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ティツィアーノ・ヴェチェッリオ『エウロパの略奪』
記事URL  カテゴリ | ギリシア神話絵画 | 2011年06月27日(月)15時38分 | 編集 |
2011年6月27日(月)


目次
1. 濡れるエウロパ
2. ヨーロッパの語源
3. クレタ王妃エウロパ
4. ミノスの裏切り
5. エヴァンズによる発掘
6. 原題


今回取り上げる作品は、ティツィアーノ・ヴェチェッリオ作『エウロパの略奪』です。

2011年6月27日ティツィアーノ・ヴェチェッリオ『エウロパの略奪』295

1. 濡れるエウロパ


フェニキア王女エウロパを乗せた白い牡牛は、岸からどんどん離れて行きます。
岸に立つ侍女達の姿は、エウロパからはほとんど見えなくなってしまいました。

イタリアの画家ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(1490頃-1576)の作品では、牡牛の角を握り締めたエウロパのしどけない姿が描かれています。

海水と汗と涙で、エウロパの熟れた体は濡れています。
牡牛は、勝ち誇ったかのような黒い瞳を鑑賞者へ向けています。


2. ヨーロッパの語源


白い牡牛の姿になっているゼウスは、最終的にクレタ島へとエウロパを連れ去りました。
クレタ島は、ゼウスが幼少期を過ごした島ですね。

ゼウスの養育については、2011年3月11日(金)の記事『ニコラ・プッサン『ジュピターの養育』 loro2012.blog.fc2.com』を参照して下さい。

ゼウスはクレタ島へ至る道中、エウロパを背に乗せてあちらこちらを駈け回りました。

ゼウスがエウロパを連れて駆け回った地域一帯を、エウロパの名に因んでヨーロッパと呼ぶようになったわけです。

エウロパの出身地フェニキアは、現在のシリア地域とされています。


3. クレタ王妃エウロパ


クレタ島に到着した牡牛は、本来のゼウスの姿に戻り、エウロパと性交します。
生まれた子の内の一人が、ミノスです。

その後、エウロパはクレタ王アステリオスの妻となり、ミノスはクレタ宮廷で養育されることになります。

アステリオスの死後、ミノスは王位を継承しようとします。
しかし、ミノスはアステリオスの嫡男ではないので、島民からの支持が得られません。

ミノスは、島民の前で自分が王位に就くに相応しい人物であることを、証明する必要に迫られました。
そこで、ミノスはポセイドンに依頼し、牡牛を海上から岸へと遣わせてもらうことにしたのです。

このような奇跡が起こせる人物は王として相応しいと、人々から認められるというわけです。

ポセイドンはミノスの依頼を受け入れ、海上から一頭の美しい牡牛を遣わします。
そのおかげで、ミノスはクレタ王位に就くことが出来ました。


4. ミノスの裏切り


ミノスは王位に就いた後、この牡牛をポセイドンに生贄として捧げる約束をしていました。

ところが、美しい牡牛を手放したくなかったミノスは、別の牛を生贄として捧げ、ポセイドンとの約束を反故(ほご)にします。

神との約束すらも反故にするミノスの態度に怒ったポセイドンは、ミノスの妻パシパエがこの牡牛と交わるよう仕向けました。

ポセイドンによって狂気を吹き込まれたパシパエは、牡牛とセックスをします。
そうして生まれたのが、ミノタウロスです。

クレタ島の王となったミノスは、後年、クノッソス宮殿を建設することになります。

この後、ミノタウロスが閉じ込められた迷宮やアリアドネの赤い糸、あるいはイカロスの墜落の話へと繋がっていきます。


5. エヴァンズによる発掘


イギリスの考古学者アーサー・エヴァンズ(1851-1941)が、クノッソス遺跡を発掘したのは1900年のことです。

ドイツの考古学者ハインリッヒ・シュリーマン(1822-1890)がトロイ遺跡を発掘したのは1873年のことです。

19世紀後半の時代というのは、遺跡がいくつも発掘されたことによって、それまで神話として語り継がれてきた内容が、実際には歴史的な事実であったことが証明された時代だったわけですね。


6. 原題


ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(Tiziano Vecellio)が制作した『エウロパの略奪』は、英語ではRape of Europaと言います。

この作品は、ボストンにあるイザベラ・ステュアート・ガードナー美術館(Isabella Stewart Gardner Museum )で見ることが出来ます。







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