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フランシスコ・デ・スルバラン『ネメアの獅子と戦うヘラクレス』
記事URL  カテゴリ | ギリシア神話絵画 | 2011年08月21日(日)13時39分 | 編集 |
記事のタグ: プラド美術館
2011年8月21日(日)


目次
1. ヘラクレスの養父アムピトリュオンの最期
2. ヘラクレスの結婚
3. ヘラクレスの狂気(1回目)
4. アポロンの神託
5. ヘラクレスの12の功業(1つ目)
6. 原題


ヘラクレスの話は、2011年7月10日(日)の記事『アンニーバレ・カラッチ『ヘラクレスの選択』 loro2012.blog』で一旦休止していましたが、今日から再開します。

今回取り上げる作品は、フランシスコ・デ・スルバラン作『ネメアの獅子と戦うヘラクレス』です。

2011年8月21日フランシスコ・デ・スルバラン『ネメアの獅子と戦うヘラクレス』273

1. ヘラクレスの養父アムピトリュオンの最期


テーバイ王オイディプスは、先王ライオスを殺害した過去が明るみに出て、テーバイの街から追放されました。

オイディプスがテーバイから追放される経緯は、2011年7月28日(木)の記事『フレデリック・レイトン『アンティゴネ』 loro2012.blog』や、2011年7月29日(金)の記事『Antoni Brodowski『オイディプスとアンティゴネ』 loro2012.blog』を参照して下さい。

オイディプスの後を継いだ長男ポリュネイケスと次男エテオクレスは、後に仲違いし戦闘の中で相討ちして、お互いに命を落とします。

オイディプスの血を引く王子が二人共亡くなった後、エテオクレスの後を継ぐ形でテーバイ王に就いたのは摂政のクレオンでした。

クレオンは、オイディプスの妻であり実母だったイオカステの実兄です。

さて、そのクレオンが率いるテーバイは、オルコメノスの王エルギノスと戦争をすることになりました。

オルコメノスは、テーバイと同様にギリシア中部のボイオティアに位置する都市です。

この戦争にアムピトリュオンとヘラクレスがテーバイ側の武将として加わり、クレオンの助太刀をしました。

アムピトリュオンはこの戦闘の中で命を落としましたが、ヘラクレスは縦横無尽の活躍を示しテーバイを勝利に導きました。

アムピトリュオンは、ヘラクレスの養父にあたるのでしたね。

ヘラクレス出生の経緯については、2011年7月8日(金)の記事『ティントレット『天の川の起源』 loro2012.blog』を参照して下さい。


2. ヘラクレスの結婚


テーバイ王クレオンは、軍功のあったヘラクレスに対して娘のメガラを妻として与えました。
その後、ヘラクレスはメガラとの間に3人の子供を儲けます。

ヘラクレスの双子の兄弟のイピクレスは、クレオンのもう一人の娘と結婚していて2人の子供を儲けていました。

ヘラクレスはテーバイ宮廷においてしばらくは平穏な暮らしをしていましたが、ヘラクレスに対して敵意を持つヘラの策略によって、この後人生が暗転します。


3. ヘラクレスの狂気(1回目)


ヘラクレスはヘラの策謀により生涯において2度狂気を吹き込まれることになるのですが、今回は1回目の狂気の話です。

ヘラの魔法によって狂気に取り憑かれたヘラクレスは、自身の子3人とイピクレスの子2人の計5人を炎の中に投げ込んで殺してしまいました。

子供たちを失って生きる希望を失った妻メガラは、この事件の直後自殺しました。

テーバイ王家には徹底的に不幸が付き纏(まと)いますね。

まあ、ギリシア神話はほとんどが悲劇で構成されていますので、テーバイ以外の王家にも様々な災いが降りかかってはいますが、それにしてもこのテーバイの悲劇は度を越しています。

さて、このヘラクレスが行った子殺しはヘラクレスが自らの意志で行ったものではなく、あくまでもヘラの計略によって正常な判断力を奪われた上での犯行です。

しかし、周囲はそのような理解をしません。
そして正気に戻ったヘラクレス自身も、自らの犯した罪の大きさに絶望します。

ヘラクレスのせいで、子供たちだけでなく妻メガラまでが命を落とすことになったのです。

ヘラクレスはこの事件に対する償いの方法を知るためにデルフォイに向かい、アポロンの神託を伺いました。


4. アポロンの神託


アポロンの神託は次のようなものでした。

「ミケーネ王エウリュステウスに仕えて、10の勤めを果たしなさい。」

エウリュステウスとは、ステネロスとニキッペの間に生まれた息子です。
系譜を示します。

ゼウス→ペルセウス→ステネロス→エウリュステウス


ヘラクレスは、ミケーネ王エウリュステウスに事の次第と神託の内容を話しました。

エウリュステウスは剛腕ヘラクレスがいつか自分の王としての地位を脅かすのではないかと疑い、この神託に基づく難行を利用してヘラクレスを亡き者にしようと企みます。

王座を維持したいエウリュステウスにとっては、ヘラクレスが死んだ方が好都合なのです。

そこで、エウリュステウスはヘラクレスの申し出を受け入れ、ヘラクレスに対して死の危険を伴うような10の難行を課すことにしました。

結果的にこの難行は途中で2つ増えますので、ヘラクレスがエウリュステウスによって命じられた難行は最終的に12となりました。

この難行は「ヘラクレスの12の功業」という表現で呼ばれることが多いです。


5. ヘラクレスの12の功業(1つ目)


一つ目の功業は、ネメアに住み着いて人や家畜を襲っているライオンを倒すことです。
ネメアとは、現在のギリシャのペロポネソス半島北東部にある古代遺跡に同定されています。

ネメアの獅子は、エキドナを母としオルトロスを父とします。
スフィンクスやラドンはネメアの姉弟にあたります。

ネメアの獅子はその厚い皮膚の下に甲羅が出来ていて、その甲羅が体全体を覆(おお)っています。

最初、ヘラクレスは獅子に対して矢を放ち棍棒で殴りつけましたが、硬い甲羅で守られた体には全く効き目がありません。

武器による手段が封じられたヘラクレスは接近戦を挑み、ネメアの獅子の体を締め上げる戦術に出ました。

スペインの画家フランシスコ・デ・スルバラン(1598-1664)は、ヘラクレスが獅子に対して絞め技に入っている場面を描いています。

ヘラクレスの右足の傍には棍棒が描かれています。
また、右足の後方には矢が数本描かれていますね。

棍棒も矢もこの獅子に対しては役に立ちません。
最後の手段としてヘラクレスは自慢の怪力で勝負することにしたわけです。

この作戦が功を奏し、ヘラクレスはネメアの獅子を絞め殺し、無事に一つ目の功業を成功させたのです。

戦いの後、ヘラクレスはこの獅子の皮を頭から被り、鎧の代わりとして用いて行くことになります。
一方、ヘラクレスに倒されたネメアの獅子は、後に獅子座となったと言われています。


6. 原題


フランシスコ・デ・スルバラン(Francisco de Zurbarán)が描いた『ネメアの獅子と戦うヘラクレス』は、スペイン語ではLucha de Hércules con el león de Nemeaと言います。

luchaが戦いという意味です。
この作品はプラド美術館(Museo Nacional del Prado)で見ることが出来ます。





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