウスがクレタ島の暴れ牛をマラトンで捕獲した話は、既に2011年7月31日(日)の記事『ウィリアム・ラッセル・フリント『テセウスに毒杯を差し出すメディア』 loro2012.blog.fc2.com』で述べています。
4. 原題
フランシスコ・デ・スルバラン(Francisco de Zurbarán)が描いた『クレタの牡牛と戦うヘラクレス』は、スペイン語ではHércules lucha contra el toro de Cretaと言います。
この作品は、プラド美術館(Museo Nacional del Prado)で見ることが出来ます。
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