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ヨハネス・フェルメール『マルタとマリアの家にいるキリスト』
記事URL  カテゴリ | 新約聖書絵画 | 2014年02月18日(火)10時45分 | 編集 |
2014年2月18日(火) 


目次
1. ベタニアのマリア
2. 瞑想的生活
3. 原題


今回取り上げる作品は、ヨハネス・フェルメール作『マルタとマリアの家にいるキリスト』です。

ヨハネス・フェルメール『マルタとマリアの家にいるキリスト』379


1. ベタニアのマリア


前景で赤い服を着てイエスの話に耳を傾けている女性がマリアです。
このマリアは住んでいた村の名前を冠してベタニアのマリアと呼ばれています。

マリアというのは当時のユダヤ社会では多くの女性に付けられた名前だったようです。

画面中央でパンをテーブルに置いてイエスの世話をしているのが姉のマルタです。
マルタたちはイエスと親しい間柄にあったとされています。

『ラザロの蘇生』で描かれるラザロはマルタとマリアの弟にあたります。


2. 瞑想的生活


フェルメール(1632-1675)が描いたこの絵は姉マルタと妹マリアの生き方の違いが主題となっています。

姉のマルタはいくら親しい間柄とは言え客人のイエスが訪問して来ましたので、給仕のために甲斐甲斐しく働いています。

一方、妹のマリアは姉の働く姿を横目で見ながら手伝おうともせず、イエスの説教に耳を傾けるばかりです。

働いているマルタが妹の姿を見るにみかねて非難しました。
妹マリアの落ち着いた姿は、あくせくと労働しているマルタからすると怠けているようにしか見えなかったのでしょうね。

イエスと仲の良いマルタは、怠けて労働をしないマリアに手伝うよう言って欲しいとイエスに頼みました。
そこでイエスはマルタを諭して次のように言いました。

「人間にとってどうしても必要なことは僅かでありマリアはより良い方を選んでいる。それをマリアから取り上げてはいけない。」

つまりマリアにとってどうしても必要なことはパンを給仕することではなく、説教を聞くことだと言っているわけですね。

活動的な労働生活よりも観想的な宗教生活の方が尊いということをイエスは言いたかったのだと解釈されることが多いです。

現実的には労働者がいなければこの世は発展しません。
宗教的な生活を全ての人が選んだらこの世は機能しなくなりますね。

ただイエスが言いたかったのは、次のようなことだろうと思います。

「全ての人が労働に従事してその先にある果実を追い求めた場合、この世の争いが絶えることはないだろう。神のご加護によって瞑想的な生活の必要性に目覚めた者は、この世の栄耀栄華を捨ててでもその道を極めるべきである。」

このようなことがこの場面の趣旨なのではないかしらと思っています。


3. 原題


ヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer)が制作した『マルタとマリアの家にいるキリスト』は、英語ではChrist in the House of Martha and Maryと言います。

この作品はスコットランドのナショナル・ギャラリー(National Galleries of Scotland)で見ることが出来ます。




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