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ラファエロ・サンティ『アテネの学堂』
記事URL  カテゴリ | 旧約聖書絵画 | 2010年06月13日(日)12時00分 | 編集 |
記事のタグ: ヴァチカン美術館
2010年6月13日


テレビでの放送日:2010年4月19日(月) 番組名:名画への旅(NHKBShi)

目次
1. フレスコ画
2. 知力・体力・技術力
3. 時空を超えるラファエロ
4. ディオゲネスが中央にいる意味
5. 原題
6. 他国比較


1. フレスコ画


今日ご紹介するのは、ラファエロ・サンティ(Raffaello Santi)の描いた『アテネの学堂』です。

2010年6月13日ラファエロ・サンティ『アテネの学堂』229

『アテネの学堂』は、ヴァチカン美術館の中にあるラファエロの間に描かれたフレスコ画です。

もう少し正確に言うとラファエロの間とは4つの部屋の総称であり、その内の署名の間の壁にこの大作が描かれているわけです。

フレスコとはまず壁に漆喰(天然の白い建材)を塗って、その漆喰が生乾きの間に顔料(水や油に溶けないもの)で描く技法を言います。

イタリア語にfrescoという語があるのですが、これは「乾いていない」とか「新鮮な」という意味で、この形容詞を元にしてフレスコ画という言葉が生まれたわけです。

frescoは英語だとfreshに相当します。


2. 知力・体力・技術力


『アテネの学堂』の寸法は横772センチ×縦550センチです。

レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』の寸法は横880センチ×縦460センチですので、それよりは面積がやや小さいということになります。

しかし巨大な壁画ですよね。

壁に正対するという一つの態勢を保ちながらこれだけ大きな絵画を完成させていくのは、相当な体力と集中力が必要になると思います。

しかもフレスコ画というのは後で描き直すということが出来ませんので、綿密な制作計画を立案する能力とそれを実行するための高度な技術力が求められます。

やはりラファエロは天才です。


3. 時空を超えるラファエロ


天才ラファエロ(1483-1520)は、このフレスコ画の中に自らの肖像画を描いています。
画面向かって右下でこちらに眼差しを向けている男性がラファエロです。

なぜ紀元前のアテネに16世紀のイタリア人のラファエロがいるのでしょうか?

