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ラファエロ・サンティ『神の幻を見たエゼキエル』
記事URL  カテゴリ | 旧約聖書絵画 | 2013年05月15日(水)15時13分 | 編集 |
2013年5月15日(水)


目次
1. 第1回バビロン捕囚
2. 第2回バビロン捕囚
3. 少しだけ現代史
4. 原題


今回取り上げる作品は、ラファエロ・サンティ作『神の幻を見たエゼキエル』です。

2013年5月15日ラファエロ・サンティ『神の幻を見たエゼキエル』451


1. 第1回バビロン捕囚


旧約聖書『エゼキエル書』の主人公エゼキエルは、ユダヤ人の預言者です。

新バビロニア王国の第二代王ネブカドネザル2世(在位:紀元前605-紀元前562)によって行われた第1回のバビロン捕囚の際に、エルサレムからバビロンへと連行されました。

エゼキエルらユダヤ人の多くは、バビロンの東に位置するニップル市そばのケバル川沿いに移住させられました。
紀元前598年のことです。

ある日、エゼキエルはケバル川の畔(ほとり)で、天を割いて出現する神の姿を目の当たりにしたのです。

ラファエロ・サンティ(1483-1520)が描いているのは、エゼキエルが見た神の姿です。
神とはこのような姿をした存在である、という作品ですね。

画面向かって左下には、空から光が発射され地上に届いています。
その光の前に立っているのが、小さくて見づらいですがエゼキエルです。

神の下に描かれている動物は、向かって左から獅子、白い牛、そして鷲です。
獅子と牛には翼が生えていますね。

あくまでもエゼキエルの見たものは幻であって、実態のないものと解釈されてはいます。
しかし私は本当にこのような光景が、エゼキエルには見えたのだろうと信じます。

第三者が幻視であると決めつけるような話だとしても、神の姿を実際に目の当たりにしたエゼキエルには、相当な衝撃があったものと思われます。


2. 第2回バビロン捕囚


エゼキエルは、新バビロニアに捕囚された人々に希望をもたらすために神に召命されました。

その後、エゼキエルは預言者として活動し、異国の地バビロンにおいて捕囚民として暮らすユダヤ民族の精神的指導者となりました。

さらにエゼキエルは、バビロンだけでなくエルサレムにも赴き、預言者としての活動を行ったことが『エゼキエル書』に記されています。

エルサレムは、ユダ王国(紀元前930-紀元前586年)の首都です。

しかしエルサレムで暮らすユダヤ人たちは、エゼキエルのような預言者に敬意を払わず、その指導を拒否しました。
その結果、紀元前586年に新バビロニア軍によってエルサレムは陥落し、神殿は破壊されました。

第2回のバビロン捕囚(紀元前586年)が行われた結果、ユダヤ人の国家は滅亡したのです。


3. 少しだけ現代史


第2回バビロン捕囚の後、ユダヤ人が約束の土地カナンへ戻って来るのは1948年のことです。
つまり、紀元前586年から1948年までの約2,500年の間、ユダヤ人は「国家」を持つことが出来なかったわけです。

現在のイスラエルは、様々な問題を抱えながら一応「国家」としての形態を維持してはいます。
しかしイスラエルが首都として主張しているエルサレムは、国際的には首都としては認められていないのです。

その理由を平たく言うと、国際社会は、「イスラエルが勝手にエルサレムを占領し、首都だと主張しているだけである」、という認識を持っているからです。

従って、各国大使館は「国際的に首都と看做されている」テルアビブに集中しています。
イスラエル日本国大使館も、テルアビブにあります。

紀元前586年に行われた第2回バビロン捕囚は、現代のイスラエル及び周辺国家が抱える諸問題の出発点になっているのです。


4. 原題


ラファエロ・サンティ(Raffaello Santi)が描いた『神の幻を見たエゼキエル』は、イタリア語ではEzechiele ha la visione di Dioと言います。

la visioneが、幻視、という意味です。
Dioは、神、という意味です。

この作品は、フィレンツェにあるパラティーナ美術館(Galleria Palatina)で見ることが出来ます。




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