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ジョヴァンニ・バッティスタ・ピットーニ『ポリュクセネの犠牲』
記事URL  カテゴリ | ギリシア神話絵画 | 2012年02月22日(水)11時22分 | 編集 |
記事のタグ: エルミタージュ美術館
2012年2月22日(水)


目次
1. トロイ王女ポリュクセネ
2. アキレスの亡霊
3. 殺されるポリュクセネ
4. 原題


今回取り上げる作品は、ジョヴァンニ・バッティスタ・ピットーニ作『ポリュクセネの犠牲』です。

2012年2月22日ジョヴァンニ・バッティスタ・ピットーニ『ポリュクセネの犠牲』454

1. トロイ王女ポリュクセネ


ポリュクセネは、トロイ王プリアモスと王妃ヘカベとの間に生まれた末娘です。
パリスは、兄にあたります。

系譜を示します。

ゼウス→ダルダノス→エリクトニオス→トロス→イロス→ラオメドン→プリアモス→ポリュクセネ


生前のアキレスは、敵国トロイの王女であるポリュクセネに恋をしました。

アキレスはポリュクセネと愛の言葉を交わしているうちに、自分の弱点が足首にあることを喋ってしまいました。

ポリュクセネは、兄パリスにこの事実を話しました。
最終的にパリスがアキレスの足首を狙って矢を射たのは、その情報を妹から得ていたからなのです。


2. アキレスの亡霊


アキレスとデイダメイアとの間に、ネオプトレモスという息子がいました。

デイダメイアとは、スキロス島の王リュコメデスの娘です。
リュコメデスは、幼少のアキレスを少女のように扱って、スキロス王宮内で養育した王です。

アキレスはトロイ戦争に参加する前に、デイダメイアとの間に息子ピュロスを儲けていたのです。
ピュロスは長じてから、ネオプトレモスと呼ばれるようになりました。

パリスに射殺されたアキレスは、トロイ陥落後、息子のネオプトレモスの夢の中に現れました。
そして、次のように告げました。

「トロイ王女ポリュクセネを、自分の墓に捧げてもらいたい。
さもなければ、トロイからギリシアへと戻る軍の帰路を、妨げるであろう。」

要するに、ポリュクセネを生贄として殺せということです。

アキレスは、ポリュクセネのことを愛していました。
そこで、亡霊の姿になってでも、ポリュクセネの命を支配したいと考えたのでした。


3. 殺されるポリュクセネ


ギリシア軍は、アキレスの墓の前にトロイ王女ポリュクセネを連れて来ました。
戦勝国の都合により、敗戦国の王女は犠牲となることが決まりました。

イタリアの画家ジョヴァンニ・バッティスタ・ピットーニ(Giovanni Battista Pittoni 1687-1767)が描いているのは、処刑直前のポリュクセネの様子です。

中景中央で、左手を引かれているのが、ポリュクセネです。
視線は伏し目がちですが、王女としての威厳を保とうとする意志が感じられます。

向かって左の、赤いマントを着た軍人がネオプトレモスです。
亡き父アキレスの命に従い、この後ポリュクセネの喉を切って、殺害することになります。

向かって右で、青いマントを着ているのは、アガメムノンです。
ミケーネ王アガメムノンは、トロイ戦争におけるギリシア軍総大将です。

アガメムノンは、ポリュクセネを処刑することには反対の立場でした。

ポリュクセネの命を助けたいというよりは、このまま生かしておいて、自分の愛人の一人にしてしまおうという魂胆があったのでしょうね。

さすがの強欲者アガメムノンも、トロイ戦争が終わった今となっては、自身の意向で全てを決定することは出来なくなっていたのです。


4. 原題


ジョヴァンニ・バッティスタ・ピットーニ(Джованни Баттиста Питтони)が描いた『ポリュクセネの犠牲』は、ロシア語ではЖертвоприношение Поликсеныと言います。

Жертвоприношениеは、生贄を供える儀式、という意味です。

Поликсенаは、ポリュクセネのことです。
ここでは、生格Поликсеныの形になっています。

この作品は、エルミタージュ美術館(Государственный Эрмитаж)で見ることが出来ます。





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