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ジャン=バプティスト・マリー・ピエール『ジュピターとアンティオペ』
記事URL  カテゴリ | ギリシア神話絵画 | 2011年07月13日(水)16時08分 | 編集 |
2011年7月13日(水)


目次
1. 父ニュクテウスの死
2. 出産
3. ディルケによる虐待
4. その後のアンティオペ
5. 原題


今回取り上げる作品は、ジャン=バプティスト・マリー・ピエール作『ジュピターとアンティオペ』です。

2011年7月13日ジャン=バプティスト・マリー・ピエール『ジュピターとアンティオペ』 Jean-Baptiste_Marie_Pierre_-_Jupiter_et_Antiope

1. 父ニュクテウスの死


フランスの画家ジャン=バプティスト・マリー・ピエール(1714-1789)が描いているのは、ゼウスの求愛を受け入れたアンティオペの官能的な肉体です。

アンティオペの右肩を抱いているのは、サテュロスに変身したゼウスです。
サテュロスとは、半人半獣の精霊です。

このセックスの数ヵ月後、アンティオペのお腹は大きくなり、傍目(はため)にも妊娠していることが明らかとなります。

父ニュクテウスは、娘アンティオペの妊娠を知って激怒します。

アンティオペは、お腹の子の父親はゼウスだと主張しますが、ニュクテウスは、アンティオペの主張を信じることなど出来ません。

ニュクテウスは、最高神ゼウスが自分の娘と性交することなど、あり得ないと思っているからです。

ニュクテウスは、娘アンティオペが妊娠したのは、ゼウスによって強姦されたからではなく、自分の意志に基づいて不埒な行いをした結果であると決めつけました。

アンティオペが自らの性欲を抑え切れず、その辺にいた男に言い寄られて、セックスをしたものと断定したのです。

そして、戯言(たわごと)を並べ立てるアンティオペを、配下の者たちの目の前で叱責し、殺害しようとしました。

アンティオペは、怒りを露(あらわ)にする父を恐れて、テーバイの街を離れます。
やがて身重のアンティオペは、シキュオンの王エポペウスの保護を受けることになります。

アンティオペが父親不明の子を孕んだという事実は、あっという間にテーバイの隅々にまで伝えられました。

娘の無自覚な行動が公になった以上、ニュクテウスは摂政としての地位をこれ以上維持出来なくなりました。

ニュクテウスは、弟のリュコスにアンティオペとエポペウスを処罰するよう依頼して、自殺したのです。


2. 出産


リュコスは亡き兄ニュクテウスの意志を継ぎ、シキュオンを攻めてエポペウスを殺しました。
そして、姪であるアンティオペをテーバイに連れ戻します。

シキュオンからテーバイへ向かう道中、アンティオペは産気づき、小さな洞窟の中で双子の息子を出産します。

しかし、この子たちをテーバイ宮廷に一緒に連れて帰ることは出来ませんので、泣く泣く、その場に置き去りにしました。

この息子たちが、後にゼトスとアムピオンになります。


3. ディルケによる虐待


テーバイへと連れ戻されたアンティオペは、リュコスとその妻ディルケによって虐待の数々を受けました。

優越的地位にある者が、配下の者を苛め抜くという構図は、古代ギリシアの時代にも存在したわけですね。

現代の日本でも、同じような虐(いじ)めがあるわけですから、人間はちっとも進化していないということが言えそうです。

また、ディルケは、酒神ディオニュソスの信者であり、元来、狂信的な一面を備えていたようです。

狂信的な性格の者が権力を握っているわけですから、弱い立場にある者は、徹底的な虐(いじ)めを受けるわけです。

こうした辛い日々が10年以上続いた後、アンティオペは何とかテーバイの宮殿を脱出することに成功します。

そして、着の身着のままのアンティオペは、奇跡的に成長した息子二人と再会を果たすのです。

青年になったゼトスとアムピオンは、母から仔細を聞きました。
彼らは復讐を果たすため、母を伴ってテーバイへと向かいます。

そして、長年、母を虐め抜いたリュコスとディルケを殺害し、そのままテーバイに住みつき、王となりました。

アンティオペは、ようやく故郷テーバイで、息子たちと共に安心した生活が送れるかに思えた矢先、またしても不幸が襲うのです。


4. その後のアンティオペ


信者であるディルケを殺されたディオニュソスは、実行犯としてのゼトスやアムピオンではなく、母のアンティオペに制裁を加えます。

ディオニュソスによって狂気を吹き込まれたアンティオペは、狂女と化してテーバイ宮廷を追われ、ギリシア中を放浪する身になります。

アンティオペにとっては、テーバイから離れるのは、これが3度目です。

1回目は父の激怒から逃げ出し、2回目は叔父王夫妻の虐待から脱出し、3回目は息子たちにすらも疎まれて追放されたのです。

イオやエウロパも流離(さすら)いの人生を送りましたが、このアンティオペも辛い人生の連続です。

テーバイを離れて寄る辺のない人生を送っていたアンティオペに、ようやく救いの手が差し伸べられました。

ティトレアの実力者ポコスが、哀れな姿に成り果てたアンティオペをティトレア宮廷に引き取り、彼女の狂気を癒してやったのです。

ティトレアは後にポキスと呼ばれるようになる都市で、現在のギリシア中央部に位置するフォキスに同定されています。

ポコスは、コリントス王シシュポスの孫に当たります。
系譜を示します。

アイオロス→シシュポス→オルニュティオン→ポコス


シシュポスについては、2011年7月2日(土)の記事『ティツィアーノ・ヴェチェッリオ『シシュポス』 loro2012.blog.fc2.com』を参照して下さい。


5. 原題


ジャン=バプティスト・マリー・ピエール(Jean-Baptiste Marie Pierre)が描いた『ジュピターとアンティオペ』は、スペイン語ではJúpiter y Antíopeと言います。

この作品は、プラド美術館(Museo Nacional del Prado)で見ることが出来ます。







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