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ジャン=フランソワ・ミレー『落ち穂拾い、夏』
記事URL  カテゴリ | その他絵画 | 2010年09月18日(土)12時58分 | 編集 |
2010年9月18日(土)


目次
1. 日本にある『落ち穂拾い』
2. 『落ち穂拾い』の主題は何か?
3. 原題


今回取り上げる作品は、ジャン=フランソワ・ミレー作『落ち穂拾い、夏』です。

2010年9月18日ジャン=フランソワ・ミレー『落ち穂拾い、夏』1 422

1. 日本にある『落ち穂拾い』


山梨県立美術館には、以下のオルセー美術館にある『落ち穂拾い』と対になるような作品が展示されています。

2010年9月18日ジャン=フランソワ・ミレー『落ち穂拾い、夏』2 253

『落ち穂拾い、夏』と題された作品で、色使いや後景の描写は異なりますが前景の構図はほとんど同じですね。

この作品も『落ち穂拾い』と同様に、後景の豊かな農民たちと前景の貧しい農民たちとの対比が主題になっています。

ジャン=フランソワ・ミレー(1814-1875)は、社会変革を繰り返す母国フランスの姿をパリにおいて具(つぶさ)に見つめて来ました。

その後、ミレーはパリを離れてバルビゾン(Barbizon)に移住します。

そして、農業生産という人間生活の根幹に関わる仕事に携わっている人々を絵の題材に選ぶようになりました。

19世紀中葉に写真が実用化されたことにより、王侯貴族の肖像画が「芸術」とされていた時代が終焉を迎えます。

そして、農村でたくましく生きる人々の姿が芸術対象になり得るということをミレーは証明したのです。


2. 『落ち穂拾い』の主題は何か?


大都会パリで政治家や資本家が政権争いを繰り広げている際にも、農村ではこの作品に描かれているように額に汗して働く人々がたくさんいました。

農業生産に携わる人々がいてくれるからこそ、都会での「中産階級」という暮らしも成り立つわけです。

ミレーが自身の芸術を完成させて行く過程において拠り所としたのは、「革命好きな大都会人」ではありませんでした。

ミレーの拠り所は、黙々と働き人々の生きる糧を生産する「偉大なる農民」でした。
農民の中でも、特に貧しい人々の生業を題材としたのです。

そもそも、「落穂を拾う」とはどういうことかと言うと・・・、

農民たちは収穫期に入ると、畑で成長した穀物を刈り入れる作業に追われます。
実った麦穂などを鎌で刈り倒し、ピッチフォークを使って集めるわけです。

農民たちの刈り入れ作業が終わった後の地面には、集め切れなかった穂がいくつか残ることになります。

その残りものである穂を拾い集めてでも、生活していかなければならない貧しい農民たちがいました。

『落ち穂拾い』の後景向かって右には、馬に乗って農作業の進捗状況を管理している裕福な地主の姿が小さく描かれています。

その対比として前景には、落穂を拾う以外に生きる術のない貧農の姿が描かれているのです。

『落ち穂拾い、夏』においても、後景で農具を用いて働いている人々は少なくとも「貧農」ではありません。

一方、前景において素手で落ち穂を拾う女性たちは、農具を購入するための経済的な余裕がないのです。

豊かな農民たちは、自分の農場において貧しい人々が落ち穂を拾うことを容認していました。

『落ち穂拾い』とは、貧しい者が富める者から生きる糧を分け与えてもらっている様子を描いている作品なのです。


3. 原題


ジャン=フランソワ・ミレー(Jean-François Millet)が描いた『落ち穂拾い、夏』は、フランス語ではL'été, les glaneusesと言います。

l'étéが、夏という意味です。

この作品の製作年は、1853年とされています。
オルセー美術館にある『落ち穂拾い』の製作年は、1857年です。

『落ち穂拾い、夏』の方が、数年早く出来上がっているということになります。
この作品は、山梨県立美術館の所蔵となっています。




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