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ハンス・ホルバイン『イングランドのヘンリー8世の肖像』
記事URL  カテゴリ | ヨーロッパ王家絵画 | 2011年02月18日(金)13時45分 | 編集 |
2011年2月18日(金) 

目次
1. 同名の父も画家
2. 暴君
3. カトリックとの決別
4. 原題


今日からイングランド王家に関する絵画シリーズが始まります。
今回取り上げるのはハンス・ホルバイン作『イングランドのヘンリー8世の肖像』です。

2011年2月18日ハンス・ホルバイン『イングランドのヘンリー8世の肖像』471

1. 同名の父も画家


ハンス・ホルバイン(1497頃-1543)はドイツ生まれの画家で、後にイングランドに渡りヘンリー8世(1491-1547)の宮廷画家として多くの肖像画を残しました。

父親も同名の画家ですので、区別するためにドイツ語ではHans Holbein der Jüngereと表記されます。

der Jüngereは父親との対比で息子の方という意味です。


2. 暴君


ホルバインはヘンリー8世の肖像画を数点描き残しています。

この作品はホルバイン(1497頃-1543)が1537年頃に制作した絵画です。
ヘンリー8世は40歳代の半ばということになりますね。

面構えからしても傲慢で精力漲(みなぎ)る男性であったことが窺えます。

ホルバインは晩年にヘンリー8世の宮廷画家として正式に召抱えられることになったのですが、歴史を知っている立場からするとよくこんな暴君の傍で創作活動に集中出来たものだと思います。


3. カトリックとの決別


この絵画が完成する数年前の1534年にヘンリー8世はローマ・カトリック教会から離脱しイングランド国教会を設立します。

現在カンタベリー大聖堂を総本山とするイギリス国教会の歴史はヘンリー8世の時代まで遡ることが出来るわけです。

それにしてもヘンリー8世はなぜカトリック教会と袂(たもと)を分かつような暴挙に出たのでしょうか?

ルターによる宗教改革は1517年に始まっていますのでローマ・カトリックの権威が揺らぎ始めていた時期ではあります。

しかし、ヘンリー8世自身はカトリックの教義を信奉しており、教皇レオ10世から「信仰の擁護者」という称号を授かるほどの熱心さでカトリックを擁護していた王でした。

決して新興勢力であるプロテスタントの主張に魅力を感じて改宗しようとしたわけではありません。

では、何が原因だったのかと言うと・・・、

妻と離婚したかったから、

それが主な理由です。

まあ、政治家ですからそれ以外の様々な思惑も存在したのかも知れませんが、最大の理由は妻との離婚問題です。

妻の名はキャサリン・オブ・アラゴン(1485-1536)と言います。
明日に続きます。


4. 原題


ハンス・ホルバイン(Hans Holbein der Jüngere)が描いた『イングランドのヘンリー8世の肖像』はスペイン語ではRetrato de Enrique VIII de Inglaterraと言います。

Retratoが肖像画、Enriqueはヘンリーのことです。

この作品はマドリッドにあるティッセン=ボルネミッサ美術館(Museo Thyssen-Bornemisza)で見ることが出来ます。


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