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テオドール・ジェリコー『メデューズ号の筏』
記事URL  カテゴリ | その他絵画 | 2010年10月22日(金)13時22分 | 編集 |
記事のタグ: ルーヴル美術館
2010年10月22日(金)


目次
1. 資産家の息子
2. 軍艦難破事件
3. 王政復古
4. 部下を見捨てる上司
5. 原題


今回取り上げる絵画はテオドール・ジェリコー作『メデューズ号の筏』です。

2010年10月22日テオドール・ジェリコー『メデューズ号の筏』226

1. 資産家の息子


この作品の寸法は縦4.9m×横7.1mです。
途轍もない大きさの作品ですよね。

テオドール・ジェリコー(1791-1824)はフランス革命の最中、ルーアンの裕福な家庭で生まれました。

ギリシア神話や聖書に題材を求めて作品を制作する画家が多い中、彼は身の回りに起きた出来事に関心を示し題材としました。

言い伝えなどよりも時事問題に興味があったということですね。

この作品で描かれているメデューズ号事件も実際にあった歴史上の事実です。
メデューズ号事件のあらましは以下のようになります。


2. 軍艦難破事件


1816年7月、フランス海軍のメデューズ号と名付けられた軍艦がアフリカ北西部の大西洋沖で座礁しました。

軍艦と言うと立派なものに聞こえるかも知れませんがメデューズ号は帆船でした。
この時代は蒸気船の実用化に向けて様々な技術革新が行われている過渡期でした。

フランス海軍と言えども蒸気船ではなく帆船を使って植民地セネガルへ兵士を送るような時代だったわけです。

この帆船メデューズ号の艦長を無能な亡命貴族ショマレーが務めていたことが悲劇の原因だったのです。


3. 王政復古


1789年7月に勃発したフランス革命は人類の歴史にとって燦然と輝く偉業のような喧伝(けんでん)がなされています。

しかし、歴史を概観することが出来る立場であの革命を眺めた時に必ずしも成功裏に終わったとは言えないのです。

革命後に成立した第一共和政(1792-1804)下のフランスにおいては王侯貴族という立場の者たちが生きる場所を失い、周辺諸国へと亡命を余儀なくされました。

そして、1793年にはルイ16世とマリー・アントワネットが急進的な革命裁判所の「死刑ありき」という裁判によりギロチンにかけられ命を奪われました。

この流れのまま共和政府が継続していけば民衆にとっては良かったのだろうと思います。
しかし、残念ながら歴史は後戻りしてしまいます。

ナポレオン・ボナパルト(1769-1821)の失脚を経てルイ18世が再び王位に就いたのです。
ルイ18世はルイ16世の弟です。

ルイ18世の治世は1814年から1824年まで続きました。
軍艦メデューズ号の難破事件はこのルイ18世が王位にあった1816年に起きた出来事です。

第2章で述べた無能な貴族ショマレーを周囲の反対論を封じ込める形で艦長に任命したのは他ならぬルイ18世自身です。

航海技術の実務能力を有する者よりも王家に忠誠を誓う貴族を指揮官に選び出航を許可したわけです。

つまり、ジェリコーが『メデューズ号の筏』で表現した惨劇は元を辿ればルイ18世の誤った判断に行き着きます。

王及び取り巻き連中は自らの落ち度を国民に知らせないために情報隠蔽に躍起になりました。

王侯貴族が国家の税金や情報を意のままに操ることに異を唱えてフランス革命は進行していった筈です。

しかし、この時点では当初の革命の理念は目に見える形では実現していなかったのです。


4. 部下を見捨てる上司


ジェリコーが軍艦難破事件という時事問題を題材に取り上げ『メデューズ号の筏』を制作して事実を世に知らしめることが出来たのは、彼が経済的に自由だったからだと言われています。

圧倒的な資産を有する実家の経済力に支えられ、ありのままに真実を描くことが出来る立場にあったのがジェリコーという画家だったわけです。

彼のような自由な芸術家が作品を残してくれたことにより、悲劇的な事実が確実に後世に伝えられていったのです。

座礁という事実は確かに悲劇なのですが、それ以上に悲惨だったのが乗船していた人々の運命でした。

艦長ショマレー以下、「上流階級」の者たちは「それ以外」の者たちに対して臨時の筏を拵(こしら)えるよう命令しました。

そして、自分たちはさっさと救命ボートを使って帆船から離れてしまいました。
「上流階級」に属する自分たちだけは確実に助かる道を選択したということですね。

「上司」に見捨てられた形の150名近い人々は僅かな食糧などとともに筏の上に乗り、荒れた海を漂流することになります。

筏は長さ20メートル、幅9メートルあったそうです。

7月の炎天下での漂流は13日間続きました。
極限状態において人間は平時の人格を失います。

筏に乗っている仲間と飲み水を巡って争い、最終的には海に突き落として殺したり自ら死を選ぶ者もいたそうです。

ジェリコーは取材を通してその惨劇を知りました。
そして、縦4.9m×横7.1mという巨大な寸法の絵画の中に歴史的事実を記録したのです。

ジェリコーは歴史的事実だけをただ単に伝えたのではありません。

艦長ショマレーの邪心、そして任命権者ルイ18世の狭量を美術作品によって世に知らしめたわけです。

ジェリコーが作品の題材として選んだ日は漂流12日目の朝です。
15名の生存者たちは遥か水平線上に船の姿を認めて希望に沸き立ちました。

この船はアルギュス号と言います。
作品にも殆ど見えないぐらい小さく描かれています。

ジェリコーはこの作品を1819年のサロンに出展しました。

そして、その僅か5年後には落馬したことなどが原因で持病が悪化し、この世を去ることになりました。

享年32歳でした。


5. 原題


テオドール・ジェリコー(Théodore Géricault)が描いた『メデューズ号の筏』はフランス語ではLe Radeau de la Méduseと言います。

le radeauが筏という意味です。

この作品はルーヴル美術館(Musée du Louvre)に所蔵されています。




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