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ティツィアーノ・ヴェチェッリオ『ウルビーノのヴィーナス』
記事URL  カテゴリ | その他絵画 | 2010年12月06日(月)13時32分 | 編集 |
記事のタグ: ウフィッツィ美術館
2010年12月6日(月)


目次
1. 挑発するヴィーナス
2. 芸術とは認めない理由
3. 感じる裸婦像
4. 原題


今回取り上げる作品は、ティツィアーノ・ヴェチェッリオ作『ウルビーノのヴィーナス』です。

2010年12月6日ティツィアーノ・ヴェチェッリオ『ウルビーノのヴィーナス』1 233

1. 挑発するヴィーナス


『ウルビーノのヴィーナス』は、ヴェネツィア派の画家であるティツィアーノ(1490頃-1576)が、1538年頃に描いた作品です。

題名の通り、描かれている裸婦はローマ神話の登場人物であるヴィーナスです。

ヴィーナスを描いているのだからこの作品は正しいものであり、芸術鑑賞の対象となるとされて来ました。

マネ(1832-1883)が『ウルビーノのヴィーナス』を参考にして、下掲の『オランピア』を発表したのは、1865年です。

2010年12月6日ティツィアーノ・ヴェチェッリオ『ウルビーノのヴィーナス』2 225

ということは、300年以上にわたってティツィアーノが描いた裸体画は、社会が受け入れるべき正当な作品であると認識されてきたことになります。

しかし、これが正当なのであればマネの『オランピア』も受け入れてもいいのではないかと考えた人も、少なからずいたはずだと思います。

『ウルビーノのヴィーナス』は、官能的な瞳でこちらを直視しています。

その挑発的な視線に吸い寄せられるようにして、乳房や局部へと目を滑らせ、最終的には左足の親指までを舐めるように「鑑賞」しても、この絵画は正しいとして受け入れられてきたわけです。


2. 芸術とは認めない理由


『オランピア』も、似たような構図で描かれています。
両手が置かれた位置も似ていますし、足の組み方も同じです。

それでも、このマネの絵画は受け入れられない下劣な作品として批判されたのです。
この作品が不謹慎であると酷評された主な根拠は、以下の3つです。


1: サンダル

2: 首に巻いた紐

3: 黒人女性


確かに、『ヴィーナス』は裸足ですし、首には何も身につけてはいません。

そして、後景には召使と思しき2人の女性が描かれていますが、上流家庭で雇われている白人たちであると推測されるような「それなりの」身なりをしています。

賢(さか)しらな顔をした批評家たちは、こういう相違点を論(あげつら)って『オランピア』を糾弾しました。

最終的には『オランピア』は、サロンにおいて床から最も離れた高所に移動させられました。

何メートルもあるような高いところに飾られたのでは、この絵を鑑賞したくてもほとんど何が描かれているか見えなかったはずです。

権威からの虐(いじ)めですよね。

今からつい150年前のパリ美術界というのは、このような硬直化した展覧会の運営しか出来なかったわけです。

ただ、このお偉方が意固地なまでにマネの画風を拒絶してくれたおかげで、後に印象派の時代が到来することにつながっていくわけです。

まあ、世の中どんなことにも功罪はあると言えるんですけどね。


3. 感じる裸婦像


私は『ウルビーノのヴィーナス』も『オランピア』も、芸術作品として鑑賞したいと思います。
両者ともに不謹慎と言えば不謹慎ですし、感性をくすぐられると言えばくすぐられるわけですよ。

どちらかが正しくてどちらかが間違いであるという、そういう問題ではありません。
伝統的な価値観は、いつか崩壊していくものです。

マネのような論争を巻き起こす先輩画家がいてくれたからこそ、ルノワール(1841-1919)のような裸婦を数多く描いた画家が認められる環境が整っていったのだろうと思います。

私もこのブログで数多くの裸婦像を取り上げ、感じたことを文字にして表現しています。
私の表現方法が、不謹慎だと思う人もいるかも知れません。

しかし、私は自分の感性と言葉の運用能力を信じて「芸術」について語っているつもりです。
これからも、「感じる裸婦像」を出来る限り取り上げる予定です。


4. 原題


『ウルビーノのヴィーナス』は、イタリア語ではVenere di Urbinoと綴ります。
この作品は、ウフィッツィ美術館(Galleria degli Uffizi)の所蔵となっています。




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