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ヴァン・ダイク『狩場のチャールズ1世』
記事URL  カテゴリ | ヨーロッパ王家絵画 | 2011年03月05日(土)15時22分 | 編集 |
2011年3月5日(土)


目次
1. チャールズ1世はメアリー・ステュアートの孫
2. カトリックの王妃ヘンリエッタ・マリア
3. 清教徒革命
4. 原題


今回取り上げる作品は、ヴァン・ダイク作『狩場のチャールズ1世』です。

2011年3月5日ヴァン・ダイク『狩場のチャールズ1世』 438

1. チャールズ1世はメアリー・ステュアートの孫


アントウェルペンに生まれた画家ヴァン・ダイク(1599-1641)が描いているのは、イングランド王(兼スコットランド王)チャールズ1世(在位:1625-1649)です。

チャールズ1世はスコットランド王ジェームズ6世(在位:1567-1625)の次男として、1600年にスコットランドで生まれました。

ジェームズ6世の母親は、スコットランド女王メアリー・スチュアート(在位:1542-1567)です。

系譜を示します。

女王メアリー・スチュアート→ジェームズ6世→チャールズ1世

スコットランド王ジェームズ6世は、1603年からイングランド王も兼任します。
イングランド王としては、ジェームズ1世を名乗ることになります。

3歳のチャールズは、父ジェームズ1世のイングランド宮廷行きに同行します。
そして、そのままイングランドで育つことになるのです。


2. カトリックの王妃ヘンリエッタ・マリア


チャールズ1世は王位継承後、フランス王家の娘アンリエット・マリー・ド・ブルボン(1609-1669)と結婚しました。

アンリエット・マリーは、アンリ4世と王妃マリー・ド・メディシスとの間の子供です。

マリー・ド・メディシス(1575-1642)については、2010年6月18日の記事『ピーテル・パウル・ルーベンス『マリーのマルセイユ到着』 loro2012.blog.fc2.com』で取り上げたことがありましたね。

イングランドへ嫁いだアンリエット・マリーは、王妃ヘンリエッタ・マリアと呼ばれるようになります。

ヘンリエッタは、フランス宮廷でカトリック教徒として育てられた娘です。
そのカトリック教徒が、イングランドの王妃となったわけです。

何か大きな事件が起きる予感を抱いた人々も、少なくなかったのではないかと思われます。

なぜなら、イングランドはヘンリー8世(在位:1509-1547)の治世下においてローマ・カトリック教会から離脱していました。

それに伴い、イングランド国教会が設立されていました。

メアリー1世(在位:1553-1558)の時代には、一時的にカトリックと縒(よ)りを戻したこともありました。

しかしエリザベス1世(在位:1558-1603)の治世下では、再びイギリス国教会が国家の正式な宗教とされました。

エリザベス1世を継いだジェームズ1世も、カトリック教会とは一線を画す宗教政策をとりました。

チャールズ1世が統治した頃のイングランドにおいては、カトリックというのは過去の遺物と化していたわけです。

宗教的な地位が低下したそのカトリックの教えを忠実に守ろうとする女性が、イングランド宮廷に王妃として存在しているわけです。

ヨーロッパ人の生活の基礎をなすのは、宗教だといっても過言ではないでしょう。

日々の生活を営む上で最も大事な宗教の分野において、相容れない宗教を信奉する者が同じ宮廷の中にいるのです。

宗教の対立は、やがて血を見ることになっていくのです。


3. 清教徒革命


王妃ヘンリエッタはカトリックの形式に則って儀式を行なうだけでなく、積極的にイングランド国内の隠れカトリック教徒たちと親交を持ちました。

そして、夫であるチャールズ1世も、そうした王妃の振る舞いを黙認しました。

宮廷内の女性たちは華やかさに欠けるイングランド国教会の儀式に、日頃から物足りなさを感じていました。

一方カトリックは、ある程度華美な側面を有する宗教です。
そこで、カトリックへと改宗する女官たちが続出するようになりました。

王妃自らがカトリックを信奉し、王はそのことを黙認しているわけですから誰に遠慮もいりません。

こうなってくると、面白くないのはイングランド国教会側の人間です。

このままでは王妃が画策して、イングランドは再びローマ・カトリックを信仰する国になってしまうのではないかという危惧を抱き始めます。

このような社会の流れが、ついには清教徒革命(1641-1649)を引き起こします。
そして、チャールズ1世は処刑されるに至るのです。

1649年のことです。

もちろん、このイングランドの内戦は宗教だけが原因ではありません。
王室の財政状態が傾きかけていたので、王は議会を無視して増税策を取り続けました。

このことが、人々の反感を買ったという側面もあるでしょう。

しかし、後世の人々がこの革命の名称にわざわざ「清教徒」という言葉をつけるぐらい、宗教的な要素も含まれていたわけです。

いずれにしても、チャールズ1世は祖母であるメアリー・スチュアート(1542-1587)と同様に、処刑されました。

チャールズ1世の斬首刑後、イングランドは王政を廃止して共和政(1649-1660)の時代に入ります。


4. 原題


この作品は1635年頃に制作されたとされていますので、チャールズ1世(1600-1649)は35歳ぐらいですね。

ヴァン・ダイクは清教徒革命(1641-1649)が勃発した頃に亡くなっていますので、宮廷画家として仕えたチャールズ1世の最期は見ていないわけです。

『狩場のチャールズ1世』は、英語ではCharles Iと言います。
Charles Iは、Charles the firstと読みます。

フランス語ではCharles Ier, roi d'Angleterreと言います。
Charles Ierは、Charles premierと読みます。

フランス語で「1世」と言う場合は、序数詞を用います。
なお、「2世」以降は序数詞ではなく基数詞を用います。

le roiは、王、という意味です。
Angleterreは、イングランドのことです。

この作品は、ルーヴル美術館に所蔵されています。





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