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ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャ『ヘロデの前のイエス』
記事URL  カテゴリ | 新約聖書絵画 | 2014年06月08日(日)13時29分 | 編集 |
2014年6月8日(日) 


目次
1. 逮捕後のイエス
2. ヘロデ・アンティパス
3. 原題


今回取り上げる作品は、ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャ作『ヘロデの前のイエス』です。

ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャ『ヘロデの前のイエス』288


1. 逮捕後のイエス


ゲッセマネの園で逮捕されたイエスはユダヤ教の最高評議会にかけられます。
一応の裁判らしきものが行われた後、イエスには死刑が宣告されました。

この宣告日は4月7日のことではなかったかと言われています。
しかしユダヤ教の最高評議会が死刑と決めたからと言って、すぐにイエスを処刑する権限は彼らにはありませんでした。

当時のエルサレム地域を政治的に支配していたのはローマ帝国です。
ユダヤ民族はローマ帝国によって統治されている被支配民族でした。

従ってイエスを処刑するためには本国から総督として派遣され統治権を委ねられているポンテオ・ピラトの承認が必要だったのです。

そこでイエスはピラトの元へと連れて行かれました。

イエスは処刑されるまでにピラトから二度尋問を受けることになります。
今回は第一回目のピラトによる尋問です。

ユダヤ属州総督のピラトはイエスを死刑にすべしというユダヤ教パリサイ派の長老たちの話に耳を傾けました。
しかしローマ帝国の法に照らし合わせるとイエスを死刑にするというのは無理がありました。

そこでピラトはその旨をパリサイ派の長老たちに告げました。
ところが、これまで若造のイエスに激しく非難されてきた彼らは「ただでは済まない」という感情を露にします。

ローマ人であるピラトからするとこの一件は異教徒の勢力争いぐらいにしか思っていなかったのかも知れません。
また、新たな宗教理論を展開しているイエスに対してピラトの立場では特に恨みなどもありません。

そこで責任を回避したいピラトはイエスがガリラヤの人間であることに目を留めます。
そして、ガリラヤ人であればガリラヤの王であるヘロデ・アンティパスが裁くべきであるという理屈を持ち出しました。

結果としてイエスはガリラヤの王ヘロデ・アンティパスの所へ送られることになりました。


2. ヘロデ・アンティパス


ヘロデ・アンティパスはヘロデ大王(紀元前73年頃 - 紀元前4年)の息子でガリラヤ地方を支配していた領主でした。

ユダヤ人たちの住んでいた地域一帯はローマの属州として管理されていましたので、総合的な統治者は総督であるピラトということになります。

ただしピラト1人でこの広い地域を全て管理することは困難ですので、ヘロデ・アンティパスのような領主と位置づけられる人物がこの地域には何人かいたわけです。

便宜上、彼ら領主を王と呼ぶ場合もあります。

さて、ヘロデ・アンティパス(在位:紀元前4年-紀元後39年)と言えば洗礼者ヨハネの首を切った王として有名です。

自分の誕生日の宴会において妻の連れ子であるサロメが妖艶な踊りを示したことに対する褒美として、切り落としたヨハネの首を与えたのでした。

そのヘロデ・アンティパスが今度は逮捕されたイエスと対面することになったわけです。

イエスはヨハネから洗礼を受けた身ですからヘロデ・アンティパスからするとこの2人はどこまでも自分と関わってくる者たちだと感じたことでしょうね。

ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャ(1255頃-1318頃)は縄で両手首を縛られたイエスがヘロデ・アンティパスに何やら言われている場面を描いています。

イエスはこの時点では最後の晩餐の時に着ていた服装をまだ身につけていますね。
ドゥッチョもきちんとした身なりのイエスを描いています。

しかしパリサイ派の長老たちに焚きつけられたヘロデ・アンティパスの指示で、イエスはこの後身につけていた服を脱がされ古びた外套を着せられて再びピラトの許へと送り返されることになるのです。

ヘロデ・アンティパスは自身の権限で結論を出すことは保留しました。

しかし、イエスを汚らしい身なりに替えさせてエルサレムへ送り返したということで、一応の意思表示をした形になったわけです。


3. 原題


ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャ(Duccio di Buoninsegna)が制作した『ヘロデの前のイエス』はイタリア語ではGesù di fronte a Erode Antipaと言います。

Gesùはイエスのことです。
di fronte a ZはZに向い合って~という意味です。

Erode Antipaがヘロデ・アンティパスですね。

この作品はシエナにある大聖堂の付属美術館(Il Museo dell'Opera del Duomo di Siena)で見ることが出来ます。




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