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ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ『聖マタイの召命』
記事URL  カテゴリ | その他絵画 | 2010年07月10日(土)15時03分 | 編集 |
2010年7月10日


テレビでの放送日:2010年4月26日(月) 番組名:名画への旅(NHKBShi)

目次
1. 「光と影」はカラヴァッジオから始まった
2. 召命とは何か?
3. マタイはどこにいるのか?
4. 瞳と脚
5. 召命・霊感・殉教
6. カラヴァッジオの最期
7. 原題


今回、番組で紹介された名画は、ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ作『聖マタイの召命』です。

2010年7月10日ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ1 322


1. 「光と影」はカラヴァッジオから始まった


オランダの巨匠レンブラント(Rembrandt)の作品を彷彿させるような、光と影の描写が特徴的ですよね。

カラヴァッジオ(1571-1610)は、バロック絵画の先駆者と言われている画家です。

レンブラント(1606-1669)やルーベンス(1577-1640)らに先立って、明暗の対比をはっきりさせる画風を確立したのはカラヴァッジオであるとされています。

バロック絵画というのは、躍動感と明暗という2つの表現手法の観点でルネサンス絵画とは一線を画します。

ルネサンス期の絵画は、均衡を保つことが重視されていました。
一方、バロック絵画では意図的に均衡を崩し、その結果得られる動的な表現がより重要視されました。


2. 召命とは何か?


この絵画の題名である『聖マタイの召命』の内、「召命」という言葉は一般語ではありませんのでご存じない方もいるかも知れませんね。

召命とはキリスト教の専門用語で、神によって聖職者としての使命を与えられることをいいます。

カラヴァッジオは、ローマ帝国の徴税人であったマタイがイエスの召命に応じて弟子になる契機となった場面を描いているわけですね。


3. マタイはどこにいるのか?


後に、イエスの12使徒の1人に数えられるマタイが、神の世界に導かれた決定的な瞬間をこの絵画は伝えているわけですが、1つ論点があるのです。

マタイは一体、どこに描かれているのか?

従来の解釈では、向かって左から3番目の髭を蓄えた男性がマタイであろうとされてきました。

右端のイエスから指を差されて、左手で「収税人である私が神の世界に入るのですか?」という仕草をしているのではないかと思われる男性です。

確かに、この男性はイエスとも視線を交わしていますし、その顔には光が当たっています。
この絵画を素直に読み解けば、この説が最も説得力があるようにも思えます。

ところが、もう一人マタイの候補者がいるのです。

それは、一番左端で俯(うつむ)きながらお金の計算をしている男性です。

「神」であるイエスが間近にいるにも関わらず、我関せずとばかりに現金と向き合っている男性・・・。

キリスト教徒であれば誰でも知っている「劇的な」瞬間が描かれているにしては、この男性の態度は不自然ですよね。

イエスはこの部屋に入って来るなりいきなり指を差したわけではなく、何らかの発言をした上で指を差したはずです。

いくら仕事熱心とは言え、普通の人間であれば手を止めて顔を上げて「客人」イエスを見るはずです。

ところが、この男性はイエスの存在をまるっきり無視しています。
イエスの存在を無視するということは、神の存在を無視するということですよね。

神の存在を無視する・・・、

キリスト教徒にとっては、絶対にあり得ない生き方です。

もちろん、この時点ではマタイはまだキリスト教徒ではありませんので、神に興味が無くても許される立場なのかも知れませんが。

「神に対して無関心なこの男性が、本当に聖職者に選ばれたのですか?」

髭の男性の人差し指は彼自身を差しているのではなく、金勘定をしている左端の男性を差しているのではないかという説もあるのです。

さあ、どちらが正しいのでしょうか?


4. 瞳と脚


どの人物がマタイなのか?

残念ながらカラヴァッジオは、その答えを明らかにはしていません。

従って、私たちが思い思いに自説を述べることが出来るわけですが、私は一番左にいる金を数えている男性がマタイだと思っています。

その理由としては、髭の男性とその隣に座っている若い男性が、それぞれ同じ瞳で描かれているように感じるからです。

つまり、この2人の瞳は傍観者の瞳だということです。
髭の男性がもしマタイだとすれば、もっと目を見開いて驚きの表情を示すだろうと思います。

第1章で述べたように、バロック絵画の特徴は躍動感と明暗です。
この髭の男性の瞳からは、肝心の躍動感は感じられません。

もちろん、左端に描かれた男性の姿勢からも動的な要素は感じられません。
この作品において最大の躍動を表現しているのは、イエスの右手ですね。

その「動的な右手」の先には、この下を向いている男性がいるように見えるのです。

そして、イエス同様この左端の男性も、両脚が明確には描かれていません。
影になっている部分が大きくて、ハッキリとは脚の存在を確認出来ないのです。

これは、神であるイエスと同じ道を「歩む」人物であることを示していると解釈出来ると思うのですが、いかがでしょうか?


5. 召命・霊感・殉教


ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ(Michelangelo Merisi da Caravaggio)が1599年頃に描いた『聖マタイの召命』は現在、ローマにあるサン・ルイージ・デイ・フランチェージ教会で見ることが出来ます。

『聖マタイの召命』は1枚だけ単独で教会に飾られているのではなく、他の2点と共に聖マタイを描いた連作として位置づけられているものなのです。

他の2点はこちらです。


1) 『聖マタイの霊感』


『聖マタイの霊感』は、「霊感」という邦題がついていますが、イタリア語ではSan Matteo e l'angeloと言います。

San Matteoは聖マタイ、l'angeloは天使という意味ですので、「聖マタイと天使」というのが直訳になります。
1602年の作品です。

2010年7月10日ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ2 541

2) 『聖マタイの殉教』


『聖マタイの殉教』は、イタリア語ではMartirio di San Matteoと言います。
il martirioは、殉教、という意味です。

1600年から1601年にかけての作品です。

2010年7月10日ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ3 322


この教会の創建は1589年ということですので、活動を始めて数年経った時点でこれらの絵画が飾られたということになりますね。


6. カラヴァッジオの最期


カラヴァッジオ(1571-1610)が決闘の相手を刺し殺してしまい、御尋ね者として追われる身となりローマを離れたのは1606年のことです。

ナポリ、マルタ島そしてシチリア島などで逃亡生活を送りながらも、画家としての仕事の依頼は途絶えることがなかったようです。

1610年、カラヴァッジオは病に倒れ、40年に満たない生涯を閉じたのでした。


7. 原題


『聖マタイの召命』は、イタリア語ではVocazione di san Matteoと言います。

vocazioneは、召命、という意味です。
第2章でも触れましたが、召命とは神から修道生活への召し出しがあったということです。

フランス語だと、La Vocation de St Matthieuと言います。

第5章で述べた通り、この作品は現在ローマにあるサン・ルイージ・デイ・フランチェージ教会(La chiesa di San Luigi dei Francesi)に所蔵されています。

i Francesiとは、フランス人、という意味です。

教会名は、フランス語ではこのように書きます。

L'Église Nationale Saint Louis des Français de Rome





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