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ジャック=ルイ・ダヴィッド『ナポレオンの戴冠式』
記事URL  カテゴリ | ヨーロッパ王家絵画 | 2011年02月16日(水)14時04分 | 編集 |
記事のタグ: ルーヴル美術館
2011年2月16日(水)


目次
1. 皇帝ナポレオン1世
2. 教皇ピウス7世
3. 皇太后マリア
4. 原題


今回取り上げるのは、ジャック=ルイ・ダヴィッド作『ナポレオンの戴冠式』です。

2011年2月16日ジャック=ルイ・ダヴィッド『ナポレオンの戴冠式』211

1. 皇帝ナポレオン1世


この作品はフランス皇帝ナポレオン・ボナパルト(1769-1821)が、1804年12月に挙行した戴冠式の様子を描いたものです。

この戴冠式の主役は、もちろんナポレオン1世(在位:1804-1814)です。

彼が皇帝になったことを内外に示すためにこういった式典が催されたのであり、本来であれば彼は然るべき人物から戴冠してもらう立場の人間であるはずなんです。

皇帝若しくは皇后の頭に冠を戴(いただ)かせるのは、伝統的にローマ教皇の役割です。

いかに権力者であるとは言え、皇帝自らがローマ教皇の代理を行うことなど許されるはずがありません。

ところが、画面中央に描かれているナポレオン1世は、妻であるジョゼフィーヌ(1763-1814)に自ら戴冠しようとしています。

もちろん、彼女が皇后になったことの証としての戴冠です。

これはどう考えてもおかしいですよね。
ローマ教皇はこの戴冠式には出席していなかったのでしょうか?

それとも、作者であるジャック=ルイ・ダヴィッド(Jacques-Louis David)が事実を曲げてこの絵画を描いたのでしょうか?


