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ジョット・ディ・ボンドーネ『金門におけるヨアキムとアンナの出会い』
記事URL  カテゴリ | 新約聖書絵画 | 2013年08月17日(土)13時15分 | 編集 |
2013年8月17日(土)


目次
1. ヨアキムの帰還
2. イエスのエルサレム入城
3. 原題


今回取り上げる作品は、ジョット・ディ・ボンドーネ作『金門におけるヨアキムとアンナの出会い』です。

ジョット・ディ・ボンドーネ『金門におけるヨアキムとアンナの出会い』305


1. ヨアキムの帰還


イタリアの画家ジョット・ディ・ボンドーネ(1267頃-1337)が描いているのは、荒野から戻って来たヨアキムをアンナが金門の前で出迎えた場面です。

受胎告知を受けたアンナは、荒野にいたヨアキムが間もなくエルサレムに戻って来ることを神から聞かされました。
そしてアンナは、金門の前でヨアキムの帰還を待っていたのです。

エルサレムの金門とは、ユダヤ教及びキリスト教にとって重要な意味を有する門です。
ユダヤの伝承では、神はこの金門を通って姿を表しました。

従って、金門は神聖な門であるということになります。
この金門の前でヨアキムとアンナが抱擁した瞬間に、マリアがアンナの胎内に宿ったとされています。

つまり、マリアは神聖な門の前でこの世に生を受けたことになるのです。
神聖なる金門の前で宿ったマリアの魂は、生まれながらにして罪がない、ということになります。

これをキリスト教の用語で「無原罪の御宿り」と言います。
「無原罪の御宿り」があった場所が、エルサレムの金門前ということですね。

ジョットの絵で述べていることは、神聖なる金門の前でヨアキムとアンナが口づけをしただけでマリアが宿ったということです。

本来、性交をしなければ子は生まれないはずです。
しかし、マリアは抱擁と口づけだけで生まれたということです。

作品において、ヨアキムの後ろにいるのは荒野で知り合った羊飼いの男性です。
アンナの後ろにいるのは侍女達です。

彼らは、二人が金門前で口づけをしたことの証人として描かれているのです。


2. イエスのエルサレム入城


ヨアキムが生きていた当時、この金門はエルサレム市を守る城壁の一部となっていました。
当時の街は、外敵からの侵入を防ぐために街の周囲を壁で囲っていたのです。

街の中と外部世界との出入口として、幾つかの門が設けられていました。
その内の一つが金門でした。

後にマリアの子イエスがエルサレムに入城することになりますが、その際にイエス一行はこの金門を通ってエルサレムの街へと入って行きました。

ユダヤ人は、「祖国再建を担う救世主は、この金門を通ってやって来る」という預言を信じていました。
イエスを救世主と考えるキリスト教徒たちは、この預言が成就したと解釈しているわけです。

一方、ユダヤ教徒たちはイエスをユダヤ人のための救世主とは看做していません。

イエスが金門を通過してエルサレムに入ったという事実は、ユダヤ教徒にとっては救世主の出現とは無関係と捉えられているわけです。


3. 原題


ジョット・ディ・ボンドーネ(Giotto di Bondone)が描いた『金門におけるヨアキムとアンナの出会い』は、イタリア語ではIncontro fra Gioacchino e Anna alla Porta d'Oroと言います。

incontroが出会い、la Porta d'Oroが金門です。

この作品は、イタリア北東部の街パドヴァ(Padova)にあるスクロヴェーニ礼拝堂(Cappella degli Scrovegni)で見ることが出来ます。




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