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フィリッポ・リッピ『聖母子と二天使』
記事URL  カテゴリ | その他絵画 | 2010年07月23日(金)14時51分 | 編集 |
記事のタグ: ウフィッツィ美術館
2010年7月23日


ラジオでの放送日:2009年11月13日(金)、14日(土) 
講座名:イタリア語で”聴く”ルネサンスの名画 講師:松浦弘明


第7週 初期ルネサンス様式の発展 ーフィリッポ・リッピの世俗性ー
目次
1. メディチ家による庇護
2. モデルはルクレツィア
3. ルネサンスへの道筋
4. 原題


第7週で取り上げるのは、フィリッポ・リッピ作『聖母子と二天使』です。

2010年7月23日フィリッポ・リッピ『聖母子と二天使』488

1. メディチ家による庇護


フィリッポ・リッピ(1406-1469)は、第6週で扱ったフラ・アンジェリコ(1387-1455)と同様に修道士でした。

イタリア語では彼の名前を、Fra Filippo Lippiと表記する場合もあります。
このfraが修道士の前につける呼称であることは、第6週で述べたところです。

ただリッピの場合はアンジェリコとは異なり、決して敬虔な修道士とは言えなかったようです。
彼は50歳前後で、一人の修道女と知り合います。

彼女の名は、ルクレツィアです。
リッピはその後彼女と暮らし始め、子供まで儲けてしまいます。

これは、完全に世俗的な生き方ですよね。
聖職者にあるまじき行為です。

しかも、50歳を過ぎた指導的立場にある男性のすることではありません。
当然周囲の反感を買い、聖職者としての前途は閉ざされてしまいます。

しかし天才芸術家を支援する権力者の下、二人は正式に結婚することが出来ました。
ローマ・カトリック教会からは追放されましたが、「普通の」人生を歩むことは認められたということです。

この時の権力者というのが、コジモ・デ・メディチ(1389-1464)です。
彼は、フィレンツェを支配した銀行家ですね。


2. モデルはルクレツィア


『聖母子と二天使』において描かれているマリアは、妻であるルクレツィアがモデルになっているのではないかという説があります。

リッピの画風は、世俗性を最大の特徴としています。
世俗というのは世の中の風俗や習慣という意味ですが、聖母子という神聖不可侵の存在を描く際には最も遠いところに位置する概念のはずです。

その世俗性を聖母子像の中に取り込んだのが、このリッピだったわけです。

この作品におけるマリアは、頭にスカーフと宝石をつけています。
スカーフや宝石というのは、本来は世間一般の女性がつけるものです。

天上界にいる(はずの)マリアを、世俗の象徴である宝石を身につけた姿で描くことによって、聖母という存在が世俗的なものとして受け止められてしまう可能性も出て来ます。

少なくとも作者であるリッピは、そうなるであろうことを承知でこの作品を制作したはずです。


3. ルネサンスへの道筋


この絵画を評して、「見る者に親近感を与える作品である」とする現代人が多いようです。
確かに、ゴシック様式で描かれたマリアに比べれば、親近感がわくマリア像になっています。

しかし、現代という視点で見た場合に「親近感」と評価されるものであっても、リッピ(1406-1469)の生きた15世紀では異なる受け止め方をする人も少なくなかったのではないかと推測します。

宗教改革以前のカトリック教会が絶対視されていた時代に、聖母マリアをこのように描くことは相当勇気が必要であったろうと思われます。

ジョット(1266頃-1337)の革新以前では、まずあり得ない表現方法だと言えるでしょう。

フィレンツェに花開いたルネサンスの流れは、こうした画家たちの斬新な発想によって方向付けがなされました。
そしてついに、レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)という天才が登場することになるのです。



4. 原題


フィリッポ・リッピが制作した『聖母子と二天使』は、イタリア語ではMadonna con Bambino, angeliと言います。

bambinoは、男の赤ん坊、という意味です。
angeliは、angelo(天使)の複数形です。


なお、この松浦弘明シリーズで取り上げている作品は、全てウフィッツィ美術館(Galleria degli Uffizi)に所蔵されています。





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