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ティツィアーノ・ヴェチェッリオ『カルロス5世の肖像』
記事URL  カテゴリ | ヨーロッパ王家絵画 | 2010年12月27日(月)16時40分 | 編集 |
記事のタグ: プラド美術館
2010年12月27日(月)


目次
1. 神聖ローマ皇帝
2. 宗教改革
3. ルターを召喚尋問
4. 聖書翻訳
5. 局部も偉大な皇帝
6. 原題


ティツィアーノ・ヴェチェッリオ作『カルロス5世の肖像』はこちら。

2010年12月27日ティツィアーノ・ヴェチェッリオ『カルロス5世の肖像』609

1. 神聖ローマ皇帝


この作品に描かれている「カルロス5世(Carlos V)」は、神聖ローマ皇帝「カール5世(Karl V.)」をスペイン語読みしたものです。

神聖ローマ皇帝カール5世(在位:1519-1556)は、スペイン・ハプスブルク朝の王でもあります。

スペイン王としては、カルロス1世(在位:1516-1556)と名乗りました。
在位期間を見ると、神聖ローマ皇帝に即位する数年前にスペイン王になっていますね。


2. 宗教改革


マルチン・ルター(1483-1546)が1517年に『95か条の論題』を発表したことを通じて、神聖ローマ帝国内で宗教改革の機運が一気に高まりました。

「ルターはドイツで宗教改革を行った」という言い方がされる場合もあるのですが、正確に言うと間違いです。

1517年当時は、「ドイツ」という統一国家は存在していません。
現在のドイツに相当する地域は、神聖ローマ帝国の領土となっていました。

それから、『95か条の論題』というのは書籍のような形式で出版したのではなく、ヴィッテンベルク大学に付属する教会の扉に貼り付けるという方法で公表されました。

今の感覚で言うと、学内掲示板にレポートを貼り出したというような感じになるでしょうかね。

ルターは権力者であるローマ教皇に楯突いた者と評価され、破門されてしまいます。
当時のローマ教皇は、メディチ家出身のレオ10世(在位:1513-1521)です。

レオ10世はラファエロ(1483-1520)らを支援し、ローマを中心とするルネサンス文化を花開かせた教皇として知られています。


3. ルターを召喚尋問


カトリックから破門されたルター(1483-1546)に弁明の機会を与えるべく、ヴォルムス(Worms)での帝国議会を開催したのは神聖ローマ皇帝カール5世(1500-1558)です。

ヴォルムスとは、ライン川左岸にある街です。
英雄叙事詩『ニーベルンゲンの歌』の舞台となっている街でもあります。

1521年に議会が開催された時、カール5世はまだ21歳ですね。

今とは年齢に対する認識が異なるとは言え、この若さで宗教的な紛争に対して一定の答えを示さなければならなかったわけですから、対応には苦慮したことでしょうね。

結果的に、ルターは自説を撤回しませんでした。
そこで、カール5世はやむを得ず、ルターから法の保護を剥奪しました。

「法の保護を剥奪する」とは、平たく言うと神聖ローマ帝国はルターの身の安全を保証する意思はないということです。

私たち日本人は、日本国家によって法の保護を受けています。

保護を受けているがゆえに、国内では警察に駆け込むことも出来ますし、国外では領事館に身の安全を相談することも出来ます。

カール5世の決定によって、ルターはこういった公民としての権利を剥奪されてしまったということになりますね。

ルターは、もし傷害事件の被害者になったとしても、法的な保護は何ら受けられない身分にされてしまったわけです。

ルターは、もはや気楽に街を散歩することも出来なくなってしまったのでした。


4. 聖書翻訳


ルターはこのヴォルムス帝国議会での決定の後、現在のドイツ中部に位置するテューリンゲン州(Thüringen)のヴァルトブルク城(Die Wartburg)に逃げ込みます。

ルターは大手を振って街を歩けませんので、城の中に引きこもるしか生きる道がなくなったわけです。

そして、聖書をドイツ語に翻訳するという一大事業に取り組むことになるのです。

このルターの成し遂げた業績のおかげで、神聖ローマ帝国のドイツ語圏に暮らす人々にとって聖書は身近なものになっていったわけです。

ルターの宗教改革には、語学の力による改革という側面もあったのです。
語学を通して人を救うことも出来るということを示したのが、ルターであったと言えるでしょう。

若くして権力者の地位にあったカール5世は、自分よりも17歳も年上であるルターの知力や信念の強さを目の当たりにして、何を感じたのでしょうか?


5. 局部も偉大な皇帝


ティツィアーノ(1490頃-1576)が『カルロス5世の肖像』を描いたのは、1533年とされています。

1500年生まれのカルロス5世は、この当時33歳ということになります。

カルロス5世の肩幅は過度に広く描かれ、股間には「持ち物」が巨大であることを示す装飾が施されていますね。

まあ、これは装飾というよりは粉飾と言った方が正確だと思います。

当時の王たちは股間にまで「威厳」を持たせて、周囲の男たちを屈服させようとする意図があったのでしょうね。

ここまで局部の偉大さを誇示しなくても、人徳があれば人は付いて来ると思うのですが・・・。

男根の長さと皇帝としての偉大さには、相関関係があると信じられていた時代だったのかも知れません。

天才ティツィアーノも、大真面目にこの股間を描いています。


6. 原題


ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(Tiziano Vecellio)が描いた『カルロス5世の肖像』は、スペイン語ではEl emperador Carlos V con un perroと言います。

el Emperadorは、皇帝、という意味です。
un perroは、犬、という意味です。

この作品は、プラド美術館(Museo Nacional del Prado)に所蔵されています。





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