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アントニス・モル『イングランド女王メアリー1世』
記事URL  カテゴリ | ヨーロッパ王家絵画 | 2011年03月01日(火)15時00分 | 編集 |
記事のタグ: プラド美術館
2011年3月1日(火) 


目次
1. キャサリン・オブ・アラゴンの娘
2. 義妹エリザベスとの確執
3. 女王メアリー
4. 流血のメアリー
5. 原題


今回取り上げる作品はアントニス・モル作『イングランド女王メアリー1世』です。

2011年3月1日アントニス・モル『イングランド女王メアリー1世』462

1. キャサリン・オブ・アラゴンの娘


メアリー1世(1516-1558)はヘンリー8世(在位:1509-1547)の娘です。
母はヘンリー8世の最初の妻であるキャサリン・オブ・アラゴン(1485-1536)です。

キャサリン・オブ・アラゴンは男児を産まなかったため、一人娘のメアリーが王位継承者としての地位を与えられました。

ところがヘンリー8世は1533年にキャサリン・オブ・アラゴンを離縁しました。
母が王妃でなくなったことに伴い、メアリーの王女及び皇太女の地位も剥奪されてしまいます。

ヘンリー8世の二番目の妻になったアン・ブーリンは1533年9月に王女エリザベスを出産します。
この王女は後のエリザベス1世です。


2. 義妹エリザベスとの確執


王女としての地位を失ったメアリーは、アン・ブーリンによってエリザベスの侍女という立場にまで貶(おとし)められました。

エリザベス自身は幼少だったため何もしていないわけですが、メアリーはこのことを終生忘れずエリザベスとの確執を深めていくことになります。

その後、ヘンリー8世が死に、エドワード6世(在位:1547-1553)が王位を継承します。
エドワード6世が死んだ後は、ジェーン・グレイ(1537-1554)が女王として即位します。

このジェーン・グレイの即位は民衆からの支持を得られませんでした。

そして、エドワード6世に次ぐ王位継承権を有するメアリーがイングランド女王として即位することになるのです。


3. 女王メアリー


ヘンリー8世は1534年に国王至上法を発布してローマ・カトリック教会から離脱していました。

女王となったメアリー1世(在位:1553-1558)はヘンリー8世が行った宗教改革を覆しローマ・カトリック教会に復帰します。

メアリー1世は熱心なカトリック教徒だったのです。

父ヘンリー8世と母キャサリン・オブ・アラゴンが共にカトリック信者だったことの影響が大きいと思われます。

メアリー1世は1554年にスペインの王太子フェリペと結婚します。
フェリペは2年後にスペイン国王フェリペ2世(在位:1556-1598)となります。


4. 流血のメアリー


メアリー1世はプロテスタントを徹底的に弾圧しました。
カトリックを否定する者たちを約300人処刑したと伝えられています。

エリザベスはプロテスタントの反乱を扇動したという罪で一年近く投獄されています。

このエリザベス逮捕事件は事実上の冤罪であり両者の確執が原因でこのような事態に至ったのではないかとする説もあります。

メアリー1世のこういった暴君ぶりを評して「流血のメアリー(ブラッディ・メアリー)」という仇名で呼ぶ人も少なくありません。

メアリー1世はフェリペ2世との間に子どもを作ることが出来ませんでした。
そこで王位継承順位に従い、宿敵エリザベスを次期女王に指名せざるを得ませんでした。

オランダの画家アントニス・モル(1520-1578頃)はこの作品を1554年に制作しました。
メアリー1世がイングランド王位に就いた翌年のことです。


5. 原題


アントニス・モル(Anthonis Mor van Dashorst)が描いた『イングランド女王メアリー1世』はスペイン語ではMaría Tudor, reina de Inglaterra, segunda esposa de Felipe IIと言います。

reinaは女王、segunda esposaは二番目の配偶者という意味です。

この作品はプラド美術館(Museo Nacional del Prado)で見ることが出来ます。




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