映画とドラマと語学、そして株式投資へ
| ホーム loro2012 |
| 投稿 |
スポンサーサイト
記事URL  カテゴリ | スポンサー広告 | --年--月--日(--)--時--分 | 編集 |
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。





ジャン=フランソワ・ミレー『落ち穂拾い』
記事URL  カテゴリ | その他絵画 | 2010年09月17日(金)14時01分 | 編集 |
記事のタグ: オルセー美術館
2010年9月17日(金)


テレビでの放送日:2010年5月19日(水) 
番組名:世界の名画 ~華麗なる巨匠たち~(BS朝日)


目次
1. 農民画家
2. 革命期
1) 1830年7月
2) 1848年2月
3. 原題


今回取り上げる作品は、ジャン=フランソワ・ミレー作『落ち穂拾い』です。

2010年9月17日ジャン=フランソワ・ミレー『落ち穂拾い』1 253

1. 農民画家


ジャン=フランソワ・ミレー(1814-1875)は、フランスのノルマンディー地方で農業を営む家の長男として生まれました。

幼い頃から農作業に勤しむ親の背中を見て育ったと思われます。

二十歳を過ぎたミレーは、絵の勉強をするためにパリにやって来ます。
パリで暮らしていた頃は、生活のために裸婦を描いたりもしていました。

その後、1849年にパリ南方のバルビゾン村に移住します。
パリを離れて以降は、大地とともに生きる人々の姿を題材として多くの作品を残しました。

今回取り上げている『落ち穂拾い』も、バルビゾン村に移住してからの1857年に制作された作品です。


2. 革命期


ミレーが生きた時代のフランスでは、二度の革命が起きています。


1) 1830年7月


一つ目の革命は、1830年7月に起こりました。
1789年7月に勃発した「フランス革命」と対比するために、フランス7月革命と呼ばれています。

1789年のフランス革命の後、ルイ16世(1754-1793)が処刑されて第一共和政(1792-1804)が成立します。

しかし、この第一共和政は極めて中途半端な形で終息します。
そして、ナポレオン1世の第一帝政(1804-1814)へと移行してしまうのです。

フランス革命を推進した人々は、人民のための政府を作るつもりでした。
ところが、いつの間にかナポレオンの軍事独裁政権になっていたわけです。

その後、ナポレオンは権力を失いエルバ島に配流となりました。
ナポレオン失脚後のフランスを治めたのは、ルイ16世の弟であるルイ18世(1755-1824)でした。

国王ルイ18世(在位:1815-1824)の登場により、時代の流れは完全に逆行します。
1789年の革命が目指した政治体制は、実現しないまま王政に逆戻りしたわけです。

ルイ18世の後を継いだ国王が、シャルル10世(1757-1836)です。
シャルル10世(在位:1824-1830)は、ルイ18世の弟にあたります。

シャルル10世は、絶対王政の復活をもくろんで徹底的な専制政治を行いました。
その政治姿勢に対して市民が立ち上がり、1830年にフランス7月革命が起きたわけです。

1830年というと、ミレーはまだ16歳です。
ミレーにとっては、革命運動というものは遠い世界の話だったのかも知れません。

なお、この1830年7月に起きた革命を題材にしてウジェーヌ・ドラクロワ(1798-1863)が描いたのが『民衆を導く自由の女神』です。

2010年9月17日ジャン=フランソワ・ミレー『落ち穂拾い』2 276

この作品については、いずれこのブログで扱う予定です。


2) 1848年2月


二つ目の革命は、1848年2月に起こりました。
フランス2月革命と呼ばれています。

1830年7月の革命が成功し、国王シャルル10世はイギリスへと亡命しました。
これにより、ブルボン家によるフランスの支配は完全に終わりました。

その後王位に就いたのは、オルレアン家のルイ・フィリップ(1773-1850)でした。

要するに、フランス7月革命は成功してブルボン王政は打倒されました。
しかし、その後の政治体制は王政のままだったということですね。

何とも不思議な「革命」ですが、これがフランスの歴史なのです。

「フランス国民の王」と呼ばれたルイ・フィリップの治世を、七月王政(1830-1848)と呼んでいます。

このルイ・フィリップ王政は、20年足らずで崩壊します。
ルイ・フィリップ政権が崩壊した最大の要因は、資本家階級の利害を最優先にした政策を打ち出したことです。

この偏った政策により、一般市民の反発を買うこととなりました。
結局フランスは、またしても「革命」の季節になるわけです。

1848年2月の革命は、成功しました。
そして、フランスは第二共和政の時代(1848-1852)に入ります。

1848年というと、ミレー(1814-1875)は34歳です。
ミレーにとっての1840年代は、人生の節目となる出来事がいくつかありました。

1844年に、最初の結婚相手ポリーヌ・オノ(Pauline Ono)と死別します。
そして、1846年にカトリーヌ・ルメール(Catherine Lemaire)との間に子どもが生まれています。

カトリーヌ・ルメールは、後に正式な妻となる女性です。

ミレーがパリからバルビゾン村に移住したのは、1849年とされています。
少年期の7月革命(1830年)とは異なり、1848年の革命はミレーの実生活にも少なからず影響を及ぼしたものと思われます。


3. 原題


ジャン=フランソワ・ミレー(Jean-François Millet)が描いた『落ち穂拾い』は、フランス語ではDes glaneusesと言います。

la glaneuseは、落ち穂拾いをする女性、という意味です。
製作年は、1857年とされています。

この作品は、オルセー美術館(Musée d'Orsay)の所蔵となっています。


ミレーの話題は、明日に続きます。




関連記事

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。