映画とドラマと語学
| ホーム loro2012 |
| 投稿 |
スポンサーサイト
記事URL  カテゴリ | スポンサー広告 | --年--月--日(--)--時--分 | 編集 |
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。





ベルト・モリゾ『ゆりかご』
記事URL  カテゴリ | その他絵画 | 2010年08月25日(水)13時48分 | 編集 |
記事のタグ: オルセー美術館
2010年8月25日


目次
1. 画家ベルト・モリゾ
2. 原題
3. 第三共和政の頃
4. ベルトの墓碑


1. 画家ベルト・モリゾ


2010年8月25日ベルト・モリゾ『ゆりかご』1 470

上掲のエドゥアール・マネ作『すみれの花束をつけたベルト・モリゾ』でモデルとなっているベルト・モリゾ(Berthe Morisot)は、印象派の画家でもありました。

美貌の画家ベルト・モリゾ(1841-1895)が残した作品に、下掲の『ゆりかご』があります。
制作年は、1872年になっています。

2010年8月25日ベルト・モリゾ『ゆりかご』2 413

向かって左で赤ん坊を見つめているのは、ベルトの姉エドマ(Edma Pontillon)です。
赤ん坊は、エドマの娘でブランシュ(Blanche)と言います。

この作品は、1874年の4月から5月にかけて開催された第1回印象派展に出品されました。

師匠であるエドゥアール・マネは、ベルトに対して印象派展への出品を思い止まるよう説得しまし
た。

権威のあるサロンではなく新興展示会に出品することに対して、マネは意義を見出すことが出来なかったのでしょう。

しかし、それでもベルトは自らの意志を貫きました。

ベルトがエドゥアール・マネの弟ウジェーヌ・マネと結婚したのは、1874年12月です。
この1874年という年は、ベルトの人生にとっては大きな転換点となりました。


2. 原題


『ゆりかご』は、フランス語ではLe berceauと言います。
berceauが、ゆりかご、という意味です。

この作品は、オルセー美術館(Musée d'Orsay)が所蔵しています。


3. 第三共和政の頃


この3日間で取り上げた3つの絵画は、奇しくも制作年が同じ1872年でした。

1872年のフランスというのは、普仏戦争(1870-1871)に敗北してそれに連なる政治体制の変化を経験していた頃です。

ナポレオン3世が率いる第二帝政(1852-1870)下のフランスは、プロイセン王国と戦争をして完全に敗れ去りました。

ナポレオン3世(1808-1873)は普仏戦争後、亡命先のイギリスで亡くなります。

そしてフランスは、第三共和政(1870-1940)の時代に入ります。

1872年において、エドゥアール・マネ(1832-1883)は40歳、ベルト・モリゾ(1841-1895)は31歳でした。

芸術家であるマネとベルトの目には、この敗戦と社会の変革がどのように映っていたのでしょうか?


4. ベルトの墓碑


1883年4月に、エドゥアール・マネは壊疽(えそ)にかかった左脚を切断します。
そして、その10日後の4月30日に51年の生涯を閉じました。

ベルト・モリゾは、エドゥアール・マネの死後も創作活動を続けます。
そして、1895年に肺炎によりこの世を去りました。

現在ベルトはパリ16区にあるパッシー墓地(Cimetière de Passy)に、エドゥアール・マネ及び夫ウジェーヌ・マネと共に眠っています。

彼女の墓標には、次のように刻まれているだけです。


"Berthe Morisot, veuve d'Eugène Manet"

ベルト・モリゾ、ウジェーヌ・マネの未亡人


マネ及びベルトのシリーズは、これでおしまいです。




関連記事

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。