ラファエロはプラトン(B.C.427-B.C.347)やその弟子であるアリストテレス(B.C.384-B.C.322)に出会ったことはもちろんありません。

従って、この絵に描かれたプラトンらの姿はあくまでもラファエロが想像したものです。

普通の考えではそうなりますよね。

だからこそ、ラファエロは身近にいた人物たちをモデルにしたのだろうという説が流布されているわけです。

しかし、この紀元前のアテネで生きた先哲たちを壁画の題材として選ぶにあたり、もしかしたら彼の魂は時空を超えて本人たちに会ってきたのではないかと私は思っています。

荒唐無稽な話だと笑う人もいるでしょうが、私は神に祝福された天才芸術家というのは人智では説明のつかない特殊能力を備えていたのだろうと思っています。

この壁画の中にラファエロがいるのは時代考証としては誤りです。
しかし、彼は意図的に自分の姿を描いているわけです。

「わかってくれる人だけわかってくれればいい・・・。」

そんな声がこの壁画の中から聞こえてくるように感じるのは、決して私だけではないと思いますが・・・。


4. ディオゲネスが中央にいる意味


1) 学識ある二人


画面中央で赤いマントを身につけ右手を上げているのがプラトンです。
その向かって右に位置し青いマントを身に纏っているのがアリストテレスです。

両者ともに左手には自著を持っていますね。
書物というのは学問の成果であり、自らの研究結果を後輩たちに残す最大の手段と言えます。

古代アテネの偉大な哲学者二人がそのような威厳ある風情で描かれているのと対照的に、その前方では半身裸の姿で寝そべっている男がいます。

これがディオゲネス(B.C.412頃-B.C.323)です。


2) 自由と堕落の狭間


ディオゲネス(B.C.412頃-B.C.323)は人間としての生活を望まず、犬のような生活をしていたと言われています。

また、人間としての生活を否定するためなのか、大樽の中で暮らしていたそうです。

いつの時代であっても人間誰しも住居や衣服に拘るのが普通だと思うのですが、中にはこういう人もいるわけです。

ラファエロはそのような生き方を選んだ彼を壁画のほぼ中央に描いています。
破格の扱いと言ったらディオゲネスに対して失礼でしょうか。

一応、彼の職業は「哲学者」ということになっているのですが、この壁画を構成する哲学者たちとは一線を画す存在と言えますよね。

ラファエロは意図的にディオゲネスを画面中央に配置しています。
しかも、中心線からはやや右寄りにラファエロの自画像に近い方に描いています。

なぜ、あえてこのような構図を選んだのでしょうか?


3) 堕落する宗教に対する警鐘


この壁画がラファエロ(1483-1520)によって制作されたのは、1509年から1511年の間とされています。

絵画の依頼主であるユリウス2世がローマ教皇(在位:1503-1513)の地位を退いた4年後に、ドイツ(当時は神聖ローマ帝国)においてマルティン・ルターが『95ヶ条の論題』を発表しています(1517年)。

宗教改革の機運が高まり、ローマ・カトリック教会のあり方が問われる時代はもうそこまで来ています。

そのような時代の空気を肌で感じながら、ラファエロはディオゲネスの「自由な」生き方にどのような評価を与えていたのでしょうか?

カトリック総本山の壁に「異教徒」であるギリシア人たちの肖像画を描き残したラファエロの謎かけは、そう簡単に解けそうもありません。


5. 原題


『アテネの学堂』はイタリア語ではLa scuola di Ateneと言います。

la scuolaは学校という意味です。

この作品はヴァチカン美術館(I Musei Vaticani)の中にあるラファエロの間(Le Stanze di Raffaello)に描かれたフレスコ画です。

ラファエロの間の内の、署名の間(la Stanza della Segnatura)の壁にこの作品は描かれています。


6. 他国比較


1) 前書き


今回から新しい企画が始まります。
他国比較という視点で、画家や絵画に描かれた人物が生きた時代の各国のあり方を概観していきます。

このブログの趣旨は美術への理解を深めることなのですが、切り口として歴史学と語学を用いています。

歴史学への関心が薄い状態で絵画を眺めるよりは、ちゃんと時代背景を把握した上で絵画を見た方が画家や依頼主たちの心を感じ取れるのだろうと思っています。

ヨーロッパに暮らす芸術家というのは、祖国に留まることなく各地を渡り歩く人が多いですよね。
画家の生まれ故郷だけを調査・研究しても、全体像の把握は困難です。

画家と同時代を生きた各民族(特に王家)がどのような歴史を有していたのかを知ることは、絵画鑑賞に役立つだろうという考えです。

ヨーロッパの歴史だけでなく、その時日本はどうだったのかという点にも目を向けていきます。

ラファエロ(1483-1520)が生きた時代に、他国ではどのような政体だったのかを見ておきましょう。


2) フランス


ヴァロワ朝のシャルル8世(在位:1483-1498)が統治していた時代です。

彼は戦争に勝利してナポリ王も兼任しましたが、イタリア各国の支持が得られず負債を抱えてフランスへ逃げ帰りました。


3) イングランド


テューダー朝を創始したヘンリー7世(在位:1485-1509)の時代です。
薔薇戦争と呼ばれる内戦(1455-1485)を終結させた王として有名ですね。


4) スペイン


正確に言うとスペインというよりはカスティーリャ王国なのですが、イサベル1世(在位:1474-1504)が女王として君臨していた時代です。

レコンキスタを1492年に完成させたことと、コロンブス(1451頃-1506)に資金を提供したことで知られていますね。


5) 日本


室町幕府第11代将軍の足利義澄(よしずみ)の時代です(在位:1495-1508)。

幕政に深く関与した日野富子(1440-1496)が亡くなった後、有力者を輩出出来ない室町幕府(1336-1573)は崩壊の道をたどることになります。


『アテネの学堂』の話はこれでおしまいです。




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