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セバスティアーノ・リッチ『ロムルスとレムスの幼年時代』
記事URL  カテゴリ | ローマ建国史絵画 | 2012年04月13日(金)14時48分 | 編集 |
記事のタグ: エルミタージュ美術館
2012年4月13日(金)


目次
1. ロムルスとレムス
2. アムリウス打倒
3. トロイからローマへ
4. 原題


今回取り上げる作品は、セバスティアーノ・リッチ作『ロムルスとレムスの幼年時代』です。

2012年4月13日セバスティアーノ・リッチ『ロムルスとレムスの幼年時代』345

1. ロムルスとレムス


パラティヌス周辺に暮らしていた羊飼いファウストゥルスと妻アッカ・ラレンティアによって、双子の乳児たちは、ロムルスとレムスと名付けられました。

イタリアの画家セバスティアーノ・リッチ(1659-1734)が描いているのは、ファウストゥルスが発見した双子の乳児を妻アッカ・ラレンティアに渡そうとしている場面です。


2. アムリウス打倒


ロムルスとレムスは羊飼いとして成長する中で、やがて自らの出自を知るところとなります。
そして、アルバ・ロンガの王位を簒奪したアムリウスを打倒するべく立ち上がります。

アムリウスによって追放されていた前王のヌミトルも、孫たちの蜂起に参加することになりました。
系譜を示します。

プロカス→ヌミトル→レア・シルヴィア→ロムルス


アムリウスの率いる軍との激しい戦いの末、ロムルスとレムスはアムリウスを討ち果たすことに成功します。

そして、兄弟は囚われていた母レア・シルヴィアを解放しました。

ヌミトルは長兄であるロムルスにアルバ・ロンガ王位に就くよう勧めましたが、ロムルスは祖父ヌミトルが王位に復すべきだと主張してアルバ・ロンガの宮廷を後にします。

アルバ・ロンガから離れて新たな都市を建設しようとするロムルスには、弟のレムスや多くの兵士たちが従って行きました。


3. トロイからローマへ


その後、ロムルスとレムスには新都市建設の場所に関する意見の相違が見られ、それを契機として両者は仲違いするようになりました。

ロムルスとレムスはそれぞれ別の土地に城壁を築き、都市の建設を進めていきます。

ある時、弟のレムスがロムルスを挑発するために、ロムルスの築いた城壁を飛び越えてロムルスの敷地内に侵入して来ました。

この行為に怒ったロムルスは、レムスと決闘をすることで決着を図ることにします。
この決闘を制したのは兄のロムルスでした。

逆らう者を排除したロムルスは、自分の理想とする都市をパラティヌスの地に完成させローマと名づけました。

紀元前753年にロムルスが初代ローマ王に就き、ここに王政ローマ(紀元前753年-紀元前509年)が誕生しました。

ギリシア神話におけるトロイ陥落から、ロムルスによるローマ建設に至る系譜を示すとこうなります。

アプロディーテ→アイネイアス→シルウィウス→(中略)→ヌミトル→レア・シルヴィア→ロムルス


ローマを建設したロムルスは、家系図を辿るとトロイ王家のアイネイアスがその源です。

アイネイアスの母はアプロディーテです。
そしてロムルスの父は軍神アレスです。

アプロディーテとアレスは、深い愛人関係にあるカップルですね。

アプロディーテとアレスの愛人関係については、2011年4月14日(木)の記事『ヨアヒム・ウテワール『神々に見られるマルスとヴィーナス』 loro2012.blog』を参照して下さい。

ギリシャ神話と大帝国ローマとの強い結び付きは、このような神々を含めた系譜の中で説明がなされているわけです。

なお、ロムルスが行ったローマ市の建設の日は紀元前753年4月21日とされていて、現代においても4月21日には古代ローマ市の建設を祝う祭典が行われています(afpbb.com)。


4. 原題


セバスティアーノ・リッチ(Sebastiano Ricci)が描いた『ロムルスとレムスの幼年時代』は、英語ではChildhood of Romulus and Remusと言います。

この作品は、エルミタージュ美術館(State Hermitage Museum)で見ることが出来ます。





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