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エル・グレコ『聖衣剥奪』
記事URL  カテゴリ | 新約聖書絵画 | 2014年06月21日(土)22時44分 | 編集 |
2014年6月21日(土) 


目次
1. ギリシア人
2. 弱者を苛め抜く者たち
3. 不敬な絵画
4. 原題


今回取り上げる作品はエル・グレコ作『聖衣剥奪』です。

エル・グレコ『聖衣剥奪』568


1. ギリシア人


エル・グレコ(1541-1614)はスペインのトレドで活躍した画家ですが、出身はクレタ島ですのでギリシア人です。
本名はドメニコス・テオトコープロス(Doménikos Theotokópoulos)と言います。

新約聖書は元々はギリシア語で書かれていますので、ギリシア人であるエル・グレコにとっては原書をそのまま読んで理解出来るという強みがあったと思われます。

そんなエル・グレコが残した傑作の内の1つが、この『聖衣剥奪』です。


2. 弱者を苛め抜く者たち


総督ピラトが最終的にイエスの死刑を決めた後、イエスは刑が執行されるゴルゴタの丘へ連れて行かれることになります。

ただ実際には「連れて行かれる」などという生易しいものではありません。

鞭に打たれ、唾を吐きかけられ、罵声を浴びせられ、笑いものにされ、自ら十字架を背負わされ・・・、
イエスはローマ兵やユダヤ教徒たちから数限り無い辱めを受けました。

そのやり方は極めて陰湿であり、今の言葉で言えば苛(いじ)めです。
つまり、これから処刑される人物に対して敢えてしなくてもいいようなことばかりされたわけです。

イエスにとって、あるいはイエス派閥の人々にとって磔刑死という死に方そのものよりも、そこへ至るまでのいたぶられ方の方が心身を傷つけられたのではないかと思われます。

かつての強者イエスが落ちぶれて処刑されることになり、彼の運命が自分たちの手の中にあると分かった途端にこの者たちはこのような異常とも言える行動に出たのです。

2,000年前に遠いエルサレムの地で起きた出来事ですが、イエスを苛め抜いた側の者たちと似たようなことをしている人が現代の日本にもいるのかも知れませんね。


3. 不敬な絵画


イエスが着ている緋色の外套は彼が十字架に架けられる直前に剥ぎ取られてしまいました。

十字架上のイエスは局部を隠す布切れだけの状態で描かれることがほとんどなのですが、十字架に架けられる直前にはエル・グレコが描いているような緋色の外套を着ていたことになっています。

この絵画を完成させたエル・グレコは依頼者であるトレド大聖堂側から報酬の支払いを拒否されてしまいました。
理由は不敬であるということです。

具体的にはイエスの上部に群衆の姿が描かれていることを指摘して、神に対する冒涜であると解釈されてしまったのです。

カトリックの伝統的な考え方からすると、神の子であるイエスの頭上に一般人の顔を描くということは到底受け入れられない構図だと看做(みな)されたのでしょうね。

しかも、この一般人たちは反イエスの人々です。

キリスト教徒からすると、自分たちの信奉する宗教の創設者を苛め抜いた者たちがイエスを見下ろす形で描かれているわけです。

これはやはり受け入れられないでしょうね。
しかもトレド大聖堂というのは、スペイン・カトリックの総本山という地位にある大聖堂なのです。

その強大な権威はカトリック国であるスペイン全土を支配し、トレドで決定された事項が宗教的な規範になることも多々あったのだろうと思われます。

エル・グレコはその辺りの事情を全て飲み込んだ上で敢えてこのような構図を選んだのだと思われますが、最高権威に逆らっても利益はありませんよね。

さらにはイエスの両隣に描かれている2人の男はイエスと同時に磔刑になることが決まっている罪人たちです。
エル・グレコの解釈では、イエスのこんな至近距離に市井(しせい)の罪人がいたということになるわけです。

こういった描き方も大司教の立場では手放しで認めることなど出来ませんよね。


4. 原題


エル・グレコ(El Greco)の制作した『聖衣剥奪』はスペイン語ではEl expolioと言います。

el expolioは略奪とか強奪という意味です。
この作品はスペインのトレド大聖堂(Catedral de Santa María de Toledo)で見ることが出来ます。




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