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作者不明 『キャサリン・オブ・アラゴン』
記事URL  カテゴリ | ヨーロッパ王家絵画 | 2011年02月19日(土)13時24分 | 編集 |
2011年2月19日(土) 


目次
1. アラゴンの王女キャサリン
2. ヘンリー8世との結婚
3. 王妃の地位剥奪
4. 原題


今回取り上げる作品は、作者不明『キャサリン・オブ・アラゴン』です。

2011年2月19日作者不明 『キャサリン・オブ・アラゴン』441

1. アラゴンの王女キャサリン


キャサリン・オブ・アラゴン(1485-1536)は、アラゴン王フェルナンド2世(1452-1516)とカスティーリャ女王イサベル1世(1451-1504)との間に生まれた娘です。

キャサリンは1501年にヘンリー7世の長男アーサー・テューダー(1486-1502)に嫁ぎました。
アーサー・テューダーはヘンリー8世の兄にあたります。

アーサー・テューダーは病弱な王太子でした。
15歳の若さで高熱のために亡くなってしまいます。


2. ヘンリー8世との結婚


キャサリンは、アーサー・テューダーとの間には肉体関係はなかったと宣誓しました。

キャサリンによるこの申し出が決め手となり、アーサー・テューダーの弟であるヘンリー8世との婚姻が成立しました。

1509年のことです。

ヘンリー8世とキャサリンは当初は仲睦まじい夫婦でした。
しかし、キャサリンは度重なる死産や流産を経験することになります。

キャサリンは1516年にやっと女児メアリーを出産します。
しかしヘンリー8世は世継ぎを産まないキャサリンを次第に遠ざけるようになりました。

そして、ヘンリー8世は王妃キャサリンと離婚する意志を固めるのです。


3. 王妃の地位剥奪


この王妃キャサリンとの離婚を正式にローマ教皇に認めてもらうために、ヘンリー8世は様々な方策を練ります。

ところが、結局カトリックの教義という厚い壁に阻まれて思い通りにすることは叶いませんでした。

カトリックは教義によって離婚を認めてはいません。

結婚とは神に対して誓うものであり、個人の都合で婚姻を繰り返すことは宗教上許されていないわけです。

そこでヘンリー8世は、離婚出来ないのであればカトリック教会から離れればいいという結論に至りました。

1533年、キャサリンはヘンリー8世から結婚の無効を言い渡されました。
そして、イングランド王妃の座から追われてしまったのです。

この後、ヘンリー8世の二人目の妻となるのはキャサリンの侍女アン・ブーリンです。
明日に続きます。


4. 原題


この作品の作者は不明です。
『キャサリン・オブ・アラゴン』は、英語ではCatherine of Aragonと言います。

この作品は、ロンドンのナショナル・ポートレイト・ギャラリー(National Portrait Gallery, London)で見ることが出来ます。





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