2. 教皇ピウス7世


1) ノートルダムの屈辱


ナポレオンの戴冠式はパリのノートルダム大聖堂(Cathédrale Notre-Dame de Paris)で行われました。

カトリックの最高権威であるローマ教皇ピウス7世(1742-1823)も、ナポレオン1世から招かれて列席しています。

作品で言うと、ナポレオンの真後ろに座って右手をやや上げている男性がピウス7世(Pio VII)です。

ダヴィッド(1748-1825)がこの作品の中に描いている場面というのは、ナポレオン1世自身の戴冠式が終わった後の様子です。

ナポレオンの頭には既に冠が載せられていますよね。
この冠は誰が載せたのかと言うとナポレオン自身です。

ヨーロッパ君主が戴冠式を行う場合、ナポレオン以前はたとえ儀礼的なものであったとしてもローマ教皇から戴冠してもらうのがしきたりとなっていました。

この慣例をまるっきり無視して自分で戴冠してしまったのが、皇帝ナポレオン1世だったわけです。

しかも、そこまで教皇を蔑(ないがし)ろにするつもりなのであれば、初めからこの戴冠式に呼ばなければいいわけですよ。

ところが、ナポレオンはちゃんと教皇ピウス7世にも列席を依頼しています。

ナポレオンはたくさんの参列者が見守る中、教皇の権威を完膚なきまでに貶(おとし)めることに成功します。

政治的支配者である皇帝の権力が、宗教的指導者である教皇の権威を上回るものであることを示したかったわけです。

挙句の果てには妻の戴冠まで自らの手でやってのけてしまうとは・・・。
呆れ果てた愚行とはこのことでしょうね。


2) ねじ曲げられた事実


この世紀の瞬間を記録に残すようナポレオンから命じられたダヴィッドは、準備だけで1年を費やしたと言われています。

会場となったノートルダム大聖堂の模型を作り光の差し方を調査するなど、下準備に余念がなかったと言います。

ということは、この戴冠式挙行は1年以上も前から決まっていたことであり、ナポレオンの権力は皇帝になる前から絶大だったということになりますね。

権力者に擦り寄る画家として有名なダビッドは、ナポレオンにとって不都合なことは一切描きません。

着座している教皇ピウス7世は右手をやや上げていると前述しましたが、これは史実に反します。
教皇は実際には両手を膝の上に置いたままだったのです。

しかし教皇が右手を上げている姿を描くことで、ナポレオンが教皇から祝福を受けているかのような構図に仕上がっているわけです。

写真やビデオのなかった当時、絵画は政治家の印象を良くするための有効な手段でした。

特にナポレオンは容姿に恵まれていなかったということもあり、絵画を効果的に利用するという広報戦略には人一倍執心したようです。

また、ダヴィッドのような画才があり権力欲もあり忠実な僕(しもべ)となりうる芸術家がナポレオンの傍に存在したからこそ、このような絵画が出来上がったわけです。


3. 皇太后マリア


1) 欠席者を描くダヴィッド


ナポレオン・ボナパルト(1769-1821)の母親はマリア・レティツィア・ボナパルト(Maria Letizia Bonaparte)と言います。

母マリア(1750-1836)は息子ナポレオンが皇帝になることを望んでいなかったと言われています。

事実、このパリのノートルダム大聖堂で行われた戴冠式にも出席していません。

息子が別人のように出世欲に取り憑かれ、政治的権力を手中にして有頂天になっている姿をはしたない振る舞いであると感じていたのかも知れません。

また、妻のジョゼフィーヌとは不仲だったことも欠席の理由の1つだったと言われています。
ところが、作者ダヴィッド(1748-1825)はこの絵画の中にマリアを描いているのです。

ナポレオンに向かって跪(ひざまず)いているジョゼフィーヌの背中から真っ直ぐ上に視線を向けると、大きな椅子に腰掛けた光の当たっている女性が目に入ると思います。

これがマリアです。

実際には出席を拒んだ母が、あろうことか息子の晴れ姿を祝福しているかのような様子で記録に残っています。

ナポレオンがダヴィッドに命じて列席していない母を描かせたという話になっています。


2) 皇帝権神授説


父の象徴であるローマ教皇に祝福され、実母にも祝福される新皇帝ナポレオン1世・・・、

しかも母の名はマリア・・・。

神と聖母によって祝福されたナポレオンは、フランス皇帝になることを運命づけられていたということを喧伝することがこの絵画を作成させた目的だったわけです。

この作品は余程のことが無い限り、後世に残るとナポレオンは考えました。
事実、200年を経た今その通りになっています。

戴冠式の様子はナポレオンにとって都合の良い形で語り継がれる必要があったわけです。
事実を曲げてでもナポレオンは神から祝福された存在でなければならないのです。

別の角度から彼の愚行に光を当てると、そんなことをしなければ人心を掌握出来なかったという彼の人望の無さが見え隠れするとも言えるでしょう。

横暴な振る舞いを繰り返す息子に母マリアは苦言を呈していたはずです。

権力の絶頂にあった息子は、自分の戴冠式に来てくれなかった母親の真意をこの時点では理解出来ていなかったのでしょうね。

この作品から読み取れる被害者は、教皇ピウス7世(1742-1823)と母マリアですね。

暴君の恐ろしさというものは歴史を学んでいると再三出くわすことなのですが、このナポレオン1世もご多分に漏れず聞き分けのない幼児性を備えた「皇帝」だったのだと思われます。

そして、自らの社会的地位の安泰を図るためにその暴君に近づいて、皇帝礼賛の絵画を何枚も残した御用画家がジャック=ルイ・ダヴィッドという男だったわけです。


4. 原題


『ナポレオンの戴冠式』は、フランス語ではLe Sacre ou le Couronnement又はLe Sacre de Napoléonと言います。

le sacreは辞書には国王や司教の聖別式という語義が載っていますが、私には知識不足で何のことかよくわかりません。

le couronnementは戴冠式という意味です。

この縦621cm×横979cmという巨大な作品はルーヴル美術館の所蔵となっています。





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