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ジョット・ディ・ボンドーネ『カヤパの前のイエス』
記事URL  カテゴリ | 新約聖書絵画 | 2014年06月02日(月)14時48分 | 編集 |
2014年6月2日(月) 


目次
1. 逮捕後のイエス
2. 口を閉ざすイエス
3. なぜ正は邪に負けるのか?
4. 原題


今回取り上げる作品は、ジョット・ディ・ボンドーネ作『カヤパの前のイエス』です。

ジョット・ディ・ボンドーネ『カヤパの前のイエス』328


1. 逮捕後のイエス


未明にゲッセマネの園で逮捕されたイエスは、まず大祭司カヤパの邸宅へ連れて行かれました。
大祭司とはローマ総督の任命によって就任する地位です。

当時のユダヤ教では王と同じぐらいの政治的な影響力を大祭司が有していました。
夜が明けてからカヤパの屋敷の庭ではイエスを裁くための最高法院が開かれました。

イエスが逮捕されるに至った罪状は主に二つあります。

一つ目は神殿に対する不敬罪です。

ユダヤ商人たちは過ぎ越し祭に集まる人々を当て込んでエルサレムの神殿で様々な商売を行っていました。
その姿を見てイエスは神殿の中で大暴れし屋台などを叩き壊してしまいました。

神殿内で行うべきではない性欲を当て込んだ商売なども暗黙の了解で行われていたのではないかと思われます。
イエスからすれば、ユダヤ商人の営業方針を認めている律法学者こそが不敬罪にあたると言いたかったのでしょう。

ところが逆に屋台などを破壊したという事実が神殿に対する不敬罪と認定されてしまったわけです。

二つ目は律法への冒涜罪です。

当時も現代も同じなのですがユダヤ教徒には律法を順守して生きていくことが課せられています。

例えば安息日は仕事をしてはいけません。
これは律法に定められているからです。

ところがイエスは安息日に活動し病人を癒したことがありました。
こういった人助けも律法への冒涜罪と認定されたのです。


2. 口を閉ざすイエス


最高法院の構成員たちはイエスの罪状を洗いざらい数え上げていきます。
多くの証人が法廷の場でイエスの犯罪を立証していきました。

ところが、イエスを反逆罪で告訴出来るほどの決定的な証拠が出て来ません。
イエスを逮捕はしたものの、このままでは死罪にすることなど到底不可能です。

そもそも、イエスは死罪に値するようなことなど何もしていないわけです。
初めから結論ありきの裁判が開催されていたのです。

裁判が進む中、イエスは沈黙を保ち続けます。
イエスにとって不利な証言が並べ立てられているにも関わらず、イエスは口を閉ざしたままで何ら反論をしません。

いたずらに時間だけが経過していくことに業を煮やしたカヤパはイエスに次のように尋ねました。

「あなたがキリストというのは本当か?」

この質問に対してイエスは初めて口を開きました。

「あなたの言われる通りです。」

この発言を耳にした瞬間、カヤパは自分の衣を引き裂きました。
イエスの発言はユダヤの神を汚すものであるとカヤパは認定したのです。


3. なぜ正は邪に負けるのか?


ジョット・ディ・ボンドーネ(1267頃-1337)の作品では、向かって右に座って緑色の服を着ている男がカヤパです。

カヤパが衣を割いて胸をはだけているのは、イエスの発言を聞いてもう二度と決定は覆らないということの意思表示です。

つまり、大祭司カヤパが取り仕切る最高法院においてはイエスの死罪が決定したということです。
但し、最高法院は死刑を執行する権限は有しません。

あくまでも死罪を決定したというだけです。
死刑執行権限はローマ総督ピラトが持っているのです。

従ってピラトの判断によってはイエスは死刑を免れる可能性もあるのです。

向かって左で両手を縄で縛り上げられたイエスはカヤパと目を合わせようとしません。
カヤパのような男には、もう何を言っても無駄だということが分かっていたのでしょう。

正論を言っても無駄な相手に対しては関わらないようにして人間関係に壁を作れば良いのです。

正論を丁寧に教えてやっても全く聞く耳を持たない愚者であっても、なぜか人事権と予算編成権を握ることが可能になっているのがこの世の不条理です。

たとえ愚者であると分かっていてもその者が人事権と予算編成権を手にしている以上、大多数の人々はその愚者の周りに集まって来て既得権益維持集団を構成していきます。

やがて正しい声はかき消され歴史の記録からも抹消されてしまい、真実を知らされていない後輩たちは残された文献に記されたことを重視して愚者の生き方を褒め称えるようになるわけです。

正は邪に負けます。
なぜならそれぐらい邪は多いのです。

この世とはそういう空間であると定義できます。
釈迦の言う「泥だらけの世」ですね。

続きます。


4. 原題


ジョット・ディ・ボンドーネ(Giotto di Bondone)が描いた『カヤパの前のイエス』はイタリア語ではGesù davanti a Caifaと言います。

この作品はイタリアのヴェネト州の都市パドヴァにあるスクロヴェーニ礼拝堂(Cappella degli Scrovegni)で見ることが出来ます。




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