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ティツィアーノ・ヴェチェッリオ『荊冠のキリスト』
記事URL  カテゴリ | 新約聖書絵画 | 2014年06月12日(木)13時35分 | 編集 |
記事のタグ: ルーヴル美術館
2014年6月12日(木) 


目次
1. 荊の冠
2. ピラトの考え
3. 原題


今回取り上げる作品は、ティツィアーノ・ヴェチェッリオ作『荊冠(けいかん)のキリスト』です。

ティツィアーノ・ヴェチェッリオ『荊冠のキリスト』561


1. 荊の冠


鞭打ち刑の後、イエスの頭部には荊(いばら)の冠がかけられました。
この冠はユダヤの王として君臨しようとしたイエスを揶揄するために用意されたものです。

もちろんイエス自身はユダヤの王になる考えなどありませんでした。
しかし世論の流れによってイエスがそういった考えを持っていたことにされてしまったわけです。

完全なる陰謀であり冤罪です。

ローマ兵たちは茨の冠をつけるにあたり、わざとイエスの前に跪(ひざまず)いてこう叫びました。

「ユダヤの王、万歳!」

そしてある者は戴冠しながらイエスに唾を吐きかけました。
ある者はイエスの頭を小突き回しました。


2. ピラトの考え


ピラトとしてはこのような刑罰をイエスに与えることで、この一件の幕引きをしようとしたのだと思われます。

背中は爛(ただ)れ額からは血を流し憔悴しきったイエスの姿を見れば、ユダヤの民衆も死刑などという主張を捨てるだろうとピラトは考えたのです。

実際にはユダヤ人はあくまでもイエスの死刑を求めました。
ピラトの思惑通りにはユダヤ人は動かなかったわけですね。

ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(1490頃-1576)は荊を被せられたイエスが遠くを見つめている姿を描いています。
肉体的苦痛の限界を超えたイエスにはローマ兵たちの動きが目に入らないかのようです。


3. 原題


ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(Tiziano Vecellio)が制作した『荊冠のキリスト』はフランス語ではLe Couronnement d'épinesと言います。

Le Couronnementが戴冠、épineが荊という意味です。

この作品はルーヴル美術館(Musée du Louvre)で見ることが出来ます。




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