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エル・グレコ『神殿の商人を追い出すイエス』
記事URL  カテゴリ | 新約聖書絵画 | 2014年05月13日(火)13時57分 | 編集 |
2014年5月13日(火) 


目次
1. 鞭を振るイエス
2. 鞭を振る理由
3. 原題


今回取り上げる作品は、エル・グレコ作『神殿の商人を追い出すイエス』です。

エル・グレコ『神殿の商人を追い出すイエス』255


1. 鞭を振るイエス


聖書の記述においてイエスが暴力的な行為に出る場面は恐らく1つしかないと思います。
今回はそのイエスが怒りを行動で示したという稀な場面を取り上げます。

エルサレムに入ったイエスが真っ先に向かった場所は神殿でした。

神殿には数多くの巡礼者が集まります。
巡礼者たちはある程度のお金を持って巡礼をしているはずです。

そうした巡礼者のお金を目当てにしてエルサレムの神殿の周囲では商人たちが様々な商売をしていました。

信仰の場所には多くの人が集まります。
現代の日本においても縁日には神社や寺院の境内に色んな屋台が出ることが日常的な風景となっています。

なぜ境内に屋台が出るかというと、人が多く集まることが見込めるので商売が成り立つ可能性が高まるからです。

本来神の御心(みこころ)を学ぶための信仰心と、欲望を満たすことが究極の目的と言える商売は真逆の関係にあるはずですが、商売人は儲かると見込める場合はそれが神聖な神殿内であろうともなりふり構わずに利益を取りに行くものです。

またそうした利益第一主義を貫けない性格なのであれば商人を目指すべきではありません。

商人になりたいと願い現実に商売によって生計を立てている以上、儲け第一主義になっていたとしても社会全体としては許容すべき側面もあると思います。

現代において縁日の屋台が立ち並ぶ姿というのは子供にとっては遊園地並みに心躍る風景だと言えるでしょう。

小さな子供は親の都合で神社や寺院に連れて行かれているだけであって、参拝することの意義や効果に関心はありません。

子どもたちはそんな信仰心に関わる哲学的なことよりも境内でお菓子などを買ってもらうことの方に強い関心を寄せるのです。

イエスの時代のエルサレムの神殿付近も似たような状況だったと思われます。

エルサレムの神殿は哲学や宗教のためだけに存在していたわけではなく、商売や娯楽の側面も兼ねていたはずです。

商人たちは神殿内で商売を行う以上、何らかの手続きを踏んで神殿側の正式な許可を得て屋台を出していたはずです。

つまり社会通念として神殿内の商売は許容されていましたし、白か黒かをはっきりさせるのであれば金儲けというのは明らかに信仰心とはかけ離れた行為だと言えますが、そこまできっちりと定義すると窮屈で暮らしにくい社会になるのであえて論点にはせずに不問に付すのが大人の知恵であると多くの人々が感じていたわけです。

これは現代社会においても同じだろうと思います。

ところが、イエスは庶民にとっては日常的な風景とも言える屋台の数々を蹴散らして破壊したのです。

エル・グレコ(1541-1614)が作品に描いているように、屋台を足蹴にするだけでなく鞭を振り回して商人たちを追い払ってしまいました。


2. 鞭を振る理由


エル・グレコは、イエスの向かって右側に黄色い布を下半身に巻いて豊かな乳房を晒しながら歩いている女性を描いています。

画面左下の女性も乳房こそ見せてはいませんが、両肩を露出して悩ましげなシナを作っていますね。

常日頃、他者を許すことを説き人格者になるための道を示していたイエスがここまで大暴れしたのには、それ相応の理由があったのだと思います。

この神殿で行われていたのが物品売買を通じて利益の獲得を目指す商売だけであれば、神殿から追い出すにしても暴力に訴えることはなく話し合いの手段をとったかも知れません。

しかし、恐らく売春斡旋のような商売も神殿内で横行していたのではないかと思います。

私怨で暴力を振るうような人物ではないイエスがここまで怒りを露わにして破壊的な行動に出たのは、神聖な神殿の権威を損なうような商売の形態が目に入ったからだと思います。

神に向かって大きな声でその中身を言えないような商売が行われていたのをイエスは目の当たりにしました。

イエスはユダヤ教神殿を司る権威ある人々が売春斡旋商売を許容する見返りとして金銭を手にしていた可能性が高いことを見抜きました。

場合によっては金銭以外の見返りも要求していた可能性もあります。

「普通の」商売を行っていた人々にとっては屋台が次から次へと破壊されていくわけですからいい迷惑なのですが、「普通ではない」商売のあり方を見て見ぬふりをしていたということで同罪の扱いを受けたのかも知れませんね。

人間とは悲しい存在ですので私は「普通ではない」商売があってもいいと思います。

旧約聖書には人間がいかに不安定な存在であるかが記され、それがためにどれだけ苦悩して来たのかが数多くの逸話の中で明示されています。

人間は性欲を克服することなど出来ません。
これが真理です。

従ってその真理を受け入れながらより良い社会を作っていく道を模索する必要が私たち大人にはあるのです。
その真理を排除してより良い社会を構築することは不可能です。

ただ、神聖なる神殿内でその筋の商売が行われているのを誰も咎め立てして来なかったのだとすれば、エルサレムの人々の意識の低さにイエスは呆れ果てついに怒りが爆発してしまったということでしょう。

イエスは神とされていますので、結果的には商人たちは神罰を受けたということになるのでしょうね。

私たち人間は神ではありませんのでどんな行為であってもしかるべき場所で行う限りにおいては許容されるはずだと期待したいですが、神聖な場所での行為にはそれに相応しい本質が求められるということです。

人間とは悲しい存在ですね。


3. 原題


エル・グレコ(El Greco)の制作した『神殿の商人を追い出すイエス』は英語ではThe Purification of the Templeと言います。

the purificationは清めることという意味です。

この作品はアメリカのミネソタ州にあるミネアポリス美術館(The Minneapolis Institute of Arts)が所蔵しています。




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